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マシュー・ウィリアムズの反逆





「もうすぐカナディアンデイだね、クマ二郎さん」
「モウ一年カ。時ガ経ツノハ早イナ」
 カエデの葉を透かして、やわらかな緑の光が降り注ぐ木陰で、ギターを弄ぶのがここ最近のカナダのお気に入りだった。初夏。吹き抜ける風はひやりとして爽やかだ。眠くなったら、そのままここで寝てしまえばいい。
「うん、去年のインデペンデンスデイは船上だって、アメリカが大騒ぎしてたよね。もう一年経ったなんて。今年もサプライズ企画に忙しそうだったなぁ……」
 一分一秒だって立ち止まっていられない、カナダに瓜二つでカナダと正反対の愛しき兄弟。この間も風のようにカナダ邸を訪れては、楽しそうにべらべらと喋って風のように帰っていった。
「オ前ハ、ぱーてぃシナイノカ?」
 蝶を追って遊んでいたらしい、親友のクマ三郎が、ふいにつぶらな瞳をこちらへ向ける。
「えぇ? 僕が?」
 思ってもみなかった質問に、カナダは苦笑した。仕方のないことだ。クマ吉は何も分かっていない。
「僕はいいよ、ご近所さんとか上司とかが祝ってくれるし……」
 ギターを置いて、ぶちりと雑草を引き抜いた。まるでこの名もなき草のように、誰の目にも留まらない存在、それがカナダという国なのだ。
 G8会議があれば忘れられ、軍事協力をしても忘れられ、オリンピックが終わればまたアメリカと間違えられる。
「それに、僕なんかの誕生日、誰も覚えてないだろうし」
 それに比べて、我が兄弟のなんと華やかなこと。
 似ているのは顔だけ。それ以外の何もかもが違う。神様は不公平だというけれど、カナダは無計画だと思っている。この世の何もかもが有限なのに、配分も考えずにぽんぽんと、アメリカを創る時にすべて使ってしまったのだ。
「あーあ、なんで僕って目立たないんだろ、クマ三郎さん」
「ダレ?」
「カナダだよ……。たまーに認知されたと思ったらみんなして僕のことアメリカってさ……こないだもキューバが……」
 ため息をついて、ぼんやり自身の身の上について考える。そのまま眠ってしまいそうなくらい集中してしまったが、ふと気づいて顔を上げると、空には星が輝いていた。またいつの間に、時間泥棒が現れたらしい。
「よくこうやって昔、お星様にお願いしたよな、懐かしい……」
 きらきらきらきら。確かにそこにあるのに、決して手に入らない、眩しくて綺麗なもの。
 人生なんて所詮、こんなものだ。
「『いぎりすトふらんすヲ、あめりかニトラレマセンヨーニ』ッテカ」
「もう、やだなぁ。なんでそんなの覚えてるのさ」
 幼稚な願いだった。まだ年端もいかない子供だった頃の話だ。アメリカとカナダは共にこの新天地で生まれ、それぞれヨーロッパの保護者に従属し時に反発しながら、「未開」の土地を「文明」で埋め尽くした。たとえそれが宗主国たちの壮大な陣取りゲームだったとしても、その結果ここにいるのが他でもないカナダと、そして同じ運命を拒否したアメリカなのだ。
「オ前、ヨクめそめそ泣イテタ」
「そんなの昔の話だろ」
「ソウカ? 今ダッテオ前、あめりかニ嫉妬シテル。邪魔ダト思ッテルダロ」
 容赦ない指摘に、苦笑するしかない。この数百年来の友は、カナダのことなど何だってお見通しなのだ。名前以外は。
「……まったく否定はできないけど、しょうがないよ、普通はああいう風に、元気で明るくて、はっきり自己主張する奴が好かれるのは当たり前さ」
 嫉妬なんてしていない。それで一体何がどうなるというのだ。どんなに妬んだって嘆いたって駄々をこねたって、何も変わらないことを知らないほどカナダはもう子供ではないのだった。
 天地がひっくり返ろうとも、地球が丸くなろうとも、カナダはカナダで、決してアメリカにはなりえない。



「今日は遅刻しないで来れたね、クマ二郎さん」
「かなだニシテハきびきび行動シタナ」
 久方ぶりの世界会議。たとえ大多数の国に認知されずとも、やはり同じ国とこうして話す場があるのはとても喜ばしいことだ。クマ五平を腕に抱きながら、鼻歌でも歌い出したい気分だった。どうせ誰も聞いちゃいないのだから、多少音を外したって構わない。こんなとき、目立たない自分は便利だと思う。
「おはようございまーす」
 会議場のドアを開けると、窓際でお喋りをしている二、三の影のほかには、がらんとしたものだった。こんな会議場を見るのも、たまにはいいかもしれない。
「おはようございます、カナダさん」
「おはよう。珍しいな、カナダがこんなに早く」
「ちょっと早く目が覚めちゃって。朝って清々しくていいですよね」
 ドイツと日本の二人には、既に見慣れたものなのだろうこんな光景は、それでもどこか非日常じみていて、カナダの心を躍らせた。やがて一国、二国と席が埋まり、きん、といっそ冷たいくらいに澄んでいた空気は、蠢くようなざわめきに満ちていく。
「グッモーニンッ!」
 一際大きな声を上げて、会場中の視線を釘づけにしたのはアメリカだ。腕にコーヒーショップの大きな紙袋を抱えているのもいつものこと。
「おはようございます、アメリカさん」
「アメリカ! 口に物を入れたまま歩き回るな、みっともない!」
「ひゃっふぇおははふぁふいたんらぞ!」
「うわ、汚っ! 飛ばすなよ……。ったく……」
 まったくアメリカは朝から騒がしい。これでは静かな朝のひとときなど台無しだし、こう騒がしくては、どうやら声が人より小さいらしいカナダの発言などは聞いてもらえまい。いつもの条件反射のようにアメリカから距離を取ったカナダは、そこでようやく些細な違和感に気がついた。
「……あれ? さっき僕、カナダって言われた?」
 対比すべきアメリカもいなかった。オリンピックだって終わってしまった。
 それなのに、朝から「おはよう、カナダ」と、無視されることも人違いされることもなく、挨拶が返ってきた。
「早起きするといいことあるね、クマ二郎さん」
 ひょっとしたらお星様に願った成果なのかもしれない、だなんて夢見がちなことを考える。
「よし、それでは定刻になったので、世界会議を始める。私語、居眠りは厳禁。意見があれば挙手。いいな!」
 相変わらず厳しいドイツの声が開始を告げて、楽しい楽しい、踊る会議の始まりだ。
「僕の意見も聞いてもらえるかなぁ……」
 ついいつもの独り言のつもりで呟いたら、今日の議長はいやに耳聡く、聞き咎められてしまった。
「ん? なんだカナダ、意見があるなら手を挙げろ」
「え……?」
「なんだ? ないのか?」
 こんな初っ端から意見を求められることなど初めてのことだ。どぎまぎしたが、資料なら読み込んで来ているし、もし当ててもらえたら言いたいと思っていたことが山のようにあった。
「え、いや、あります、あります!」
 慌てて立ち上がると、無数の目がこちらを向いて、カナダの声に耳を傾けるために、口を閉ざす。しんとした空気がまるごとカナダのものになったみたいに、部屋中を震わせて、鼓膜に届いた。



 初めは、ただの偶然だと思っていた。
 たまにこういうことはある。ちょっとしたタイミングのよさが重なって、何度も返事をしてもらえたり、何度も声をかけてもらえたり、一度もアメリカと間違われなかったり。
 けれどちょっと、この頻度は異常だ。
「カナダ! こないだ見たいっつってたバスケのチケット、手に入ったぞ。か、勘違いするなよ、これはたまたま……」
「なあんだよイギリス、お兄さんのカナダをランデブーに誘うときは、お兄さんの許可を取ってくれる? まあ絶対阻止するけどね!」
「誰がお前のだ! あっち行け、ヒゲが伝染る!」
「こっちのセリフだ、眉毛が伝染る! しっし!」
「あはははは。あの二人またやってらー。カナダって本当に、フランス兄ちゃんとイギリスのいいところだけを足して二で割った感じだよねー」
「ああ、なるほど。確かに」
「ふむ、少々のんびりしているのが難点だがな」
「ドイツはせっせかしすぎだよー」
「お前はお気楽すぎるな、イタリア……」
「ひっ、やぶへび!」
 まるで、昨日まで暮らしていた世界とはまったく別の世界にでも来てしまったみたいだった。
「人気者って、嬉しいけど、ちょっと疲れるんだね……。息つく暇がないっていうか、いつも見られてる気がするっていうか。そんなに常に気を張っていられないっていうか……」
「贅沢言ウナ」
「そうなんだけどさ……スローに生きたい僕としては、皆のペースはちょっと速すぎるよ……」
 どうにか人の輪を抜け出して廊下に出ると、やっと人心地ついた気がした。
「えーっ、だってもうその会議の場所は決めちゃったんだぞ!」
 かと思えば、アメリカはまだまだ元気らしい。声の方へ顔を巡らせれば、かなり離れたところにイギリスとフランスと話している姿が見えた。
「決めちゃったってお前、前回と同じ会場ならまだしも、なんだってそんな不便なとこに、何の説明もなく……」
「いいじゃないか、だって俺その日近くで仕事なんだよね。便利だろ?」
「あのなぁ……!」
 何やら喧嘩のようだ。どうせまたアメリカのワガママだろう。聞いてもらえるかは分からないが、一応諫めておくのが兄弟としての義務だろうと、奇妙な責任感に捉われて足を向けた。
「アメリカ、いい加減、ばかなワガママばっかり言ってフランスさんとイギリスさんを困らせるのはやめたら?」
 アメリカに言ったつもりだったが、珍しいことに、先に反応をくれたのはイギリスとフランスの方だった。
「おぉ、カナダ! よく言ってくれた!」
「ほんとに俺たちのカナダはいい子だよな……」
「おい眉毛、『俺たちのカナダ』? 気色悪いこと言うのやめてくれる? それじゃお兄さんとお前が夫婦みたいじゃない」
「気色悪いのはテメェだヒゲ!」
 本当に、今日はどうかしている。特に大きな声を出したつもりもないし、いつもと変わった行動を取っているわけでもないのに。
 ああ、夢見ていた世界は、こんなにも簡単に、手に入るものだったんだ。
 一体今までは何だったんだろう。まるでこの世に自分が存在していないのではないかと疑いたくなるような、空虚な日々は。
「もう、フランスさん、イギリスさん、ケンカはやめてくださいよ……。僕はお二人とも大好きなんですから」
「カナダ……」
「ほんといい子だ、マジいい子」
「どっかのメタボと違ってな」
「なんだよそれ!」
 目の前でぎゃんぎゃんと騒ぐ見知った顔。そのどれもが、まったく違って見える。
 イギリスと、フランスが、アメリカよりもカナダを賞賛している。アメリカにばかり構って、カナダの声を聞き逃したりもしない。
 ほら見ろ、アメリカの、あの悔しそうな顔。
 あのアメリカが――。
 ぞくり。
 なぜだか分からないが、腹の底から立ち上ってくるかのような歓喜で、息が、できなかった。
 あの、アメリカが。



「そうだね、僕ん家は穏やかでゆったりした時間が流れてるし、移住先としては人気が高いよー。お陰で今では国際色豊かな都市になってきたよ」
「さすがカナダさん! 何を迷う必要があったのか、もはやまったく分からないんだぜ! やっぱり留学先はカナダさん家にします!」
「そうあるね、カナダにはアメリカと違って優雅な落ち着きがあるというか、大人の余裕というか」
「そうかなぁ、そんなに年は変わらないんだけどね……」
 ある日突然人が変わったようだと、世間ではよく言う。
 けれどもはやカナダには、どこにそんな段差があったのだったか、過去となった今ではよく思い出せない。まるで生まれた時から、こうだったような気さえする。
 人と話す度に反応があって疲れる、だなんてのは、三日もすれば慣れてしまった。今では湯水のように、聞いてもらいたいことが溢れ出してくる。
 毎日が楽しい。
「まあ、確かにアメリカはちょっと騒がしいしあまりに乱暴だよね。早く人の気持ちが分かるようになってほしいなぁ」
 聞こえているだろうに、アメリカはずっと無言だった。
 最近のアメリカは始終この調子だ。正確には、カナダが「こう」なってから、ああやって妙に距離を取ろうとしている。これみよがしに嫌味を言っても、聞こえないふりで誤魔化して。
 世界中の誰もがカナダを認めたのに、まるでアメリカだけがカナダを認知できていないみたいに。
 けれど、アメリカの真意がどこにあるのか、カナダにはちゃんと分かっていた。分からないとでも思っていたのなら、愚かな兄弟だ。
「ありがとーございました! カナダさん」
「世話になったある!」
「いえいえー、分からないことがあったら、またいつでも訊いてね」
 なんてことない世界会議の昼休み。留学先の相談がしたいとカナダに突撃してきた中国や韓国を見送ると、カナダは、黙々とハンバーガーを咀嚼し続けるアメリカの背中に、どすりと体重をかけた。
「最近、僕のこと避けてるみたいだけど?」
「……君がみんなと話してるのを、邪魔しちゃ悪いと思って」
 アメリカは、変に遠慮するみたいな奇妙な笑い方をした。
「何、その言い方」
 花を持たせてやった、とでも言わんばかりの恩着せがましい顔。
「僕がみんなと話してるのがそんなに珍しいかい? そこに君が現れたら、その場の注目全部かっさらっていっちゃうかもしれないから悪いって? 馬鹿じゃないのか君、うぬぼれるのもいい加減にしてくれよ。兄弟として恥ずかしいよ」
 突き刺さるような、鋭利な言葉をわざと選んでいくのがこんなに気分のすくものだったということも、カナダはこれまでずっと知らなかった。カナダの陰湿な物言いに、アメリカが戸惑うのも、感謝されこそすれなぜ責められるのか分からないといったふざけた顔を歪ませてやるのも。
 ああ、ロシアの気持ちが少し分かるかもしれない。
「ずっと思ってたけど、いつでも自分が中心じゃなきゃ気が済まないその性格、国際社会でも当たり前に通じると思ってるみたいだけど、隣人の僕まで同じように見られたら迷惑だから、早く大人になってよね」
 いつまでその余裕が続くか、せいぜいふんぞり返っていればいい。アメリカが自分勝手な自己主張で世界中の不興を買っている間に、カナダは持ち前の穏やかな性格で、どんどんと人望を勝ち得ていくのだ。そうして、立場は逆転するだろう。
 声の大きさにあぐらをかいて、自由奔放に振る舞って。――そんなやり方では、いつまでも人気者ではいられないよ、アメリカ。
「ああ、明日はイギリスさんとフランスさんとショッピングに行くんだった。君は? 呼ばれてないよねぇ」
「別にいいよ。あんなうるさいおっさんたちと……いや、なんでもない。楽しんでき……」
 バシッ。
 あくまで負けを認めない、小憎らしい顔に乗った眼鏡を弾き飛ばした。
 弾みで頬にも爪が掠ったが、まあ構わないだろう。女の子でもなしに、可愛い顔で歓心を買いたいわけでもあるまい。
「いい気味」
 その愕然としたような顔に、ようやく気持ちが落ち着いた。
 せいぜい味わうといい。カナダがずっと嘗めてきた、惨めな劣等感を。



 七月一日。
「……みんな! 今日は僕のために、集まってくれてありがとう!」
 自宅の庭に所狭しと集った国々を見渡して、声を張り上げた。普段から声が小さいだとかぼそぼそ喋るなだとか言われることの多いカナダだから、ちゃんと聞こえているかどうか不安だったけれど、皆はカナダが口を閉ざすと盛大な拍手をくれた。
「カナダ、お誕生日おめでとう!」
「かんぱーい!」
 まるで夢みたいだ。誰もがカナダを見て、カナダに言葉をかけてくれる。
「こんなに賑やかな誕生日は初めてだね、クマ二郎さん」
 世界一派手好きな隣国の独立記念日が近いこともあって、カナダの誕生日はいつも国内だけでほのぼのと祝うことが多かった。それが今年はどうだろう。
 きっかけはフランスの「そういえばもうすぐカナダの誕生日じゃないの」という一言で。いつもならそんな会話は「そうですね」で終わってしまうのだけれど、今年は違った。それを聞きつけた国々が、ぜひパーティに呼んでほしいと、あれよあれよという間に話が広がって、気づけばこんなことになっていたのだった。
「ふむ、やはりカナダの家は気候もよくて過ごしやすいな」
「ありがとうー」
「俺、メイプルシロップ好きだー」
「私の家でも、大変人気があります」
「そうなんだ、嬉しいな。コーヒーに入れてもおいしいよ」
 いつになく饒舌になっている自分を感じる。喋りすぎて顔が火照ったり、舌が乾いたりなんてすることを、初めて知った。誰もがカナダの話に相槌を打ち、返事をくれる。こんなことはまるで奇跡みたいだ。
 浮ついた気分でいるところへ、よく通る気安い声が、暢気にカナダを呼ばわった。
「やあカナダ、今年は盛況だな。いつにも増してメイプルだらけだし」
 いちいち引っかかる言い方をする。そりゃあ毎年毎年、こんな光景が当たり前になっているアメリカにはその程度なのだろう。だがカナダは違う。
 知らない、ということは時に何よりも大きな暴力となって、持たざる者の心を深く抉るのだ。
「お陰様でね。何? 嫌味でも言いに来たのかい」
「嫌味? なんでだい?」
 まただ。またそうやって飄々と。これでは敵意剥き出しのカナダの方が、余裕のない小者のようで。
「別に。毎年こうは行かないから」
 悔しい。いくら奇跡が起きたって、埋められない溝があることが。
「イギリスは……いないね」
「来るわけないじゃないか。あの人毎年この時期は、使い物にならないんだから。誰かさんのせいでね」
 そう、ほら、こんなところでも、カナダはアメリカに敵わない。アメリカの側はそもそも、勝負をしているつもりもないのだろう。それが余計に悔しかった。
 いや、アメリカになんて構えば構うだけ虚しくなるだけだ。せっかくこんなにもめでたい日に、楽しい気持ちでいられるのだから、これ以上多くを望むのは馬鹿げている。
 首を振って気を取り直すと、すぐに「カナダ、こっちおいでよ! 写真入ってー」と声をかけられて、再びカナダの心は躍ったのだった。
 宴は夜更けまで続いて、歌と踊りと、お喋りは尽きない。
 ちょうどそんな頃、遅れてきた客人が、ひょっこりとリビングに顔を出したのだった。
「悪い、遅くなった!」
 ぶっきらぼうな物言い。夏だというのにジャケットまで着込んだ、イギリスだった。
「遅いぞイギリスぅ、体調崩して寝込んででもいるのかと思った。毎年のことだけど」
「うるせーヒゲ! 俺が来なくて誰がカナダの誕生日を祝うんだよ!」
 思わず、視線を向けたアメリカもまた唖然としていた。そりゃあそうだ、この時期のイギリスの腐りっぷりを知っている者なら、誰だってこうなる。最近はようやくアメリカのパーティにも気まぐれに顔を出すようになってきてはいたが、それでも何の気負いもなく、というわけにはいかないようだった。訳もなく深酒している姿を見かけることも多い。
「お、カナダ、遅くなって悪かったな」
「いえ……イギリスさん、体調はいいんですか?」
「あー、お前はんなこと気にすんなって! それより、乾杯しよう、乾杯!」
「遅れて来たくせに仕切んなよー」
 フランスのブーイングに、もっともだと周りも沸いて、思い思いにコーラやらシャンパンやらビールやらで満ちたグラスをぶつけ合う。それは長い長いカナダの人生の中で、最も心地よい音色だった。
「もう俺にはカナダさえいればいい……アメリカなんて知らねぇよ、あの恩知らず……!」
「イギリスさん、飲み過ぎですよ」
 ちょっと目を離すと、すぐこれだ。
 そういえば酒に呑まれがちという残念な癖のあるこの困った宗主国は、一時間と待たずに理性を手離してしまえるのだった。半裸になったまま先程までソファで大人しく寝ていてくれたので放置していたが、ぼちぼち深酒組がカナダのあてがった寝室へ引き揚げてしまうと、さすがにそのままにしておくわけにはいかなくなった。
「もう皆寝ちゃったんで、静かにしてくださいね」
 肩を貸して階段を上がりながら、虚しい小言を吐く。
 聞いているんだかいないんだか、先程からこの保護者はアメリカへの恨みつらみを呪詛のように吐き続けているばかりだ。
「カナダはほんとにいい子だなぁ……」
 今更だ。
「アメリカは素直じゃないだけですよ」
 どいつもこいつも、本当に今更。
 ずっと欲しかったはずの言葉も、どこか素通りしていく。どうしてだろう。イギリスがこうして、アメリカとカナダを比べてカナダを誉めそやすのを、アメリカに聞かせてやったらさぞかし見ものなのだと思う。ただしそれだけだ。そうして歪んだ顕示欲を満たすだけで、果たしてアメリカに対しての溜飲を下げられるのか。
「おっ、そうだカナダ。お前にプレゼントを渡してなかったな」
 ぼんやりしているうちにどういう話の流れになったのか、唐突にイギリスが顔を上げた。
「え? え? プレ、ゼント……?」
「これが仕上がるのを待ってて遅くなったんだ、待ってろよ」
 ついさっきまでへべれけになっていたくせに、イギリスは急に気色を取り戻すと、嬉々として階段を上って行ってしまった。取り残されたカナダは、ワンテンポ遅れてそれに続く。
「ちょ、ちょっと、気をつけてくださいね……!」



 さんざん盛り上がったパーティの翌朝。バンクーバーにあるカナダの自宅はそのまま泊まり込んだ国々で賑やかだった。キッチンからは、カナダも知り得ない間にフランスがいい香りを漂わせている。
 こんなにも騒々しい朝はひょっとして初めてかもしれない。アメリカ一人を泊めても相当騒がしいけれど。
 そのアメリカには、ちょうど階段を降りたところで大あくびをしているのに出会った。
「おはよう、カナダ」
「おはよう、アメリカ」
 代わり映えのしないTシャツに短パンといった出で立ちのアメリカは、カナダを見るなり眉を顰めた。
「なんだい、その暑苦しい格好……」
 さすがにスリーピースの上着までは着なかったが、ベストまでしっかり身につけたカナダに、アメリカは不審げだった。
「だって皆を送りに行くんだもの。ちゃんとしなきゃね」
 とはいえ別に仕事ではないし、ラフな格好でも構わないはずだった。それでも、もらったばかりの服を着てきたのは、単純に見せつけたかったからだ。
「ふーん。俺は明日までいるよ。急いで帰るのも疲れるしさ。いいだろ?」
「別にいいけど。じゃあなんで起きてきたのさ。てっきり昼まで寝るのかと思った」
「うん、ちょっとね」
 アメリカは、先程から何かを確かめるように視線を上下させていたが、やがてようやく確信に至ったのか、密やかに息を呑んだ。
「なぁ、そのスーツ……」
「イギリスさんにもらったんだ。特別に仕立ててくれたんだって。カナディアンデイのお祝いに。似合うかな」
「そうか……。似合ってるよ」
「アメリカは? 何かもらえるといいね。もう明後日はインディペンデンスデイだろ? 僕はお祝いに行けないけど」
 アメリカからは例年通り、招待状が届いていた。行けないなんて本当は嘘だけれど、なんとなく、意地悪を言ってみたかったのだ。
「なんだ、そうなのか。寂しいな」
 寂しがるふうでもなく肩を竦める。またこの態度だ。どうせ、カナダごときが急に目立ち出したくらいで調子に乗っていると、心の底で見下しているのだろう。だからこんな余裕ぶった態度でいられる。
「イギリスさんは? 来るって?」
 今に見ていろ。
 これでイギリスがアメリカの誕生日祝いに行かなかったなら、もはやカナダは完全にアメリカに勝ったのだと胸を張ることができる。なぜだかそんな気がしていた。
「どうせあの人、郵便で送っても読まずに捨てちゃうんだ」
 そうなんだ、それは僕とはえらい違いだねと、心の中で優越感に浸っていられる自分が、今年は鉾らしかった。ああ、人生が変わるって、まさにこういうことだ。
「だから、直接渡さないと――」
 アメリカがそう言ってポケットから白い封筒を取り出したその時、まさに当の本人がひょっこりと顔を出した。
「おっ、カナダ! 昨日はありがとな」
 ひどく機嫌がよさそうだ。真っ先にこちらへ寄ってきて親しげに背中なんか叩く。
「いえ、こちらこそ。僕のために色々してくださって、嬉しかったです」
「他人行儀なこと言ってんなよ。俺がお前の誕生日を祝うのは当たり前だろ? それに、色々動いたからか、あれからすこぶる体調もいいんだ」
「それはよかった。無理させちゃったかもって思ったんで……」
「やっぱり晴れの空気ってのはいいもんだな。体が軽いよ。……それ、キツかったりしないか?」
 恐る恐る問うてはいたが、その実イギリスが確信めいたものを持っていると、カナダには分かっていた。
「いいえ、ぴったりです」
 誉めると、案の定そわそわと落ち着きがなくなる。本当に、分かりやすい人だ。
「よかった。いいテーラーだろ? 二百年くらい前からずっと贔屓にしてんだ」
「道理で。昔送ってもらったものと、風格が似てますもんね」
「よく覚えてるなあ! まさにそれなんだよ。アメリカの奴はついに袖を通さなかったが……」
「そうなんですか。せっかくイギリスさんが、アメリカのために用意してくれたのに」
「いいんだって、お前が大事にしてくれてたなら。それも、やっぱり見立て通りだな、似合ってる」
「ありがとうございます」
 こんな風に、イギリスに大人扱いされたのはいつぶりだろう。ずっとずっと、もうとっくに独立してイギリスの手を振り払ったアメリカなんぞのために、イギリスの中で、カナダは影に生きてきたのだ。
 去っていくイギリスの背中は、嬉しそうに弾んでいた。それを見送りながら、自然とこちらの口角も上がってしまう。どうやら本当に、今年は体調がいいようだ。
 ぐしゃ。
 イギリスがにこやかに手を振って、廊下の角を曲がったその瞬間、何かを握りつぶすような音がすぐ隣で聞こえて、カナダはぎょっと視線を音源へ向けた。
「アメリカ、それ、招待状じゃあ……」
「明日のパーティはやめる」
「え……?」
 あんなにパーティ好きなアメリカが。一年のうち、最も楽しみにしている日のはずだったのに。
「アメリカ……?」



 あんなにアメリカをぎゃふんと言わせてやりたいと思っていたのに、俯いたあの横顔が頭をちらついて、気分が晴れないのはどうしてだろう。
 あんなに静かなアメリカは初めて見た。アメリカはいつだって明るくて元気で、どんな壁にぶつかっても決してへこたれず、やがて易々と乗り越えていってしまうし、生来誰からも愛される、そういうふうに生まれついた、真性の勝ち組なのだと思っていた。強引な性格で周りのものすべてを巻き込んで、自分のペースに乗せてしまうその無遠慮さと奇妙なカリスマ性はある意味天賦の才であると思っていたし、それが揺らぐことなどあり得るはずがないと思っていたのだ。
 それなのにふと気がつけば、アメリカの周りには誰もいない。
 もともと、確かに顔は広くても、深い付き合いの交友関係など数えるほどだったのだ。フランスや日本には他にも親しい友人がいたから、いつでもアメリカと一緒というわけではまったくなかったし、誰よりアメリカに強い愛情を注いでいたはずのイギリスの関心すら、もはやカナダが奪い取ってやったのだし、ほかには隣国のカナダくらいしか、プライベートで好き好んでアメリカの相手をしてやろうという国などいなかった。オンラインゲームを作れば、物珍しさと手軽さからみんなが集まってくれたけれど、それだってアメリカが自分から誘ったからだ。
 ああして招待状を握りつぶしてしまえば、今や誰も自主的にアメリカを訪ねたりはしない。アメリカの周りにはいつも人の輪があったけれど、それは待っていて与えられたものなどでは決してなく、彼が自分の力で作り出していたものだったのだ。
 いつも明るく笑って、たくさん人に話しかけて、楽しいことを考えて、自分から呼びかける。
 アメリカがやっていたのは、当たり前のことだった。一人になりたくない、たくさんの人と楽しく騒ぎたい、そう思ったなら、自らの性格を嘆くより前に、一番にしなければならないことだった。
 アメリカのようになれたら、どんなにいいだろうと思っていた。けれど、アメリカは最初からアメリカだったわけじゃない。ただそういう生き方を選んだだけだ。カナダが選ばなかった道を。
 何もしなかったカナダが、寂しいアメリカが努力で築いたそのすべてを横からかっさらった。
 カナダはようやく、自らの欺瞞の恐るべき罪深さに気がついた。
 ヨーロッパから遠く離れた新大陸で、寂しい気持ちはカナダだって知っているはずだったのに。どうしてアメリカを見返してやりたいなどと幼稚で馬鹿な考えを起こしたのだろう。アメリカは初めから、そんな小さな次元で戦う男ではなかったのだ。



 バンクーバー。
 環境に恵まれ、穏やかでゆったりとした時が流れる、世界屈指の住みよい街だが、やはり大都市。多くの人々を受け入れ、そこに貧富の差があれば、当然治安の悪い地区もある。
 倉庫が立ち並んで民家の気配もないその一角は、街灯すらまばらだった。夜はさぞかし暗くなるのだろう。
「お前か? マシューってのは」
「よくも俺の女を誑かしてくれたなぁ」
 そういえば、一人でこの辺通るなって言われたっけ、とアメリカはぼんやり目の前に並んだ顔を眺めた。誰と話す気分でもなくて、ぼんやり散歩をしていただけのつもりが、うっかり随分と遠くまで来てしまった。
「人違いだぞ。俺はマシューじゃない」
 相手はたったの三人だ。銃や刃物を持っている様子もない。冷静に観察できるほど、アメリカにはまだ余裕があった。
「マシューは俺の双子の兄弟で……」
 厳密に言えば同時に同じところからぽんと生まれたわけでも何でもないが、二人の瓜二つな顔は、こう言えば納得してもらえることが多かった。だが今回は、この場にカナダがいなかったことが災いしたらしい。
「はぁ? テメー見え見えな嘘こいてんじゃねぇぞ!」
 主犯格の、まだらに染めた緑の髪が顎をしゃくると、いつの間にか背後に回っていた体格のいい男がアメリカを羽交い締めにした。けれどそれはまだまだ本気を出せば振り切れそうな緩い拘束であったし、アメリカは平静を保っていた。ヒーローの風格を隠すためのこの普段着が、相手の油断を誘ったのだろう。
「こんなダッサイ眼鏡野郎のどこがいいんだか。あのバカ女」
 両手が不自由なまま、あっさり奪われたテキサスが倉庫の隅に放り投げられる。
「あ!」
 何するんだい、と抗議の声を上げる前に、がっと首を締め上げられた。これはさすがに苦しい。振り解こうとしたが、ここで抵抗すれば間違いなく三人がかりで暴力を振るってくるだろう。そうなればアメリカも反撃せざるをえない。
 だが彼らは、少々ガラは悪くともカナダの家の人々なのだ。くだらない勘違いで暴力の応酬になるのは悲しい。
「見たとこ貴金属もねーし、どうするよ? 大して金も持ってなさそーだし」
「二度とここらで生意気な真似できないようにしてやればいいんじゃねぇ?」
 逡巡しているうちに、どんどん話が物騒になっていく。ここはもう、おとなしく二三発殴られておいたほうがいいかもしれない。
「おっ、こいつよく見りゃお綺麗な顔してんじゃん!」
 アメリカが諦めかけた頃、スキンヘッドにタトゥーを入れた背の高い男が、急にアメリカの胸を撫でさすり始めた。後ろ手に拘束されているせいで、程よく肉づいた胸はうっすら汗ばんで、前に突き出される形になっていた。
「ひょろくて冴えない根暗野郎かと思ったけど、意外とタッパもあるし、そうだな、あとはこの長ったらしい髪を短く切れば、ものすごくセクシーだ」
 至近距離で舌なめずりされて、本能的にぞっと身が竦んだ。
「また出たよ。ダンの悪い癖」
「いいんじゃねぇ? リンチして訴えられたくねーし。レイプなら口外できないだろ。俺らも手汚さなくて済む」
「じゃあ俺、いただいちゃっていいかな!」
「優しくしてやれよー? 処女だろうからな」
「ぎゃははははは!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺は人の性的嗜好にとやかく言うような前近代の人間じゃないけど、こういうことは両人の同意のもとですべきだろう? 一方的に無理矢理なんて、そんなの犯罪だぞ!」
「それがどうしたんだよ、お前、自分の立場分かってんのかぁ?」
「だから俺はマシューじゃないし、マシューは君の彼女を誑かすような奴でもないよ! 勘違いだ」
「おい、暴れんな」
「暴れるよ!」
 今度は二人がかりで腕と足を押さえつけられる。手は出すまいと思っていたが、こうなったら唯々諾々と従っているわけにはいかない。
「離してくれよ! 多勢に無勢なんて卑怯じゃないか!」
「うるせぇな! 生まれたときからなんにも持ってなきゃ、どんなに卑怯な手ぇ使ったっておっつかねぇんだよ!」
 君の「正義」は持てる者の傲慢だ――こんな時に、思い出さなくたっていいのに。ここで身を差し出して彼らの慰み者になるのが、贖罪であるかのような気すらしてくる。
 そこに、都合よく神は舞い降りた。
「お前ら、何やっとる! ワシのシマで悪さは許さんぞ!」
 白髪まじりのグレーの髪も髭も好き放題に伸ばした、浮浪者のような老人だった。枯れ枝のような体は突けば折れてしまいそうなのに、どこか威厳がある。
 まったく、事実は時に、小説より奇なり、だ。
「げっ、パット爺さん!」
「ちげぇよ、こいつが俺の女を……」
 悪漢どもにとっては顔見知りなのか、一斉に顔色を変えてアメリカの上から飛び退いた。
「黙らんか! 二度とデカい顔で歩けんようにしてやろうか!」
 杖代わりの木の枝を地面に打ち付け一喝するだけで、やんちゃな子供たちは肩を竦めて逃げていった。本当に、あっけなく、一瞬で。
 ダークヒーロー。
 アメリカは呆然としながらも、心の中でそっと呟いた。



 ここらの悪ガキどもが尻尾を巻いて逃げたのを見届けると、カナダはふう、と安堵の息をついた。
「ありがとうございました、パット爺さん」
 通りかかったのは偶然だった。この辺りは治安が悪いが、駅へ近道するなら一番早い。それに、ここの住人は金目のものをちらつかせる余所者には容赦しなくても、一度顔見知りになってしまえば情の篤い連中ばかりだった。たとえばこのパット翁のように。
「ここいらのことならワシが一番詳しい」
 その暮らしは貧しくとも、パット翁の言葉はいつも矜持に満ちていた。
「それよりマット、お前、キャシーを誑かしたのか? 見ないうちに随分大胆になって……」
 思ってもみなかった攻撃にうろたえる。
「ご、誤解ですよ。誘われたから少しお茶しただけで……」
 彼女が彼らとつるんでいたことすら知らなかったし、そもそも女の子に誘われたことが、青春の一大イベントのような気がしてただただ嬉しかっただけで、特に彼女に対して下心があったわけでも何でもない。
「その気がないのに思わせぶりなことするもんじゃないぞ」
「はは、ちょっと舞い上がってて……反省します」
「それに、兄弟も大切にな」
 老人は、瓜二つな顔をどこか眩しそうに眺めると、そのままカナダの背を叩いて行ってしまった。
「はい……」
 不思議な人だ。ああいう人生も、ある。カナダという国が存在し続ける限り。
 倉庫の隅で所在なく事の次第を見守っていたテキサスを拾い上げて差し出すと、アメリカはしばらく、その透明なレンズと、カナダの顔に納まっているレンズを見比べるようにして瞬いていた。
「カナダ……」
 別にすり替えたりしていない。何だというのだろう。一向に受け取ろうとしないので、無理矢理かけてやったら、少し斜めになってしまった。まあ、いいか。
「大丈夫かい? まったく、ここらは物騒だって言ったろ!」
「あの人は……」
「知り合いだよ。ここの主みたいな人かな。ほんとに君は、人の話を聞かないんだから」
 怒鳴りつけると、ようやく心がここに戻ってきたようだ。決まり悪げに視線をさまよわせて、自然な動作で眼鏡を直した。それに、少しだけ安堵する。
 ――イギリスさんじゃあるまいし。
 内心の自嘲を悟られないように、おどけてみせる。
 眼鏡を外したアメリカは、驚くほど無防備だ。無防備に見える。欲目なのかもしれない。ただ従属し庇護され、何の憂いもなかったあの頃。
「まさか君が狙われるとは思ってなかったけど……怖いもの知らずな……」
「ヒーローだってピンチに陥ったりするのさ。それに俺、セクシーだって言われたぞ」
「何の話だよ……。君のはセクシーじゃなくてメタボだろ」
 なんて暢気な。ため息をついた。
 いつものアメリカだ。憎らしいくらいふてぶてしい、一生敵わない男。
「それより、君が助けに来てくれるとは思わなかった」
 その見くびったような台詞に、またいらない反発心が芽生えそうになるのをぐっと飲み込む。
 小さなことに、いちいち侮辱されたと腹を立てるのは、いつも自分に自信がない証拠だ。自信がないのは努力をせず、すべて人のせいにしてばかりの、楽な批判屋に成り下がっているからだ。空っぽな中身を、いくら薄っぺらな虚栄心で包んだって、自信など湧いて来ようはずがない。
「僕だって、どうしたらいいのか迷ったけど……」
 穏やかに見つめてみれば、アメリカの顔にはやはり軽蔑するような色などこれっぽっちも浮かんでいなかったのだった。ただ、肉食獣を前に怯える兎のような、不思議な色香があった。あの、アメリカなのに。
 あのアメリカ。そんなふうに彼を絶対視し始めたのは、いったいいつからだろう。
 アメリカは負けないし、アメリカは望んだものを必ず手に入れる。
「君なら、あれくらい簡単にやっつけられたんじゃないのかい?」
 力は強いし、周りを巻き込む強引さも持っている。いつも自信に溢れ、どんな矛盾も誤謬も納得させてしまう。
「できるなら暴力は振るいたくなかったし……君の家の人たちだからさ。でも、やっぱりカナダはすごいな! ちゃあんと円満解決できた」
「そりゃあ、僕の家だし」
 なんと返せばいいのか分からなかった。無言でアメリカを見下ろすカナダの頬を、夕暮れの風が優しく撫でていく。
 疲れたのだろうか、座り込んだまま立ち上がる気配もない。アメリカには、怖いものなんて何もないのだろうと思っていた。けれど、腰が抜けたみたいに座り込んでいるその姿も、確かにアメリカに違いなかった。大変な目に遭ったのに、それでもカナダへの気遣いを忘れないし、変に暗い顔をしたりもしない。ああ、こいつは無意識のうちに、いつも他人を慮ってばかりなのだ。自らの評判になど頓着せず、身を挺して笑顔を届ける、ピエロのように。
「ヒーローみたいでかっこよかったぞ、カナダ。俺の次くらいに」
 ぽつり、アメリカが悪戯めいたウインクを寄越しながら囁いた。
 反射的にだろう、誉められ慣れない顔が熱くなって、西日を向いてごまかす。
「それはどうも」
 ぶっきらぼうにしか返せない。アメリカが笑っているのが分かる。きっとこんな卑屈な劣等感も、勘違いした絶対的な崇拝も、全部全部お見通しだ、兄弟。
 ずっとずっと、アメリカのようになりたいと思っていた。アメリカのように努力してそれを勝ち得る根性もないくせに。
 アメリカのように、前向きで、自信満々で、明るくて、周りの空気すべてを変えていくような。
「……ねぇ、君んとこのインデペンデンスデイだけど、君がパーティしないなら、もっと小さなパーティしようよ」
 目を合わせると、アメリカの透き通ったブルーはきょとんと見開かれていた。
「君の好きなアップルパイを焼いて、フランスさんとイギリスさんも呼ぼう」
 やがてカナダの意を理解したのか、その顔がゆっくり綻んでいく。はにかむような、幼いその笑顔に、かつての面影を見る。
「フランスはともかく、イギリスは来るかなぁ……」
「来なかったら、二人でイタズラ電話かけてやろう。あの人、きっとどっちがどっちか分からないよ」
 カナダの前でだけ時々見せる、共に開拓地を駆け回ったあの時代のような、アメリカの幼い顔が好きだ。無邪気で純粋で、この世の正義と無限の未来を信じて疑わない。
 ああ、好きだ。唐突に理解した。
「ぷっ……そうだな」
「じゃ、そうと決まったら、準備しようか、兄弟」
 きっとカナダも、あの頃のような顔をしている。自分は愛されていると信じて疑わなかった、天真爛漫で天衣無縫な子供の顔。
 差し伸べた手に重ねられたのは、ぐっと重みのある大の男の手。しっかり掴んで、引っ張り上げた。







End















カナダはなんだかんだ言って、やっぱりアメリカの一番の理解者なんだと思ってます。
いじめられるアメリカが見たかった。
あと(S,M)=(カナダ,アメリカ)な加米が見たかった。増えろ!
USA3は加米サークルさんが6つもあって、まるで楽園のようでした…///


(2012/8/26)



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