辿り着いた先はそれはもう大変な盛況だった。まるで世界中のクリスマスを集めてきたようだ、とさえ思う。
 クリスマスマーケットといえば発祥はお隣ドイツのテリトリー内であるはずだが、それでも近年はこの季節になると、海峡の向こうの祖国イギリスでも各地でクリスマスマーケットが開かれるようだから、フランスで行われることに文句があろうはずもない。
 その名の通り、クリスマスに入用なものばかりを集めた露店市である。冬になると極端に日が短く、曇天も多くなるヨーロッパの野外だが、それでも広場を埋めたマーケットは活気に満ちていた。冷える体を温めるグリューワインももちろん用意されている。
 どこを見ても人人人で、この中から一人を見つけるというのは至難の業だろうと思われた。
 サンタクロースの格好をした男が、子供にキャンディを配っている。両親がカメラを構えている様が微笑ましい。
 ちらりと店を覗いてみれば、ツリーに飾るのだろうオーナメントの数々。
 果物、クリスマスに関係のある本、リースの材料、プレゼントによさそうな人形にカード、真っ赤なキャンドル……。手に取るたびに指先が温かくなるような楽しいものばかりだったが、ふと一人でいることが物足りなくなった。周りを見れば、夫婦や親子連れが多い。
 フランスは、クリスマスをどう過ごすのだろう。今更のようにふと思う。
 クリスマスといえば家族で過ごすものだが、とりたてて「家族」といえる存在もいない彼ら国々は、同じ一人身同士集まって過ごしたり、フランスの場合は上司や親しい官僚一家のパーティに混ぜてもらったりするのが常のようだった。
 アメリカの場合も、同じ国々を集めて盛大なパーティを開いてみたり、やはり上司や親しい官僚一家の食卓に混ざってみたり、カナダなど近隣の国々に押しかけて、少人数でひっそり過ごしたりすることもある。中国やら日本やら韓国やら、あのあたりに押しかければ、活気溢れる夜の街へ引っ張り出され、宗教色のない楽しいだけの若々しくエネルギッシュなクリスマスイヴを味わえるだろうということも知っていた。つまり一通り経験済みである。
 そうした新しいクリスマスとも、アメリカ自身の家のクリスマスとも違うクリスマスがここにはあると、賑わう露店を眺めていると思う。小さい子供でなくとも心が躍る、それでいてどこか厳粛な気持ちも湧き上がってくる、ここはそんな美しく温かいもので満ちている。
 ヨーロッパの陰鬱で古くさい雰囲気なんてクソ食らえだなどと暴言を吐いてはよく元宗主国とケンカを繰り返しているアメリカだが、何もすべてがすべて大嫌いだというわけでは当然ない。
 陶器でできた天使の人形。これを飾って、一体誰と見るというのか――湧いてきたイメージに、一人で勝手にどぎまぎして、慌てて手を離した。
「そこのカッコイイお兄さん、見てって見てって」
「気に入ったら手に取ってみてね」
 次々かけられる流暢なフランス語についつい及び腰になる。どん、どん、と肩口に人がぶつかっていっては「パルドン」と繰り返していくのに辟易して、アメリカはしばし人混みを離れてほっと息をついた。
「お」
 突然すぐ横で拍子の抜けた声を上げられて、顔を向ければそこには大量のビニール袋やら紙袋やら布袋やらを下げた顔見知りが立っていた。というか、捜していた対象そのものであった。まさか出会えるとは思っていなかっただけに、咄嗟に何を言えばいいのかわからない。先に口を開いたのはあちらだった。
「お前、アメリカだよなぁ、人違いじゃないよな? こんなとこで何してんの?」
 なんとも失礼極まりない挨拶である。
「君の家に行ったら、ここだって言うから」
「なんか急ぎの用事か?」
「そういうわけじゃないよ。昨日から休暇なんだ」
 完全に「ハッピーホリデー!」のタイミングを逃した。
「ほー、来るなら連絡すればいいのに」
 至極もっともなことを言われ、押し黙るしかない。押し黙っている隙に、袋を4つばかり押しつけられた。というかこれは全部である。
 これはシャンパン、これは生鮮食品、これは陶器、あとこれは濡れるとアウトだから気を付けろよ、なんて勝手な指示まで寄越してきた。
 両手の空いたフランスは満足げに手を叩いてから、うーんと伸びをした。
「ちょっと待ってな、急いじゃいないだろ? あと気に入ったウサギにさえ出会えれば帰れるんだ。お兄さんの見立てだと、かわいいウサギの親子がどうしても必要なんだよな、こう、前のとこに――」
「ウサギ? 食べるのかい?」
「アホなこと言ってんじゃないよ、クレッシュのだよ」
「クレッシュって何」
「お前、前も見ただろ。記憶力悪いねぇ」
 それきりフランスは、身動きの取れないアメリカを置いて、さっさと人混みの中へ消えてしまった。両手の荷物を人にぶつけないようカニ歩きになりながら追いかけると、ヒゲヅラが熱心に眺めているのは、先程アメリカが手に取ったのと同じような、小さな陶器の人形なのだった。
「ああ、あのドールハウスみたいなやつか……」
 キリスト降誕の場面を再現するのがクレッシュ、フランスのクリスマスに欠かせない飾りである。
「お前、これどう思う」
「いいんじゃない、イギリスんとこのピーターラビットみたいで」
「よし、却下」
 どうやらアメリカが口を出すと余計長引きそうだと判断して、おとなしく付き人よろしく控えていることにした。
 ひょいひょいとウサギを求めて店を覗いて歩く。
「あ、だめだそっちは」
 虱潰しのような作業は意外に単純で、自然に次の店へと足が向かいかけたアメリカを、フランスが急に引き寄せたので、袋の中でがちゃんとシャンパンの瓶らしき音がした。コルクはしっかり針金で留めてあるが、うっかり栓が抜けでもしたらちょっとした騒ぎである。第一、この至近距離で飛び出した栓がぶち当たったら、相当痛いだろう。
 恨みがましい視線を向けると、フランスは慌ててホールドアップの姿勢を取った。そんなことしなくたってこちらは両手が塞がっているし、いきなり発砲したりしない。そもそも空港のセキュリティを通過できなかったりと不便なことが多いので、愛用の短銃は置いてきている。
「なんでだい、あそこにいっぱい人形が売ってるぞ」
「あそこのマドモアゼル、絶対俺に気があるんだよな、その気もないのに期待させたら悪いだろ」
 ばちん、と完璧なウインクを飛ばされて、返す言葉もなかった。ちらり見やった少女は見た目だけならアメリカとどっこいどっこいの年齢で、気の強そうな天然パーマの金髪が印象的だった。いかにも触り心地がよさそうな、ふっくらした体をしている。
「あんな若い子が君みたいなおっさん相手にするもんか」
「大人の魅力ってやつよ、アメリカにはまだまだわかんないかぁ?」
 大人の魅力だか何だか知らないが、そんなものを昨日や今日出会った程度の小娘に易々と看破されては困るのである。まったくもってアメリカの立場がない。
 アメリカは黙秘権を行使することにして、くるりと方向転換した。
 その後ろを、にやにやしたままのフランスがついてくるという図式である。
「そういえば、あの子は誰だったんだい?」
「あの子?」
 フランスがひょいと取り上げたアイボリーのウサギは、今度はなんだか妙に可愛すぎた。
「君のことフランシスって呼んでた。黒髪で、スレンダーな」
 すごく美人な、と言えなかったのは、つまらないプライドだろうか。認めたくないけれど。
 意外なことにフランスはそのクリクリ大きな瞳のウサギの家族を買い上げ、新聞紙で厳重に包んでもらったそれを、アメリカの右手の布袋の中に押しこんだ。
「……あー、ひょっとしてアンヌのことか? 俺の昔のガールフレンドのお孫さんなんだ。向かいの花屋の長女で、ああ見えてピチピチの十五歳。すっごく頭がいいんだぞ、クラスじゃいつも一番で、官僚志望なんだって。将来は俺の秘書かな、なんてね」
「え?」
 よし帰るか、半分持ってやろうなんて、もともと自分の荷物のくせによく言う。急に重みのバランスが変わってたたらを踏んだアメリカを置いて、スタスタ先を歩き始めたフランスは、嫌な笑顔で振り返った。
「安心しろよ、今は俺、フリーだから、クリスマスもニューイヤーも、お誘いいただければご一緒できるぜ?」
 口説き文句だけは自信があるらしい、言い慣れた様子の流暢な英語。ぞわり、と背筋を嫌なものが這い上がるが、そんなものにいちいち構ってやるほどアメリカは優しくないのだ、そう、どこぞの育て親と違って。
「いや、そういうことじゃなくて」
「なんだよ、エスプリを解さない奴だな」
 案の定、フランスはつまらなそうに肩を竦め、それ以上そのジョークを育てる気がないようだったので、アメリカは内心ほっと息をついた。
「そうじゃなくて、じゅ、十五歳だって?」
「そうだよ。才女然としてただろ?」
「……信じられない、NASAに呼びたい気分だよ」
「俺の愛する国民で実験はやめて」
 マーケットの雑踏を抜け出すと、フランスはふいに慣れた動作で右手を上げた。すぐに一台のタクシーが滑るように停車する。
「キャブに乗るのかい?」
「疲れたろ? お前、何使って来たんだよ」
 運転手に目配せをしたかと思うと、何を思ったかフランスは自ら後部座席を開け、まるで女性にするように、アメリカに向かって恭しく中を示した。それはアメリカがフランスより重いものを持たされているから以外の何物でもないのだと自分に言い聞かせ、おとなしく車内に体をねじ込む。一人で乗れるというのに、添えるように背中を押した手が忌々しい。
「……バス」
 フランスが助手席に収まり運転手に行き先を告げてから、アメリカは低く唸るように質問の答えを投げた。こんなのはエコじゃない、と言おうとして、フランスの隣国たる強面の男の顔が浮かんできたので、やはりやめることにして、窓の外を眺めた。
 エコロジーじゃないっていうか、エコノミーじゃない。うん。
「だってそろそろ退勤ラッシュだしなぁ、そんな重いもの持って立ってたくないっしょ? 遠路はるばる来てくれたわけだしな」
「別に君のためじゃ……」
 それは一番似たくないと常々思っている誰かさんの言い草にあまりに酷似していたので、アメリカは慌てて口を閉じた。
「なになに? じゃあ何のためなわけ?」
 ミラーに映ったヒゲヅラがこの上ないほどにやにやしている。そこはぜひとも聞き流してほしかった。
 白手袋がよく似合う運転手に、気前よくチップを弾んでいたフランスの荷物を「もたもたするなよおっさん!」と奪い取って、アメリカはずんずんと先を急いだ。そうでもなければ、ここ最近のパリの天気について熱く語っていた彼らの会話に終止符を打てそうになかったからである。
「早く!」
 叫んだところで、大事そうに大量の枝が入ったバケツを抱えた女の子が、通りを曲がってくるのが見えた。
「あら」
「ボンジュール、アンヌ」
「ボンジュール、フランシス。会えたのね、よかった」
 真っ直ぐにアメリカを見て微笑んだ顔は、やはり整っていた。帰ると宣言した手前、なんだか気まずいアメリカをよそに、二人は頬をくっつけあって「チュ」なんてやっている。二人の間の、いつもの挨拶なのだろう。
 目を逸らしたアメリカの前にいつの間にか移動してきていた彼女は、「すごい荷物ね」と友好的に笑うと、アメリカにも同じ挨拶をくれた。
 帰るんじゃなかったのかとか、親戚か何かなのかとか、そういう詮索を寄越す気配がまったくない。それでようやくじっくり彼女の顔を見ることができた。なるほど確かに、少し幼さの残る顔立ち。
「これ、あげるわ、アルフレッド?」
 大事そうに抱えていたバケツの中から引き抜いた一本の枝を差し出され、咄嗟に受け取ろうとするも、アメリカの両手はクリスマスマーケットの戦利品で塞がってしまっているのだった。苦笑するように後ろからそれを受け取ったフランスが、滅多に見ない優しげな微笑みをたたえている。
「ヤドリギじゃないか」
「見たところマルシェじゃ買ってないみたいだったから。お得意様への挨拶よ、受け取って」
 彼女は意味ありげにアメリカに目配せを寄越すと、くるり身を翻した。しかしながら何のコンタクトなのか、さっぱり心当たりがない。
「メルシー、アンヌ」
 フランスはお礼を言いながら笑っていた。そうやっていつまでも嬉しそうに枝を眺めて、一向に門を開けようとする気配がないので、いい加減手が痺れ始めていたアメリカは、無言の一撃を脛にくれてやった。日本の家で習った「ロリコン」という罵声は控えておいてあげたのに、お前もだんだんイギリスに似てくるよな、なんて最悪な反撃を食らった。


















(2009/12/19)



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