s'occuper de lui アメリカっつーのは極端な奴だと思う。 遊ぶ時のハメの外し方といったらないし、金稼ごうって時のなりふり構わないカンジも半端ない。 なんていうか、ちっともオシャレじゃない。洗練されたこう、スマートさっつうもんがない。 落ち着きがないんだよな、基本的に。ないない尽くしだ。 まだ誰もやったことがない? それじゃあ俺がやるしかないじゃないか! とばかりにどこへでも盲目的に突っ込んでいく。ある意味尊敬に値するパワフルなチャレンジ精神だわ。 その見上げるべき開拓精神は、ひどい時にはヴァカンスも、仕事後の家族との団欒も生活をより豊かにする趣味の時間も必要としないらしい。 俺に言わせりゃ、美しいこの世界を立ち止まってゆっくり見渡す時間もない、目の回るような、直線的で、何の面白味もないモノクロの世界。 乱立する摩天楼。朝も夜も構わず光を放ち続ける蛍光灯。その下で唸りを上げるパソコンたち。 広いフロアを四角く切り取っていくボードたち。パーソナルスペース、というにはあまりに観念的で簡易なそれだが、意外と中は心地よい。家族や友人の写真、好きなスポーツ選手や車の写真、南の島のよくわからないお土産なんぞを並べれば、それだけでぐっと親しみのもてる空間になるのだから、人間ってやつは不思議だと思う。 入口からではどのボックスに、大通りを過ぎる車の数も随分と少なくなったこの非常識な時間に「仕事」とやらに従事している気違いがいるのかは判別できず、仕方なく俺は目についたスペースを片っ端から覗いてみる。部屋全体を煌々と照らす蛍光灯が単純に資源の無駄だと思えるくらいに、結果はハズレだらけだった。 どこかから確かに聞こえるタイプ音がなければ、まったくこの部屋は無人も同然だ。 「アメリカ」 仕方なしに俺は声を上げ、探し人の名を呼んでみた。すぐにガタンと奥で音がして、迷路のように並んだボードの上から、ちょこんと一本の腕が覗いた。 「ここだよ、ここ」 ひらひら振られる腕には、ごつい黒のアウトドアウォッチ。その無骨なフォルムには嫌というほど見覚えがある。回り道をして彼のもとまで辿りつく通路を探した。 覗きこむと、白々した画面に向かい、熱心にカタカタと何かを打ち込み続ける背中。こちらを振り返る気配もない。 ダボッとしたシャツにダボッとしたズボン。こっちの方が動きやすいだろう、なんてこいつはいつも言うが、俺に言わせりゃそんなスーツ姿は到底許容できる類のものではない。スーツだぞ、スーツ! 男も女もピシッと決めて、堅苦しい中にもオシャレな遊び心や、体のラインで色気を見せてくれなきゃ……! なんて、何度言ってもこいつはどこ吹く風だ。 申し訳程度に後ろに流した金髪は、ため息が出るほど美しい色をしているのに、こいつはいつだってガシガシとそれを乱してしまうし、手入れをすることもない。まぁ、堅くてまとまりのない髪を短く切り揃えるしかやりようのないどこぞの坊ちゃんよりはマシかもしれなかったが、それにしたって素材が惜しすぎた。さらさらの柔らかな金髪が泣いている。 片足を膝の上に乗せるふてぶてしいポーズは、もう半分コイツの癖だ。 アメリカのスペースは、どこの高校生だと突っ込みたくなるほど落ち着きがないなんてことはなかったが、それでもまったく飾り気がないというわけではなかった。ボード中に貼られた写真はモノクロ、セピアから引きのばしたフルカラーまで。なんだかよくわからない修了証や賞状も貼ってある。 机の上やディスプレイの上にはペタペタと様々な色や形のポストイットが散りばめられ、走り書きのメモは、まったく解読不能。時には何の意味もないと思われるラクガキすら混ざっていた。こういうことしてると「効率」とやらが落ちるんじゃないのかね、まぁお兄さんの知ったこっちゃないけど。そんなのはドイツあたりがギャーギャー騒いでいればいいことだ。あいつだって、こんな非常識な時間にオフィスに閉じこもるなんてことはしそうにない。あいつのスケジュールは分刻みで既に「完璧」に設計されているからで、決してお兄さんのような美しい理由ではなかったけれど。 いつまで眺めていても一向にこちらに顔を見せそうにないワーカーホリックに、俺はついに痺れを切らした。 「おい、何のために来てやったと思ってんだよ、お兄さん寝るか夜の街に繰り出すかどっちかするための時間に、わざわざせっせとバゲット作ってやったんですけど?」 「ちょっと待って、もう少しでキリがいいから。あ、ソファでコーヒーでも飲んでてよ」 アメリカはやはり顔を向けずに、片手で明後日の方向を指した。たぶんそちらに応接用のソファやら何やらがあるのだと思う。俺にまた、このパーソナルスペースの迷宮を歩き回れってか、ったく。 アメリカの言うソファはすぐに見つかった。部屋のほぼ端、窓際に、四人程度が腰かけられそうな応接スペースがあって、すぐ傍には給湯設備と流しもある。膝ほどの高さのガラステーブルに、俺は持ってきた荷物を置き、食器洗い機の中に収まりっぱなしだった部品を勝手に取り出して、コーヒーメーカーを作動させた。 あいつの「もう少し」は長いんだよなぁ。ゲームしてても仕事してても遊んでてもそうだ。一つのことに熱中すると周りが見えなくなって……。 あーあ、なんでお兄さんこんな軽視されてんだろ。俺って一応、あいつの恋人だよね? しかもまぁ俗に言う遠距離恋愛で、仕事の関係でちょくちょく会えるとは言え、そんなにしょっちゅうって訳にはいかない。 たまに休みが被ったって、あいつがこっちに来ることはごくごく稀で、俺ばっかり飛行機に乗って、こんな趣味の合わない何事も大雑把なこの大陸に乗り込むハメになってる。しかも俺があいつの家にたどり着く前に、あいつは何かしら意味不明な行為に既に没頭してしまっていることが多かった。 ――このドラマ、一回見始めちゃったから、全部見ないとスッキリしないんだよ。 ――やぁ! 久々にリビングを模様替えしようかと思ってさ! ちょうどよかった、フランスも手伝ってよ。 ――日本に借りたゲームなんだけど、あと二時間ほどでクリアできるはずだから……。 ――あれ、君来るんだっけ? ごめんごめん、急にスカイダイビングがしたくなってさ! 君も来る? ――今、ダイエットドーナッツを開発中なんだ、え、太ったって? そ、そんなことないぞ! 試食は確かにたくさんしてるけど……。 頭の痛い思い出が去来したところで、俺は首を振って辺りを見渡した。白々しいオフィスは、繋がった天井で広さを推し量るしかない。カタカタ続くタイプ音は引っ切りなし、それだけが、俺が今孤独じゃないことの証明だったが、ちっとも慰めになりそうになかった。 俺って健気。ほんとーに健気。 俺が男だったら確実に惚れちゃうね、あ、俺もう男だったわ……。 いい加減にしろよ、と怒鳴り込んでもよかったけど、それじゃ何も解決しないってことは知ってる。アメリカが集中して仕事に打ち込んでるところを、邪魔したいなんてそんなの愛じゃないじゃない。じゃあ俺を放って一人で突っ走るあいつに愛があるのかって? いいや、愛の形は人それぞれなんだ。お兄さんはそれでいいと思ってる。 だって真っ直ぐ前だけを見つめてる時のあいつは、それだけでぞくりと体の芯が痺れて、イッてしまうくらいには美しい。 なんてね。 コーヒーが落ち切った頃までに来てくれりゃあいいんだが。 そんなことを考えている間に、いつの間にやらタイプ音が止んでいた。 んーッ、なんてちょっぴり色っぽい声とともに、天に突き出した二本の腕が現れる。恐らく立ち上がって伸びをしてる。じゃあ、もう来る頃だ。 今日はずいぶん早かった。少しはお兄さんのことを考えてくれたのか、それともただ腹が減っただけか。 「いいニオイだね!」 現れたアメリカは、甘えるみたいに後ろから俺の肩に体重をかけ、紙袋の中を覗き込むようにした。 調子のいいこって。でも、こんなところが可愛くて堪らない俺は、もう大分頭がヤラれてる。 首を巡らせて唇を掠め取ってやれば、始めは目を白黒させていたアメリカも、はにかむみたいに笑った。ほらな、このお兄さんに愛されてるって、幸せでしょ? 感謝しろよ、アメリカ。 回り込んできて隣に座ったアメリカに、勝手に食えと指示をして、俺はコーヒーを淹れに立ち上がる。 「ブラック? 砂糖だけ?」 返答なんかわかっちゃいたけど訊いてみた。 「ノンカロリーシュガーいっぱいで」 「体に悪そうだな」 「そんなことないぞ」 自分の分はミルクを大目に。夜だし。カップ二つをテーブルに並べ、愛すべきお子様の食べっぷりに満足する。手作りバゲットに大胆に切り込みを入れ、柔らかいレタスに厚めにスライスしたトマト、甘みと酸味のハーモニーが堪らないオニオンスライス、とっておきの生ハム、ブラックペッパー、ハニーマスタード。マリネにしたサーモンはオリーブ、アボガドと合わせて二つめ。ライムの香りがきいてる。大食漢は二つじゃ足りないと言うだろうが、夜食なんだから控えめにしてもらう。 肩を抱いて耳元で愛をささやいてもよかったけど、こいつはそういうベタベタなのを好まない。 いつまで経っても、ヒーローたる自分は強く美しく正直な女性と、自然に惹かれ合うようにして恋に落ちるべきだと夢見ている節があって、こういう予定外の感情に、なかなか慣れないらしかった。 無理に接触を試みても照れ隠しの拳が飛んでくるだけなので、仕方なく俺は太腿を撫で回すだけで我慢した。本当に、俺の愛って素晴らしい。いや、正直、コイツの馬鹿力にはもう懲り懲りだって理由もあるんだけどさ。 「何の仕事なんだよ、って訊いてもいい?」 一つ目のバゲットをぺろりと食べ終えたアメリカは、ようやく一息ついた、とでも言いたげに、子供そのものの仕草でカップのコーヒーをふーふー冷ましていた。 「エストニアに頼まれごとしちゃってさ、今二人で寝ずにサイバー犯罪追っかけてるとこなんだよ」 ああ、あっちでも似たようなことやってんのね。こっち来る前に、ちょっと寄ってアホなことはやめなさいと一言声かけて来ればよかったのかもしれない。 いや、アホでもないのか。お兄さんパソコンってあんまよくわかんないんだよね。 「まだ終わらないのか?」 「うーん、今夜は徹夜かなぁ」 その回答で、一緒に車に乗り込んで愛を語り合いながらコイツの家へ向かい、そのまま大人の時間に突入、という俺の甘い甘い夢は脆くも崩れ去った。まぁ、最初から予想はしてたけどね、いやでも二割くらいは期待してたよ? なら、俺が取るべきスマートな行動なんか決まってる。どうせ俺は手伝えないし、手伝う気もない。 「そうか、頑張れよ」 俺、邪魔にならないうちに帰るな、と切り出すのはこいつが二つめを食べ終わって、コーヒーをおかわりしてからでいい。 まったく、恋人同士が二人きりの夜だっていうのに、俺ってばなんて恋人想いなんだろう! 「これほんとにウマイよフランス! 今度タイムズスクウェアの横で店出さない? 家賃はマケてくれるって言われてるんだ、こんなチャンスめったにないんだぞ」 二つめを半分ほど呑み込んだ状態で、アメリカは興奮気味に言った。美味いのはわかってるんだよ、だって俺が作ったんだから。そういうことじゃないだろう。こいつの褒め言葉っていつもどっかズレてるけど、それってほんのちょっぴり照れ隠しが入ってこんな風に歪曲してしまうんだってことが、最近なんとなくわかってきた。 「遠慮するよ。お兄さんはお金じゃ動かなーい。ただ、愛でだけ動くのさ」 アメリカは笑った。気持ちいいくらいに爆笑してくれた。 うん、結構いいセリフだったと思ったんだけどな。意味わかってんのか? バカだから、こいつ。 コーヒーおかわりするだろ、と名残惜しげに立ち上がった俺にアメリカは首を振った。 「俺、二十分ほど仮眠取るからさ。二十分したら起こしてもらっていいかい?」 「はいよ」 食べ散らかしたテーブルもそのままに、さっさとアメリカは窮屈そうに二人掛けのソファに横になった。自分の腕を枕にすると、さっさと時計を外し靴を脱ぎ捨てベルトを外しネクタイを緩め、眼鏡をテーブルに放る。 そのまま目を閉じたかと思うと、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。こんな体力バカでも疲れるなんてことがあるわけだ。俺は笑って、肩口を覆うように上着をかけてやった。 適当に放り出された眼鏡を畳んでベルトと腕時計も一直線に並べて、ゴミを片づけテーブルも軽く拭く。 俺は残ったコーヒーを味わいながら、向かいに腰かけ、じっとアメリカの寝顔を眺めていることにした。うん、ほんとにこいつらと来たら、素材はいいんだよな、素材は。もったいない。 いや、こいつがほんとにオシャレやら思いやりやら思慮深い大人の振る舞いとやらに目覚めてしまった日には、こいつの美しさに皆が振り返ってしまって大変だ。 こいつがふと見せる輝きは、俺だけが知ってればいい。秘蔵の宝石みたいに、大切に大切にしてさ。俺がこうやって見つめてることで、こいつがもっともっと光り輝けばそれほど光栄なことはない。 長針はどんどんと、容赦なく奴の指定した二十分後に迫っていく。 すうすうと気持ちよさそうに上下する肩、起こすなんて忍びない。俺だったら絶対烈火のように怒り狂うね。こんなに気持ちいい眠りを邪魔されるなんて。 それでもアメリカの奴にも都合というものがあって、俺を信頼して起こしてくれ、なんて頼んできたわけで。しなければならないことが眼前に控えている時、こいつは俺じゃ想像もできないほど自分に厳しい。一つの言い訳も自分にしない。ただ、やらなきゃいけないからやるんだ、と。 でもさぁ、五分くらい怠けたっていいよなぁ。だってお前頑張ってるもん。俺ちゃんと知ってるもん。お前が許さなくても、俺が許すよ。 でもこれ以上はほんとに、お前がお前を許せなくなるなら。 二十分からきっかり五分を過ぎて、俺は忍びなくもその肩口に手を伸ばした。軽く二三回揺すっただけで、アメリカはすぐに目を開けた。 「あぁ……あ、もう時間か……。ありがとうフランス」 寝ぼけ眼がかわいいなぁ、なんて思えたのは数秒間だけで、軽く目を擦って眼鏡をかけてしまえば、それはまったくいつも通りのアメリカだった。 「コーヒーもう一杯入れてもらっていいかな、今度はブラックで」 オーバーに腕を振り回しながら、アメリカはまた、ボードの向こうに消えていく。 「おう、持ってく」 あー、ったく、あんま根詰めすぎんなよ。お前だって自分の体くらい自分で責任持つんだろうから、言わないけどさ。 帰る前に熱いベーゼの一つでももらったら、今日のところは満足することにしよう。 (2010/5/22)
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