大草原の、小さな


 おなじかおした あいつがにくい。


 初めて会った時は何とも思わなかったんだ。
 空と海と森の真ん中で、俺は生まれた。
 兎や狐に囲まれて、のんびり過ごした。やがて遠くでいつもざわざわ妙な鳴き声を発して群れで行動する長身の生き物が、みるみるうちに木を倒し地を均し、家を建て道を作り馬を駆り、生活を始めるのを眺めるようになった。少しずつ自分のことがわかるようになって、彼らこそが、自分の礎なのだと知った。
 その移民団の親玉的存在であるらしい国々が――そして彼らはまさに俺と同族だった――俺の生まれたこの大地のあちこちに自らのテリトリーを持つ別個の集団であることも薄々わかってきた。動物だって、なわばりを巡って争う。やがてこの大地は激動の時代を迎えるだろう。
 膝を抱えて寂しそうに泣いていたイギリスの傍で、海の向こうの色々な世界の話を聞くことが多くなった。いつの間にか彼はすっかり、俺を彼の移民団の一員と決めつけていた。彼らが海からもたらす品物はいつも素晴らしかったので、俺は別にそれで構わなかった。俺は彼らと一続きの、文明の一部なのだと思えた。体こそ、この拓かれるべき無限の大陸に置いてはいても。
 俺を「弟」と呼んだイギリスはいつも優しかった。
 そのイギリスが突拍子もなくあいつを連れてきたとき、俺は何とも思わなかった。
 同じ年頃の子供に出会うことは少なかったから、少し興味深くはあった。けれどそれだけのこと。自分の顔なんてまじまじ見つめたこともない俺は、奴の言ってる「き、君、僕と同じ顔だぁ」の意味もわからなかったし、そもそも彼の話す耳慣れない言葉に、まったく親近感を覚えることができなかった。
 のちに彼の話した言葉は、たまにこの辺りに顔を出してはイギリスの機嫌を逆撫でしていくフランスとかいう国と同じものだったのだと知る。
 イギリスは言った。
「今はあの腐れワインのとこにいるが、お前の兄弟だ。絶対に一緒に暮らせるようにしてやるからな。この俺と、国王陛下の名のもとに」
 正直、俺にはどうでもいい話だった。
 兄弟? 兄弟ならイギリスがいる。
 俺は毎日、誰も行ったことのない場所へ出かけて、新しい川や滝や湖、それから家を建てるのによさそうな平地を発見するのが楽しみで、そんなことにしか興味がなかった。この大地にどんどん、いまや俺の家族ともいえるあの移民団のような人々が根付いていくのだ。いくつも家が、教会が、学校が建てられて、街ができて。きっととても楽しい。俺たちが一から作った俺たちの街さ。手作りの、あたたかい。
 そうすればもっと遠くへ行けるようになる。どこまでも、探検は続く。
 俺にとってそのイメージは永遠だった。生まれたときから体に染みついた本能のようなものだったのかもしれない。
 北にいる「兄弟」とかいうものかもしれない奴のことなんて、どうでもよかったし、はっきり言えば邪魔でもあった。イギリスは俺に力をくれる。だがその「兄弟」は俺に何をくれるっていうんだ?
 だがある日、湖のほとりでうっかり俺たちは再会してしまったのだった。
 俺は特に気にしなかったのだけれど、出会ったときと同じように白い熊をまるで人形か何かのように抱き抱えながらよちよちとこちらへ向かってきたあいつは、「ぼ、ぼんじゅー?」とへらり笑ったのだ。
 挨拶の言葉なのだとはわかったが、俺の耳に馴染んだ挨拶ではなかったので、どう返せばよいのかわからなかったし、ちょっとだけ、その気取った喋り方が気に食わなかった。
「き、君、ヌーヴェルアングルテールだろ? いつもフランスさんが言ってる。ねぇねぇ、どうして僕と同じ顔なの?」
 構わず歩き続けた俺の後ろを、しつこくついてきてどうでもいいことばかり。しかもすべて、耳慣れない気取った言葉で話すのだ。
「その熊は何?」
 俺は勢いよく振り返った。奴は数歩遅れて立ち止まり、少しびっくりしたように、件の熊の腹に回した腕の力をぎゅっと強める。
「え、え……ともだち」
「俺にもともだちがいるけど、そんな風にいつも一緒じゃないぞ! みんな森に住んでる」
 兎や小鳥や。そんな風に始終抱えて歩くなんておかしい。
「え、え……」
 奴は戸惑ったように眉尻を下げ、隠れるようにその白い毛皮に顔を埋めた。
 答えがないようなので、俺はまた歩き始めた。今日はこの湖のほとりを、心行くまで歩いてやろうと決めていたのだ。
「ま、待ってよ」
 太陽が南中して小一時間経とうかという午後のひととき。爽やかな風が木々を揺らす。ざくざく下草を掻き分けて、俺は進んだ。
「ねぇ、ヌーヴェルアングルテール、どこに行くの?」
「どこだっていいだろう」
「あんまり遠くに言っちゃいけないって、フランスさんが」
「じゃあ君は帰れよ」
 本当にイライラするなぁ、と思った。それでも開拓移民のはしくれか。
 それきり後ろには関心を払わずに、いつものように自分のペースで歩き続けた。湖水に映る大きな雲。こんな小さな体でダイブしたらまず助からないだろう。
 花を摘み歌を歌い、誰も踏み入れたことのない世界を見る幸せ。
 草で掻き切れた手足はいつも痒かったけれど、そんなのは気にしない。だって俺はこの広い世界をひとりじめにしてる。
 歩いた先から、俺の国だ。
 清い空気を胸一杯に吸い込んで、小さな体でずんずん歩いていると、遥か後方から、はひはひ言う弱音が聞こえてきた。
「お……重いよぉ、クマ二郎さん」
「シッカリシロ、ぬーべるふらんす」
 なんだ、しっかりまだついてきていたらしい。
 今にも座り込みそうなへろへろした足取り。額に浮いた汗は、傾きかけた太陽の光を反射して。
 あんなにふわふわした毛並みなのに、今にも地面に付きそうなその様は、麻袋何個分の小麦粉の重さに匹敵するというのだろう。
「……俺もその熊と友達になりたいんだぞ」
 ふと思いついた素晴らしい提案。俺は森にいる動物たちとはみんなともだちだし、きっとあの真っ白できれいな小熊も、奴なんかより俺と一緒にいた方が楽しいに決まってる。
「だめ」
「ダメ」
 何も揃って言うことはないと思う。
 こういう喋り方する奴って、みんなこんな風に嫌味なのかな!
 俺は構わず歩き続けた。
 もう湖を半周する頃だろうか。それともまだまだかな。
 後ろの奴は、ぐずぐず言いながらそれでもまだ一定距離を保ってついてきている。ちらと振り返れば、いつの間にやら小熊は自分の4本の足で歩き、時折奴の服の裾すら引っ張ってやっていた。
「もう暗いよぉ……フランスさん……ここどこぉ……」
 みるみるうちに気温は下がり、茜色に燃えた太陽も姿を消す。群青色に染まった空には一番星。ざあああ、と木々を揺らす風は、まるで俺たちを食べちゃうぞ、って言ってるみたい。
 今日はそろそろこの辺りで寝ることにしよう。もう歩き回るにはずいぶん暗い。星の数もいつの間にか一つ、二つ、三つ……。動物たちに訊けば、夜露をしのげる、いい木のうろを教えてくれるかもしれない。
 俺がどんどんと深まる闇に追い立てられるようにして、木々の影に目を凝らしていると、後ろの子供が、それまで蚊の鳴くような頼りない声で泣きごとを繰り返していたとはとても思えないような大声を上げた。
「あっ! こ、ここ知ってる!」
 とてとてと、クマなんたらを置いて小さな体が急に走り出す。
 きらきらきら。頭上には満天の星空。ああやって瞬くのは星が囁き合っている証拠。だから寂しくなんかない。そういつもイギリスは教えてくれた。
 寂しくなんかない。
「ここ僕ん家の近くなんだ! 大きな木と、小川があって……」
 はしゃぐ姿は先程までのぐずっていた様子とは打って変わってやかましいくらいだった。
 自分の築いた街を誇って、周りに広がるちょっとした荒野や森の地形なら知り尽くしていて――まるで俺のように。
「寝るんだったら、星を見るのにいい、ちょっと開けたところがあるんだ! 僕が案内してあげる」
 どこにそんな脚力が残っていたのやら、跳ぶように駆けていく。俺はほんの少し胸の片隅に湧いていた心細さが、一瞬で霧散するのをひしひし感じていた。いくら始めから野宿のつもりだって、慣れてるといったって、やっぱり寒くなって暗くなって、知らない場所にいりゃ、そりゃ怖い。でも。
 ああ、こいつは俺と「同じ」なんだなぁ。
 イギリスと俺は違う。けれどこいつは「同じ」なんだ。
 大地を吹き渡る風と、木の匂いも新しい家々と、力強い蹄が踏みしめる柔らかな新天地とに囲まれて、ひとりぼっちで星空を見上げる。時には夢を見ながら、時には心細さと不安に押しつぶされそうになりながら。
 一人じゃないんだ。
 寂しくなんかない。
 こいつも、一緒だ。
 なぜだか俺は急に目頭が熱くなるのを感じて、ぎゅっと、俺と同じサイズの手を握った。相手は話に夢中で気づかない。
 どちらが守るも守られるもない。だってこんなにも瓜二つなてのひら。俺たちは「同じ」なんだ。唐突に理解した。
 これが、イギリスの言っていた「兄弟」の意味なのだろう。
 初めてイギリスに頭を撫でられた時のように、胸が熱かった。
 こいつを好きになれるかはわからないし、ひょっとしたらどちらかは自然の厳しさに耐え切れずさっさと死んでしまうのかもしれないし、俺たちはこれから離れ離れになるのかもしれない。
 けれど今だけは、同じ気持ちで同じ大地に立ち同じ星空を見上げている同じ背丈の「国」が、確かにここにいると分かったから。なんだか、大分心強い気がした。
 俺、寂しくても頑張れるよ、イギリス。
 いつだって胸の半分以上を覆っている、いつもは隠しているはずの不安。その一つが今、ぽっと音を立てて消えた気がした。















 カナダがメリカにとって大切な存在になるまでをえがきたかったのですが、こんなに色々調べなきゃいけないなんて思いませんでした…その割に調べきれてませんが…

 とりあえず試験的に「最初に二人が出会ったのは17世紀前半、イギリスはなんか色々うまいこと言ってフランスから一時的にカナダをパクってきた」「二人は英仏植民地戦争が終わるまで4〜5歳児」「カナダの影が薄くなるのはイギリスのものになってから」という設定を取り入れてみることにしました。これでどこまでいけるだろう…どきどき…

 あ、あとメリカとクマ二郎さんは仲が悪く、カナとトニーが仲悪いっていう勝手な設定があります(笑 / O姐さんその節は楽しかったですね…!)。


(2009/8/5)



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