Au revoir mon clair de lune



 毎日毎日同じことの繰り返し。朝日が昇る前に床に就き、日が沈めば起き出して腹ごしらえ。たまには仲間と適当に歌い騒いでカードゲームに興じることもあるし、人間の女と戯れに一夜を過ごすこともあった。
 そんなくだらない生活を百年、二百年と続けていることに虚しさを覚えた頃、本部からある報がもたらされた。
 海の向こうの小島に派遣されていた友人が、任期を終えて帰ってきたというのだ。
 人の生き血を吸い上げるこの不浄の生き物の間にも、一応共同体というものがある。本部があれば支部があり、そこでの仕事は主に十年単位で回される。だからその友人に会うのは実に十年ぶりだった。
 もっとも、向こうもフランシスのことを「友人」と思ってくれているかといえば大分怪しいのだが。
 本部は活火山に空いた洞穴の内部にある。洞穴といってもそれなりに広い、そこそこ快適な空間だ。
 そこで再会した友人は、やはりあまり歓迎の意を示してはくれなかった。しかしそんなことは気に留める必要もないことだ。彼は元来、心から信頼できる友をあまり作れない人種なのだ。
 久々に見た顔は、フランシスよりも幾分若い。すこぶる美しいというわけではないが、それなりに整った顔で、気の強そうな眉が印象的な。フランシスはその、中途半端な顔の出来がかえってかわいく魅力的だと思っていた。完璧でないのが愛らしいのだ。
 しかし見た目は好みでも、性格の方には少々難がある。
「まだくたばってなかったのか」
 例えば、どういう育ち方をしたのか、格好は貴族風にきちんとしているくせに、この口の悪さ。
「お陰様で。あっちはどうだった?」
 馴々しく肩を抱けば、軽く肘打ちが飛んでくる。
「まぁのどかだし、いいところだったよ」
「友達はできたか? あっ、悪ぃ悪ぃ、禁句だったな」
 軽い冗談に、睨みつけてくるテンポの絶妙さも懐かしく、フランシスは滅多になく胸躍るのを感じた。
「どうだ? 今日は俺ん家で旧交を温めるってのは」
「家? どうしたんだ、お前退屈だからっつって、一ヶ所に留まるの嫌いだっただろ」
「ま、ねぐらが確保されてると何かと便利なんでね。ちょっと黴臭いのが難だが、それだけ日光が入らないってことだろう?」
「ふぅーん、まあ久々だし、付き合ってやるよ」
 嬉しそうに口元を緩めるくせに、素直でない物言いも、時にはかわいくてたまらなかった。
 彼は友達の少ない自身に少なからずコンプレックスを抱いていて、寄せられる好意というものをいつも羨望している節があった。
 けれど彼には、愛されるよりも愛する姿の方が似合っている、などとふいにフランシスは思ってしまう。彼はどんな風に人を、あるいは人ならざるものを愛するのだろう。きっとそれは一途に懸命に輝いて、いつか燃え尽きるあの夜空の星のように美しいのだろう。
 けれど彼は決してフランシスを愛しはしないだろうこともまた、わかっていた。フランシスの前では彼はただ、フランシスの秘めた愛をその身に受けて青白く輝く月にすぎない。
 ――でも俺は、月も好きだけどな。
 月は彼ら吸血鬼の太陽であった。
 けれど願わくは、いつか彼が愛し愛され、自身も光を放つかのような、澄み渡った秋の満月とならんことを。


 歓談をしながら腹ごしらえを終えて――その際アーサーが「こっちの人間は警戒心が強いな」などと言うからまた論争になったが――最近求めた山奥の屋敷に辿り着く。
 アーサーの足取りはもうかなり怪しかった。
 吸血鬼にとって血を吸うことは、生きるためのものではなく、単なる快楽の手段にすぎない。食事の楽しみと満腹感という幸福に加え、人間で言えば微酔いのような状態になる。
 アーサーはうっすら頬を染めて、食事後でなければ絶対にしないような顔でくすくす笑っている。時折戯れに軽くフランシスに寄りかかってくる様に、すっかりガードが外れたことを知った。フランシスは昂揚感に自身の唇を舐めた。
 もちろん誘ったときから、こうなることは予想していたのだ。
 十年前にもアーサーとフランシスはずっとこんな風に、ずるずると半端な関係を続けていたのだから。
 十年間離れていても気が狂わない程度にはお互い冷めている。その程度の関係だった。
 黴臭いベッドに誘うと、何のためらいもなく腰を下ろす。
 頬を撫でて唇を寄せる。アーサーはくすぐったそうに笑った。
 不意を突くように舌をねじ込んで体をベッドに押し倒すと、背中に軽く腕を回してくる。
 ああ、やっぱり人生はこうじゃなくっちゃ、とフランシスは鼻歌でも歌い出したいほど嬉しくなった。
 執拗に舌を絡め口内を味わい尽くして、性急にボタンを外していく。そうしてできた布の裂け目からアーサーのすべらかな胸板が覗き、獰猛な気持ちで手を這わせたところで、コンコンコンと耳障りなノッカーの音が響いた。
 こんな不粋な来訪者のことなど放っておけばいい、とフランシスは割り開いたアーサーの衣服を肩口までずらしたが、その手をそっと押し退けられる。
「誰か来たぞ」
 思った以上に冷静な声音に、フランシスは「ああ、やっぱり」と心の中で深い絶望を感じた。
「いいじゃねぇか、ほっとこうぜ」
 わざとふざけた口調で口を尖らせても、アーサーは軽く笑うだけ。もう身を起こして、身だしなみを整えている。
「わかったよ、出ればいいんだろ、出れば」
 アーサーはこの関係に意味も救いも求めていない。彼にとってはフランシスとのどんな行為も気の迷いで、戯れにすぎない。
 とっくにわかっていたはずなのに。
 そして、諦めならもうついている。
「……じゃあ、この続きはまた今度な」
 それなのに、みっともなく言質を取るかのように縋ってしまったのは、二人を微酔い気分から現実に引き戻した来訪者の意図を、フランシスは知っていたからだ。
 アーサーにとっては大したことのない時間でも、十年は、フランシスには長過ぎた。
 背を向けたままベッドルームを出る。
 アーサーは返事をしなかった。たぶんまた笑っているのだろう、まるでフランシスが気の利いた冗談でも言ったかのように。再び戻ればきっと、何事もなかったかのようにベッドの上ですやすや寝息をたてているに違いない。
 ――ああ、アーサー。いつかお前が、体面も諦観もかなぐり捨てて、誰かに必死に縋りついている姿を見てみたい。
 そんな風に、他人との関係を諦め切って自嘲気味に笑うのはもうやめて、臆病な彼が全力で愛を注げる相手が、いつかこの長く退屈な生涯に現れればいい。
 静かに開けた玄関のドアから、薄く月光が差し込んでくる。
 青白くはかない、悲しい美しさをまとった月。
「――済まないが、出発の予定が早まった」
 夜空から目線を下げれば、相変わらずの仏頂面がそこにあった。
 用向きも皮肉なほどに予想通り。
「そんなことだろうと思ったよ。まだフェリシアーノ、帰ってきてないんだろ?」
「引継ぎにトラブルがあって遅れているようだ。悪いが後任のお前が早めに行って協力してくれると助かる」
 できれば明日、日暮れ後すぐに、と申し訳なさそうに、けれど焦った口調でルートヴィッヒは言った。
 フェリシアーノのことが心配なのだろう。早く帰ってきてほしいという気持ちがこちらにまで伝わってくる。
 ああ、本来愛し合う者の十年の別れとはこういうものだ。フランシスはそっと目を伏せた。
「わかった。まぁお兄さんに任せなさい」
「……頼む」
 頭を下げて去っていった吸血鬼を見送って、フランシスは再びベッドルームへと向かう。
 自分がフェリシアーノの後任に収まり、山脈の向こうに派遣されることを、もとよりアーサーに言うつもりはなかった。どうせ狭い吸血鬼のコミュニティ、黙っていたって伝わってしまうだろうから、隠すわけではないのだが、その話題を自分とアーサーの間で取り上げるのが怖かった。
 寂しい、とは言ってくれないであろう――それどころか思ってもくれないであろう――アーサーが、怖かった。
 ベッドルームに戻ると、案の定アーサーはすっかり寝入ってしまっていた。その髪を梳いて、額に口づけを落とすだけで我慢し、フランシスもおとなしく隣にもぐりこむ。
 乱暴に続きを強要しても意味などない。
 フランシスはアーサーを振り向かせたいわけでも、自分のものにして閉じ込めておきたいわけでもなかった。
 ただ、幸せになってほしかった。


 翌日の晩、フランシスは誰にも見送られることなく――いや、うっすら雲がかった蒼白の月だけが、いつまでもついてきてくれていたのだが――出発した。
 十年後戻ってきた頃には、アーサーは行方も告げず旅に出てしまっていて、これが二百年の別れになるとは、まだ知らずに。
















 先日歯列矯正のために二本ほど歯を抜いたら口中血塗れになりまして、思ったのですが、血ってクソ不味い!
 いや、でもこの独特の味がまたクセになるよね、と自分を誤魔化そうとしましたが無理でした……orz 吸血鬼って大変だなぁ……。

 なんか自分米英が好きすぎて、米英ベースの仏英しか書けなかったのですが、純粋仏英をお求めでしたら本当にごめんなさい……。
 英は米よりも仏とくっついた方が絶対に幸せにしてもらえると思います。その方が米も大人になれると思うし。いつまでも英に愛されてるという無意識の甘えがあるから、米はいつまで経っても年下根性のワガママ野郎なんです。
 けれどそう簡単にはいかないのが恋心というやつで、英は米じゃないとだめなんだ、きっと。――と、以上米英派の戯言でした。
 なんだかノリで独伊まで出してしまいましたが、独伊(もしくは伊独でも?)もお嫌いでしたらごめんなさい……。

 始めは「こ、こんなときめきファンタジー書いたことねぇよ……!(ガクブル)」と冷や汗だらだらで雰囲気だけで突っ走った「Goodbye my sunshine」シリーズでしたが、予想外に好評をいただきまして(根本的な萌設定がよいからこそでしょうね、リクエストいただいたちるは様を本当に尊敬いたします…!)、幸運にも今作で3話目になります。だんだんと自分なりの世界観も固まって参りまして、嬉しく楽しい限りですv

 そんなわけで☆様、リクエストありがとうございました!


(2007/11/3)



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