in fact, not the same at all




 現在では全米第二位の人口と面積を誇る、メキシコと境を接した広大な州テキサスは、1845年12月、合衆国の28番目の州として迎え入れられた。その古き名を、テキサス共和国という。
 元はメキシコの領土であったそこで、アメリカ人入植者が独立を画策したのが1835年。当時スペインより独立したばかりのメキシコ政府の中央集権化を嫌い、アメリカ人入植者とスペイン領下時代からの地元民が立ち上がった。
 折しも米英戦争を終えたばかりの米国では、新たに工業発展を目指す北部と、代々続く奴隷制によるプランテーションを守りたい南部との対立が、徐々に浮き彫りになっていた。
 綿花輸入をアメリカ南部諸州に頼るイギリス、奴隷制廃止へ向かう世界の潮流、複雑な思惑が絡み合って、新興国家アメリカを翻弄してゆく。
 この頃アメリカは、苦しみもがきながらも確実に、超大国へと脱皮するための岐路を歩もうとしていた。


「併合を断ったんだって?」
 つい三十年ほど前には、戦場で相見えた兄弟分は、いまだ警戒を解かない曖昧な笑顔を浮かべながらも、何か含みでもあるのだろうか、温和な光をたたえた瞳は真実、笑っていない。
 彼が隣にいる限り、いつもイギリスに監視されている、そんな気がしてこちらも気分がよくない。
 ただそう感じているだけなのはもっと気分がよくないから、俺はよくこうして、自分からカナダの家に遊びに来ていた。
「テキサスは奴隷制への賛成派が大多数だ。南北の均衡が崩れる。それに、財政もよくないし。負債だらけの土地なんて」
 アメリカ出身の入植者が多数で作り上げた新興国家だ。もちろん庇護してやりたい気持ちはある。だが、国内情勢はそんな情の介入を許さなかった。
「揺らいでるね」
 それはまるで「独立なんてするから」と責める口調のように聞こえた。
 アメリカは、これに返事をしなかった。
「だいいち、君は乱暴なんだよ。せっかくイギリスさんから与えられた土地なんだから、大人しく収まっていればいいものを。どんどんどんどん、膨張していこうとする。入植、また入植だ」
「『与えられた』? 冗談じゃない。勝ち取ったんだ」
 君たちとは違うんだよ。
 我慢できずに、最も侮辱的な調子で吐き捨てたのに、カナダは笑みを崩さないままだった。
「そうだね。違うね」
 普段はぼんやりとそこにいるくせに、たまにこの男は、真っ直ぐ伸びた芯の強さを、クリムゾンの血の熱さを、はっとするほどに気づかせる。
「君は、イギリスの手足となって、彼の思うがままに生きて、……何が楽しいんだい?」
 彼は何の疑問も抱かない。アメリカが我慢がならず、耐えきれなかったものに、ただ従っている。それはある種の才能であり能力であると、アメリカはいつしか思うようになった。
「秩序が。平穏が。伝統が」
 ぽんぽんぽん、と淀みなく言ってみせた兄弟に、アメリカは顔をしかめた。やはり彼が何を考えているのか、理解はできそうになかった。きっとイギリスと自分が、妥協し合えなかったように。
 だめだ。彼らとはきっと、根本的な脳の作りが違うのだ。
「顔は同じなのにな」
 ぽつりと言うと、カナダはまるで、面白いことを思いついた子供のような顔になった。
「テキサスを迎えればいいよ、アメリカ。君はどんどん、大きくなっていくべきだ。北に来ない分には大歓迎だ」
 先ほどと百八十度真逆の提案に、アメリカはため息をつく。カナダが何を考えているのか、アメリカにはさっぱり分からなかった。軽蔑か、呆れか、それとも他の何かか――。
「……それは、君の言い分かい? それとも『上』の?」
「君が動かなければ、イギリスさんが代わりに動くだろうさ。つまり君は、南北に敵を作ることになるってわけだ。北は僕、南はテキサス」
「なんだいそれ。どちらにせよあの人の思う壺じゃないか。――じゃあ、しないよ。できるなら内戦は回避したいからね」
 まるで駄々を捏ねる子供のようだ。思ったが、今ここにはイギリスはいないのだから、構いはしない。こんなアメリカを見ているのは、幼い頃より見知ったカナダのみだ。
「……あの人は見切りをつけようとしてるんだよアメリカ、古き良き時代を、ふっ切ろうとしてる。もう立ち直ったんだ。冷静で頭のいい人だね。君もいつまでも子供みたいに拘泥してないで、少しはその意を汲んだら? 狡猾に冷徹に、駆け引きをしよう。それが外交というものだ――」
 イギリスの手下の癖に、今のカナダはまるで、二国の間で巧妙に立ち回る、戯曲の中の間者のようだった。
「君は、……どっちの味方なんだい?」
「もちろん、僕はいつも女王陛下の味方さ」
 立場上、そう言わねばならないカナダは迷わず即答した。事実心の底から、そう思っていることだろう。
「でも、何か企んでるね」
 カナダには野心がないのだろうと思っていた。国として当然の要求や主張はあっても、決して遠く離れた宗主国を切り捨てアメリカを呑み込んだりはしない――そんな無条件の、極めて一方的な信頼を抱かせるほどに。となれば所詮、イギリスの手を経て動く傀儡。どんなに近くにいても、決して恐ろしくはない。
 だがカナダは時折、イギリスのものではない意志を覗かせて、アメリカを不安にさせることがある。不安の正体が何なのかは、いつも分からないままだったけれど。
 自分が震えているのだと分かったのは、カナダがそっと、宥めるようにアメリカの二の腕のあたりを擦ったからだった。
「些少なことさ。国同士の利益にはおよそ、関係がない。僕個人の小さな望み。ささやかな夢」
 カナダが夢を見るとき、その瞳は常に広大な北米大陸の自然に向けられ、遠くを見つめている。だが今回ばかりは、アメリカを真っ直ぐに見て微笑んだので、アメリカは若干の違和感を覚えた。
「夢見がちだな、君は昔から」
 しかし「夢」と断言したカナダのセリフに、ようやくアメリカは、正体不明の震えから解放され、少しだけ安堵した。カナダの見る夢は嫌いではなかった。きっとアメリカが最初に心に抱いた夢に、それは恐ろしく近い。
「うん。君もそうだろう? 僕は知ってるよ。僕たちは似てる」
 カナダがそれを知り、共有してくれていることに、じわりと心が満たされる。永遠に失わない少年時代。その確固たるリマインダー。気心知れた兄弟。もはや故郷を失った自分の、最後の楽園。
 アメリカがカナダを求めるのは、対イギリスの防衛戦略だけが理由ではないような、気がした。
 そのことにいつも迷惑そうな顔をしていたカナダが、なぜだか今日は、同じように満たされた顔をしていてくれた。
「……ずっと、考えてたことがあるんだ。君のその綺麗な瞳で直視するには、あまりに世界は大きすぎるって。ほんとは……イギリスさんが、君の顔を見るたび、胸にせり上がるもので泣きたくなるって言ってた頃から、考えてたんだけど」
 カナダが何を言わんとしているのか分からない。戸惑う俺を、まっすぐなカナダの視線が刺す。
「君はイギリスさんから独立した。今も国は揺らいで、これから大変なことがいっぱいあるだろう。でも決して昔の君には戻れない。辛くてもね」
 カナダはやがて、大事そうに、衣装箪笥を開けた。中から取り出したのは、手のひらに収まるくらいの細長い箱が二つ。
「君に限ってそんなことはないだろうけど、決意や勇気が折れたらいけないよ。君はしゃんと立って、上だけを見据えていなければ」
 カナダがそれをテーブルに置いてみせるのを俺はただ眺めて、続きを促した。
 早く中身が見たくてうずうずしてしまう俺は、きっともう、カナダのてのひらの上だ。
「勇気の拠り所をあげる。もう昔には戻らないと、これに誓って」
 眼鏡だった。重苦しく伸びたフレームが光る様を、俺はきょとんと見つめていた。
 目は悪くない。「知的なイメージ」とやらも、俺には不要だろう。
「これは……」
「イギリスさんもね、やっぱり踏ん切りをつけるとは言っても、君の顔を見るたびに動揺しちゃうところはあるんだよ。だからこれは、家族たる僕からの優しさでもある。君たち二人への」
 ああ、と思った。
 これで幼き日の面影を完全に殺せと、彼は言っているのだ。
 それまで自分の中にあったどこか甘えた気持ちを見透かされた気になって、俺はカッと顔が熱くなるのを感じた。
「僕もかけるよ。それで寂しくないだろう? 二人で、生きていこう。――そういう意味だろう? あれは」
 イギリスらヨーロッパ諸国を牽制した23年のモンロー宣言。確かに、あわよくばカナダを合衆国に組み込み、永遠にイギリスの残像から逃れたいという願望が、まったくなかったとは言わない。
 だが、カナダがそれをどう受け取ったか、について、俺は今まで、呆れるほどに思いを巡らせたことがなかった。
 アメリカの手に、ひやりとした眼鏡を握らせて、カナダは祈るようにその手に口づけた。びくり、と指先が震える。
「君は独立して歩いて行くんだ。寂しくても、辛くても。振り返らずに変わっていくんだ。僕の兄弟、僕のアメリカ」
「カナ……」
「テキサスを併合するといい」
 言いながら、カナダはもう一つの箱を開け、ためらいもなく眼鏡をかけた。
 眼鏡をかけてもその顔は、なんら変わりがないように見えた。
 意味がない。こんなのは。
 ただのまやかしだ。
 こんなので誤魔化されるようなら、イギリスも相当耄碌している。
「カナダ」
「バカだと思っただろ。でも違うんだよ、意外とね。かけてみると分かるよ」
 カナダは俺の傍まで歩み寄ると、強張っていた指を強引に開かせて、出てきた眼鏡を、俺にかけさせた。

 ぐらり。

 度が入っているわけではないのだろうが、目にほどなく近い鼻梁に負荷がかかるためだろうか、きゅううと目の奥の神経を抓まれたような、言いようのない苦しさを感じる。
 耐えきれなくなって眼鏡を外し、ごしごしと目を擦ると、「アメリカは仕方ないなぁ」と笑われた。
 顔中の血が眼球に集まっている気がする。
 衝撃で、瞬きの度に涙が零れた。
「併合しなよ。あんなところに小国があっても仕方がない。あそこはもう、君のものだ」
 繰り返したカナダに、目を押さえたまま、小さく首を振る。
「言ってるだろ、均衡が崩れる」
「それを乗り越えて、慣れるんだよ――君は」
「慣れるまでの間に、イギリスにつけ込まれたら?」
「君は強いよ。それに、『正義』の傍にいる。大義があればね、イギリスさんも無体はできないものさ。時代は変わったんだ」
 ぽろぽろぽろぽろ、零れ続ける涙が止まらない。
 何よりも嬉しいはずの言葉をもらって、なぜこんなにも不安なのだろう。
 彼の声が、まるでイギリスからのもののように聞こえるから。――無論、カナダは意図してそう喋っているのだ、アメリカには分かる。
 もう戻れない。ただ拡大し、強くなることを、力を、求めていく。それは望んだことであったし、必然でもあった。
 けれど時には怖くなる。足が竦んで動けなくなる。何も考えず自然を見つめ「夢」と言ってみせた時代が恋しくなる。
 無意識にカナダの服の裾を掴むと、その手を握られた。
「僕とおそろいだよアメリカ。一緒にいるよ。何も怖くない」
 ガラス越しに見た兄弟の目は、まるで、まったく見知らぬ大人の男のそれだった。















 アメリカのメガネにまつわる妄想。カナダが激しく偽物だ……orz
 アメリカ大好きすぎて黒いカナダが見たかったんです。イギリスに忠誠を誓ってるフリをして(いや信念の部分ではちゃんと心から共感してるんだけど)、「アメリカは僕のだ」という小細工とかそういうことは、お隣の強みを生かして、イギリスには内緒でちょこちょこ進めていくんです。
 うわー、そんなマシューってありえないよ……

「これ、かけるといいよ、僕もかけるからさ!」と妄想の端緒で共に盛り上がり、素敵な時間を提供してくださったのみならず、書いてもいいとおっしゃって下さった御影白夜さまに捧げますv 予想外にマシュー黒くなりました! ごめんなさい……!


(2008/7/5)



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