なぜだかすっかり本の虫と化してしまったお邪魔虫二匹の腹の虫が鳴る頃合いを見計らって、食卓の準備を始めた。それほど時間は経っていないので、二人とも読破とはいかなかったようである。それでも、肉の焼ける香ばしい匂いに、いつしか本を放り出して群がってきた。 やっぱ人間、食べなきゃ始まんないよなぁ。どうせならとびっきり美味しいものをね。 「コーラ、コーラ」 頼んでもないのにいそいそ冷蔵庫を開ける様はいっそ微笑ましい。 「フランス、グラスは――」 「あー、グラスはお前触るな、俺が出すから」 「なんだい、割ったりしないよ」 「おい、俺は水でいい」 「何言ってるんだいイギリス! ハンバーガーにはコーラって決まってるんだぞ!」 「ハハハ、アメリカ、イギリスは最近太り気味なの気にしてるんだってさー」 「言ってねぇ!」 「イギリスもジムに行ったらいいじゃないか!」 「うるせぇよ! 人を運動不足みたいに言うな!」 はははは、と俺とアメリカの笑い声が響く。うん、一人で優雅に過ごす夜や、美男美女と愛を語り合うしっとりした夜も悪かないけど、こういうのもたまにはいい。お子様相手に腕を振るってやるっての? 食育ってやつよねー、残念ながら二人とも、もう手遅れだけど。 ハンバーガーの評価は上々だった。二人とも一口齧るなり急に静かになり、見ているこちらが気持ちよくなる勢いで一つ、二つとたいらげてしまった。アメリカに至っては数えるのも気持ち悪い。 一人で酔っ払うのも趣味じゃないので、冷蔵庫に残してあった安物の白ワイン一杯で、コーラの相手をする。イギリスに酒を与えるとロクなことがないのは分かり切っていたので、本人のお望み通り水で我慢してもらうことにした。 「うーん、気持ちいい食いっぷりだな……」 俺が漏らすと、既にギブアップ気味で背もたれに体重を預けていたイギリスが、顔を近づけてきた。 「そうか? 逆に気持ち悪くねぇ? うっぷ……」 見守る先で、また一つハンバーガーが消えていく。 「お前も線細いくせに食いすぎだよ」 本場アメリカの家でさえチープな味で通っているマックを、美味い美味いと絶賛しているイギリスではあるが、俺の知る限り、三個も四個も食べるものではないという感覚くらいは共有できていたはずなのだが。 「貧弱って意味か、アァ? テメェがこんなに作るのが悪い。アメリカをこれ以上肥やしてどうするつもりだ?」 ちらりと二人で目を向けた青年は、決して肥満と呼べる体形ではないものの、一歩間違えれば簡単にそちらの道に進みかねない危険性を常に孕んでいる。現に何度か世界中を巻き込んでのダイエット騒ぎを起こしていることでもあるし。 あーあー、ほっぺにソースついてら。いつもなら真っ先に気づいて小言をぶつけるのはイギリスの役目なのだが、どうせまだ食べるのだろうから、食い終わってから指摘してやった方が建設的だろうとイギリスも思っているようだった。 「うーん……肥やして……取って食う?」 しょうがないよお兄さんの料理が神がかり的に美味いんだから。 「ちょ、暴力反対!」 よくもまぁ、食った直後にそこまで足を上げられるものだ。太腿に食らった靴底が痛い。 まぁあいつの肉なんか筋ばっかで不味そうだけどな。なんで体を張ってボケてんだろ、俺。 「ま、お兄さんの料理が美味しすぎてついつい食べ過ぎちゃうのよね。別に、残ったら明日食うからいいさ。あの大食漢に持たせてもいいしな」 別の意味でなら取って食ってもいいかなーなんて、思考をちょっとお兄さんらしい方向に流してみようと真剣に考え始めたところで、無邪気と呼ぶのも無邪気に失礼なほど底抜けに能天気な声がそれを遮った。 「んぐむぐ……っ、おっさんたち、なにコソコソ話してるのさ! 感じ悪いぞ!」 あぁ、コイツほどフラグをバッキバキに折ってくれる爽やか好青年も珍しいよな。うん、百戦錬磨のお兄さんも完敗。 いや、本当は俺の中のバイアスが、あいつにフィルターをかけてるだけなのかもしれない。とにかく俺の生活を鮮やかに彩る軽く滑らかな「愛」が及ぶ範囲と、あいつとはどうにもうまく結びつかないんだ。まったく異次元の存在っていうの? イギリスに言ったら、何て返ってくるんだろう。 お前まだ食うのかよ、つかソースついてんだよなんて、ついに兄貴風を吹かせて世話を焼き始めた横顔をじっと見ていると、ふと、むしろアメリカの方がこちらを見ているのに気がついた。 うぉおおお、三人でキャッチボールしてるんじゃないんだよ。いいんだよそんな時計回りじゃなくて。 まっすぐな視線に耐え切れず「なんだよ」と問う前に、アメリカの方が口を開いた。 「フランス、冷蔵庫のコーラも取ってきてくれよ」 「お、おま……! もう一本飲んじゃったの?」 あ、やっぱバイアスとか関係ないかもしれねーわ。 結局一本と半分のコーラを一人で空にしたアメリカは、「ボトルキープ!」とかふざけたことを言いながら、ペットボトルにマジックでアホみたいに「USA」と書き殴った。んなことしなくたって誰も飲まねーよ。ってか次いつ来るつもりだ? 炭酸抜けるぞ。 我ながら惚れ惚れする手際の良さで晩餐の後の食卓を片づけた俺は、カナダがメイプルシロップと一緒に分けてくれた手作りバニラアイスを皿に取り分ける作業に取りかかった。やっぱデザートまで完璧に演出しないとな。器は中国のとこで仕入れてきた。白く滑らかなとろんとした陶器に、繊細なタッチで花や鳥が描かれている。 イギリスはまた紅茶を淹れる気らしく、断りもなく俺の背後をうろうろしていたが、アメリカの奴は未だにダイニングテーブルの傍でごそごそやっていた。どうやら、お遣いの時に着ていたジャンパーのポケットを漁っていたらしい、取り出したのは青いビニールの。 「オレオ食べるかい? ダブル・デライトだぞ! ピーナッツバター&チョコレートさ!」 「おま、いつの間にそんなもの買って……! アイス食えって言ってんだろ!」 ちょうどアイスを運んでいたところだった俺が器を取り落とさなかったことを褒めてほしい。 「アイスも食べるよ、クッキーアンドクリームにするんだぞ」 「じゃあダブルデライトの意味ないだろ」 そこにすかさずイギリスのツッコミが入る。コイツの奇妙奇天烈な行動には慣れ切っているのか、せっせと紅茶を淹れる手を止めもしない。 「あるよ、中のクリームも一緒にアイスに入るだろ」 「とりあえずまず本来の味を楽しんであげて!」 人のツッコミも受け流してせっせと袋を開封するアメリカに、お兄さんの喉もそろそろ限界だ。 「えーだってカナダが作ったアイスなんてもう何万回と食べたよ」 「お前はそうだろうけどな……」 ああ、俺ほんとコイツの傍に住んでなくてよかった。頑張れカナダ。お兄さんの元弟だもんな、お前ならこんなゴーイングマイウェイな奴に負けずに強く生きられるよな。 ため息を禁じえない俺の眼前に湯気を立てる紅茶がことりと置かれ、俺はほっと息をついた。 「俺も久しぶり。あ、ヒゲのはどうでもいいが、俺の皿には触んなよアメリカ」 「えー、なんでだい、美味しいのに」 本当にコイツときたら、予想外の行動ばかりで困る。自分の器の上で見事にビスケットをクリームもろとも粉砕したかと思えば、飽き足らず俺の器まで引き寄せている。ちなみにイギリスは、何事もなかったかのように自らのアイスを確保して、暢気にスプーンを突き立てている。 「おい、マジでやんのかよ……」 止める気力もなくして、俺は椅子に体重を預けた。もういいさ。もらったときにも食ったしな。たまには気分やらフレーバーやらを変えてみるのも悪くない。こんなチープで乱暴なやり方は主義じゃないんだけどね。 いつも忙しなく動いて忙しい大きな男の手が、おもちゃみたいにクッキーを握り潰していく。手のひらについた破片を舐め取る姿に、すかさずイギリスの指導が入る。 「絶対おいしいんだぞ!」 「やれやれ……」 目の前にずずいと差し出された、みてくれの悪いそれ。「ざまぁみろ」と小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべるイギリスを睨みつけてから、合衆国様の言いつけ通りよくかき混ぜた。 どうだい、と期待に満ちた視線が俺を射抜く。どうだいも何も、アイスもオレオも別々に食ったら美味いんだ、何をそんなにお前が緊張することがある。 「うん、まぁ、悪かないね」 滑らかな舌触り、口の中でほろ苦い甘みを残しながら儚く溶けていく――そんなシンプルで情緒溢れるアイスとは違う。雑音が多すぎる、それでいてどこか、心の奥で眠っていた童心を刺激されるような、欲張りな可能性を秘めた味。 「だろう?」 嬉しそうに眼鏡の奥の瞳を光らせて、自らもスプーンいっぱいに掬いあげたアイスを大口で頬張る。そんな無邪気な様を目にしては、さすがの大英帝国様の皮肉も紅茶とともに流し込まれるらしかった。 * 「じゃ、俺はそろそろ。アメリカ、お前も帰るだろ?」 「なんで君と同じタイミングで帰らなきゃいけないんだよ!」 「ヒゲと二人でいても面白くないだろ?」 なんて暴言を。ひどいっ! のんびりしようと思ってた休日に、いきなり人んちに押しかけといてその言い草、お兄さん泣いちゃう! アメリカは返す言葉をなくしたように押し黙った。せめて否定してくれよ。兄弟そろってなんてお兄さんに優しくないんだ。 「イギリス、結局君何しに来たのさ」 「あ? 仕事で寄ったからついでだよついで。お前こそ」 「お、俺のことはいいんだよ! 君には関係ないんだから!」 「お前なぁ……!」 二人でぎゃーぎゃー騒ぎながら、着々と帰り支度を進めていく困ったちゃんたち。アメリカも、しぶしぶといった様子で床に放り出されていたジャンパーを羽織り始める。 イギリスの言うとおり、俺といてもアメリカにとっては何も面白いことなどないと思うのだが、アメリカの目は居座る理由を探すみたいに宙を彷徨っていた。よほどイギリスと仲良く並んで帰りたくないと見える。 なんだかんだ言って、道中世話焼かれながらよろしくやって帰るんだろうなぁ。想像したらなんだか笑えた。 ああ、でもその時お兄さんはここに一人ぼっちで残されるわけか。 「フランス、これ貸してくれよ、いいだろ?」 アメリカがひょいと取り上げたのは、先程まで齧りついていた一冊の本。 「だからイギリスに借りなさいって」 「やだよコレ途中まで読んじゃったし」 コレじゃなきゃ、なんて訳のわからない理屈をこねて。 焦っているのだろう。目の前が見えなくなっているアメリカは、俺みたいな古株からしたら思わず情けをかけてしまうくらい愛らしい若々しさに満ちている。きっと今すぐにでもイギリスと、この内容について俺より白熱した議論を展開したいに違いない。そうさこいつは勉強熱心なんだ、誰よりも。 「わかったわかった。――イギリスは?」 「俺は翻訳を待つからいい。お前に借りを作るなんて御免だね」 「何だよ借りって……さもしい考え方する奴だな……」 ジッ、とジャンパーのファスナーを上げたアメリカは、ポケットに手を突っ込んで手袋を取り出した。どうやらマフラーはリュックの中に隠してしまったらしかった。 「あ、アメリカ。これ持ってけよ」 たっぷり用意したはずのハンバーガーは予想を上回る勢いでコイツの胃の中に消えたけれども、まだ二つほど余っていた。 きょとんとした顔で包みを受け取ったアメリカは、中身が何かを知るや否や、ぱっと顔を輝かせた。 「ありがとう、夜食に食べるよ!」 「せめて明日の昼食とか言ってほしかった!」 確かにお兄さんの料理は美味い。でもそれが原因で間違った方向にむくむく育っていくコイツなんてゴメンだぞ。 「そうだぞ、お前これ以上メタボリック進行させてどうすんだよ」 そりゃすかさず紳士の皮肉も飛び出そうってもんだ。 「な、な……俺はメタボじゃないぞ!」 また始まった。玄関先でぎゃあぎゃあとうるさい二人を、さすがに近所迷惑なのでさっさと追い出すことにする。 「あーもう、じゃあな、二人とも」 「あー、まぁ、お前のメシも悪くなかったぞ」 何その上から目線。まぁこれはいつものことだ。 「また来るからな! コーラ飲みに」 来なくていいっつの。 本当に何しに来たんだか、コイツは。 「お前、なんだよそのスケボー、そんなん持って飛行機乗ったのか?」 「そんなんって何だい、自転車より持ち運びやすくて便利じゃないか!」 聞き慣れたやりとりがだんだんと遠ざかっていく。長くは待たず、俺はため息をついて扉を閉めた。 やけにがらんとして見える家の中。寂しい気持ちを紛らわすように、オーディオの音量を上げた。 皿を洗うために流した水がやけに冷たい。こうして奴らのいた痕跡をすべて消し去ってしまうと、後に残されたのはまったくいつもと変わらない日常だった。 今から一人でフロマージュにワインというのも悪くない。我ながら素晴らしい思いつきだと、鼻歌交じりに冷蔵庫を開けた。 真っ先に目に飛び込んできたのは、見慣れぬ青いラベルの。 「あいつホントに何しに来たんだろうなぁ……」 ひょっとしたら、今日イギリスがうちで仕事をしていたことを知っていたのかもしれないな、と俺は今更ながら思いついた。あいつは昔から、誰よりもあの不器用な育て親を大切に思っているくせに、それを素直に態度に出せないでいる。それに気づかない方も気づかない方だと思うが、だからこそイギリスはイギリスなのだ。それもわかる。 外から見ている俺の方が、かえってハラハラして。バカみたいだ。 たとえばイギリスのいないところでだけ、あのマフラーを使うとか、イギリスと俺の間で流行ってる本があるとみるや、自分も知りたいと躍起になるとか、俺だけが気づいているあいつのそういう、ちょっとかわいい部分を全部、イギリスに告げてやったらどうなるんだろう。 なんて。 きっと俺は言わない。アメリカが嫌がるから? いいや、俺はきっとこの件に関して、せめてこんなことでだけは、あの青年の心の大部分をどうしようもなく占領している育て親に、ひょっとしたら勝っているかもしれないと思い込みたいだけなのだ。 イギリスは俺よりアメリカのことを知っている。同時に、俺はイギリスよりアメリカのことをわかっている。 わかっているからなんだというのだろう。アメリカにとっては、そんなことは何の意味もないことだ。 あいつはいつも前を見ている。あいつはいつも、たった一つを見据えている。 にーにの家に来てはじめて「ダブル・デライト」(要は間のクリームの味が半分半分で分かれてるんです)なるオレオを見て「何コレ何コレ! 他の国でも売ってんのかな!」とハァハァして買ってみたはいいものの、ウィキ○ディア先生に訊いてみたら、なんと20年以上も前からありました。味はちょっと塩っけが多い感じ。 (2009/12/12)
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