「いやだよ! 部屋の中に幽霊がいたりしたら俺飛び降りるからな!」
「だから幽霊じゃないって言ってるでしょーが。ちゃんとイギリスとカナダだったでしょ」
そんなことを言われたって、もともと怖いものを処理することを拒絶するように脳ができているのか、今し方見たばかりの、フランス曰く「イギリスとカナダ」の姿だって、もうはっきりとは思い出せない。そもそも今の幻覚まがいの不思議現象だって、ほんとに俺、見たんだろうか? ちょっとした白昼夢だったんじゃないのか? それともただただフランスが主張しているから俺も見たような気になっているだけで、ほんとはまるっきりそんな幻覚すら見てないんじゃなかったか。よくあるよな、推理小説とかにこういうパターン。いや、でもさっき確かにドアが開いてなかったか? じゃあ中にやっぱり誰かいて、フランスとグルになって俺をからかってるんだ。やっぱりここはドアを開けて確かめてみるべきじゃないのか? いや、でも先にドアを開けてみろと言ったのはフランスだ。当然中にいる協力者も、とっくに隠れる場所は考えてあるのだろう。っていうかもしも本当に幽霊がいたらどうしよう。
うん、フランスのいつものバカな冗談だったとしたら、ドアを開けるのは奴らの思う壺。万が一そうじゃなかったとしても、開けて幽霊がいたらイヤだ。どのみち俺がとる選択肢は決まってるじゃないか。
「何ブツブツ言ってんだお前。っつーか一回見たら慣れろよ。どんだけ怖がりなの」
「慣れないよあんな半透明なの! どう見ても幽霊じゃないか!」
「だから違うって、あいつらが休みの間にしてたこと。こっそりお前のパーティを企画してんだ、いかにもありそうなことだろ? あーあ言っちゃったよ、もう、わかれよバカ! お前のせいでお兄さんまで風雅を解さない田舎者みたいじゃないの!」
「それが一番ありえないんだよ……何なんだいパーティって、薄気味悪い。君たち去年まで同じ調子でさらっとスルーしてたじゃないか。……っていうか、君も一枚噛んでるってことだろ! これ以上妙な幽霊が出てこないように、君が計画全部喋ってくれたらいいじゃないか! こんな暴露の仕方はイヤなんだぞ!」
「おっと、これ以上は言えないねぇ。お前が『たまたま』見ちゃうのはお兄さん防ぎようがないとしてもさ」
「そういう回りくどいの、ほんとじれったいんだぞ」
「お兄さんたちはお前とは違うの」
また気取ったフリでもったいぶり始めたフランスに、俺はさっさと匙を投げた。イギリスもよくぼやいてるけど、というより口汚くののしってるけど、フランスの趣味は俺たちみたいな普通の人間には到底理解できないんだ。そういうイギリスだっておかしいけどな。頭は固いし、懐古趣味と妙なプライドに縛られて、グチグチと皮肉を弄んでは箱庭に閉じこもって茶を啜ってる。もう俺の時代は終わったとでも言わんばかりに。かと思えば会議じゃいつも俺の意見にチクチクとダメ出し。やることなすことちっとも潔くない。
特に潔くないのが7月の頭だ。原因なんか分かり切ってるけど。俺にはどうすることもできない。
だからこそ俺は、今し方のなんたらの記憶だか記録だかを、この目で見、この耳で聞いたにも関わらず未だに信じられないのかもしれなかった。だってあのイギリスが、俺の誕生パーティ、だって。
目の前のフランスに、本当なのかい、としつこいくらいの確認を取ることもできたけれど、きっとこの男は喋らない。
本当だったところでどうするんだ、俺だって覚悟はできてない。
俺が、彼にいわせれば「珍しく」シリアスな顔をしていることに気がついたのか、フランスはわざとらしいふざけた口調で投げやりに言った。
「お前、腹減ってんじゃねーの? 食堂行く?」
不覚にもそのセリフを聞いた瞬間、俺の腹がぐーっと鳴り響いたので、俺はその一言に抗うことができなかった。
「……行く」
そういえば朝ご飯も食べずに飛び出してこの方、意味不明な現象にばかり直面して、頭も体も休憩を求めているみたいだった。
「月曜のこんな半端な時間に、食堂やってるのかい?」
「なんでも自分中心に考える、そこがお前の悪い癖だね」
また含み笑い。あぁもう腹立つ。
寮の二階にある食堂は、やはり人っ子一人いなかったものの、きちんと門を開いていた。
あぁ、そういえば世界W学園には全世界から多種多様な生徒が集まるがゆえに、その文化風習から、学ぶべきこと、時間割まで必ずしも俺の家で標準的とされる範疇に収まるわけではないのだった。まったく基本事項だ。
そういうフランスだってしょっちゅうユニークといえば聞こえのいい自前の理論を披露しては他国を辟易させているくせに、自分だけ大人ぶってよく言う。
「でもどうするんだい、厨房に人がいなきゃ、ハンバーガープレートが食べられないぞ!」
特大ハンバーガーにはフレッシュな野菜とジューシーな肉。ブラックペッパーとマスタードがきいてて、何個食べても飽きない。傍らには大ぶりのフレンチフライと日替わりのサラダ。これで飲み物までついて外より安い。
「あぁあのお前がいつも食べてるやつね」
「メキシカンチリドッグでもいいぞ」
「まぁまぁ、ちょっくら作ってきてやるからそこ座って待ってなさいよ」
「作れるのかい! すごいんだぞフランス! 見直した!」
「ハハハハ……何それお兄さん喜んでいいの?」
微妙な苦笑いを浮かべるフランスを無視して、俺はいつもの窓辺の席に陣取る。肩に食い込んでいたスポーツバッグを下ろすと、気分まで軽くなった気がした。窓からは道路を挟んで学園の敷地沿いに植えられた木々が見える。その頭を越して、うっすら目に入るのは若い芝のライトグリーン。たまにサッカーボールやフットボールやバレーボール、カイトまでもが飛び交う、その光景が俺は好きだった。
ぼんやり外を眺めていると、ふと、背後の席に人の気配を感じた。
「……は……思……す?」
どこか聞き覚えのある声。でもさっきまで確かに人なんていなくてがらんとした食堂は寂しげで、今だってわざわざフランスが自らご飯を作りに厨房へ入っていったくらいなのに。
また「あれ」だ、今度はすぐに分かった。振り向いたらきっと、この世のものとは思えない非科学的な何かが見えてしまう。
俺はただただ身を堅くして、心の中で十字を切った。少しでも身動きしたら殺られる、そう思った。そうだ、そうに違いない。俺が何をしたっていうんだよ! ヒーローは必ず勝つんじゃなかったのかい?
「もー、マジメにやってくださいロシアさん。僕まだ宿題が残ってるんです」
「ラトビアァアア!」
「そんなの僕だって残ってるよ。もーめんどくさいなー何でこんなことしなくちゃいけないのかな?」
「す、すみませんすみません、イギリスさんに頼まれて、どうせなら人数多い方が楽しくていいって……あの人なんだか具合悪そうでしたし、とても断れる雰囲気じゃ……」
「まぁまぁ、貸しを作ったと思えばいいじゃないですか。それに今の時代、アメリカさんの機嫌を取っておくのは大切だと思いますよ」
「……そ、それに、もしロシアさんだけ参加しなかったら、またハブにされたんだねって皆にきっとまたバカにされますよ」
「『また』ってどういうことかなぁ、しかも二回言ったよね?」
「あ、あれ? ごめんなさいそんなつもりじゃ……」
「ラトビアァアアアア!」
ところが聞こえてきたのはこんな、俺のがちがちに震えた膝小僧をあざ笑うかのようなお笑いコント顔負けの会話だったので、俺は頭を抱えながらもゆっくり振り返った。案の定そこにいたのはどこぞのでっかい誰かさんと愉快な仲間たちとリトアニアで、俺の恐怖感が薄れたからなのか、透明度もそこまで高くないように見えた。って水かい。
ロシアはいかにもダルそうにテーブルに突っ伏しており、その周りでよく見かける三人組が、額をつき合わせていた。
「百歩譲って僕が参加するのはいいよ。僕だって皆がわいわいやってるのを見るのは好きだしね。でもなんで僕が手伝いまでしなきゃいけないのかなぁ。しかも何かゲーム考えて場を盛り上げろだって!」
それはまぁ、なんとイギリスもナイスな人選をしたもんだ。やはりパーティなんてのは建前で、忌むべき日が無事終わった記念に、会場を冷たい血で濡らすつもりらしい。
「なんか、完全に面倒くさいところを押しつけられちゃった感じですね」
一際小柄なラトビアが震えながらもっともな推測をよこすと、ロシアは胡乱な目つきで何やらコルコル唱え始めた。まぁこんなのはロシアのいつもの発作のようなものなのだが、傍にいた二人はやたらに慌てている。きっとあれも何か、彼らの間のお約束のようなものなのだろう。
「ラトビアぁあ!」
「あ、そ、そうだ! ロシアンルーレットっていうのはどうですか?」
リトアニアがポンと手を打つと、ロシアは満面の笑みを浮かべた。
「それ実弾入り? ねぇ、ねぇ?」
「い、いえ……」
ちょうどそこで、がちゃり、と陶器の鳴る音が響いて、振り返っていた顔を戻せばフランスだった。
「あ、君の存在忘れてたよ」
「……まぁいいけどさ。何か見えたの?」
「君には見えなかったのかい? ロシアと愉快な仲間たち」
「そいつは愉快だな」
目の前に置かれたプレートの上には、見事にいつもの贅沢ボリュームのハンバーガーが再現されており、しかもいつもより熱々としていて美味しそうだった。
「わー! すごいぞ君!」
「当然だろー? ついでに、隠し味で愛もこもってるから」
「ぶはっ、そういう冗談はやめてくれよ。食事中だぞ」
「ひどい! 真顔で言われた!」
振り返るともう、ロシアたちの姿は見えなかった。
なんだかだんだん慣れてきたぞこの状況。口いっぱいに広がるジューシーな肉汁とオニオンにマスタード、食欲が満たされたからなのか、俺は「次は何が見えるんだろう」と期待するまでになっていた。
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