ヒーローの条件とは何だろう。 恐れず悪と戦うこと? 私生活を犠牲にすること? 大切な人もそうでない人も、分け隔てなく救うこと? 今ここに、大切な人の前でだけ、ヒーローでいられない男がいた。 大切な人を前にしては、万人のヒーローであるといえども公正無私ではいられなくなってしまう、という意味ではない。いや、ある意味そうなのかもしれない。 その男は、最愛の人だけはどうしても助けられないヒーローだった。 ヒーローの憂鬱 たとえばこんなとき。 「イギリスー、俺の友達が今度さー、新しくパリに店出すっていうんだけど」 悩めるヒーロー、アメリカの「大切な人」であるイギリスが、隣国のフランスにちょっかいをかけられることなど、残念ながら日常茶飯事なので、アメリカはいつものように、耳だけしっかりそばだてて、知らん顔をしていた。 「だからなんだよ」 「お前、ちょっとそこのウェイターやらない?」 ウェイター、と聞いた時点で、アメリカは嫌な予感がしていたのだが、イギリスは気づかないらしい。 「なんで俺が」 「ぴったりだと思うんだよねー、前、お前似たようなのやってたじゃん」 はいこれ制服、とフランスは一枚の写真を取り出した。その写真にちらりと一瞥をくれて、イギリスは真っ赤になった。 写真はアメリカの位置からは見えなかったが、イギリスの反応から察するに、大して想像からはかけ離れていないのだろう。 「お前なあっ!」 ガタンッと会議机が鳴る。 顔から湯気を噴き出しそうなイギリスに構わず、フランスは飄々と言い募る。 「お前んとこと違って、こっちはおさわり有りなんだ。うまい料理にワインに美少年、というコンセプトで」 この程度のセクハラもいつものことなので、聞かなかったことにして書類をめくる。 各国の面前で辱められるイギリスの様を、初めて見る人がいたなら哀れに思ったかもしれない。もし被害者がかよわい一般市民なら、ここでヒーローが出て行かずにいつ行くというのだろうか。 「誰が少年だ! 死ね、セクハラ魔神!」 しかし残念ながら、アメリカはイギリスのために颯爽と立ち上がる気にはまだなれないのだった。 できることならこのまま関わらないでいるか、むしろいじめる側に回りたいくらいだ。 なぜって、アメリカは「イギリスをにこやかに助ける自分」というものに耐えられない羞恥を覚えるのである。 それは「周囲はもとより、イギリス自身にも、イギリスを好いていることを悟られたくない」と普段から気を張りすぎているための、副作用みたいなものなのだろう。 なぜ隠すって、答えは至極単純だ。ヒーローは恋をしてはいけないのだ。そのヒーローたる自分が、イギリスごときに振り回されているなんて誰にも知られたくなかったし、自分でも認めたくなかった。 「いやー、お前もまだまだ若いって。お前のケツの形もなかなか好みなんだよねー」 「それ以上言うな、刺すぞ!」 「触り心地もなかなかよかったよ、うん。すべすべしてるんだけど、こう、てのひらに吸い付いてくるような弾力と柔らかさがあるっていうかね」 セクハラもここまで聞くに堪えないと、「日常茶飯事」では流せなくなってくる。 そろそろイギリスを馬鹿にするフリでもして、話題だけでも変えてくるか、とヒーローアメリカが立ち上がるより早く、ジャキッと不穏な音が会議室に響いた。 二つの銃口が、それぞれイギリス、フランスの後頭部に狙いを定めていた。 「会議の準備をする時間である。関係のない低俗な話は外でやってもらいたい」 凛と歯切れのよい声に、並々ならぬ威圧感を乗せて、右手でフランス、左手でイギリスに狙いを定めて二人の背後に立っていたのは、利権を争う醜い泥沼の戦いに決して組さない、誇り高き永世中立国、スイスだった。 「そんな怒んなよ、これは俺らの間の、挨拶みたいなもんなんだからさ」 馴れ馴れしく肩を抱くフランスを一瞬でねじ伏せて、銃を突きつけた様は見事だった。子供でなくとも「かっこいい!」という賛辞を送りたくなる。 自由・平等、そして正義の代弁者というなら、まさしくこのスイスという男こそが相応しいのだろう。綺麗事を並べ立てるだけでなく、それを実現するために自ら武器を取り、いかなる相手であろうとも自国の平和を脅かすものには同様に銃口を向ける。 けれどアメリカがなりたいヒーロー像は、そんな厳格な仕事人だったろうか? かといって今のまま、イギリスの前でだけ意地を張って事態を茶化し続けるのも何か違う。 「ざまぁみろ! ちったあ反省しやがれ!」 イギリスは、顔面蒼白で白旗を上げたフランスを、悪どい笑顔で見下ろした。 アメリカは完全に、出て行くタイミングを逸したようだった。 ヒーローは孤独を愛するものである。愛と勇気だけが友達なのだ。 屋上に一人たたずむスイスの背中は、まさにそんなヒーロー像にぴったりだった。 アメリカは軽く辺りを見回した。見えるのは青空ばかり。よし、今なら邪魔は入らない。 ざ、と一歩を踏み出した瞬間、件のスイスは華麗な身のこなしで、アメリカの顎先に銃口を突きつけていた。 「背後から我輩に忍び寄るとは……、いい度胸である!」 「わわわわ、俺丸腰だよ! ひどいなぁ君は!」 慌ててホールドアップの体勢を取る。両手を情けなく上げたアメリカに、スイスは軽く身体検査を施すと、ポケットから大量に発見された飴玉に、軽く眉をひそめた。 「何の用だ」 「うん、君に聞きたいことがあってね」 「我輩はどの国のためにも立ち回ったりはしない」 ぴしゃりと不正を咎めるかのように言われて、アメリカは口を尖らせた。 「そういうことじゃないんだよ」 「ならば、金の話か?」 「君と話してるとなんか心荒むなぁ……」 「文句があるなら去れ」 まったくもっともだ。彼は自分のポリシーに驚くほど忠実なのだ。「例外」とか「非常事態」とか「宥和策」とか、彼の辞書にはないのだろう。 だとしたらマイペースこそアメリカのポリシーだ。アメリカは無理矢理に話を戻すことにした。 「ちょっと相談なんだけど……ヒーローって、どういうものかな」 スイスは素っ頓狂な顔をした。 「貴様のお気楽な空想話のことなど知らん」 「そうかな。君は……ヒーローみたいに見えるよ」 「我輩はただの軍人である」 「じゃあ、君の言う『軍人』の観点からでいいから教えてよ、大切な人の前で、俺はどう振る舞うべきかな」 「どういう意味だ?」 「うん、だからたとえば、君の目の前で大切な人が困ってたら助けるかい?」 「助けられるなら、助ければよいではないか」 「のちのち、それが任務との衝突を生むとわかってても?」 スイスはやっと、真面目な顔をした。 「なんだ。やっと貴様の言いたいことがわかった。初めから『任務と私情のどちらを取るのか』と聞けばよいではないか」 「うーん、それもちょっと違うんだよ……そういう葛藤そのものが嫌っていうか、なんとかそこまで辿り着かない術はないものかなぁと」 スイスの呆れたような目がアメリカを突き刺している。 「貴様の、考えることはよくわからんな」 妙な嫉妬をされても困る、と彼は険しい口調で言った。 「我輩の考えはいつだって単純だ。そうありたいと思っている。どうあがいても大国ではないのだから、だったら余計な諍いに巻き込まれ国益を失わぬよう、全力で戦うだけである。それ以外のことは求めない。……全体を取るか個人を取るかと問われれば、我輩は迷わず全体を取るのだと思う。それがいかに大切な人であっても。……ああ、貴様が聞きたいのは、そういうことではなかったのだったな。まったく大国の考えることは理解不能なのである」 幸せな奴め、と罵倒されたきり、その場に置き去りにされてしまったので、アメリカは途方に暮れた。 「……そうか、俺は幸せなのかぁ」 幸せなヒーロー、というのもなんだか締まりがない。 ヒーローとはいかにあるべきか? まず、ヒーローは恋をしてはいけない。ヒーローは万人にとってのヒーローでなければならず、誰か一人のためだけのヒーローであってはいけない。 そのくせヒーローは決まって恋に落ちるものである。最愛の人との平穏な生活か、世界平和かの二者択一を迫られて、葛藤するものである。 それはいつの世もヒーローに課された定めなのかもしれない。 「だから俺は、ヒーローになりきれないのかもしれない」 悩めるヒーローは一人呟いた。 彼の出した結論はこうだ。「俺はつまり、君を世界平和なんかと天秤にかけたくないのだ」と。 だからこそ彼は、最愛の人の前ではあっさりヒーローであることをやめる。それどころか、「大切な人を護る」ことの重さに気づかされないように、ひたすらにそこから目を背ける。目を背け切れなければ、事実の方をねじ曲げる。 「君は本当にフランスとバカ話するのが好きだよね」 未熟なヒーローは、ヒーロー物語の要件たる「ヒロインと使命の間で揺れる」ところまで辿り着けない。辿り着く気がないのである。 このままずっと、自分が足踏みや無意味な迂回を続けていることに気づかないままいられればいい。 いつまでも未熟なヒーローは、そうして今日も、空気を読まない技術と演技力だけ、上達していく。 欲しいのは月並みなハッピーエンドではないし、立ち向かっているのは目に見えるわかりやすい悪党でもないのだから、これでいいのだ。 ついでに言えば、ヒロインもちっとも可愛くないし素直じゃない。 このまま物語を停滞させられるものかどうかはわからないが、とりあえず今一つだけ、彼にアドバイスを与えるとするなら、スイスのいる前でだけは、多少なりともポリシーを曲げて、「ヒーロー」っぽくした方がいいのかもしれない、ということだ。スイスのようなヒーローではなく、アメリカお得意のムービーのヒーローっぽく、である。 「なっ、違ぇよ、俺は被害者だろうが!」 「そうかな? 君も楽しんでるみたいに見えるけど?」 とりあえず、わかっちゃいるけど難しいことってやつが、世の中には多すぎる。 スイス氏の口調は難しいですね……。国技が射撃だなんてステキすぎます。山育ちヤッホホトゥラララ! スイスの生き方というか姿勢は好きです。日本もああなれば何かを貫ける気がするけど、まぁ面倒くさいからたぶんいいんでしょう。幸い海に囲まれてますからね……。 なんか米英界にドカンとすごい風穴開けてくれそうな気がしています。今からドキドキです。 私は残念ながらその可能性をまったく引き出しきれなかったのですが……。 akiha様、リクエストありがとうございました!! (2007/11/29)
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