dramatic×domestic 「――え、いない?」 明確に語尾を上げて聞き返したはずが、相手はそれでこちらが事情を了解したと思ったらしい、もしくは自らの義務は終わったとばかりに厄介払いをしたかったのか、さっさと切断された電話に、アメリカはにわかに怒りを覚えた。 「なんだよ、あの態度」 受話器に八つ当たりしても仕方がないのだが、ついつい手つきも乱暴になってしまう。 留守番を頼まれたのか、カナダ宅の電話を取った、いつもカタコトで失礼なことをズバズバと言ってくる白熊に、煮えくりかえった腸は当分収まりそうになかった。 目立たない、温和、影が薄い、穏やか、とまぁ特徴を上げれば結局似たような言葉ばかりが並ぶ彼だから、休日など突然押しかけても在宅していることが圧倒的に多い。電話をかけてもまた然りである。だから今日のように、そっけなく「イナイ」などとつっぱねられることは稀だった。極めて。 「なんでいないんだよ」 我ながら理不尽な怒りだとは思うが、満足いく説明を受けていないのもまた事実である。だが、もう一度あの白熊しか出ないであろう番号にかけて詳細を聞き出すというのも癪である。第一、携帯にかけても一向に繋がらないというのも気に食わない。カナダのくせに。 「せっかく暇だからバスケでもしないかと思ったのに」 カナダがアメリカの誘いを断ることなど想定外だから、こちらはすっかり着替えまで済ませて準備万端だった。誰のせいでもないとはいえ、まったく間抜けな状況に陥っている――馬鹿にされたような気分だった。 やる気満々で小脇に抱えていたバスケットボールを壁に投げつける。案の定、家の中で鳴り響くには少々不穏な音とともに、跳ね返ってきた重たいボールは、数々の甚大な被害を残して転がっていった。 『ごめんごめん、何か用だった?』 そんなのほほんとした声を携帯越しに聞くことになったのは、あと一時間ほどで一日が終わろうかという頃だった。 『キューバに招待されてね、彼の家に遊びに来てるんだ。それで昼間はずっと海行ったりしてて、それで電話気付かなかった、ごめんね。――すごいんだよ、キューバってあったかくて、こんなに大きなアイスクリームが……』 「へー、そう」 珍しくはしゃいだ声が耳に刺さるようにキンキン響く。いつも落ち着いて消え入りそうなカナダの声ではないみたいだ。 「それから……あ、でも僕泳ぐのあんまり得意じゃなくて……」 「へー、そう」 「アメリカは速いんだよねぇ、前に誰かのブログで見……」 「へー、そう」 大人げないとは思うが、わざと突き放すように繰り返した気のない返答に、いつも人より2、3テンポはズレている兄弟もようやく気がついたらしい。あと2回ほどで気づいてくれなければこちらの血管が切れるところだった。 「……なんかアメリカ、今日機嫌悪い?」 ようやく気付いたのか、どんくさい奴め。 「別に」 「あ、ごめん、そういえば君の用を聞いてないよね」 「別に、もういい」 「あ、そうなんだ? ごめんね、そうだ、おみやげ何がいい?」 ごめんね、と謝罪の言葉を繰り返してはいるが、カナダの声はどこか上の空で、まだ興奮気味だった。そんなにあったかい海がいいのか。そんなのアメリカの家にだって腐るほどある。 アイスだって絶対にこっちの方が種類も豊富だしおいしいに決まってる。 目の前にあのへらへらした顔があったなら、絶対ぼかすか叩いてやるのに、どうやったって手も届かない。 徒に空を掻いた腕は、ベッドに寝転んだ体の脇にすとんと落ちる。 「アイス」 「アイスなんか持って飛行機乗れないよ」 「じゃあ……」 アメリカはぐるりと体を反転し、肘をついて上半身を起こした。こうやってカナダを困らせてやれるなら、まあ今日のことは水に流してやるかと思い始めていた頃だった。 「あ、明日も早いからそろそろ僕は寝るね。キューバが朝からいろいろ案内してくれるんだって」 「……は?」 「じゃあおやすみ、ちゃんと布団かけて寝るんだよ」 「はぁっ?」 ちょっと待てよ、と怒鳴りつける前に、ツーツーとそっけない電子音。 君、あの白熊の失礼さが移ったんじゃないかい……! 開いた口が塞がらないアメリカのその時の心情といったら、わざわざゲームのポーズボタンを押して振り返った銀色の友人が「ドウシタ?」と声をかけてくれたのにも、返事ができないほどだった。 「そりゃあないだろう、俺より他人を優先するなんて!」 もう何度このセリフを吐いてテーブルを叩いたかわからないが、何度思い出しても腹が立つものは立つので仕方がない。今日のターゲットは新作ゲームを売りに来た日本だった。 「……つまり嫉妬というわけですか?」 いつだってチェーン展開のカフェに入ると「高いですね……」と呟きながらもやたら長い名前のメニューを頼みたがる彼は、今日も何やらシナモンの入った甘い飲料を口に含んでいた。ついでに言えば、新作や季節限定の商品に目がない。対するアメリカはスタンダードにホットコーヒーであるが、先程からカチャカチャと揺れるカップはだいぶその中身をソーサーに移してしまっていた。 「しっ……しっ……な、何言ってるんだい日本、俺は当然、苦しい時も楽しい時も共に生きてきた隣人であり兄弟である俺を何よりも優先すべきだという道理の話をしているのであって……」 「あなたにだけは言われたくないと思いますよ」 なんだか今日の彼はやけに言葉が刺々しい。新作ゲームどころではない、とアメリカが彼の話を遮って愚痴を零し始めたからだろうか。 「俺はいいんだよ」 日本の指摘は図星といえば図星なので、きまり悪くなってコーヒーを一口すする。 だいたい、アメリカが「嫉妬」しているだなんて指摘されたのも信じられないし気に食わない。だってヒーローはいつだって忙しくて、構ってあげられない恋人に嫉妬されるのは常でも、醜く嫉妬などしないものだからだ。 「あー、なんなんだコレ、このままじゃ引き下がれないんだぞ……!」 思わず頭を掻きむしると、ぐるぐるとストローを回していた日本は、混ざり具合を確かめるように視線は手元に落としたまま、にこりと不思議な笑みを浮かべ、妙に説得力のある落ち着いた声でこんな提案をしてきたのだった。 「ではあちらからも嫉妬していただいたらいかがですか? お互い寂しさを感じた後は、より二人の仲は深まるものですよ」 「嫉妬される……? 俺が? カナダに?」 よく考えてみればあの男、二人の関係が兄弟以上に一線を超えて親密になってからも、アメリカに対しおよそ執着心というものを見せたことがない。良くも悪くも影が薄いことに自覚的で、いつだって自分に自信がないのは結構だが、いつか終わりが来るのならそれで構わない、なんてあっさりした考えでこの世界のヒーローアメリカの相手をされたのでは困る。 あいつはこれがどれだけ名誉なことなのかわかっていないのだ、断言しよう。 アメリカと特別な関係にあることがいかに恵まれた幸運かということをわからせてやれれば、カナダのアメリカへの態度はこれまで以上に情熱的なものになるに違いない。 しかしそれにはどうやって――口を開こうとしたアメリカを遮って、日本は自らのカバンの中から何かを取り出した。 「……というルートもこのゲームの中には入っていましてね! どうです、予行演習に国民分!」 「す……素晴らしいじゃないか……嫉妬……こんなエンディングが待っているだなんて……グレイトだよ……! 日本……君は恋愛の神かい……?」 乾燥してうまく開かない目で見つめたディスプレイには、ゆったりと流れてゆくクレジットばかりで当然日本は映っていないが、彼の「二次元なら任せてください!」という声が聞こえてきた気までした朝方、アメリカの心は今しがたゲームのストーリーから得たインスピレーションに沸き立っていた。だがとりあえず話は寝てからだ。 カーテンを透かして目に痛い陽光、適度な空腹感に、「やりきった……!」という感慨。 数日間こんな昼夜逆転生活を続けていたが、寝て起きたらまたバスケかスケボーでもしたい気分だ。一つ大業を成し終えた後は、いつもの趣味すらまた新鮮に感じられるものだ。 よろよろとベッドに潜り込んだ瞬間、玄関のチャイムが鳴る。徹夜明けでやっと潜り込んだベッドの感触ほど心地よいものはない。当然、再び起き上がる気になどなれず、むしろ鼻先まで布団を引き上げながら「トニー、出てくれよー」と、回らない舌で半ば呪文のように唱えながら目を閉じた。今にも夢の世界へ旅立てそうだ。きっと今夜はあんなふうにグレイトな夢が……。 誤解、嫉妬、すれ違い、運命のいたずらを経て深まる愛情。 「アメリカ」 ああほら、カナダが優しく自分を呼ぶのが聞こえれば、アメリカも少しだけ甘い声を返すのだ。 「アメリカ、そろそろ起きなよ」 今寝たばかりだって言うのに変なことを言う奴だな、そんなことより君もこっちへ来て一緒に寝たらいいのに。 伸ばした手は優しく握られて。 「アメリカ、起きなってば」 あれ、おかしいな。美しく愛を確かめ合うためのエンディングで、なんだってこんなに乱暴に肩を揺すられなければならないのだろうか。 浮遊していた意識を無理矢理に呼び戻されて、ふっと現実に返れば、呆れ顔の。 「あれ……夢か……」 夢で見るより美形じゃない気がするのはなぜだろう。これが日本の言う「二次元は最高ですよ!」というやつなのだろうか。 「何の夢見てるんだよ」 「なんだっていいじゃないか、もう寝かせてくれよ眠いんだよ……」 しつこく腕を引くカナダを振り払って布団にもぐる。 「こんないい天気の日に何言ってるんだよ、ひょっとして寝てないのかい?」 せっかくいい夢を見ていたのに、まったくいつもいつもこちらのタイミングを読まない奴だ。あんな夢は滅多に――何の夢を見ていたのだったか――。 思わずがばりと跳ね起きたアメリカに気分をよくしたらしく、カナダは家主の許可もなくカーテンを開け始めた。よく見れば似合いもしないアロハシャツなぞ着ている。道理で気分がよさそうに見えるわけだ。まったくバカ丸出しの観光客そのものではないか。 「どうしたの? おみやげ持ってきたのに、いくら電話しても出ないから直接来てみたんだけど」 「ああ、ちょっとゲームに夢中で気づかなか……っ、いやいやいや! 実はずっとええと……フランス! そう、フランスと旅行しててさ!」 なんてことだ、「ヒーローたるアメリカが、アメリカを愛してやまないカナダに嫉妬される」という作戦が、まだしっかりと計画も立たないうちから始動することになるなんて。 「……え、そんなこと一言も……」 咄嗟の作り話に、いくらトロいとはいえカナダも簡単には引っかからない。 「いやいやいや、カナダだってキューバに行くなんて一言も言ってなかったじゃないか!」 そういえばそうだった。なんだか思い出したら急に腹が立ってきた。 「そうだったっけ……あ、これおみやげ」 明らかにはぐらかしたな、と思われる声音でカナダは荷物を漁り始めた。そうして、妙な木彫りの置物やらチョコレートやらサングラスやら、まぁ、いかにカナダが旅行先で浮かれていたかを如実に示す物体ばかりが、所狭しとベッドの上に並べられたわけだった。 その中のどれを選ぶ過程にもアメリカは関与していない。そう思うと、もらって嬉しいものなど一つもなかった。 「あ、写真もあるんだよ、見るかい――」 「いい」 さっさとチョコレートの包装を剥がして腹いせに口いっぱい頬張ってやる。そういえば腹が減っていたのだった。 「ああ、アメリカもフランスさんと旅行行ったんだろ? どこに行ったの?」 カナダの質問は至極自然なものだったのだけれど、アメリカとしてはそこまで細かいところはまだ考えていなかったし、なんだかカナダが話の矛先を逸らそうとしているかのように思えてしまって、「どこだっていいだろそんなの」と投げやりに返そうとした。したのだが、口いっぱいに詰め込んだチョコレートに阻まれ、やむなく頓挫する。 もぐもぐと口の中のものを咀嚼するあいだに考える。あれ、なんだかどこかで見たことあるぞ、このシーン。 目がしぱしぱして、うまく焦点が合わない。そういえば、いったいぜんたいどうして――。 「ああーっ!」 「え、何っ」 思わず叫んでしまった。ばらばらと、いくつかの物品がベッドから転がり落ちる。 カナダ、それは嫉妬かい、嫉妬なのかい、と叫び出したい気持ちだけはどうにかこらえて、アメリカは気持ちを落ち着けるべく咳払いをした。すると何を思ったのか、カナダはペットボトルに入った水を差し出してくる。 喉が渇いていたのは事実だったので大人しくそれを流し込むが、こんなとき「主人公」はどういう行動を取るべきなのか、それですっかり忘れてしまった。 「ええと、ええと……」 トゥルーエンドに至る選択肢は何だったか、正直にすべてを打ち明けるのだったか、それとも相手を傷つけないように嘘をつくのだったか、話を逸らすのだったか、何も言わずにキスをするのだったか――。 参った、どれもぶっつけで上手くできる自信がまったくない。途方にくれて「えー」だの「あー」だの繰り返していると、カナダはさっさとベッドの上の品々を回収し出した。 「ああ、ごめん。それで眠かったんだよね? 時間も惜しんで観光したんだろ?」 「いや……」 「今度は二人で旅行に行こうよ。近いところで、ゆっくりさ」 乾き切っていた瞳に、一気に潤いが戻ってきたようだった。 ぱちぱちと瞬けば、にっこり笑った兄弟の顔。 嫉妬をされたという優越感も、ゲームの中の紆余曲折を経た真実の愛とも程遠い、いつもの寝室で、まったく何のドラマ性もなかったけれど、ぎゅううっと胸が絞られるような感じがした。 もう、なんだか、何もかもどうでもいい。 カナダがこうして隣にいるのだから。 「カナダー! 今日大事なアイスホッケーの試合があるんだって言ってたろ? ヒーローな俺が一緒に応援に行ってやっても……」 目立たない、温和、影が薄い、穏やか、とまぁ特徴を上げれば結局似たような言葉ばかりが並ぶ彼だから、休日など突然押しかけても在宅していることが圧倒的に多い。その日も例に漏れず、件の兄弟は在宅していた。ただしいつものようにくつろいだ様子でソファに腰かけているのではなく、まさに出かけようとしていた、という出で立ちで。 「あ、ごめん……こないだのお礼にってキューバを招待し……」 極めつけにもう行かなきゃ、と腕時計にちらり目を落とした彼は、来る時は前もって連絡してよね、なんて他人行儀なことを言いながら、アメリカの脇を風のようにすり抜けていった。 「こんなのってないよー! にほーん!」 「えっ? に、日本が何?」 アメリカが再びゲームに没頭するのは二時間後のことである。 (2009/10/2)
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