※たぶん色んな人がやっているだろうなと思いつつ、もったいない精神で上げておきます。
 季節外れ。
 ギリシャ母捏造とかがありますのでご注意ください。
 何もかも捏造な気がしますが軽く読み流してください。お詳しい方の間違い指摘、大歓迎です…!
 宗教的な部分に関しましては、BLCP自体がそもそもそぐわないので、彼らは基本的に国であって人ではない観念的な存在なのだ、という理解でご覧ください。



エーゲ海に抱かれておやすみ

~俺が…数えて…やる…~




 いい天気だった。
 アテネの中心、シンタグマ広場にほど近い会議場で催されていた今回の世界会議、午前中の日程をつつがなくとはとても言えない雰囲気で終え、一同は予定されていた昼休憩に入った。
 ぎゃんぎゃんといつもどおり会議を踊らせた面々は三々五々、会場となったコンベンションセンターを後にしていく。アテネの街に繰り出して、昼食にするつもりなのだろう。生憎とトルコを始めとするムスリム諸国にとって今回の会議の日程は、ちょうど断食月の半ばに当たっていた。
 三時間とたっぷり取られた昼休憩をもてあまし、散歩などに繰り出してみたが、すぐに飽きた。一旦ホテルにでも帰って寝ようかと思っていたところへ、芝生の敷かれた小さな庭の木陰に、見知った顔があるのが見えた。よくも悪くも付き合いの長い隣国であり、今回のホスト国である。
 残暑も厳しいアテネの日差しがじりじりと降り注ぐ。窓の向こう側から眺めていただけではわからなかったが、からりとした風が、涼しげに耳元を撫でていった。
 ところどころ先端が枯れ、白くなった芝を踏みしめると、ざくりざくりと音がする。近づいているのはわかっているだろうに、木陰の男は緩慢にちらりと目線を寄越しただけで、すぐにつまらなそうに、膝上の本に目線を戻してしまった。
 どこから集まって来たのか、男の周りには色とりどり大小様々の猫が、丸くなって思い思いに惰眠を貪っている。
「何読んでやがんでぇ」
 なるほど木陰は大分涼しい。木の幹にもたれるようにしたギリシャの手元を覗きこむと、記号のようなギリシャ文字がびっしりと並んでいた。少しばかり古い本らしく、紙の端は茶色く焼けていたし、活字もなんだか古めかしい。まぁ彼はよくこうして、愛用の本を引っ張り出しては、飽きもせずに何度もページを繰っている。一度読んでしまった本の何が面白いのだろう。
 簡単な看板程度のギリシャ語ならトルコも読めたが、哲学だの文学だのとなると、もはや努力する気が起きなかった。昔は総主教座宛てにギリシャ語で公文書の山を発行したことも決して少なくなかったような気がするが、人とは総じて忘れる生き物なのである。膨大な人の記憶を抱えて生きる、国という生命もまた、不思議なことに。
「……ニコス・カザンザキスの『アレクシス・ゾルバス』だ、名著だぞ……。『Zorba the Greek』という名で、映画化もされた……」
 果たして真剣に読んでいたのだろうか。ギリシャは躊躇いもせず本を閉じ、古めかしい表紙をご丁寧に見せてくれた。なるほどタイトルくらいなら、トルコにも難なく読み取れる。
「知るかってんでぃ」
 ぼりぼりと頭を掻く。油断すると腹でも鳴りそうだった。
 普通ホスト国といえば、食事をとる間もないくらい忙しそうに走り回っている印象があるが、昼食はもう済ませたのだろうか、ギリシャときたらこんなところでのんびり本を読んだりして。まあ昔から、彼がどこぞの堅苦しい筋肉ダルマや、東の果てのサムライのように、あくせく働いているところを見たことがない。それがこの美しい碧のエーゲ海を抱く彼らしいと思う。
「お前が聞いてきたんだろう……」
 思考を飛ばしたのがバレたらしい、ギリシャは呆れ顔で鼻を鳴らした。
「あぁ、そうだったなぁ」
 どうにも早朝詰め込んできたはずの糖分が、頭に行き渡っていない気がする。自分らしくもないぼうっとした切り返しになってしまったのを自覚したから、ため息をついて座り込んだ。隣に座るな、と言いかけたギリシャの不平を、大きなあくびで遮ってやった。
「……眠そうだな。眠いなら寝てきたらいい……。シエスタの時間なんだから……」
「んー、そうさなぁ、たまにゃあお前ぇさんのマネして昼寝もいいかと思ったんだがよ、腹減って目ばっか冴えてよぉ」
 確かに眠いは眠いのだが、どうにも精神ばかり興奮している気がする。妙に体は熱いし、嫌な汗は出てくる。目は乾くし。ついでに言えば、考えないようにはしているが、喉も渇く。
 それで、素直にホテルに帰ってベッドの上で眠れない時間をうだうだ過ごすよりは、見知った顔をからかっている方が楽しかろうと思ったのだ。
「あくびするなら向こうへ行け。気が散る」
 ごしごし目を擦って気だるげに肩を回すと、あからさまなため息を吐かれた。何がそんなに不愉快なのか、お綺麗な顔はぎゅっと眉根が寄せられ、大層不満そうだったが、むしろこちらの顔が自分と対峙している時のギリシャの標準なので、トルコはそれをからりと笑い飛ばした。
「そういやぁよぉ、羊を数えると眠れるんだって、さっきフランスのあんちゃんが言ってたなぁ」
 ついこないだ、限られた数ヵ国のみで集まって、不眠について話し合う会議が催されたのだという。トルコ自身は参加していなかったが、フランスとイギリスがそのことについて、会議が始まる前のわずかな時間にしきりに話していたのだった。他にもアロマがどうだの、シエスタがどうだの。
「……そういえば、日本もそんな話をしてたな……」
 トルコがうるさいのに捕まっている間に、トルコを差し置いていつの間にあの滅多に会えない東の小国に挨拶したのだろうか。その一点は気に食わないが、あのマジメな彼すら言及するということは、相当効き目があるのだろう。
 日没を待ちきれない腹が再びうずき出している。この状態においては、退屈が一番辛い。時間が経つのが遅いから。それならいっそのこと、さっさと眠ってしまいたかった。
「そうと決まったら、早速試すしかねぇな!」
「そうか。頑張れ……」
 勢い込んで言ったトルコをバカにしたように眺めた後、ギリシャは「話は終わった」とでも言いたげに、再び適当に本を開いた。先程の続きを捜すでもなく、視線を滑らせていくだけのその行為にどれだけの意味があるのかわからない。
「よっと」
 その本を取り上げて、脇に置いてしまうと、開いた太腿に頭を乗せ寝転がった。無論ギリシャは烈火のごとく抗議を始めたが、こうなることは予想済みだ、それくらいで引き下がったりしない。
「何……してるんだ……! バカトルコ!」
 ぽこぽこと、音を立てて頭から湯気が出ているのが見える。まったくテンションの落差の激しい奴だ。
「るせぇな、静かにしろぃ。眠れねぇだろうが。俺だってお前さんなんかのかったい膝よりムチムチのお姉ちゃんの膝がいいに決まってるけどよ、ちょうどいい枕がねぇんだから仕方ねぇだろぃ? それに、お前さんが羊を数えてくれるって話だろうがよ」
 突然、頭の下の地形が変わり、まぁ要は膝の上のトルコなどには慈悲も垂れず、ギリシャが立ち上がったというだけの話なのだが、ドサリと地面に身を打ちつける羽目になる。
「痛ぇっ」
「誰がお前なんかの頼みを聞くかっ! 死ねっ!」
 トルコの頭を滑り落としたことに満足したらしく、ギリシャはもう一度座り込んで、脇へ避けた本を再び手に取る。
 寝転がったままその一連の行動をしつこく眺めていたら、普段なら「痛ぇじゃねぇかクソガキ!」と拳骨の一つもくれてやるはずのトルコが大人しいことにようやく気づいたらしい、ギリシャが気まずげな視線をこちらにくれた。
「……どうした? 頭でも打ったのか……?」
「あぁ、たった今な」
「自業自得だ……」
 木の葉越しに青い空が見えた。気持ちのいい晴れっぷりだ。しかし眩しすぎて目に染みる。もうこのまま、ここで昼寝してしまってもいいかもしれない。枕もないけれど、フードを被っていたお陰で、生憎そこまで汚れていない。
 再びあくびを噛み殺したところで、ギリシャが傍らの猫を撫でながら、いいことを思いついたかのように呟いた。
「……猫なら、数えてやってもいい」
「この際何でもいいわ、もう」
 相変わらずおかしなガキだ。体ばっかり大きくなって。
「……猫が一匹……猫が二匹……」
 ギリシャの口が、秘めた遊びか何かのように柔らかく開かれた。
「子猫が三匹……白い猫が四匹……黒い猫が五匹……」
 手近にいる猫を呼び寄せるように手を伸ばしながら数えていく。撫でられた猫は、なぁ、と返事をするように鳴いた。
「灰色の猫が六匹……茶色の猫が七匹……」
 閉じた瞼の裏に、ぽんぽんと映像が浮かび上がる。いつもギリシャを取り巻いている大小様々の、色取り取りの猫たち。
「太った猫が八匹……魚を咥えた猫が九匹……それを追いかける野良猫が十匹……」
 それにしたって妙な状況だ。次はどんな猫が来るのかと、つい身構えてしまう。
「だあっ! 話を作るな! 気が散る!」
 ついに耐えきれなくなって上半身を起こした。相も変わらずかわいげのない顔が、そっけなく横を向く。
「お前のために数えてるわけじゃない。何でお前の注文を聞かないといけないんだ」
 まったくもってその通りだ。トルコはしぶしぶ、元の芝の上に、フードに包まれた頭を戻し、腕を組んで目を閉じた。
 すると、独り言にも似たトーンで、こんな質問が降ってくる。
「……なぁ、猫の時間感覚は俺たちと同じだと思うか?」
「そういう、小難しい話はやめろ」
「……つまらない奴だ……」
「何で眠ろうとしてるってぇのに面白く切り返さにゃあならねぇんだ」
 ギリシャはまだ思考の海に沈んでいるようで、心ここにあらずといった体で、カウントを再開した。
「わかった……。猫が十一匹、猫が十二匹、猫が十三匹、猫が十四匹、猫が十四匹……」
「十四、二回数えてっぞ」
「うるさい……わかってる……!」
 ぽこ、と軽く憤った音がする。こういうわかりやすいところは、とても好みだ。それなのに他の連中ときたら、ギリシャは温厚だ、だの、何を考えてるかわからない、だの言う。
「そーかい、へぇへぇ」
「……ええと……」
「十五からな、十五」
 子供に言い聞かせるように、優しくやさーしく言ってやると、ぽこぽこ、がまた増えた。
「そんなに言うなら、お前が数えればいいだろう……!」
「そうさなぁ、生憎ここにいんのは図体ばっかデカイだけで、数字も満足に数えらんねぇ、とんだお子様みたいだからなぁ」
「なんだと……! バカにするな、バカトルコ……!」
「十五からだぜ、じゅうご、わかるか? 十と五でぇ」
「いいから目を瞑れ! こっち向くな!」
 ちょろいもんだ。コイツこんなんで大丈夫か?
 ギリシャは高ぶる気を鎮めようというのか、大きく息を吸って吐いた。
「羊が……」
「猫じゃねぇのかぃ?」
「うるさい。さっさと寝ろ」
「羊が十五匹、羊が十六匹、羊が十七匹、羊が十八匹、羊が……」
 目を閉じて、ぼんやりしたギリシャの声を聞いていると、他の全ての音がすっと遠くなった気がした。瞼の裏に感じる、木の葉に遮られた陽光。大地のにおい。塀の向こうでアスファルトの上を転がっているのであろう、中古車の行き交う地響きにも似たクラクションのシンフォニー。
「羊が、十九匹……羊が、二十匹……」
 トルコがウトウトし始めたことで油断したのだろうか、先程までいきり立つようにトゲを含んでいたギリシャの声が、急に穏やかになる。なるほど、羊を数えると精神が落ち着く、という効用でもあるのかもしれない。元はと言えば眠りたい本人が数えるものであると聞いた気もするし。そのうち、ギリシャの方が先に眠ってしまうかもしれない。考えたら可笑しくて、けれど大笑いするような気分でもなかったから、口元が僅かに緩んだだけだった。突然ニヤけたトルコの顔は、ギリシャからはさぞ気持ち悪く映っていることだろうが、文句も言われないので、あらかたどこか明後日の方向でも見ているのかもしれなかった。目を開いて、確認する気にはなれない。
「羊が、二十一匹……羊が、二十二匹……羊が、二十三匹……羊が、二十四匹……羊が、二十五匹……」
 普段はとろくさいとイライラするその間延びした声が、気持ちよく鼓膜をくすぐっていく。
「……寝た、のか?」
「……いや」
 声になるかならないか、という微妙な音が喉の奥で鳴っただけだった。それ以上声を絞り出す気にもなれず、そのまま目を閉じて横たわっている。聞こえたのか聞こえなかったのか、ギリシャは何も言わずに、カウントを再開した。
「羊が、二十六匹……羊が、二十七匹……羊が、二十八匹……羊が、二十九匹……羊が、三十匹……」
 さわさわと風が木立を揺らす音、穏やかな低い声、どこか遠くに聞こえる街の喧騒――。
 羊が三十一匹。あぁ、なんだあ、三匹足りねぇなぁ。どこ行っちまったんだ、あいつら。
 羊が三十二匹。あんま遠くに行くと迷子になるぞ。
 羊が三十三匹。思い出すのは、馬に乗って駆け抜けたあの大草原。
 羊が三十四匹。従順な羊たちを追い立て、短い季節の移ろいを思う。風にはためく天幕。羊たちの鳴き声。
 羊が三十五匹。婚礼の折には、山を越え谷を越え、特別な育ちのいい羊たちが何十匹と運ばれてくる。
 羊が三十六匹。一匹をまるまる解体して、夫と嫁と、父と母と、兄と姉と弟と妹と、祖母と祖父と、家族みんなで炎を囲む。さあ、祝宴の始まりでぇ。
 羊が三十七匹。七つの海を駆けて、港に戻ってきた荒くれ共が、バザールに運び入れる香辛料の香り。
 羊が三十八匹。刈り上げた羊毛で織るのは緻密な模様の美しい絨毯。
 羊が三十九匹。瑞々しい娘たちの手が、かさついて、皺を重ねた祖母の手をまねて動く。
 羊が四十匹。絹の弦が、木管が震え、男も女も皆、歌い踊る。舞台はいつの間にか、星空のドームに包まれた天幕から、精緻なモザイクに囲まれた豪奢な宮殿に映っている。色取り取りの衣をゆったりと揺らす、肌の色も目の色も髪の色も、花のように様々に競い合い咲き誇る臣民たち。
「トルコ」
 呼ばれ、うっすら目を開けると、そこは羊たちの戯れる草原でも、宴の炎ゆらめく湖のほとりでも、香が焚きしめられた宮殿でもなかった。西洋風の黒いスーツに身を包んだギリシャの向こうには、均一に植えられた芝、ガラス張りのロビーが張り出している。からっぽの青いソファが所在なさげに並んでいるのが見える。まだまだ休み時間は終わらないらしい。
「……昔の夢ぇ、見た……」
「……いい夢か?」
「ああ……」
「なら見ろ、続きを」
 大きな手が視界を覆う。導かれるままに目を閉じた。
 kırk bir koyun,(四十一匹の羊)
 kırk iki koyun,(四十二匹の羊)
 kırk üç koyun,(四十三匹の羊)
 kırk dört koyun,(四十四匹の羊)
 kırk beş koyun,(四十五匹の羊)
 kırk altı koyun,(四十六匹の羊)
 kırk yedi koyun,(四十七匹の羊)
 kırk sekiz koyun,(四十八匹の羊)
 kırk dokuz koyun,(四十九匹の羊)
 elli koyun......(五十匹の羊)

 舌に乗せるその響きをいつの間にか、トルコにとってより耳馴染みのよいものに切り替えていたギリシャは、トルコの瞼の裏で、退屈そうに公文書を読み上げる、青年というのも憚られるが、少年というには碧の目の奥に深いものを湛えた、一人の洗練された宮廷人の姿になっていた。

 İyi uykular, tatli rüyalar.

(おやすみ、いい夢を)














→トルコ編へ
 Q.なんで現代トルコ語なの?
→A.ギリたんがデレるときは絶対オスマン語を使うと信じて憚らない脳みそかわいそうな私が、しかし残念なことにオスマン語なんてわからないからです。でも数字と羊だぜ…、そんなに雅やかな言い方があったとも思えない…ですよ…ね…。トルコ語をアラビア文字にするのもよくわからなかったのでやめました。そっちの方が雰囲気出るよなハァハァ、という謎の妄想に取りつかれたら今度から頑張るかもしれません。
(2010/12/10)
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