事実は小説より



 世界恐慌のかどで各国に責められて、悄然としていたアメリカに優しくしてくれる者はいない。いるとすればロシアくらいなものだ。
 アメリカがひとり孤独に帰り支度をしていると、ぽんぽん、と慰めるように背を叩く者がある。
 振り返れば、それは最近めきめき勢力を伸ばしてきているアジアの小国、イギリスの盟友――まぁ他ならぬアメリカがそれを解消させたのだが――日本だった。
 軽く咳き込みながら、彼はにこにこと口を開いた。
 日本人の笑顔は鵜呑みにするな、彼らの機嫌は態度でなく総合的な状況から判断しろ、とイギリスは常々言っていたものだが、アメリカは意気消沈していて複雑なことを考えるのがひどく億劫だったので、とりあえず目の前の「全然怒ってませんから」とでも言いたげな愛想のいい笑顔を鵜呑みにすることにした。
 思えば最近アメリカは彼に冷たく当たっていたので、こんな風に相手をしてもらえる覚えもなかったのだが、やはり深くは考えないことにする。
 なんてことない世間話の途中で、日本はそういえば、と切り出した。
「そういえば、アメリカさんはイギリスさんの泣き顔って、御覧になったことありますか?」
 アメリカは目をぱちくりして、訝しげに答える。
「そりゃ、あるけど」
 ええっ、と日本は大仰に体を仰け反らせる。
「何、そんなに珍しいことかい」
「それはもう……! だ、だだだだって、イギリスさんといえば、いつもクールで、泣くだの怒るだの、そういう子供っぽい感情をあまり表に出される方ではないですから」
「……そうかなぁ。俺の前ではすごくわかりやすいけど。考えてること全部顔に出るだろ、イギリスって」
 とんでもない、と日本はかぶりを振った。
「それは、イギリスさんがそれだけアメリカさんに心を開いているということでしょう」
 ひどく感心したように頷かれて、悪い気はしない。
 アメリカは気分が昂揚してくるのを感じた。
「そうかな!」
「そうですよ、フランスさんも『あいつは何考えてるのかさっぱりわからない』と常々おっしゃってますし、やっぱりイギリスさんにとってアメリカさんは特別なのですね!」
 イギリスとは腐れ縁と言っていいほどの仲であるフランス――当然過ごしてきた時間はアメリカなど足元にも及ばない――をも出し抜いたと知って、さらに気分は浮上した。このままMAXゲージを突き抜けて天にも昇れそうだ。
 今までイギリスをすぐ泣くうるさい奴だと思っていたが、そんな態度を取るのは、アメリカの前でだけだったのだ。それを知っていたら、もう少し優しくしてやったものを。
 だいたい、彼は昔から甘えるのが下手なのだと、アメリカは物心ついたときから一番近くにいた人物の、喜怒哀楽の浮かんだ様々な顔を思い出していた。
「そうか、じゃあ君はイギリスが本気で泣いたところなんて見たことないんだろう!」
「当たり前ですよ、まさか、アメリカさんはあるんですか?」
「それこそ当たり前さ。イギリスは俺の前だとすぐ泣くんだぞ」
「想われてますね、羨ましいです」
「別に泣かれても鬱陶しいだけなんだけどな!」
 言いながら恐ろしく胸がスカッとした。こんなに誇らしい自慢をしたのは生まれて初めてかもしれない。
 なんだったら俺が、イギリスがどうやって泣くのか詳しく話してあげてもいいんだぞ、と口を開きかけて、慌てて口を閉じた。日本は不思議そうに首を傾げる。
 顔が勝手にニマニマと笑みを形づくってしまうのを止められない。それにつられたかのように、日本もにこりと笑った。
 普段は「いい歳して……」と鬱陶しくて仕方のないあの泣き顔を知っているのが自分だけなのだと思うと、誰かにその様子を話して聞かせることさえ急に惜しく思えてくる。
 ――このまま俺とイギリスだけの秘密だ。
 こう耳元で囁いてやったら、アメリカのことが好きで好きで仕方のないあの年上の男はどんな顔をするのだろうか。





「名演技だったぜ、日本」
 よくこの体調で、しかも諸悪の根源のあいつに向かってあんなにも笑顔を振りまけるものだ、とフランスは心底感心していた。
「言われた通りにしましたけど、どうしてあんなことを言わせるんです?」
「不服か?」
 最近この島国に好かれるような行動を取った思い出がない。ひょっとしたら軽く断れらるかもしれないと思ってはいたが、なんとか引き受けてもらえてホッとしていたところだ。
「だってイギリスさん……あの方、結構すぐに泣くじゃないですか」
 いわゆる「いじられキャラ」と言いますか、と日本は容赦ない。「なんだそのことか」とフランスは爆笑した。
「だから言ってもらったに決まってるじゃないか」
「……はぁ。ひょっとして、アメリカさんをからかうおつもりですか」
「ご明察」
 日本は困ったようにため息をついて、「それはそれは」と大して内容のない呟きを漏らす。
「あれ、いい作戦だと思ったんだがな」
 こういう卑劣なやり方は、嫌いだったのだろうか。
 未だにこの国の考えることは堅苦しくてよくわからない。
「……いいんじゃないですか? 少しくらい懲りてもらわなければ、不公平です」
 ところが続くセリフはいやに溌剌としていて、おや、とフランスは眉を上げた。
 すると日本は、悪戯を思いついた子供のような顔で少しだけ笑う。
「実を言いますと……先程の調子に乗った態度に少しばかりイラッとしまして。見ましたか、あの自慢げな顔!」
 痛々しいほどに作戦通り、活き活きと調子に乗ってくれたアメリカを遠くから見ていたフランスは、その顔を思い出して笑った。
 そして日本の本音にも。
「次は当然、あの鼻っ柱を折るのですよね? その時はぜひ呼んで下さい。それくらいの旨みがなくては、私には協力する義理もないことですし?」
「いやぁ……まぁそこはほら、お互い上司との兼ね合いもあるってことでね?」
 そんなに怖い顔をしないでほしい。どうせアメリカやフランスに敵う力もないくせに、たまにフランスをヒヤリとさせるこの国は、本当に得体が知れない。





 日本と別れて数分もしないうちに、議場の入り口でフランスに呼び止められた。先程はかなり怒った様子で「あとでケツ貸せ」などと凄まれたものだから、無意識に体が強張る。せっかくいい気分だったというのに、なんてことだ。
「ごめん、本当にごめんってば……」
 とにかく先手必勝で謝ってしまおう、とまくし立てた謝罪は鬱陶しそうに遮られる。
「おうおうおう、さっきからやたら嬉しそうじゃねぇか、ニヨニヨニヨニヨしやがってよ!」
 ぐわしっ、と凄い力で肩に腕を回された。むしろ首を絞められたと言った方が正しい。
「なーにがそんなに嬉しいんだアメリカよぉ! あそこでイギリスの奴が涙目になってることか? このサドがっ!」
 お前のせいで俺たち全員マジ泣きそうなんだよ、とさらに力を込められる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 確かに諸国の不況の原因はアメリカにある、それは認めよう。だがしかし、フランスの言葉には聞き捨てならない文句が混ざっていた。
「イギリスが涙目って……」
 そんなはずはない、だって先程の日本との会話で、彼はアメリカ以外の前で軽々しく涙を見せるような人物ではないということが発覚したばかりではないか。
 苦しい姿勢のまま、勢い勇んで見つけ出した当人はしかし、世界の国々の面前でいとも情けない顔を晒していた。
「……あれ」
 思わずぽかんと口を開けたところで、ようやくフランスの馬鹿力から解放される。
「まったくイギリスはいつでもどこでも泣いて……なぁ、スイス?」
 フランスはやかましいほどの大声で話を周囲に波及させ、当然のことながら名指しにされたイギリスとスイスがこちらへ近寄ってくる。
「うるせーよ、なんか文句あんのかテメーッ!」
「……まったくである。男児たるもの戦場たる国際会議の場で軽々しく弱みを見せるな!」
 ああ、なんだか面倒なことになった。何度も言うが今回の件について帰責事由はすべてアメリカにある。残念なことにそれは全世界が認める事実だ。イギリスに喚かれるのも面倒くさかったが、スイスにまで出てこられるのはさらにご勘弁願いたかった。
「泣きたくもなるっつーの! 元はと言えば全部こいつのせいじゃねぇか」
 アメリカを差したイギリスの指を、遮るようにぐっと掴んで、フランスは楽しそうにその指を弄ぶ。
「そういえば第一回オリンピックのときもさぁ、ぴーぴー泣いてスイスに怒られてたよなあ」
「なっ……何言ってんだよ、あれはお前のせいじゃねーか!」
 叫んだイギリスはフランスの手を振り払って、逃げるようにスイスの背後に回った。
「えー、そうだっけー? お兄さん忘れちゃったー」
「そうだよ! お前がいきなり、いきなり、その……ぜ、全裸で現れて、挙句俺の服まで脱がそうとしたからだろうがよ!」
 憤慨したときいつもそうであるように、顔を真っ赤にして、「怒られたのも俺じゃなくてお前だろうが! なぁ?」とスイスに確認を求めているイギリス。「同罪である」と冷ややかに突き放されて言葉に詰まった彼を見ながら、アメリカは急速に心が冷えていくのを感じた。
 スイスは冗談を滅多に言わない堅物であり、彼が何の異も唱えない以上、全裸だの脱がすだの同罪だの泣いただのという話がすべて真実だということは容易に想像できる。
 ――なんだ。
 アメリカの前でしか泣かないどころか、アメリカ以外の奴に容易く泣かされて遊ばれているなんて。
 がっかりしたよ、と何かに向かって吐き捨てたい気分になったが、イギリスもフランスもスイスも、自分たちの話に夢中になって、アメリカのことなど忘れてしまったかのようだ。
 行き場のない怒りを持て余して泣きたくなった。虚しさが募るだけの、騒がしい議場を足音も高く離れる。ご丁寧に最大級の音を立ててドアを閉めてやったのに、彼らときたら、アメリカが消えたことにすら気づいたのかどうか。
 しばらくムカムカと晴れない気持ちを弄びながら階段を下り、出口に向かって廊下を歩いていると、パタパタと、およそ国際会議の会場には似つかわしくない慌ただしい足音が背後から聞こえてきた。
「アメリカ!」
 不審に思って振り返るのと、聞き慣れた声に名前を呼ばれたのは同時だった。
「イギリス……」
 アメリカのことなどそっちのけでフランスたちと話していたはずのイギリスが追いかけてきてくれたことに、期待してはいけないと思いながらもどぎまぎする。
 立ち止まって、彼が追いつくのを待つ。
 いつもの意地で、顔が勝手に不機嫌を装った。
「お前、フランスの奴になんかからかわれたのか?」
 アメリカの前で立ち止まったイギリスは、いつものように世話焼きでうるさい彼そのものだった。
「は?」
 いきなら何を言い出すのだろう。「からかわれたというなら、むしろ君にだ」と言ってやりたいのをぐっとこらえた。
 アメリカはただ、イギリスがあんなにも軽々しく感情をむき出しにするような奴だとは思わなかったから、裏切られたような気がしているだけだ。
 ――まぁ、考えてみればイギリスは昔からそういう奴だった気がする。
 まったく何を思い違いしていたのだろう。
 日本はまだイギリスと知り合って日が浅いから、知らないだけのことだ。そう、それだけのことだった。
 ますます不機嫌そうな顔になったアメリカに焦ったかのようなイギリスを、いつものように軽くかわせない。
「いや、お前が出てくなりあいつ大爆笑して、『見たかあの顔!』とか言うから……」
 アメリカを嘲笑うフランスの顔がありありと想像できてしまって、アメリカはますます眉間に皺を寄せる。
 フランスがアメリカを恨んでいるのはわかる。悲しいことにわかってしまう。それについては本当に反省している。今度からはもっと計画的に生産活動を行うと心に決めた。
 しかしだからと言って、イギリスの行動で気を悪くしたアメリカの顔を、なぜフランスに笑われなければならないのか。「イギリスは自分にしか本音を見せないのではないか」などという子供じみた幻想を、まさか悟られたわけでもあるまいに。
 ただ単に、アメリカの前でイギリスと仲良く話してみせたことで、アメリカの鼻を明かしたつもりにでもなったのかもしれない。昔からフランスには何度もそういう、嫌らしいからかわれ方をしたものだった。
 いい加減にもうそんな聞き分けのない子供のような理由で、怒ったりするものか。もしフランスがそういう誤解でもってアメリカを嘲笑したのだとすれば、失礼千万な話だった。
 無言で唇を噛み締めるアメリカの肩を、そっとイギリスが気づかうように叩く。
「そ、そんな気ぃ落とすなよ。確かにうちも苦しいし、大変なことになったとは思うけど、失敗は誰にでもあるし、お前はまだ若い。それに、今回のことで、お前がいかに世界に影響力を持つ大国に伸し上がったかってことが証明できたじゃねぇか! お前はすごいよ、だから元気出せって」
 なんだか的外れな慰め言葉をくれるイギリスに、急に怒っていたことがバカらしく思えてきた。
 ――あぁ、そうか。俺、今すごい不況だったんだっけ。
 そして目の前のイギリスも。フランスもスイスもだ。悲しいかな、ただアメリカにだけ、責めるべき相手はない。
 こんな状況で、まだアメリカの世話を焼こうとするイギリスが心の底から可笑しかった。
 ふ、と気が抜けて、知らず知らず、許すような微笑みが浮かぶ。
「……ありがとう、イギリス」
 穏やかな声で言うと、イギリスはくすぐったそうに破顔した。
 そうだ、彼がどんな顔をして誰の前で泣こうと、彼にこんなに嬉しそうな、幸せそうな顔をさせられるのは、アメリカだけだ。
 ――どうして泣き顔などにこだわっていたのだろう。こちらの方が、ずっといい。
 一転して自信を取り戻したアメリカに、イギリスは不思議そうな顔をして、安心したように一息ついた。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
 物欲しそうな顔で言いながら、ゆっくり踵を返す。
 いつもなら何も言わずに横に並んで歩き始めるところだ。おかしいな、と思って見れば、彼が議場にカバンもコートも置いてきてしまったのだということに気づく。それほど急いで追いかけてきてくれたということだ。
 待ってるから一緒に帰ろう、とアメリカが声をかけるのを待っているに違いない。ゆったりとした足取り。
 ――しょうがないなぁ。
 またフランスにでもからかわれたら嫌だし、ちゃんと捕まえておくべきだろう。
 弛んだ口元を引き締めて、口を開きかけた瞬間、階段を降りてきたばかりの第三者が「あ」とイギリスに目を留めて声を上げた。
 それに気づいたイギリスも片手を挙げて応える。
「あぁ、日本! 景気はどうだ? このバカのせいで悪かったなあ」
 このバカ、と振り返りもせず指だけアメリカの方に向けるイギリスに、アメリカは顔を取り繕うこともなく唖然としてしまった。
 しかしそんなアメリカに構わず会話は進んでいく。
「いえいえ、大丈夫ですよ。ちょっと数年前に大きな地震もあったばかりでしたし、ほんと踏んだり蹴ったりな感じなんですけどね……」
「そうか……悪かったな、同盟やめてからあんまり世話してやれてないけど……」
「しょうがないですよ、お互い色々事情もありますしね」
 日本はにこにこと言いながら、一瞬ちらりとこちらに視線を寄越した。
 チワワのように無害な性格と見せかけて、これだから極東の侍上がりは油断がならない。イギリスには同盟破棄の圧力をかけておいてよかった、とアメリカは思い、すぐに視線を戻してしまった日本を睨む。
「あ、よろしければ色々お教え願いたいこともあるので、この後お付き合いいただけませんか?」
 アメリカは思わずカバンをその場に落としてしまい、カーペットにドサリと冴えない音がする。
 日本の誘いに驚いたわけではない、彼は昔から勉強熱心というか、知識を吸い上げることに関して信じられないほどしたたかだった。
 驚いたのは、それまで恐慌のせいか少し青ざめて疲れ切っていたイギリスの顔が、ぱっと花が咲いたかのように輝いたからだ。
「えっ、そうか? 俺で答えられることでよければ……」
 眩しいくらいの、とびきりの笑顔。上気した頬に弾んだ声。こちらを見ない、深い翠の瞳。
 二人はそのまま歓談しながら去っていく。先程から、通りがかる国々に恨みがましい視線を送られて立ち尽くす、アメリカをただ一人、その場に残して。
「な……」
 ――なんだいアレ、俺といる時より嬉しそうな顔してさ!
「くそっ!」
 力任せに壁を蹴りつけたら、スタスタと足早にやってきたスイスにすれ違いざま、「うるさいのである」と殺気を込めて睨まれた。
















 世界はみんな仲良しなのが一番好きですが、微妙に仲良くない各国、というのも書いていて新鮮です。腹に一物も二物も抱えているかのような微妙な攻防。フィクションでBLな分にはどんとこい! ですね。現実にやられたら嫌だけどな……。
 っていうか私、ヘタの米は大大大大好きで愛してますけど、現実の米は嫌いです(笑)。一個人としての性格ならかわいいけど、国としてはなんだかな……という。うーん……世の中って不思議ですね……。

 いただいたリクはもっと素敵な内容だったんですけども……脱がされてた英を助けるヒーローに自分がなれなかったことにイライラする米とか……、そんな男前な米が書けたらよかったのに……!
 いつも謝ってばかりですがごめんなさい……きゅう様、リクエストありがとうございましたv


(2007/11/7)



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