OUR HOME ROOM

「アメリカ……何してるんだい?」
 キュイィィインと耳障りな金属音。およそ学び舎には似付かわしくない破壊音の出所は、教室の後ろ半分で何か熱心に製作中のアメリカの手元から出ているものだ。
「ん?」
「ちょっ、それこっち向けないでぇ!」
「何? 聞こえないよ!」
 殺人的な速度で回転する刃先から逃れるようにカナダが身を引くと、追うようにアメリカが迫ってくるのだから堪らない。
「ぜったい聞こえてるだろ! 僕が何したって言うのさッ!」
 机に退路を阻まれて、涙ながらに抗議すると、 アメリカはようやくチェーンソーのスイッチを切った。
「プールを作ってるんだぞ!」
 ほら、聞こえてたんじゃないか。
 そうカナダが毒づく暇もなく突拍子のないことを言うから、律儀なカナダは不平をおいてでも突っ込んでやるしかない。
「プールだって?」
 どこの学校に、教室の後ろ半分にプールを作ろうと自らチェーンソーを持ち出してくる高校生がいるだろうか。
「そうだぞ。だってこの教室、だだっ広くて無駄だって、君が言ってたんじゃないか、カナダ」



 一日前。
「ねぇ、アメリカ」
 口にいっぱいのドーナツを詰め込んだまま、アメリカは首を巡らせた。リスみたいに膨らんだ頬に呆れるのもいい加減飽きたので、カナダは話を続けることにした。
「この教室ってさ、僕ら二人しか生徒がいないのに、すごく広くてなんだか寂しくないかい?」
 いつだってそうだ。他のクラスは皆でわいわい楽しそうなのに、カナダだけが、こんなに広い教室で身を持て余している。
 そりゃ、アメリカはいいかもしれない。彼は世界中の国に顔も名前も知られていて、イギリスや日本がしょっちゅう構ってくれるのだから――たとえそれが、アメリカの強引で我が道を行く性格から来ているとしてもだ。
「寂しくてたまに不安になるんだよ……やっぱり、ヨーロッパクラスに編入させてもらった方がいいんじゃないかって」
 でも悔しいことに、カナダにはこんな不安を話せる相手が、アメリカくらいしかいないのだ。彼が同じ不安を決して共有してはくれないだろうことはわかっているのに。
「何バカなこと言ってるんだい」
 案の定、一蹴された。
「俺たちはあんな旧態依然としたクラスとは違うんだぞ! 狭苦しくて、喧嘩だの植民地支配だのうるさいヨーロッパクラスから逃れて、俺たちは自由を手に入れたんじゃないか! この広い教室だって、俺たちが好きに使っていいんだぞ」
 そう言ってもう一つのドーナツに手を伸ばしたアメリカを、カナダは少し恨みがましい気持ちで睨みつけた。
 君はいいよ。友達に会いに行っても「誰?」とか「アメリ……あれ、違う?」とか言われたりしないし、こんな二人ぼっちのクラスにいたって、思う存分わいわい楽しく学生生活送ってるだろうさ。
 でもその時、一人で残される僕は、誰もいない広い広い教室で、どこにいたらいいのかわからなくなるんだ。
 だいたい、そんなにいっぱいドーナツ抱え込んでるくせに、絶対僕にくれないし。
 そうした、声にならない胸中を察したのか、アメリカは半分かじったドーナツをカナダの眼前に差し出してきた。
 がぶり、とできるだけ大口でかじりついてやると、口の中にじわり、メープルシロップの香りが広がる。
 最初の一口をもくもくと咀嚼している間にも、アメリカはドーナツを持ったべたべたの手を引っ込めなかったので、カナダは餌付けされるようにして、そのままアメリカの手からドーナツを食べたのだった。



「あぁ……そんなことも、言った、かも……いや! 狭くなればいいって問題じゃなくて……!」
 カナダの抗議を最後まで聞かないまま、アメリカは再び、チェーンソーのスイッチを入れた。
 雑音の竜巻に飲み込まれる声。
 カナダは頭痛を覚えて、ひとまず廊下に避難した。
「アメリカのやつ……」
 廊下は暖房が十分に利いておらず、カナダは惨めに体を縮こまらせながら身震いした。
「この寒いのに何がプールだよ」
 教室の中からは、キュイーン、ドガガガガ、とひっきりなしにアメリカが作業する音が聞こえてくる。壁を一枚隔てても、相当の音量だ。自分の独り言さえ、ともすれば聞こえない。
 まるでカナダの存在まで掻き消そうとしているかのような、嫌な音だ。
 確かに、昨日のカナダの話をアメリカが覚えてくれていたのは嬉しかった。カナダの不安など、いつだって他国にとっては取るに足らないもので、誰も真剣に聞いてはくれないし、まして心の片隅に留め置いてくれることもない。
 そういう意味でアメリカは、やはりカナダにとって特別な半身だ。なんだかんだ言ったって、大切な級友で兄弟分。
 けれどあの言い草はないじゃないか。だいたい僕は、「無駄だ」なんて言ってないし。
 まるで僕がやれって言ったみたいな。
 そうやっていつも、無茶やるのを、僕のせいにしようとするんだから――。
 カナダがため息をついた時、教室の戸がガラリと開いた。といってもアメリカが作業中の北アメリカクラスの教室ではない――その隣。
「うるっせーんだよアメリカァ!」
「そうだそうだ!」
「うちのクラスは今、文化祭の出し物について重要な話し合いしてんだよ!」
 どやどやと廊下になだれ込んできた生徒達。皆、南国育ちで体格もいい。お隣、南アメリカクラスの面々だった。
 あっという間に、ぼけっとしていたカナダを取り囲んで、壁ぎわに追い詰める。
 カナダはようやく、もはや慣れっこの身の危険を感じた。
「だから僕はアメリカじゃないですって!」
「あぁ? 聞こえねーんだよ、何だって?」
 キュイイイィン。
「だから、僕はカナダで……」
「聞こえねーっつうんだよ!」
 あぁ、アメリカのバカ……。
 華麗なジャブを頬に食らいながら、倒れゆく過程でカナダは思った。
 案外あっさり倒れたことに満足したらしい、彼らにとっては、日頃の恨みの軽いガス抜きのようなものなのだから。わかっている、悪いのはアメリカだ。すべてアメリカ。
 上機嫌で南アメリカクラスが教室に戻った後、やかましいチェーンソーの音が唐突に切れた。アメリカが、外の騒ぎに気づいてくれたのだろうか。
「カナダー?」
 ガラリ、とのんきに顔を出したアメリカは、廊下に倒れ伏したカナダを見てしばし考えた後、きゃるんとムカつく決めポーズを取った。
「ヒーローは遅れて登場するんだぞ!」
「遅れすぎだよッ! もう皆行っちゃったよ!」
 別に追いかけもしないんだろ、とカナダがぐずついていると、アメリカはすごくいい笑顔でぴしゃりと扉を閉めた。
 面倒臭いのだろう。
 まったく誰のせいで、こんなとこで鼻血出してると思ってるんだ。



 翌日。
 教室の戸を開けたカナダは、ぽかーんと大口開けて立ち尽くしていた。
「なんだ、コレ」
 魚類?
「哺乳類だよ! 俺の友達だぞ!」
 背後から、バシンと背中を叩かれた。随分乱暴な朝の挨拶ではないか。この時間にアメリカがいること自体珍しいけれど。
「ぅわ、アメリカ! 人のモノローグ読むなよ!」
「君、独り言全部、口に出てるぞ」
 嫌味ったらしく笑われる。
「うるっさいなぁいいだろ普段から孤独が板についてんだよ!」
 言っていて虚しくなった。
 僕はアメリカと違って、影も薄いし。
 そのアメリカが「友達」と呼ばわった目の前のクジラらしき生物を見上げる。こんな狭いプールで、楽しそうに謎の地球外生命体と遊んでいる。ばちゃばちゃと、水しぶきが跳ねて、カナダのメガネを濡らした。
「日本のところで会ったんだぞ! かわいいだろ! あっちの彼は、俺のうちで会ったんだけど」
「かわいいけど……ちょっ、狭いし……」
 ばちゃ、とまた盛大に塩辛い水が口に入るわ目に入るわで、げほげほと咳きこんだカナダに、アメリカは爆笑する。
 これでは、教室前半分の浸水も免れないだろう。落ち着いて授業を受けるどころではない。
「何のつもりだよ!」
 アメリカの、ムダに逞しい体を盾にすれば、アメリカは悪びれた風もなく笑う。
「だから、君が言ったんだろう?」
「教室半分を彼らに提供しちゃえなんて言ってないよ!」
「そうじゃないぞ、『寂しい』って」
 あ。
「これで、寂しくないだろう?」
 思わず声を失ったカナダに、アメリカはウインクを一つ。
「じゃ、俺はアブセントするから、代返よろしく!」
「え、ちょ、代返って……二人しかいないのに……!」
 要は、カナダの出席を犠牲にして、アメリカのフリをしろという脅迫に近い。
 カナダはうぃいいいん、と謎の光に包まれながら、少しでも感動した自分を恨めしく思った。
 再び彼が地球に戻ってきたとき、今日あったすべての記憶は消されていた。















正宗さんとの企画ブログ「1年北米組 クマ二郎先生!」にあげたもののログです。


(2008/2/9)



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