表紙


はじまるよ!!





「ちょ、暑いってば、アメリカ……くっつかないでくれよ!」
 僕は耐え切れず、ついに兄弟を乱暴に振り払った。アメリカのことだから、どうせまた僕に気付かなかったとかなんとかふざけたことを言って僕を背もたれ代わりにしていたに決まっているのだ。
「だって君のほうが体温低そうじゃないか」
「外気には敵わないよ!」
 僕はイライラを最高潮に叩きつけて腰かけていたベッドから立ち上がる。
 地球温暖化だか何だか知らないが暑くてかなわない。ふて寝を決め込んでいたところに突然「うちの空調がアウトオブオーダーなんだぞ!」とやかましく踏み込んできた闖入者、それが今僕のベッドの上で伸びている兄弟なのだった。
「どこ行くんだい」
 仰向けになった彼は、目線だけ動かして僕を捉える。ただでさえ汗ででろでろだっていうのに、その上絡みつくようなこの視線! 一気に体温が上がった気がした。こんな時ばっかり僕のこと認識してくれなくていいのにさ!
 つ、と一筋背中を伝う生温い汗。あぁ、僕汗臭い。
 空調は一応動いてはいるものの、不調な上にエコ仕様だった。残念すぎる。アメリカのアテも大外れだ。そう思うとざまぁみろだけど。
「アイス作るんだよ」
 とにかくまとわりつく視線を振り切りたくて、口早に告げてしまってから、はたと気付く。
 時、既に遅し。アメリカは、嫌な予感をたっぷり漂わせて笑っていた。
「暑いってば抱きつかないで! 何コレ瞬間移動ッ?」
「さすがカナダ!」
 アメリカは僕の首にしがみついたまま、歓びを全身で表現しようというのか、ジャンプを繰り返す。ちょ、苦しい、何これ、何で僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ?
 卵を四個に牛乳、生クリームを一カップ。砂糖を百グラム。バニラエッセンスを三十ミリリットル。
 そしてたっぷりの氷と岩塩。あとは根気と愛。それで、ほっぺがとろけ落ちるようなアイスクリームの出来上がり。メイプルをかければ気分は最高! 幸せを呼ぶレシピ。
 けれどそれは決してこんな、メタボメタボと揶揄されて久しいスーパーサイズの兄弟にべったり貼りつかれて背中じゅう汗だくになりながら従事すべき作業ではないはずだ。
「ちょっと! 見てるなら代わってくれよ!」
 アイスクリームメイカーって知ってる? まぁ一見してレタスの水切り器みたいな、上に取っ手がついてて、アイスクリームを冷やしながらぐるぐるかき混ぜられるようになってるんだ。アイスクリームを美味しく作るコツ。それは絶えず混ぜ続けること。そう、休みなく!
「やだよ、それすごく腕疲れるじゃないか」
 ほほえましい兄弟姉妹なら、一人ずつ交代で混ぜればこんなのちっとも苦じゃないんだ。だってできるのは甘くてひんやり、幸せの卵たっぷりバニラアイスクリーム。だけど、ほとんどアメリカの胃袋に入ることがわかりきっているこの状況で、三、四十分僕に孤独な戦いを耐え抜けというのは酷に過ぎる。
 僕はそれでも手を止めなかった。何度も言うけど、アイスクリームを美味しく作るコツは……。
 あー冷たいんだぞー、なんてふざけてアイスクリームメイカーの表面に熱を広げていく大きなてのひらの妨害にも負けず、僕は混ぜた。混ぜに混ぜた。
「あーあ、水滴で手が濡れちゃったぞー」
 ぺちょ、とその手が僕の頬を叩く。僕の我慢も限界だった。
「あのねぇ!」
 振り返った先からアメリカはもうするりと逃げ出して、ようやく解放された僕の背中に、風が爽やかだ。
「もういいんじゃないかい?」
「あ、えー、うん」
 確かに時計を見れば四十分が経過している。僕の手ごたえ的にはもう少しだったんだけど、アメリカはもう待ち切れないらしい。顔を見ればわかる。僕は思わず噴き出してしまった。
 アイスクリームメイカーをさかさまにして、特大のサラダボウルに盛る。両端から争うように食べるのが、僕らの流儀だった。
「僕がメイプル取ってくるまで手をつけるなよ」
 釘を差すと、小憎らしく肩を竦めてみせる兄弟。
「スプーンがないのにどうやって手をつけろって言うんだい」
「自分で取りなよ」
 僕がキッチンの戸棚からお気に入りのメイプルの瓶を取り出したところへ、「うまい!」なんて声が聞こえてきた。
 戻れば、生クリームでもあるまいに、指を突っ込んでつまみ食いしたらしい。呆れたを通り越して、僕は何とも言えない気持ちになった。
 リビングの端で暑さに伸びていたクマ吉さんと、目が合う。
 思考を読まれた気分になって、僕は目を逸らした。
「やっぱりカナダのアイスは世界一だな!」
 僕がスプーンを手渡すと、アメリカは悪びれた様子もなく、指についたアイスクリームを舐め取って笑う。
「ほら」
 せっかくアメリカが存分にアイスをえぐり取れるように渡してあげた大きなスプーンなのに、そんな風に突き出したりしたら、ああ、垂れちゃうよ。
「そういえば僕、味見もしてないんじゃないか」
「だから今させてあげてるんだろう。ほら、あーん」
 クマ吉さんのいると思しき方向を見ることができない。こんなこと考えてるの、きっと僕ばっかりなんだろうな。
 この兄弟は、いつまでも純粋なままだ。きれいなまま、怖いくらいに。
 アイスは最高の出来だった。口の中がひんやりして、額に浮かぶ汗がなんだか馬鹿みたいだ。
 なのに、なんだかほろ苦い気がするのはどうしてだろう。
 アメリカが気まぐれな優しさを見せたのは最初だけで、そのあとはいつものように早い者勝ちの世界だった。僕が二口も食べた頃には、アイスはもう半分になっていて、僕は別の意味でほろ苦さを噛み締めていた。
 ああもう、どうしてこんな、夏の日に!
 こんな日に壊れなくたっていいじゃないか、なぁ、アメリカ邸空調よ!
「あ……」
 べっちゃり。
 まさにそんな表現がふさわしい。マヌケな声に僕が顔を上げると、アメリカの着ていたやたら大きな黄色のTシャツは、アイスにまみれていた。
「どうしてそうなるんだい?」
「どうしてだろうな」
 意に介さずそのままアイスを口に運ぶ作業を続行しようとしていたアメリカを無理矢理立たせて、シャワールームに連行した。
「アイスが溶けちゃうじゃないか!」
「家が汚れるじゃないか!」
 子供にするようにバンザイをさせて、Tシャツを引き抜く。シャワーの温度を調節してやろうと、水のかからない場所へよけると、アメリカは何か思いついたような顔をしていた。猛烈に嫌な予感しかしない。
「熱いお湯はいやなんだぞ。せっかくだし、君も水浴びしたらどうだい? 君、だいぶ汗臭……」
「失礼だな! 君がべたべたしてくるからだよ!」
 僕の憤慨をさらりと聞き流して、アメリカは一人で話を進めている。
「そうだ、庭にビニールプールを出そうよ。俺の水着、君の家にもあったよな?」
「あぁ、あの趣味の悪いやつね」
「星条旗だぞ、かっこいいじゃないか。君んとこの枯れかけの芝にも、ちょうどスプリンクラー代わりになっていいだろう」
「どうだかなぁ……」
 いかにもアメリカらしい提案だと思ったが、僕もいい加減、汗まみれなのは理解している。汗疹になりやすい薄い皮膚は、もはや痒いを通り越して痛い。
 僕らは食べかけのアイスも放置して、久々に子供じみた計画にはしゃいだ。冷たい水をかけ合えば、照りつける太陽だって心地よく感じられるものだ。
 水滴だらけになった眼鏡が邪魔だと放り出すと、まるで本当に幼い頃に戻ったかのよう。久々に直に見る世界は眩しく、少し目に痛かった。中でも突き抜けるような青空をそのまま映してきたかのような瞳と、黄金色に揺れる稲穂のような金髪。羨ましくなるほど逞しい肉付きをしているのに、血管が透けそうな白い肌。
 そのまま僕らは、指の先の皮がふやけるまで、太陽が西に傾くまで、最新式の水鉄砲だの、役に立たない浮き輪だのを引っ張り出しては馬鹿みたいにはしゃいだ。僕にはあっという間の夏の日だった。
 ご飯の支度をしなくちゃ――僕の一声で、アメリカも大人しく散らかした庭を片づけにかかる。
「……っくしゅ!」
 あれほど強い光と熱を放っていた太陽も、今は青息吐息。吹き渡る風もいつの間にか、肌寒いほど。
 アメリカの典型的なクシャミに、ブレスユーと返そうとして、僕もまた言葉を奪われた。
「くしゅん!」
 見合わせた顔は、日に焼けて真っ赤だ。
「あー……」
「なんだか……」
 アメリカはしっとり水に濡れた頭を掻いた。
「夏風邪は馬鹿がひくもの、ってなんか、わかる気がするな」
「うん、そうだね」
 馬鹿だったね、僕たち。
 一人ならこんな無茶は絶対にしないんだけどなぁ。
 どうしてアメリカといると、こんなにはしゃいでしまうんだろう。
 けれど、とても、楽しい。暑い夏も、寒い冬も。


 二人で争うように温かいシャワーを浴びて、それでまた汗をかいて、空調の前を奪い合う。薄着のままリビングで語らううちに、タオル一枚を共に、二人して寝入ってしまっていて。
 翌朝には、二人揃って完全に風邪を引いていた。















夏コミ無料配布本でした。
もらってくださった方、ありがとうございました!


(2009/8/16)



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