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 ずっとあの、ひまわりのような笑顔が忌々しかった。
 自分だけはいつだって太陽を見失うことはないと、心の底から信じ切っているいっそ邪悪ともいえる純粋さと、そしてそれを「夢」として輝かせたまま目の前に掲げ続けることのできる腕力が、忌々しくて仕方なかった。
 それは憎悪であり、嫉妬であり、羨望であった。


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 誰の気持ちも調和も考えずに(いや、考えないわけではなかったろう。ただ彼は驚くほどに他人の幸福に無関心だった)子供のようにただひたすら「欲しい」と言ってみせる姿が空寒く恐ろしくもあり、またどこか寂しげでもあった(まるで親の歓心を買おうとする子供の悪あがきのように)。その感情をすべて否定できるわけではない俺は、彼と似た者同士だったのかもしれない。
 他人から与えられるユートピア(誰もが自分の正義に賛同してくれるという)などとっくに諦め切っているという態度を取るくせに、いつだって他人に期待しきりで、叶えられない毎日に絶望している。
 暗い思いを抱えたまま、あてどない夢を追って世界を彷徨っていた(彼の大きさはいつだってハッタリだった。小さな身で、虚勢を張りながらすがりついた世界は寒かったろう)彼を救ってあげたいと思うのは、正義ではないのだろうか?
 もう遅いのかもしれない。化けの皮は剥がれてしまった。
 これは、同情と、どう違う?(嗚呼、彼が本当に自分と並ぶ超大国であったことなど、無かったというのに)



ソラリスの太陽




 今日は朝から機嫌が悪かった。サンクトペテルブルクの別宅に、仕事で呼びつけたラトビアのみならずエストニアやリトアニアも、久々に怯えしきりの表情を見せていたから、自分が彼らに与えていたストレスは相当のものだったのだろう。
 今ではもう、表立って彼らを鞭打つようなこともできない。それを分かっていてなお、自分が教え込んだ恐怖は彼らをしつこく縛っているらしい。厄介なのは、痛めつけられまいと停滞を望む惨めな心だ。
 そう、悪いのはロシアではない。
「何かあったんですか?」
 お義理のように訊いてくるリトアニアには笑って答えず、ロシアは席を立った。十二時四十五分、スケジュールでは、今から上司と空港へ向かうことになっていた。
「リトアニア、これからお客様が来るから、掃除しておいてくれるかな」
 他人に見られてはならないようなものは隠せ、という意だ。連邦時代から、彼らが阿吽の呼吸でこちらの意を汲んでくれる心地よさは変わっていない。
 まぁ、今回は本当に、みっともないと侮られぬように「キレイに」しておいてもらいたい、という気持ちもある。
「はぁ……わかりました。けど今日、ロシアさんは一日お仕事なんじゃないんですか?」
 中途半端に自分のスケジュールを漏れ聞いたのだろうリトアニアが首を傾げた。客人を連れ帰る暇などないだろう、とその眼は言っていたが、それに答えるのも鬱陶しかった。まったくリトアニアの言う通りだ。そうであればよかったのに。
 すれ違いざまビクッと大きく体を揺らしたラトビアに、さらにイライラを募らせながら、ロシアは玄関口へと向かう。
 分かっているのだ、自分の普段の行いが悪いのだということは。それでも好かれることを、期待してはいけないのだろうか?


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 二、三日続いた雪は止んで、また零下二十度ほどまで気温が下がった。しかし天気は極めてよい方と言ってよく、空港付近の視界は良好。着陸には、またとない絶好の日和であった。つくづく彼は、太陽に愛されているらしい。
 コート一枚も脱げやしない気温の待合室で、ロシアは着陸の轟音を聞いた。深くかぶった毛皮の帽子も、耳当てまでは下ろしたりしない。これから会う相手には、一つの油断も見せたくなかった。
 ややあって、自動扉の向こうから、およそこの北国には似つかわしくない能天気な騒ぎが聞こえてきて、ロシアは不機嫌な顔のまま立ち上がった。
 ぷしゅ、と扉が開いて現れたのは、大きなスーツケースを持った数人の男たちだった。毎回変わる顔ぶれ中にも、数百年前からよく見知った顔がある。
 想像の中の彼よりも数倍、明るい笑みを湛えていた。
 こんなに眩しかったっけ、と目を伏せてやり過ごす。体全身が纏う明るさの差はそのまま、双方が置かれた状況の差に思えた。
 要はただの劣等感だ。
 くだらない。
「ようこそ、ロシアへ」
 ロシアの隣にいた外交官が、見事な英語で上司の歓迎の挨拶を通訳した。
「よろしく頼むぞ!」
 自国の上司を差し置いて元気いっぱい(まさにこの表現が適切だった)に返したアメリカは、苦々しい顔をしたロシアを一瞥して、また顔を戻した。どうやらロシアの不機嫌は無視されたようだ。
 わがままで、自己中心的で。
 彼といると、自分は軽んじられてバカにされているのだという思いしか湧きあがってこない。
 ロシアは外交官が上調子の挨拶をするのを聞き流しながら、大きなガラス越しに滑走路を見つめていた。
 上司同士は、これから市内で会談、夕食会の予定だった。それは別にいい。普通のことだから。
 けれど今回ロシアが不機嫌なのには、今回上司より仰せつかった「特別プラン」の存在が念頭にあったからだった。
「あまりハメを外しすぎないように、アメリカ」
「わかってるんだぞ!」
 自国の上司や外交官と二、三言葉を交わしたあと、「じゃあ行こうか」と上機嫌でアメリカはこちらへやってきた。
 何を思ったのかアメリカは「ロシア訪問には付き添うけれど、上司たちとは別行動でロシア観光したい」と上司に駄々をこねたのだそうだ。そもそもロシアたち国の個人的な行動に、上司たちはあまり口を挟まないから、アメリカの上司もロシアの上司もそれにすんなり同意して、では同じ国同士で楽しんでくるといい、だなんて余計な気まで回して、ロシアに案内役を申しつけたのだ。
 呑むことないのに、そんなワガママ。
 アメリカのワガママと熾烈な攻防を繰り広げ、二週間に渡る調整の結果、アメリカがサンクトペテルブルク滞在中使うのはロシアの別宅(本宅は今のところモスクワにあるので)ということになった。ロシアはその間、アメリカの上司一行が泊まるホテルに滞在する。
 まず家の持ち主がホテル暮らしを余儀なくされる時点で意味がわからないのだが、アメリカ曰く「ロシアのホテルのサービスなんか信用できないよ」だそうだ。仮にもVIPなのだから、いくら忌々しい相手とて、そんな酷い扱いなどするものか。ロシアとて個人の別宅をアメリカに貸し出すなど、何をされるかわかったもんじゃない、嫌だと渋ったのだが、上司は「そんなことで対米関係を崩したくない」と剣もほろろだった。
 ああ、この国は本当に弱くなった。
 当面のスケジュールはざっと、市内観光→別宅へアメリカを送り届けたついでに夕食→翌朝また迎えに来て市内で朝食、というところだ。
 頼んでもないのに外交官が練り上げてくれた観光プランを思い出しながら、重いため息をついた。
(2008/5/31)
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