仏米突発 ―無料配布―


表紙




今はただ、武器でも自由像でもなく、キスが欲しい。





「君が俺のこと、好きになったのっていつなんだい?」
 朝の空気が、涼やかというには少し剥き出しの肌に痛すぎるブルックリンハイツ。イーストリバー越しにニューヨーク、いや、アメリカの象徴たる「世界を照らす自由」像を臨むプロムナードは、普段ならカップルの溢れる景勝地だが、まだ時間が早いせいだろう、今はちらほらと近所の老夫婦や、ジョギング中の青年が通りかかる程度で、至って静かなものだった。
 先程までベーグルやデリの話に夢中だったはずの幼い唇が突然そんな質問を弾き出したので、斜め後ろを歩いていたフランスは、吐息が白く染まるのを目で追う作業をやめ、朝日に輝くアメリカの金の髪に視線を移した。耳がちぎれそうだよ、と騒ぎながら年甲斐もなくイヤーマフなど着けているくせに、その顔は妙に大人びて見えた。
「……なぁに、突然」
 真剣な表情に鼓動が跳ねたのを隠すように、フランスはわざと軽薄に笑って肩を竦めた。アメリカと二人きりで過ごす時間を多く持つようになって随分経つけれど、未だにこういう、マジメな話には慣れなかった。だって初めてなのだ、こんな気持ちは。情けないことに、千数百年と生きてきて、ここまで恋焦がれる気持ちに振り回されたことなどない。透き通る青い瞳に魅入られてしまったら、心の奥底のみっともない感情全部、洗いざらい吐露する羽目になってしまいそうで。
 こんなの、らしくない、と旧知の友人たちは口をそろえて言うだろう。いいや、彼らはフランスが今、仕事でもないのにこうして異国の朝日を、その国家の象徴たる年下の子供と眺めていることなど知りもしない。恐らく夢にも考えないだろう。
「君にとって俺って、永遠に子供のままなのかなって」
 アメリカは、朝日を背に黒いシルエットを色濃く映し出す女神像を見つめながら、そんなことを言った。銅で造られたマリアンヌ像は、長い年月を経て、緑青に覆われていたが、それでもなお、いや、だからこそよりいっそう気高く美しかった。
「……お前が独立してさ、最初は俺、イギリスの奴にひと泡食わせてやったラッキー、って思ってた。正直、お前のことなんかどうでもよかった」
 寒さで赤く染まったアメリカの頬。ぶくぶくに着ぶくれた不格好な子供。それでも、それが傍にあることが、こんなにもフランスの心を打ってやまない。
 一体どうして、バカ正直に本音を語っているのだろう。気のきいたエスプリで恋人の自尊心を満たすのでもなしに。
「あぁ、でもなんでだろうな、気づいたら、お前がどんな思いで戦ってたのか、どんなものを求めてたのか、お前の瞳にはどんな輝かしい明日が見えているのか、わかるようになったんだ。そしたら急に愛しくなった。俺がイギリスの代わりに、お前を世界一輝かせてやろうって思った」
 言いながら、頬が紅潮していくのがわかる。恥ずかしいのでアメリカの顔を見ずに、百数十年前に送った大きすぎるプレゼントばかりを眺めていた。顔を出したばかりの太陽が、暗がりを明るく照らす様は、まさしくあの頃、フランスが贈り物に込めた思いと同じであった。――世界を照らす自由。
 世界だの自由だの、そんな大袈裟な単語も気後れせずに身にまとえる神の寵児、それがアメリカだった。彼を飾る男になれるのが幸せだった。
「傲慢だな」
 顔を向けると、アメリカは照れくさそうにはにかんでいた。ああそうだ、フランスは傲慢だった。いつだって、フランスはアメリカに与えてばかりきたと思い込んできた。自己を犠牲にして、尽くしてばかりで。甘えたり頼ったり、そういう幼い手段で世界中を巻き込んで照らしていくアメリカは、フランスがいるからこそヒーローたりえるのだと信じていた。
 本当はフランスなど、とうの昔にちっぽけな一傍観者にしかすぎなくなっていても、だ。いつまでも、手作りの装備にマスケットを握ったあの青年の後姿を、彼に重ね続けた。
「確かに子供扱いしてたかもな……。俺は本当に傲慢だね。でもさ、俺が育てたってふんぞり返るのが、お兄さんの唯一の楽しみなんだよ」
「嫌だなんて言ってないけど……。君がちゃんと、俺を愛してくれてるならそれでいい。ワガママな子供に、同情して付き合ってくれてるのでなければ」
 アメリカは不安そうにちらちらとこちらを見やる。喋るたびに真っ白な息が浮かんでは消える。頬はどんどん赤くなっていて、単純に寒そうだな、と思う。抱き締めたら温まるだろうか。
「なんだい急に。恥ずかしいよ……フランス」
「いいよ、みんな他人なんだから、気にするなって」
「うん……」
 そろりと、背中に腕が回される。アメリカの人生を懸けた戦いから百年が経って、フランスはアメリカにどうしても何かしてやりたくて。何かしてやったのだという証が欲しくて。
 二人で完成した女神像を眺めたことも覚えている。秋も深まった頃だった。二人でここから、突如海を裂くかのように現れた美女の姿に大はしゃぎした。イギリスのことは一言も話さなかった。話せなかった。だから二人は、徹底的に彼の話題を避け、ひたすら明るく振る舞った。
 その夜、人目を忍んでこっそり唇をくっつけ合った。秘め事は罪悪の甘い味がした。今頃地球の裏側でイギリスは一人酒を煽っているのだと思うと、自分がどうしようもない最低な男になった気がしたものだった。
 正直、今日までこうして関係が続くとは、あの頃はちっとも思っていなかった。未来はアメリカの真っ直ぐな視線が信ずる程には、優しくなどないと思っていたのだ。
 でも今は、彼のいない未来など信じられない。
 腕の中の愛おしいぬくもりを、この先何があったところで手離すはずがないし、捨てられたってきっとみっともなくしがみついて縋りつくのだろうと、そう思うのだ。
「俺おかしいよな、おかしくなっちゃったよ、アメリカ。責任、取ってよ」
「……いいぞ。俺はヒーローだからね」
 そうして、年甲斐もなく、人目も憚らずにキスをした。いいのだ、自分たちにはここで、あの、共和国フランスの守り神であり自由の新天地アメリカの心の支えである彼女に見つめられながら、未来を誓い合う権利があるのだから。今この場にいる誰よりも。







End















本家で仏米自由の女神エピソードという爆弾が投下された後の突発無料配布本でした。紙の色はピンクって、決めてました(ドヤァ)。
もらってくださった方、ありがとうございました!


(2011/2/13)



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