スキを見て教室に戻り、鞄を回収したら、今日はもう帰ってしまおうと思った。 たぶんカナダはまだ俺のことを捜しているだろうから、教室にはいないはずだ――捜してなかったら今度こそ、二度と独立国名乗れないようにしてやる。 ふつふつ沸き上がる怒りを持て余して角を曲がると、ちょうどそこに、蹴りたい背中が見えた。どうやら誰かと話し込んでいるようだった。 「そうか……ありがとう」 「何なら他の奴にも訊いてみるんだぜ?」 「本当かい?」 話相手は、どこかで見たことのあるアジア人だった。 足では俺に敵わないと自覚があるのだろうカナダは、片っ端から人に訊いて回るという作戦に出たようだった。こんなことなら休み時間に突入する前に帰ってしまうべきだった。あまりに頭に血が上りすぎると、しばらく走ってそのエネルギーが発散されるまでは、冷静な思索ができないものらしい。 超大国の俺は、知名度が高い。国際社会への露出も多いがゆえに、どこにいても目立つのだ。 「おーい、日本ー、お前アメリカさん見なかったんだぜ?」 「昼休みには拝見しましたが……ええと」 要請を受けて、ひょこりと教室から顔を出したのは日本だった。ここはアジアクラスの教室であったらしい。 日本はカナダを見ると、一瞬言い淀んだ。俺にはその動作が何を意味するものなのかさっぱりわからなかったけれど、カナダは慣れた様子で「カナダです」と意味もなく自己紹介をする。それで日本も外交用の笑顔になったから、それは何か必要な儀式だったのだろう。 カナダが彼らと話し込んでいるうちに帰ろう、と踵を返しかけたところで、日本が余計なことまでしゃべり始めたことに俺は気がついて、思わず足を止める。 「アメリカさんを捜しておられるのですか? あらかたお腹を壊して保健室にでもいらっしゃるんじゃないでしょうかねぇ……昼もこーんな大きなケーキを一人で召し上がってましたから」 「ケーキ?」 「誕生日は明後日なんだぜ!」 「ええ、私もそう思ってお尋ねしたのですが、『別に何もないよ』ってすごく機嫌が悪い様子で……ヤケ食いみたいに見えましたけど」 それを聞いてカナダは黙ってしまう。 くそ、なんで日本もそんなこと言うんだ。これじゃ俺がすごく楽しみにしてたみたいじゃないか! 「すごいケーキでしたよ、相変わらずその……食べ物通り越してプラスチックのおもちゃみたいにデザイン性が高いというか……真っ赤な、あの形はメイプルリーフっていうんですかねぇ」 「え……」 いたたまれなくなって俺は駆け出した。 慌てすぎていたせいで、盛大な足音を立ててしまったけれど、俺にはそれどころじゃなかった。 くそ、くそ。すごく格好悪い――別にあいつが見たら喜びそうなケーキだなと思って買った訳じゃない。ただびっくりするかなと思って――。 がっ、とものすごい力で腕を引っ張られ、俺は前につんのめりそうになる。 ようやく体勢を立て直して振り返る。なんなんだ一体。 はぁ、はぁ、と肩が揺れている。すごく苦しそうに歪んだ顔。 俺は、カナダがこんなに速く走ったところを、実に二百年ぶりくらいに見た。 「……やればできるじゃないか」 呆れ半分、感心半分で呟いた俺に、なぜかカナダの方が怒鳴り出した。 「君ねぇ! なんで怒ってるのかちゃんと言いなよ! わかるわけないだろ毎回毎回気紛れな君の行動なんか! 僕が日本くんに聞かなかったら、君そうやってずっと一人でむくれてたのかい! 子供じゃないんだからさ!」 な……。 俺は思わずあんぐりと口を開けてしまった。なんで俺が怒鳴られなきゃいけないんだ。盗人猛々しいとはまさにこのことだ。 「は……はぁっ? こんな大事な日に寝坊するような神経の持ち主に言われたくないぞ! 君から言い出したくせに――」 言ってしまってから、俺は失言に気がついた。だが一度言ってしまったものは、なかったことにはできない。 「『大事な日』……。ご、ごめんね、僕、君はどうせまたバカにしてるんだろうって、真ん中バースデーなんて……でも、そんなに楽しみにしてくれてたんだね」 「べ、別に俺は、約束を破る奴は大っ嫌いだって、そういう話をしてるんだ!」 「うん、ごめんね。もう二度としないよ」 ごめんねと言う割に、カナダの顔は笑っている。ムカつくことこの上なかった。こいつの「二度としない」ほどアテにならないものはない。ましてやそれが寝坊なら尚更だ。 「これ、プレゼント。あと、寝坊して作ってこれなかったホットケーキ、帰ったら一緒に食べよう」 差し出された包みを思わず受け取る。 「……ケーキはもういいよ」 正直、まだ胸がムカムカしていた。カナダはやはり笑って、「でも、僕はまだ食べてないよ」と言うから、「じゃあ一人で食べればいい。見てるくらいはしてあげるぞ」と優しくも提案してやった。たぶん、見てたら俺も食べちゃうんだろうなぁとは思いつつ。 だって、極上のメープルシロップにバニラアイスを添えたカナダのホットケーキは本当においしいんだ。 「あ、アメリカ」 放課後になると、すっかり胃のなかの物も消化されてきて、俺はカナダがご機嫌とりに差し出した飴を舐めながら(今年のプレゼントは飴の詰め合せと、俺が欲しがっていたヘッドホンだった)、待ち受けるホットケーキに思いを馳せた。 多少いい気分になって、鼻歌まじりに荷物を片付けていると、鞄の底にあった見慣れぬ物体に手が触れる。カナダが何か思い出したかのように声を上げたのと、それはほとんど同時だった。 「僕、プレゼントもらってないよ!」 「今日あげようと思ってたのは、全部俺が食べちゃったぞ!」 手に触れた小ビンをそっと手の中に隠し、俺は鞄を担いで歩き出した。 「えぇえー……」 「君が寝坊するのが悪いよ!」 まったくその通りだと思ったのか、カナダはしゅんとうなだれながら俺の後についてきた。しばらく俺に頭が上がらないに違いない。あれ、それはいつもか? 「あぁ、僕のバカ……」 後ろで真剣に落ち込み始めた彼が、どこかの誰かのように「死にたい死にたい」を連呼し出すと困るので、俺はそっとてのひらを開いて、出てきたものの他愛なさに少々がっかりしつつ、それをカナダに押しつけた。 「今日あげるつもりだったプレゼントはもうないけど……それは、昨日あげようと思ってたやつ」 カナダはしばらくきょとーんと、てのひらに落とされた物を見つめていた。その処理能力の遅さにイライラする。 「ハワイの砂なんだってさ。君、前キューバ行って楽しかったって言ってたから」 対抗するわけではないが。 小さなビンに閉じ込められ、時折サラサラ音を立てる、申し訳程度の単なる白い砂を、カナダはしばらく物珍しそうに眺めていた。その間抜けな顔に、俺は吹き出す。 「そんなこと覚えてたのかい? っていうか昨日、って……」 ようやく頭が回転し出したのか、慌てたように騒ぎ始めたカナダの声をシャットダウンすべく、俺はもらったばかりのヘッドホンを装着し、音量を上げた。 ノイズキャンセリング機能がついた最新式。明後日には、各国からもっとすごいプレゼントがもらえるはずだったけれど、俺はとりあえず、今ものすごく気分が良かった。 正宗さんとの企画ブログ「1年北米組 クマ二郎先生!」にあげたもののログです。 (2008/7/2)
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