俺は半信半疑ながらも、カード型のキーをドアノブのセンサーに近づけた。人(国)ってのは不思議なもので、今しがた確かに超常現象を見せつけられたっていうのに、一分も経てばただの見間違いだったような気がしてきて、どうしてもフランスのフランスらしくない、どっちかっていうとイギリス寄りのファンタジックな話を疑わざるを得ないのだった。
ドアはいつものように味気なく開いた。部屋の中は朝飛び出て来た時と同じように、主人二人を吐き出して、がらんとして寂しげに見えた。
「ほら……むぐっ」
半ば憤るようにして振り返った俺の口を、フランスが何の予告もなく塞ぐ。
「静かにしてなさいね。って、言ったでしょーが」
どうでもいいけどフランスの囁き声は、普段より二百倍卑猥さが増すと思う。離してほしいな、変態が移るよ、と身じろぐ俺の腕まで押さえつけて、しーっと彼が指すのはカナダの机。
うわ……。
また幻覚が見えてきた。俺ももう末期かな。こうして世界はイギリスに毒されていくんだ。
カナダの椅子に誰か座ってる。またしても認めたくないけど半透明な誰か。俺の椅子じゃなくてよかった。トゥースキュアリーすぎるよ!
口を塞がれててよかった。そうじゃなかったらヒーローらしくもなく叫んでしまうところだったろう。そう思っていたら、フランスは非情なことを言い出した。
「近寄って見てみろよ」
ムリだよ!
答える代わりに首を振る。今すぐ逃げ出したいのに、フランスは情け容赦なく俺の背を押す。
そうして、出口を塞ぐみたいにドアのところに立ちはだかってしまうから、逃げ場を失った俺は故意に反らしていた目を薄目のまま、そっと件の方向へと向けてみたわけだった。
しゃき、しゃき、と規則正しい音が続いている。
なんと!
よく見ればゴーストはスィザーズ片手に何かをひたすら切り刻んでいる。いよいよもってトゥースキュアリーすぎる。もういやだ、次はきっと俺の番なんだ。
「よく見なさい、あれカナダだよ」
しびれを切らしたとでも言いたげな大袈裟なため息とともに、フランスが吐いたのは意味不明な一言。そうだよあれはカナダの机だよ。……あ。
俺はそこでようやく先程の会話を思い出した。
「幽霊じゃないって言ってるでしょ、お前バカなの? 学習能力ゼロなの? 呑み込み遅すぎ」
しょうがないじゃないか毎日毎日イギリスの相手してると、バカげた話のスルー能力が上がるんだ。
「……あ、そうか、休みの……なんだっけ?」
「何と呼ぼうと勝手だけど」
「じゃああれはカナダ? 俺が今見てるのは、カナダが昨日してたこと?」
「さあねぇ、真偽のほどは誰にもわかんないけど」
まったくもって無責任な言い方だ。大人ってズルイ、などと年甲斐もなく年長者を恨みたくなるのはこういう時だ。実際、フランスはずっとずるい。
あれが幽霊でも何でもなくて、ただのカナダの残りカスみたいなものなんだとわかれば何も怖くなどない。
「カナダの奴……何してるんだい?」
「お兄さんだって知らないよそんなの。だから自分で見てきなさいって」
俺も好奇心に負けて、そっと半透明なカナダの背後に忍び寄った。机の上には、乱雑に散らばった大量の新聞紙。それもどれも格式が違う。あぁ、会社が違うんだ。どこかのスタンドでバカみたいに大人買いでもしてきたらしい。時々訳のわからない暇潰しを始める奴ではあったけど、今度は一体何をおっ始めたんだ?
「スクラップだなぁ」
いつの間にかすぐ後ろまで来ていたフランスが、暢気な声で言う。
「スクラップするほどの大事件でも起きたのかい? 昨日はさっぱりニュースも新聞も見る暇がなかったからわからないけど――」
あののんびりやがこんなに熱心に。
「そうねぇ、歴史に名高い大事件だねぇ」
いつものことながら、俺はフランスのこういう含み笑いが大嫌いだ。
何か言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、こうやって俺をまるでバカで無知なお子様みたいに扱って、一人悦に入っているのだ。
俺は失礼なおっさんのことなど無視をして、急に新聞のスクラップなぞ前世紀の遺物みたいな、それこそどこぞの島国のような趣味をライフワークにし始めたらしい兄弟の手元を眺めるのに集中することにした。
記事のタイトルはええと……。
時間にしたらほんのコンマ1秒ほどだったと思う、俺は瞬時にフランスの言いたかったことを悟ったような気がして、思わず半透明のカナダから目を背けた。ついでにフランスのムカつくによによ顔も視界に入れないよう努力した。
「ほんとはこうやって覗き見るのはマナー違反だよなぁ」
うるさいぞおっさん! 君が見ろって言ったくせにさ!
昨日が何の日だったかなんて、あまりに当たり前すぎてついつい候補から外してしまいがちになるけど、もちろん世界のリーダー、この俺の独立記念日だ。俺の家は上を下への大騒ぎ。俺もその熱狂の中に混じって、一年に一度の歓喜に身を投じたわけだったけれど、そんな俺の家の様子を、各紙は大小差はあれど、悲嘆や遺憾の込もらない貴重な明るいニュースとして、浮かれ騒ぐ人々の写真と共に取り上げていたわけだった。
俺の兄弟分がせっかくの休日に寮の部屋に閉じこもって地味にちょきちょきやっていたことといえば、そんな記事を熱心に切り貼りすることだったのだから、俺は非常に居心地が悪かった。
「一体どういうつもりだい、後で火でもつけて燃やすのかい」
温厚を絵に描いたようなカナダが、日頃の恨みをそんな方法で晴らすとも思えなかったけれど、じゃあ一体なんだって奴はわざわざこんなことしてるんだ?
「さあねぇ、本人に聞いてみないとねぇ」
そんなことは俺にだってわかってる。けど実際に俺が聞いたら、どうして君がそんなこと知ってるんだい、って騒ぎ立てるに決まってる。ああそうだ、今俺がこんなに居心地が悪いのは、カナダのこの行為は明らかに俺が覗き見るべきものではなかったからだ。他の誰でもなくこの俺が。カナダが昨日していた他のどの行動でもなくまさにこのシーン。
「……もしこれが本物だったとしたら、休みのなんたらってのは相当に性格が悪いな!」
「そうだな、でも見えちゃうんだからしょうがないよなぁ」
敢えて大声を上げると、カナダのちょきちょきやる音が少しずつ小さくなっていき、心なしかその幽霊みたいに茫漠とした姿も薄れていくように見えた。よしよし、さっさと消えろ!
「もう、さっさと元の世界に帰るぞ!」
「そんなSFっぽく言われてもなぁ……そういうんじゃないとお兄さん思うけど」
「君がそんなんだからいけないんだよ! 探せば絶対に、元の世界に帰る方法はあるはずさ!」
「だからそのうち戻るって。諦めて自省しなさいよ」
「何を省みろっていうんだい! ヒーローは振り返らないぞ!」
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