「君に感謝したことなんて一度もないね」
 俺は、正しい。
「君のところの黴くさい因習や、ふざけた階級制度から逃れて自由になるために生まれた俺に、保護者面して束縛かけて、収益を吸い上げた」
 傷つく権利なんか、君にはない。
「……まったく君の二枚舌には恐れ入るよ……それでいてまったく悪気がないんだもんな。俺はそんなに、バカに見えたかい?」
 俺が傷つく、理由もない。



codependence



「しょうがないじゃないか。植民地だったとか植民地じゃなかったとか、重すぎるんだよ……」
 フランスが囁いてイギリスを抱き締める光景を、俺はどこか空虚な気持ちで眺めていた。
「……俺にしとけよ」
 陳腐な。なんて陳腐な。
 それにあっさりと落ちる君はやはり、前時代の遺物なのだ。
 俺の隣には――進歩し続ける俺の隣には、相応しくない。
 ぎりりと噛み締めた奥歯が痛かった。君の位置から俺が見えるはずもないのに、君が俺を見ないことが、どうしようもなく悔しかった。
 ――前を向こう。
 俺は、こんなところで立ち止まるわけにはいかない存在なのだ。俺は、先陣を切って世界をリードすべき存在なのだ。


「空回りですね」
 ぽつりと、しかしはっきりと紡ぎだされたその言葉は、誰にも受け取られることなくぽとりと床に落ちた。
 いや、俺の心の底にもぽとりと落ちた。ただそこはあまりにもどろりと淀んでいて、着地する間もなく沈んでしまった。
「立場をわきまえて発言したらどうだい?」
 敢えて明るく言えば、日本はまるで母親のような顔をして、静かに首を振る。
「その言い草、まるでどこかの北の大国のようですよ」
 構うものか。
 あれは今や口先だけだ。俺は、違う。
 では「空回り」とは誰のための言葉だろうか?
「イギリスさんには、まだあなたを許す用意があるのではないですか」
「他の国に踏み荒らされた領土に興味はないよ」
 他の男に体を許し、汚された彼は、俺のイギリスであって、もはやそうじゃない。
「それがヨーロッパというものでしょう」
「ならクソくらえだ。俺はそんな、どん詰まりの忌々しい土地を、人生賭して脱出したんだからな! 果てのない大海原へ!」
「……『進歩』とは、過去を潔く切り捨てることですか? ならば、まさしく貴方にこそ相応しい言葉ですね。……過去に固執していないのでは、切り捨てることもできませんから」
「黙れ!」
 思わず大声を上げた。場を凍りつかせた気まずさに顔を上げれば、日本は何事もなかったかのように、しかし悲しげに笑っていた。
 真の進歩とは伝統の上にこそ築かれるもの。
 イギリスの負け惜しみじみた口癖が、今更のように胸に込み上げてくる。
 子供のように泣き喚いて、そこらに当たり散らしたかった。
「俺には譲れないものがあるんだよ、……俺が、正しい」
「ならば行けばよいでしょう、その道を。それにイギリスさんがついてきてくれるかどうかはまた、彼自身が決めることです」
「イギリスを否定しなければ行けない道なんだ」
「……ならば、肚を括りなさい」
「それでいいって思ってたんだ! なのにどうしてここで……っ」
 続けることができなかったセリフを、日本が引き継いだ。
「どんなに冷たくしても、イギリスさんの愛は永遠にあなたに注がれると、そう思っていたのですね」
「ああそうさ! どうしてここで、フランスが出てくるんだ!」
 空気のようにあった、愛。
「どうしてイギリスは、フランスを選ぶんだ!」
 怒鳴るつもりなどなかったのに、いざ本音を漏らすと何もかも堪え切れなくなる自身が情けない。
 原因ならわかっているのだ。
「息が、苦しいよ……」
 これに耐え切れなければ、俺の目指す高みには到底辿り着けやしない。これが、俺の選んだ道だ。
 わかっているのに。
 イギリスを見切った瞬間、何もかもうまくいかなくなった。
 あるはずのものがそこにない。
 今まで何の問題もなく動いていた社会の様々な部分が、急に軋み出した。
 おかしいおかしいと思い続け、しかし「まさか」と目を逸らし続けた――。認めざるをえなくなった今となっては、原因は火を見るよりも明らかだった。
 イギリスがいかに目に見えない部分で俺のために立ち回っていたのかということを、俺は初めて思い知った。いや、本当は「亡くして初めて気がついた」なんてそんな詩的なものじゃない。あのかつての大帝国のそういった老獪ぶりなら、決して知らなかったわけじゃない。
 知らずにのうのうと軽率な判断を下したわけじゃない。そこまで能天気でもお気楽でもない。
 イギリスと表面的に手を切ったところで、それまで浴していた恩恵が突然ぷつりと切れてしまうなどということはないと、読んでいたのだ。
 そう、たとえば彼が日本との同盟を破棄したときのように。
 それがイギリスという国なのだ。背筋が凍るほど冷酷で狡猾で利己的かと思えば、妙なところで情に厚く未練がましい。彼のそういった一筋縄ではいかない性格なら、自分が一番よく知っているつもりだったのに。
 フランスだ。彼以外にありえない。
「フランスがイギリスを使って俺を邪魔してる……こんな屈辱的なことは初めてだよ」
 フランスに怒っているわけではない。フランスの思惑など易々見抜いただろうに、その通り動いているイギリスが信じられなかった。――裏切られた気がした。
「フランスさんにも言い分があるのでしょう。あなたに言いたいことが」
「それか……イギリスの復讐かな」
 気紛れに口に乗せてみた言葉は思いの外、自嘲気味に響いた。
「そう思うのは、あなたに後ろ暗い気持ちがあるからでしょう」
 捨て切れていないではないですか、と日本が言うとおり、俺は情けなさすぎる弱音を吐いている。
 もうこんな話は終わりにしよう。背筋を伸ばして、前を向いて――。
「……捨てるんだよ、これから」
 たとえ何百年かかっても。


 疲れ果てて玄関をくぐると、家の中は真っ暗だった。ガタガタと、木枯らしが窓を揺らしている。
 俺は舌打ちして電灯のスイッチを入れたが、白々しい蛍光色が降り注いだだけで、明るさも暖かさも感じられなかった。
 ため息をついてネクタイを引き抜く。放り投げたカバンは、ドサリと重たい音を立てた。
 靴紐を緩めて、そのままソファーに横たわる。このまま消えてしまえればいいのに、という言葉が頭をよぎるほど、疲れていた。
「……リカ」
 重い瞼は貼りついてしまったかのように動かない。指一本動かすことすら億劫だった。
「アメリカ」
 さらさらと、前髪の辺りをくすぐる指がある。細くもなくしなやかでもないそれが、そっと眼鏡を奪っていったのを感じた。
「お前は、誰にも渡さない」
 何? よく聞こえない。
 もっと大きな声で言ってくれよ。
「……知らなかっただろう?」
 俺は性格が悪いな、と自嘲する声。
 聞き覚えのある声だ。
 これは、確か――。
 ふわり、と紅茶の匂いがした。
 唇を掠めていった柔らかさに、覚醒しかけていた意識が再び遠退く。
 このまま眠ってしまえば束の間の幸せに浸れることを、俺は無意識のうちに知っていた。
 足音が遠退いていく。ドアごしに囁き合う声。
「お前も、趣味が悪いね。お前だけは改めて敵に回したくないわ」
「……こんなところまで付き合うお前も、相当だろ」
「腐れ縁だからね。俺と、お前は」
 足音が次第に小さくなっていく。
「アメリカの奴も、厄介なのに捕まったよなぁ……」
 ぱちり、と気泡が弾けたかのように覚醒した俺が見たものは、静寂しきった我が家だった。ローテーブルにきちんと置かれた眼鏡。半開きのドア。
 まだ夢の中にいるような気分で外に出ると、玄関先には無造作に花束が置いてあった。
 気味の悪い黒赤色の薔薇。
 花言葉は――決して滅びることのない愛。
 俺は衝動的にその花を踏みつけると、後先考えずに走り出した。
 どうしてどうしてどうして。
 握り締めた拳は血が通わず白くなって。
 俺は、いつになってもあの人を超えられないのか。
 振り回したつもりが、躍らされていたのは俺の方だった。
 こんな単純な駆け引きにさえ抗えない。
 ぜえはあと息を切らせて、人通りの多いメインストリートまで走ったが、どこにも探した姿は見つけられなかった。


 夢を見た。
 ここに一人の令嬢がいる。彼女は幼なじみの青年と愛し合っている。
 しかし彼女には親の決めた婚約者がいた。青年は彼女の将来を想って身を引くが、愛のない結婚をした彼女は彼に密書を出すのだ――いわく、あなただけを愛していますと。
 青年は世間体も自身の立場もかなぐり捨てて、彼女を助け出すヒーローとなった。
 いかにも俺が、そして彼が好みそうな筋書きだと思った。
 馬鹿なお膳立てをして、俺の決意を挫こうというのか。
 それとも君には、俺にはわからない未来が見えているの?


「イギリス」
 書き物をしていたらしい彼は顔を上げて、一瞬だけ顔を輝かせ、そうしてすぐに、複雑な表情を浮かべた。
「困るなぁ、アメリカ。イギリスに話をするなら、俺を通してくれよ」
 すかさず俺とイギリスのあいだに立ちはだかったフランスの、顔はどこか強ばっていた。
「君たちはいつから連合王国になったんだい?」
「これからなるんだよ」
「本当に?」
 本当にこれでいいんだろうか。俺は、イギリスを超えずして、イギリスを切らずして、輝かしい場所に立てるだろうか。
「つまらない固定観念は捨てろ。やりたいようにやればいい。それがお前だろう、アメリカ」
 フランスごしに、あわや聞き過ごしてしまいそうな音量でイギリスが言った。まったく何の脈絡もなく。
 まるで俺の思考を読んだかのようじゃないか?
 泣きたくなった。代わりに笑ったら、なぜだかイギリスが泣き始めた。
 フランスはため息をつく。
「お前って、いや、お前らって、本当にバカな」
 ぽん、と肩に手を置いて、静かに部屋を出ていこうとする。いつの間にか部屋には、他に誰もいなくなっていた。
「俺の気持ちとか、考えたことあんのかよ……」
 ぽつりと漏らされたフランスの非難を、救う正義はここにはない。
 それだけはわかった。
















 黒赤色のバラには、他にも「死ぬまで憎みます」とか「化けて出ますよ」とかいう意味もあるらしいです。
 バラはイギリスでは「愛情」的なイメージだけど、フランスでは「無邪気」とかそういうイメージだそう。
 言わずもがな、イギイギの国花ですが、ニューヨーク州の州花でもあります。

 なんか最近ヤケにアメリカが鬱な話しか書いていない気がしますが気のせいですか……これなんかお互いにヤンデレみたいになってますが……(汗)。
 萌える話って私には書けないんだな、と思いました……。
 アメリカはもっとこう、周りの人がイラッとするくらい能天気でおバカで心から明るい子だと思うのに、どうも私が書くと湿っぽいダメ男になってしまいますね!
 本当にフランス兄ちゃんはイギイギを愛してて素敵な殿方……! むしろ私が結婚してほしいです。
 でもイギイギがアメリカを差し置いて他国と本気でいちゃいちゃ、ってたぶんできないんでしょうね……どこか心に嘘をついてる。そこがまた切ないぜ……! 
 って話になる予定だったのですが、まったく表現しきれなくてごめんなさい……(ガタガタ)。いつもながら不甲斐ない奴です……orz

 羽水様、リクエストありがとうございました!!


(2007/11/29)



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