いやいやいや、フランスなんかいても何の役にも立たないだろう。イタリア二号機だぞ。
 心細くて、頭がおかしくなってるらしい。咄嗟に浮かんだ人物の顔に、俺は乾いた笑みを浮かべながら自分でツッコミを入れた。
 これはアレだな、真剣に集団ドッキリだ。首謀者は誰だ? 全校生徒からご近所の皆さん、管理人まで巻き込むなんて、相当影響力のある奴だろう。
 そんなことを考えながら部屋に向かって歩いていると、見慣れた制服姿の背中が見えた。
 そんな光景は、この世界W学園男子寮廊下においてはごくごく当たり前のものであったので、それがいかに今現在ありがたいことであるか、思い出すのにしばらく時間がかかった。
 あーっ!
 いるじゃないか! 人!
 一体どういうことだいこれは、説明してもらうぞ、絶対逃がさない!
 勢い余ってタックルした目標物は、突然の襲撃に備える余地もなかったらしい、そのまま盛大にこけた。
「いた、痛いじゃないの! なになに何なの? お兄さんに何の恨みがあるのっ? ……ってアメリカじゃねぇか!」
 嫌になるくらい普通の反応だ。
 俺はそれどころじゃない。身を起こしかけたフランスの襟首を掴んで、馬乗りになる。
「フランス! どうして誰もいないんだよ! 説明してよ!」
 フランスがいればいいのに、と血迷って一瞬考えたには考えたが、本当にフランスが出てくるとは思わなかった。いざ間抜けなヒゲ面を目の当たりにすると、事態はちっとも進展していないような気がしてくる。どうせ出てくるなら、やっぱりもっと頼れそうな奴がよかった、頼れそうな奴って誰だ? 俺以外にいないじゃないか、なんだ。
「ちょ、ちょっと、落ち着きなさい! お兄さんの脳みそシェイクしない!」
 首根っこ掴んで散々揺さぶってやったら、涙目になって訴えてきた。その情けない顔を見たら、不条理に振り回されて溜まってたストレスが、少し解消された気がしたので、それで大人しく離してやる。
「あーもー……どうしてそんな乱暴な子に育っちゃったの……」
「説明してよ! どうせ皆でくだらない相談して、俺をからかって遊んでるんだろ!」
「はぁ? お前、何言ってんの?」
 目下、学園内には俺とフランスの姿しかない。この異常な状況で、フランスは心底俺の言っていることの意味がわからない、というような顔で首を傾げた。
「からかうって、何が」
「とぼけないでくれよ、学校にも誰もいないし、寮にも誰もいないし! どうせドッキリか何かなんだろ!」
「あのなお前、誰もいないのは当たり前だろ。今日は休みだぞ」
 ため息をつくフランス。冗談じゃない。ため息をつきたいのはこっちだ。まだ妙な茶番を続けるつもりなのか。
「理由になってないぞ! 休みなら寮には人がいるはずだろ。だいたい、何の休みなのさ! 平日だろ、7月5日、月曜日!」
「いや、今日は休みなんだ。あれ? お前もわかっててココにいるんだと思ってたけど」
 フランスは相変わらずムカつく顔で俺をまじまじ見詰めていた。ははーん、大体わかってきたぞ。そんな顔。
「はぁ? 何訳わかんないこと言ってるんだい? ほら、見てよコレ!」
 俺が勢い勇んでiPhoneの日付を見せると、フランスは「ふーん」と軽く流した。
「ほぉー、あぁ、お前、『戻ってきちゃった』んだなぁ」
「……どういう意味だい、気持ち悪いな、君も幻覚でも見え出したの?」
 どうもおかしい。俺が予測していた反応のどれとも違いすぎる。
 フランスにまたがっていた俺は恐る恐る立ち上がり、少しずつ距離を取った。なんか違う。いつものフランスじゃない。
 フランスは俺のそんな態度に軽くため息をついただけで、肩を竦めた。なんだかその、何もかもわかってるっていうか、一人だけ大人ぶった態度がやたらに気に食わない。なんなんだ、何も分かってないのは俺だけ、みたいな。
「今日は『休み』なんだ。言うなればここは『休み』の世界。でも今日は7月5日で月曜日、休みじゃないから、皆ここにはいない。でもお前だけは『休み』に何か心残りがあったんじゃないのか? そういう奴が、この世界でもう一度『休み』をやり直す」
 フランスは何もかも見通したような顔で、にや、と笑った。
「……たとえば昨日、7月4日、日曜日。とかな」
「心残り? やり直す? 休みの世界?」
 バカげてる。
「君、イギリスの幻覚が移ったの?」
「さぁな。現に今お前はここにいる。別に俺はイギリスの幻覚を本物だなんて言うつもりはないけど、俺の身に起こったことまで否定はしないさ。たまにあるんだよ。うちの学校、変な学校だから」
 お子ちゃまだな、とでも言いたげな笑みが気に食わない。なんだい君なんか、さっきまで俺に揺さぶられて「やめてー」って泣いてたくせにさ!
「……たとえ君の言ってることが全部本当だったとして、俺がここにいることの説明になんかなってないよ。俺は休みに心残りなんかないし、昨日は俺の独立記念日で、上司のパーティに行って、色んな人にお祝いされて、すっごく楽しかったんだ」
「……へぇ?」
 そうだよ、昨日は色んな人にお祝いされて、俺の家の皆だって一年に一度の熱狂に浮かれまくって、最高の一日だった。
 たとえ帰って来た時すれ違ったこの学園の誰もが俺の誕生日なんてコロッと忘れてしまったみたいに「おめでとう」一つくれなくても、部屋で俺を待っていたカナダまでもが宿題と野球に夢中でも、そんなのはこの学園じゃ普通のことだ。俺たちの「誕生日」は普通の「誕生日」と違う。自分一人が大切にして祝えばいいもので、誰か他の人が祝ってくれるものじゃない。
 そうだよ、な。心残りなんかないぞ!
 言っていて、ふと気がついた。
「……じゃあ、君は?」
「ん?」
「君はどうして『こっち』にいるんだい?」
 フランスは俺がそんなことに気づくなんて夢にも思いませんでしたって失礼な顔でしばらく目をしばたいていたが、やがて軽くウインク一つ寄越して「ひみつ」とのたまった。
「君、しょっちゅうこっちに来るの?」
「うーん、そうねぇ、歳取ると、後悔することが多くて困るよね」
「君やっぱり『高校生』って顔じゃないもんな」
「うるさいよ!」
 若いからってバカにして、などと喚き続けるフランスを見ていたら、なんだかさっきまでの不安がばかばかしくなってきた。多少イギリス寄りになってしまった気はするものの、やっぱりいつものフランスだ。
「でもこんな世界に一人でさ、一体何をしろっていうんだい? 休みに心残りがあったって、こんなところじゃどうしようもないよ」
「ハハハ、お前混乱するばっかで、自分の周りがちっとも見えてねぇのな。それとも今まで学校にいたのか? 学校じゃ、『休み』の記憶は少ないからなぁ」
「……休みの記憶?」
 なんだかまた怪しげな単語が飛び出した。
 無視しようと思ったけど、やっぱり気になる。
「静かに黙って、じっとよく周りを見てみな」
 フランスはそっと廊下の端に寄ると、俺にも同じようにしろ、と指示をした。訳がわからないながらに壁にもたれ、ぼんやり誰もいない静かな廊下を眺める。
 ふいに、かすかにノックの音が聞こえた気がした。
 でも廊下に人なんかいない。どこだ? 一体どの部屋――あ。
 俺の部屋の目の前だ、ぼんやりうっすら、人影が見える。
「あれって、ゆうれ……!」
「しーっ」
 フランスに口を塞がれたまま、その半透明の人影を眺める。心臓がばくばく、まるで早鐘のよう。見守るうちに、人影はどんどん濃くなっていった。
 しばらくすると、がちゃり、と確かに俺の部屋が開いた。なんだ、カナダの奴、やっぱり中にいたん――。
「…………!」
 中から出てきたカナダも、どこか半透明だった。えぇえ、何あれ、何だよ一体。
「イギリスさん」
 半透明の影が喋る。それで、廊下に佇む幽霊が、実は見慣れたイギリスの後ろ姿であったことに俺はようやく気がついた。
「あいつ、まだ帰ってねぇの?」
 あいつ、とは間違いなく俺のことだろう。何言ってるんだい二人とも。半透明になったからって、目まで悪くなったのかい? 俺はここにいるじゃないか。
「しばらく帰ってこないと思いますよ。なんたって今日は、お祭りだから」
 今日? いつのことだ? お祭りって?
 もちろん、推測ならついたけど、俺は敢えて断定を避けたかった。けれどイギリスがその言葉を聞くなり、まるで腹痛でも起こしたかのように身をかがめ唸ったから、あぁ、やっぱり「今日」は「今日」なんだ、と俺は確定せざるをえなかったわけだった。
「そうか……くそ、あいたたたた……」
「だ、大丈夫ですか?」
「すまない、この時期俺の体調が悪いのはいつものことだ。気にしないでくれ」
「え、ええ、無理しないでくださいね。皆もいるし……」
「いや、大丈夫だ。で、ええと、会場は、寮の大ホールを貸し切ったから」
「時間は?」
「7時からでいいと思うんだが……準備とかもあるし、授業が終わってから、しばらくアメリカを引きとめといてもらいたい」
「わかりました。頑張ります。でも、僕一人じゃ厳しいと思うんで……」
「何なら、誰か応援に寄越す。いつでも電話しろ」
「はい」
「じゃあ俺、ケーキ作ってる奴ら見てくるから」
「え、あ、あの、イギリスさん!」
「ん?」
「いや、あの、体調悪いなら無理しない方が……」
「あー、そうだな、じゃあまた」
 そんなやりとりの後、イギリスとカナダは別れ、部屋はまた元のようにぱたんと閉じた。しかし今鍵を開けて中に押し入ったところで、カナダはもうそこにはいない。俺にはそれだけがわかった。イギリスはもう、影も形も見えなかった。
「……なんだい、あれ」
「幽霊じゃないよ。なんだろうね、録画ビデオみたいなものなんだろうなぁ」
「ビデオ?」
「うん、あれには魂なんてものはない、ただの記録。だからあいつらにも俺らの姿は見えない。休みの世界ではさ、皆の休みが垣間見れるんだよ」
「……それって、休みに心残りがある人の、何か助けになるのかい?」
「さあ? 使い方次第じゃないの? たぶん、助けるような記録を、俺たちにわざと見せてくれてるような気がするけどね」
「誰が」
「いやぁ、この学校、変な学校だからさ」
「それで納得してるのかい?」
「するしかないでしょ」
 フランスはへらへらと笑った。
「部屋の中も見てみる? また違う『休み』があるかもよ」
「……意味がわからないぞ」



部屋の中を見てみる。ひょっとしたらカナダがいるかもしれないし。
部屋の中にカナダがいないのはなんとなくわかるし、別の場所に行ってみる。



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