ありのままのきみへ
独立したばかりの頃、あいつはいつも、イギリスの目を、俺たちの目を気にしていた。何か少しでもおかしなところはないか、何か少しでも笑われるところはないか。
見よう見真似で制度を整え、一人前の国としての振る舞い、外交の常識を躍起になって暗記する――。
それでも、何百年と築かれてきた慣習という厄介な代物は、一介の新興国に一朝一夕に習得できるものではなくて、恥をかいては唇を噛み締め、その蒼い瞳に復讐を誓うかのような熱い火が灯るのを、俺は何度も目にしていた。
好き好んで厳しい状況に身を置いたあいつに、進んで手を貸し、甘やかす気はまったくなかったが、あいつから頼ってくるというのなら、突っぱねる理由もまた存在しない。
イギリスが気に食わなかったからとはいえ、独立戦争に加担してやった俺に、困り果てたあいつが助けを求めてくることは、当然、多かった。
今更イギリスには訊けない、「ヨーロッパの常識」というやつを、だ。
「フランス!」
会議の後に、若い彼から呼び止められて、俺はからかうような笑みを形づくった。アメリカは俺のこの顔が何より嫌いだ。だがそれでも俺に頼らねばならない貧弱な若造が、恥辱に耐えながら口を開く様は倒錯的な美しさがあった。
我ながら、性格が悪いと思う。
「なんだよ、『アメリカ合衆国』」
案の定彼は、ぎりりと奥歯を噛み締めて、努めて冷静な声を出そうと必死のようだった。
「訊きたいことがあるんだけど」
「またタダでか?」
「……貿易の量を増やすよ」
「つまんねぇなー、ケツ貸せよケツ」
それは純粋で若い彼には残酷な冗談だった。いつもならそこで、当初の目的を忘れ簡単にへそを曲げてしまうアメリカはしかし、この日ばかりはまったく別の反応をした。
「……そのこと、なんだけどさ……」
きょろきょろ落ち着きなく視線を彷徨わせ、乾いた唇を湿らせる。
「き、君たちはその……男同士で、したりとか……普通なのかい?」
「は?」
「みんなやってるのかい? それくらい経験なかったら、バカにされる?」
アメリカの顔はいつもの相談事のように切羽詰まっていた。
はぁ、と俺はため息をつく。
「……誰が言ったんだよ」
バカか、と一蹴してやりたい。冗談は冗談としてふさわしい扱いを受けてのみ輝くものだ。この話の運びは、せっかくの冗談に失礼ではないか。
確かにその種のことを外交手段として用いないこともないわけではない。所詮は誰とでもできる動物的行為、ためらいやこだわりがない方が、「国」として生きるには有利であることも確かだろう。
だが今更、そんな時代でもない。体一つで望むものが手に入るほど、争う対象は安くなくなった。体も頭も心も、極限まですり減らして尚、涙する国々がある。
「……噂を聞いたんだ」
幼さの残る顔立ち。格好だけは一丁前に、他国の貴族と張り合えるようなそれだが。
「昔イギリスが、オランダから王族を迎えるのに、オランダと……その……」
「あいつらは仲が悪いからな」
「そういう問題なのかい?」
「そういう問題だよ。そんな二人が何か関わりを持つとするなら、ギブアンドテイクが一番後腐れないだろ。イギリスはもともとそんなことに苦痛を感じるほど綺麗でもウブでもねぇし、手っ取り早くていいだろうって笑ってたかな……」
「それくらい笑って言えるようにならないと一人前じゃないんだ……」
思い詰めたような声色に、「おいおいおい」と思う。
「そんな無茶苦茶な手段取るのあの野蛮国くらいだぞ?」
「イギリスにできて……俺にできないことがあるもんか!」
俺の気紛れな優しさは、どうやら青少年には届かなかったらしい。いや、優しく宥めるような声を出してしまったことがかえって、彼の虚勢にも近いプライドを傷つけたのかもしれない。アメリカはぐっと唇を噛み締め、何かを決意した顔で俺を見上げてきた。
*
「おい、……無理しなくていいぞ」
その夜、ホスト国のホテル内、俺にあてがわれた一室で、歯の根も合わないほど震え、親の敵でもあるかのようにキッと部屋の隅のベッドを睨みつけているアメリカに、俺は軽くため息を吐いた。
「無理なんかしてないよ!」
言い方が悪かったらしい。余計に意固地にさせてしまった。
「どうすればいいんだい、俺は脱げばいいの?」
恐怖を押し隠すためだろうか、挑戦的な物言いに、俺は軽くため息をつく。
「そう焦んなよ。ロマンってものを大切にしようぜ」
「愛なんてない行為でも?」
「だからこそ余計に、あたかもそこに『愛』があるかのように振る舞うのが『大人』だと思うよ、俺は」
これは体だけの関係に過ぎないという、あてつけるような拗ねたような態度をあらわにするのはスマートじゃない。どんな空間にも状況にもふさわしい「儀礼」があり、お互いそれを腹の中で嘲笑いながら、踏襲するのが俺たちなんだよ、そしてお前がなろうとしている「大人」だ。
そう言えば、アメリカは不服顔のまま、無言でタイをほどき上着を脱ぎ捨てた。
シャツのボタンを外していくアメリカに、俺はさてどうしたものかと、真剣に思案し出した。
どうやらアメリカは本気のようだ。
どうせ自分から進めるのは怖いのだろうから、しばらく話したら軽くあしらって帰してしまおうと思っていた俺のアテは完全に外れた。
しばらくすれば、まだまだ発達途上の上半身をあらわにしたアメリカが、自分からベッドに潜り込んでいるのが見えた。素肌にシーツは冷たかったらしい、軽く身震いした様は完全に子供だ。
――うーん、いくらなんでも赤ん坊の時から知ってるあんな子供をどうこうしようってほど変態じゃないんだよな、俺は……。
隣の島国辺りならどうかわからない。あれの性欲は旺盛を通り越して異常だ。
本人に知られたら二三発殴られるだけでは済まないだろうことを考えて、俺はベッドに歩み寄った。アメリカの奴はまだ、睨みつけるような顔を崩さない。
ロマンがない。人の話を聞いていたのだろうか?
「なあ。別に今日じゃなくても、俺じゃなくても」
言いながらベッドに腰かけて、俯いた後頭部を撫でた。
「嫌だよ。そうやってまた子供扱いして、はぐらかす気なんだろ。君たちはいつもそうだ」
それはまったくいつもの頑固な言い方で、俺はアメリカの望む通りに行動してやるほかないんじゃないか、と思う。
ぶっちゃけ面倒臭くなったのだ。こいつが、かつてイギリスが蝶よ花よと大切に守った自分の体をいかに粗末に扱おうが、俺の知ったこっちゃない。後悔するなら勝手にすればいい。
開き直った俺は、いまだベッドの上とは思えない顔で憮然としていたアメリカの顎を、まるでマドモアゼルにするような優しさで捉えた。そのまま噛みつくようなキスを送る。
舌をねじこめば、必死にそれに応えようと、ぎこちなく動き絡んでくるアメリカの舌に、俺はなぜか異様に興奮してしまっていた。
意地っ張りで、それでいて、いつも誰かに認めてもらいたくて必死にあがいている。こいつのそんなところが、かつてのイギリスにもダブるような気がする。
このままここで彼は何かを失くして、そしてイギリスのように強くなるだろう。喪失へと導くのが自分であることに、俺は頭の片隅でほんの少しだけ、罪悪感を抱いた。
――まだ、こんなに綺麗なのに。
シーツの海に乱暴に押し倒されてあらわになった、滑らかな胸板をなぞる。アメリカは刺激の強すぎるキスの余韻に耐えるように、上気した顔を背けて、肩で息を繰り返していた。
かわいそうにな。思う一方で、そんなこいつをもっと辱め泣かせてやりたいと、残虐なことを考える自分がいる。
誰だって新雪に足跡をつけたいと願う。――ちょうどこいつを汚したい、と内なる獣を持て余す今の俺のように。
どこか薄ぼんやりと、冷静に自嘲しながら、乱暴にアメリカの肌をまさぐる手の動きを止められない。
強く強く、わざと淫猥な手つきで刺激を与えるたびに、アメリカの喉がひっと鳴った。それはまるで、迷子になって、途方に暮れている子供が、今にも泣き出しそうなのを我慢しているようだった。
ぐっ、とアメリカの下半身に手をかけた。猛る気持ちにまかせ、一息にそれをずり下ろしてしまおうとして、俺はまるで雷鳴を脳天に受けたかのような衝撃に見舞われた。
何気なく窺ったアメリカの表情に、まさしく凍りついたと言っていい。
――アメリカは、泣いていた。
「……っ、く……っ」
今まで見たどんな涙より純粋な、裏も表も打算も媚びもない涙だと思った。
「アメリカ」
「……も、いやだ……むりだ……怖い」
ひっく、と彼はしゃくり上げ、ぐしゃりと歪んだ顔をてのひらで覆い隠した。
こわい。
大人になろうと、意地を虚勢を貼り続け、精一杯背伸びをし続けた足が、がくんと折れた、そんな気がした。ああ、どんなに辛かったのだろう。俺は急速に、どうしようもない罪悪感と、それをも勝る圧倒的な同情心に見舞われた。
今日までどんなに、苦しかったことだろう。
ただ上だけを見つめて、誰にも「辛い」と言えずに、「怖い」と立ち止まって弱音を吐く時間もなく、周囲からの嘲笑と、自分の中からの焦りとに突き動かされて。
堰を切ったように止め処なく流れる涙を拭い続ける指をそっと捉えて口づけた。親愛なる子供にするそれは、愛情以外の何物をも意味しない。
そのまま、見た目に反して柔らかいままの髪をそっと梳いて、後頭部を引き寄せた。
大丈夫だよ、とまるで悪夢にうなされた子供をあやすように、その背を二度叩いた。悪夢にうなされた子供とは違って、彼の背は一糸まとわぬ皮膚の滑らかな感触を返してきたけれども。
よかったなお前、俺じゃなかったら最後までやられてたぞ、と言う代わりに、俺は囁いた。
それはほとんど呟きだった。
「……愛してるよ、アメリカ」
(2008/6/14)
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