※一般人が出てきます。

街は聖者の訪ないを待つ


 寒く暗く長い憂鬱な冬。されどもヨーロッパ中が浮足立ったかのように色とりどりの電飾で化粧する季節が今年もやってきた。
 敬虔なキリスト教徒もそうでない人々も、誰もが心待ちにする一年に一度の大切な日。食べ切れないほどのごちそう、心を砕いて選ぶプレゼント、心まで温めるかのように揺れる蝋燭の灯り、心地よい讃美歌のハーモニー、家族そろって年を越せる喜び。
 かつてヨーロッパ世界における文化の最先端を走っていた――そして今もその美しい文化は世界を魅了してやまない――ここフランスの心臓部パリも、来たるべき祭日のためのアドベントに入り、行き交う人々の足取りは皆忙しく、けれどもどこか楽しげな様子であった。
 そんな中、紛れ込んだ異邦人である青年は、サンタクロースとトナカイを模したと思われる小洒落た窓辺の飾りを見上げ、鼻歌を歌いながら、小道に面した木製の門を叩いた。
「フランスー! ハッピーホリデー!」
 ところが門は僅かに揺れるばかりで、ウンともスンとも言わない。
「あれ、いないのかい……?」
 吐き出した息が白く天へ昇っていく。
 こうした事態をまったく予想していなかったのか、子供のように扉の前で立ち尽くす青年に、高く歌うような声がかけられた。
「フランシスならマルシェ・ド・ノエルに行くって」
 黒髪の美女がウインクして青年の背後をすり抜けていく。目の覚めるような真っ赤なコートに、石畳に高らかな靴音を響かせる黒いブーツ、高く結い上げた髪は真っ直ぐ首筋を隠して揺れている。
 彼女の唇が紡いだ言葉を咀嚼するのに忙しかった青年に、にこりと笑みが向けられる。瞬きするたび目を引く長い睫毛はやはり漆黒、瞳は澄んだ薄いグレー、高く筋の通った鼻梁に真っ白な肌。
「クリスマスマーケットだって?」
 呟くと、彼女はすぐに操る言葉を英語にシフトし、やはり可笑しそうに笑った。
「そうよ、少し遠いの。案内しましょうか?」
「いや、ありがとう。いないなら帰ることにするよ」
 ここからバスに乗ってね、と解説を始めた彼女を遮って、条件反射のように断ってしまってから、話の流れ上やむを得ず、青年は踵を返した。
「そう?」
 背中にかけられた声はやはり友好的だ。「ありがとう」と青年が手を振ると、再びコツコツとヒールの音が響き、やがてすぐ傍の花屋に吸い込まれていった。



 青年は彼の縄張りたる合衆国へUターンすべきか、それともついでのようにドーバー海峡を隔てた知り合いの元へ顔を見せに行くか悩みながら足を進めていた。悲しいかな、ここヨーロッパには、アポなしで押しかけて一応は歓迎してくれると思われる知り合いはそう多くない。
 そう、今日も思いつきだけでポンと海を飛び越えてきてしまって、今の今まで「先に連絡を入れておく」という手段に思い至らなかったのがいけなかった。
 今年は、一般的な合衆国の働く戦士たちが年末のホリデーに取る有給休暇――と呼ぶのも青年の立場上なんだか可笑しくはあったが、一般的に言えばこういうことである――を少し早めに開始した。一生懸命働いた後、職場の皆と「ハッピーホリデー」を言い合うクリスマスやニューイヤーも気に入ってはいたが、今年はふらりとどこか旅行に出かけたい気分だったのだ。自身は人並み以下の休暇しか取れない――それでも彼はきっと、家族との大切な時間を過ごすために、最大限の休暇を取るだろう――、目下世界一忙しいと思われる上司もにこやかに、彼の計画に頷いたのだった。
 今日はそんな長めのホリデーの、第二日目であった。つまり、思い切り出鼻を挫かれたということである。いくらアポなしで受け入れてくれると確信が持てる気安い相手だからといって、連絡なしではむしろこちらが思わぬ衝撃を受けることになるのだと、今更ながらに青年は噛み締めていた。
 案内しましょうか、と美しい女性は言った。ということは、きっと突然紛れ込んだ彼のような珍客が邪魔しても構わない程度の用事なのだろう、かの尋ね人がクリスマスマーケットとやらに出かけたというのは。
 ――なんだよあの子、なれなれしく「フランシス」なんて呼んだりして。
 突然見知らぬ人間に知人のファーストネームを呼ばれて動揺している。そんな自分に気づいて、青年はお祭り気分の街にふさわしくないため息をついた。あの赤い唇で、あなたはフランシスとどういう関係なの、とでも訊かれたらきっと自分は果てしなく惨めになるのだろう。咄嗟に逃げてきてしまったのは、きっと本能的な自己防衛だ。
 フランシスなんて呼称は、実は仮称にすぎない。彼女は「フランシス」の本名――すなわち本性を知らない。ただそれだけの関係といえばそれまでだが。
 それでも、彼らの本名である呼称、そんなものは同類同士だけに通用する記号のようなものに過ぎないところがある。名は彼らの本質でありアイデンティティの源ではあるのだが、やはり人同士が愛情を込めて呼び合うようなそれとは根本的に一線を画している。だからこそ彼らには、一般的な名前と何ら変わりない仮称があるのだ。大切な人たちと、同じ時を過ごすために。
 そう、彼らは普通の「人」とはちょっと違った存在なのである。
 彼らの名は、何百年、時には何千年という紆余曲折を経、時には国際的体面に縛られ、時には既に出来上がった雛型の上に乗って、時には生死を賭けた熱い思いによって、定められてきた。抗えないうねりのような荒波のような、そんなものに押し流されるようにして、それでも自分は自分でありたいと願いながら生きてきた、その結晶。
 かくいう青年の本名を、アメリカ合衆国といった。
 それでも「アルフレッド」と呼ばせ、普通の人間のように毎日笑い合ったり泣き合ったりする関係が「仮」であるわけがない。たった半世紀と少しで消えていく、アメリカら国々の体を作り上げている大切な命のひとつひとつと確かに過ごすかけがえのない時間。そういう愛情が込められているには違いないのだ。アメリカ自身もそれがわかるからこそ、自分がまったく知らないあの子が、アメリカと同類であるフランス共和国を「フランシス」と親しげに呼んだことに動揺している。何百年繰り返しても、自分たち国という存在は、こうした人と人の営みに感情を揺らすことに、一向に飽きないらしかった。
 脳が繰り返し繰り返し、あの子の唇の動きを再現している。ちょっと遠いの、バスに乗ってね――
 バス停で道を尋ねた品の良さそうな老婦人に妙なものを見る顔をされ、やむを得ずたどたどしい幼児のようなフランス語を口にするハメになりながら、やはりあの女性に案内してもらえばよかったなどと、アメリカは都合のいいことを考えていた。ちなみに、道は結局その後バス停にやってきた学生風の青年が、時々アクセントの間違った英語でスラスラ教えてくれた。


















(2009/12/17)



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