See you tomorrow my starlight



「あ」
 アーサーとアルフレッドは、同時にお互いに気がついて声を上げた。
「何してるんだい」
「そっちこそ」
 眠らぬ街と名高い繁華街。双方腹ごしらえを終え、夜の喧騒に紛れて暇を潰しているところだった。
 二人の間に気まずい沈黙が流れたのは、二人がケンカ中であったからだ。ケンカといっても、ここ数日やそこらの話ではない。ここ二、三年、お互いの仲はぎくしゃくしていた。
 だから今日も、何を話せばいいのかわからなくなったわけで。
「……どっか、行くか?」
 先に切り出したのはアーサーの方だった。
 腹も軽く満たされて、気分がよかったせいかもしれない。アルフレッドも、素直にアーサーの後に従った。
「まだ劇場が開いてるし。……奢ってやるよ」
「お金なんて持ってるんだ?」
「まぁ色々とな」
「窃盗でもしてるのかい? 必要以上の違法行為は御法度だって聞いたけど? 存在を人間に知られてしまうことになるし、共同体の和を乱すからって」
 若輩者らしくルールを字面どおり鵜呑みにして、適度に手を抜くことを知らないアルフレッドに、アーサーは思わず笑みを浮かべた。
 すると、子供扱いするなとばかりにムッとされたので、慌てて顔を引き締める。
「金がなきゃ遊べもしないだろ。あんなルール律儀に守ってる奴なんかいねぇよ」
「あーあー。アーサーがそんな人だとは思わなかったなぁ……」
「なんだよ、お前最近冷たいぞ!」
「そりゃあね? だって俺たち、ケンカしてるだろ」
 アーサーはそこで、ぐ、と詰まった。
 こんなやりとりも最近では、すっかり二人の間の挨拶のようなものだ。
 二人が向かった先は、劇場と言っても場末の安劇場で、無論、席などない。全員が立ち見だ。
 かろうじてテントで囲ってはあるが、ほぼ野外に近く、安酒とタバコのにおいで眩暈がしそうな、お世辞にも上品とは言えない空間だった。けれどアーサーは、そういう場所でこそ心安らぐ自身を知っていた。
 もともと出自はよくない方なのだ。
 安っぽい恋愛劇を見ながら、軽くアルフレッドにもたれかかったりして。
「疲れたの?」
 そんな風に、アーサーを気づかって囁いてくるアルフレッドは、初めて出逢ったあの日から十数年、なんて大人になったんだろう。
 育てたのは自分だ、と思うと誇らしかった。
「出ようか?」
「いい。このままで」
 甘えるように言えば、アルフレッドは軽く片眉を上げた。
 人里離れた場所でばかり暮らしていたアルフレッドは、こういった下品な空気に慣れていない。無論、アーサー自身がそのような環境で育てたのだ。そういうわけで、アルフレッドは先程からつまらなそうにあくびをしたり、そわそわと辺りを見回しては顔を顰めたりしていたが、アーサーのそのセリフを聞くなり、おとなしく舞台に顔を戻した。


 劇は、そのままなし崩し的に締まりもなく終わった。
「どうしてこの街の人たちは、あんな劇にお金払ってまで、こんな真夜中に外に出てくるんだい?」
 吸血鬼に狙われるよ、と冗談めかしてアルフレッドは不平を言った。
「良し悪しは関係ねぇんだよ。自分たちが楽しければそれでいいんだ」
「まぁ、確かにずいぶん勝手に盛り上がってたけどね」
 みんなほとんど劇見てなかったじゃないか、と言うから、そうだな、と笑った。ああ、こんなに幸せな気分は久しぶりだ。
 隣にアルフレッドがいて。
 もうそれだけで、何もいらないというのに。
「アルフレッド」
 呼び止めれば怪訝そうに振り向く。その背丈も自分より大きくなってしまった。
 いつの間にか、小生意気に眼鏡なんかかけて。似合わないから外せと、何度言ったか知れない。
 しかしそんなことはもういい、今夜はこんなにいい気分なのだから。
 何も言わずに手をつないだ。
 景色はだんだんと松明燃え盛り賑やかな街を離れ、静かな森へと移り変わっていた。
 その森の奥に、今は使われていないと思しき、打ち捨てられた小屋があって、アーサーはここ数年、そこをねぐらにしているのだった。
 そう、アルフレッドと別れ、一人で行動するようになってからだ。
「星がきれいだね」
 急にアルフレッドはアーサーの手を離し、空を見上げた。吐いた息はほんのり白く染まって、夜の闇に消えていく。
 星と言ったって、森の木々に蓋された空には、ほとんど星など見えやしない。
「……そうだな」
 そういえば昔、夜しかアルフレッドの相手をしてやることのできなかったアーサーは、よく夜空を指差して、一つ一つ星座やそれにまつわる神話を話して聞かせたものだった。
 眼鏡の奥できらきら輝く空色の瞳には今、その満天の星空が見えているのだろうか。
「なぁ、その……」
 アーサーはためらうように言葉を切って、唇を湿らせた。
「なんだい」
「まだ、その……『独立』ってやつ、続けるつもりか?」
 二年前、アーサーとアルフレッドは盛大なケンカをした。そのときアルフレッドは「俺は君から独立する」なんて、吸血鬼になる前にも言ったそのセリフを繰り返し、出て行ってしまった。それきり二人はこんなふうに、別々に暮らしている。
「子供のごっこ遊びみたいに言うのはやめてくれよ。俺はもう二度と、君と生活を共にしたりしないぞ」
「……そう、か……」
 思ったよりも寂しそうな声音に自分でもびっくりしていると、ふいに唇を塞がれた。
「……ん……」
 性急に舌を動かすその癖だけは、初めて「好きだ」と言われたあの日から、まったく変わっていない気がするのに。
「中、入ろう……」
 小屋を示せば、アルフレッドは頷く。中にはベッドもある。
 上がった息を隠すように上向いて、「星がきれいだ」と思った。きらきらきらきら、揺れる涙に乱反射して、ざわめく不気味な木々をの合間を縫って。
 ああ、そうだ。
 二人で見上げる星空は、いつだって何よりも綺麗なのだ。


 ギシギシと今にも壊れそうなベッドの上で愛された。行為の後は、何をするでもなくただそのまま抱きしめ合って、他愛もない話をする。
 世間話とか、最近の生活のこととか。
「……ずっとこうしてられたらいいのに、な」
 あまりに幸せな時間に、つい欲が出た。意地が邪魔して普段はなかなか言えない本音がぽろりと零れる。
「ムリだよ、もうすぐ朝だからね」
 対するアルフレッドの返答はそっけなかった。
「そうじゃなくて」
 たぶんアーサーの言わんとすることを、わかっているからこそ。
「……言っただろ。俺は……」
 君と暮らすつもりはない、とどうせアルフレッドは言うのだ。そう思うと急に涙が滲み出てきて、止まらなかった。
 どうしてこんなふうになってしまったんだろう。
 アルフレッドは確かに自分のことを「好きだ」と言って、自分のために、辛く苦しい運命を超えて、そうして「吸血鬼」という人外の獣にまで身をやつしてくれたのだ。それなのに、それなのに。
「俺のこと好きだって言ったくせに、こんなに簡単に、離れていくなよばかぁ……」
 ケンカの理由だって、あの世紀のラブロマンスに比べたら、どうしようもない些細なことだった気がする。
 アルフレッドが吸血鬼になったあの日、二人の愛は永遠なのだとまで思った自分がバカのようだ。愛とはなんと儚く、なんと脆い――アーサーがさらに不平をぶつけようと口を開くより早く、アルフレッドはなんでもないことのようにさらりと言った。
「うん、好きだよ」
 ドキリ、として顔を上げる。
「俺はずっと、君が好きだよ」
「だったら……」
 仲直りしよう。もう一度、あの頃のように、ずっと一緒に。片時も離れずに。
 アルフレッドは渋面を作って首を振った。
「嫌だね、絶対に君のところには帰らない」
「なんでだよ……!」
「どうしても帰ってほしいっていうんだったら、謝ってよ」
「何が!」
「俺のすることにいちいち文句つけて、どこに行くにも何をするにも君に報告しなくちゃいけなくて、そういうふうに俺を束縛したことを、だよ!」
「そんなの、前からそうだっただろ」
「俺はもう子供じゃないし、君に生かされてる契約相手の人間でもないぞ! 君と同じ、吸血鬼だ……。どうして認めてくれないんだよ……!」
「み、認めてるっての……それとこれとは別だろ?」
「別じゃないよ! 一緒に暮らしてる限り、君はいつまでも保護者気分が抜けないんだろ。そんなの冗談じゃないよ。俺はもっと、もっと君に……」
「君に、……なんだよ?」
「……なんでもないよ。もう寝る。おやすみ」
「おい、ってば」
「ああもううるさいなぁ。明日になったら俺、戻るからね」
「なんだよ……それ……」
 アーサーは、不貞寝を決め込んだアルフレッドをしばらく揺さぶっていたが、いつまで経っても起きてくれる気配がないので、ついに諦めた。
 やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。
「寝るの早ぇよ、ばか……」
 まったくいつも通りで泣けてくる。今日も仲直りできなかった。
 目の前で寝息を立てているアルフレッドの顔は、確かに見知った幼さを残しているのに、もうアーサーの思い通りには動いてくれない。
 いつも一緒には、いてくれない。
 でもそれでいいのかもしれない、と節くれだった大きな手を見て思う。
 それが、大人になるということで、誰かの支配から抜け出すということで、アルフレッドという一人の自立した人格を持つということで。
 アルフレッドが自分の意志で、アーサーを愛するということ。
 いつも傍にいてくれなくても、人恋しさにふらりと夜の街に繰り出せば、必ずそこで待っていてくれて、共に夜を過ごしてくれる。それでいいのではないか。
 今夜の逢瀬も、その前も、その前もそうだった。偶然などではないとアーサーは知っていた。いつだってアルフレッドは、アーサーが寂しさに耐え切れなくなる頃合いを知っていて、こんなふうに偶然を装って逢いに来てくれるのだ。
 正直、気づいたのは五回目だった。自分がいかにアルフレッドを「子供」扱いしていたのかということに、愕然とした。
 もう夜の闇に怯えて泣きじゃくる子供はどこにもいない。いるのは、わかりにくい愛でアーサーをいつでも包み込んでいる、一人の男。
 だから、いつも彼は二人の関係を指して「ケンカ」と単純に言うけれど、本当は違うのだということも、アーサーは知っていた。
 これは、あの日永遠に自分を愛すると言ってくれたアルフレッドの誓いを易々と破るような種類のものではないのだ、本当は。むしろ逆に、全力でアーサーを愛そうとしてくれているからこそ、彼は自分から離れたがっている。
 本当は、知っているのだ。
「……けど、寂しいんだよバカ……」
















 米英は週末婚くらいがお互いの心の平穏のためにベストだと思いました。本人たち的には「いつも一緒にいたい」と思っているでしょうが、二人とも性格がアレなので、やっぱり第三者的に見ればベストは週末婚くらいの頻度で会う、という。
 そんな訳のわからない妄想で、Goodbye my sunshineシリーズも5話目です。Goodbye〜、Hello〜の二人が今思えば有り得ないほどラブラブしていたので、なんだか最後にしわ寄せがやってきた感じでごめんなさい……orz でもたまにピリリと辛いのが米英の味、と勝手に思っています!

 サコ様、リクエストありがとうございました!!


(2007/12/7)



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