Hello my sunshine それは、ほんの一瞬の間だったのかもしれない。けれどアルフレッドには、一時間にも二時間にも感じられた。 張り詰めた緊張の糸を切ったのは、フランシスだった。彼はアルフレッドが握り締める剣の刃先を軽く掴むと、恐ろしいほどの力でアルフレッドからそれを奪った。 当然、刃先を素手で握った彼の手のひらからは真っ赤とは言い難い、やや鈍い色の血が滴っていたけれど、みるみるうちに傷口は跡形もなく塞がってしまった。月光が白々と映し出したその光景に、アルフレッドは息を呑む。 「ただの冗談だろ。ムキになるなよ坊や」 軽い、見下すような口調にたじろいでいると、アーサーが華麗な前蹴りをお見舞いして、フランシスはようやくアーサーから離れた。それでも大して効いたように見えないのは、やはりアーサーが一年近く食事をしていないからなのだろうか。 だとすればそれは自分のせいだ。アルフレッドはうつむく。 「アルフレッド、こんな奴のデタラメなんて、聞くことないぞ? お前は死んでなんかいない。お前はちゃんと、俺がパートナーとして、契約者に選んだんだ」 気を遣うような声音が痛い。アルフレッドはただ首を振る。 「君はいつだってそうやって、俺を子供扱いするんだな。……俺は覚えてるぞ、今まで忘れてたけど、俺が、死んだ、時のこと……」 両親の叫び声。ぐちゃぐちゃと、何かを食む音。 体中が、痛いのか熱いのかわからなくて、倒れ伏した地面は夜気に冷やされ冷たかった。 顔を上げれば、アーサーは目を逸らす。 沈黙が流れた。 「お前ら、馬鹿か?」 やけに軽い調子でフランシスが吐き捨てて、頭を掻く。 「おい、アーサー。こいつを捨てる捨てないの話は置いといて、どっかにいい狩場ねぇ? 腹が減って死にそうなんだわ」 「そんなの、俺が知るか」 「ああそうか! お前、その坊っちゃんの血しか飲めないんだもんなぁ?」 いちいち挑発するような口調に、アルフレッドは腸が煮え繰り返るようだったけれど、努めて冷静な声を出した。 「坊っちゃんじゃない……アルフレッドだ」 「俺から見たら変わらねぇよ。どの人間も、みんな坊っちゃんだ」 そう言われてしまえば黙るしかない。 「もう、お前まぜっ返すだけならどっか行けよ!」 アーサーは苛々とした声を出した。幼い頃は怖く、今は可愛いと思うその声を、アルフレッドは冷静に聞くことができないでいる。 「やなこった」 フランシスが自分を歯牙にもかけないことも、やたらアーサーに気安くするのも、アーサーがそれに飾らず応えていることも、何もかも気に入らなかった。 今まで、吸血鬼として半永久的な時を生きるアーサーは孤独だった。アルフレッドはアーサーの知り合いに会ったことがなかったし、アーサーに知り合いがいるなどとは夢にも思ったことはなかった。それは、アーサーがそうした素振りをまったく見せたなかったからに他ならない。 幼い頃に両親と死別し、アーサーに育てられたアルフレッドにもまた知人はいない。アルフレッドにはアーサーしかいなかった。 物心ついてから十余年、二人きりの世界で、アーサーにもアルフレッドしかいないのだと勝手に思い込んでいた。 でも、そうではなかった。 アーサーはフランシスのような、同じ吸血鬼の友がたくさんいるに違いない。自分には決して手の届かない場所、けれどアーサーには容易く辿りつける場所に。 ――とんだ思い上がりだ。 寂しくて虚しくて、それなのに、無理矢理呼び覚まされた真実を処理せねばならない状況に、涙が出そうになった。 とにかく、自分はアーサーにとって不要な存在なのだ。むしろ自分がいることがアーサーを苦しめる。それだけは間違いない。 そうだ、自分は元より「アーサーから独立する」と言い放って出てきたのではなかったか。 バカなわがままを言って、アーサーを試すようなマネをした。自分にはそんな資格はないというのに。自分はアーサーに命を救われた、ただの死人にすぎなかったというのに。 屈辱と自己嫌悪で体が熱くなったのを感じた。 アルフレッドは、言い合いを続ける二人の吸血鬼に、そっと背を向ける。 このまま誰もいないところで、そっと命を絶つのだ。そうすれば、アーサーはこの忌まわしい呪縛から解き放たれる。 「――アルフレッド!」 歩きだしたアルフレッドに気づいたアーサーが、フランシスを押し退けて駆けてくる。いけないと思うのに、それが嬉しくて仕方なかった。 どこ行くんだよ、と引き留める彼に、笑いかけることもできない。 「俺、君が好きだって言ったよね」 「アルフレッド……?」 「愛してるって言ったよね」 頬を染めたアーサーを、心の底から愛おしいと思った。 「だから俺は、もうこの世にはいられない」 自分は死んで、そうして君を自由にしよう。 「馬鹿なこと言うな!」 がし、と二の腕を掴まれた。今までに感じたことのないような力に、アルフレッドは瞠目する。 弱ったといっても、この人はやはり偉大なのだ。 「お前に死なれたら、俺……っ、ばかみたいじゃねぇかよっ! 俺はお前に生きててほしくて、お前に隣にいてほしくて、お前に……好きだって言ってッ、抱き締めて、き、キスしてほしくて……今までずっと……」 こぼれ落ちる涙を、きれいだと思った。こんなにも美しいものが、この世に他にあるだろうか。 情けないことに、首筋に縋りついてくるアーサーに、もろくも決意は崩れ去った。 ――ああ、こんなに愛しい人を残して逝くことなど、どうしてできるだろう。 木の幹に寄りかかって、ぼんやりてのひらを見つめる。町や村で見かける人々と、なんら変わらないように見える、それ。 けれどフランシスは――あの、アルフレッドがアーサー以外に初めて出逢った吸血鬼は――腐臭がする、と言った。 「……よぉ」 静寂を破るようにガサリと落ち葉を鳴らしたその感じに――敢えて自身の存在をアルフレッドに知らしめようとするやり方に――アルフレッドは覚えがあった。恐らくフランシスも、いつものアーサーと同じように、もうずいぶんと前からそこにいたのだろう。 吸血鬼という人外の魔物のその流儀に若干腹が立つと同時に、超えられない壁を思い知る。 「……何か、用かい」 彼は腹拵えをしに人里に下りていったはずだが、吸血鬼の鼻と足にかかれば、たかだか二、三時間前に別れた同胞を再び捜し出すのは容易いらしい。そこまで考えて沸き上がってきた嫉妬も、意味のないものだ、アルフレッドは自分に言い聞かせる。 「結ーっ局、アーサーを苦しめてでも生きるんだな、お前は。――かくも短い命に執着する、醜いもんだな、人間ってのは」 言い返す言葉もない。その通りだったから。こんなにも絶望を味わってなお、体に染みついた死への恐怖は大きかった。 否、それよりも尚怖いのは、アーサーをこの腕で抱く、そのぬくもりを失うこと。 ああ、本当に醜い。 「……黙るなよ。もうちょっとこう……反論するとかさ」 アルフレッドはただ、鈍い動作で視線を遣る。 「何しに戻って来たんだい? アーサーが心配?」 「冗談じゃないねぇ。あいつとは二百年近く会ってなかったんだ、今更どうだっていいさ」 嘘だ、とアルフレッドは思う。彼はアーサーの現状を見下しながらも放っておけないのだ、そうした深い情愛のようなものを悟れないほど、アルフレッドはお気楽ではなかった。 「俺が憎いかい?」 アーサーを縛る、この若造が憎いかい、アルフレッドは問う。 フランシスはへらへらとした笑みをその顔から消した。 「……馬鹿だな。お前の命なんざせいぜいあと60年あるかないか。そんな儚い夢を邪魔するほど、俺は野暮じゃないんでね」 自分とアーサーの関係など所詮「儚い夢」にすぎないと言い放たれたことで、アルフレッドの中の何かが激しく燃え滾った。今すぐこの男を殺してやりたい、睨んだ眼光には殺意が宿る。 「そうカリカリするなよ。……今、アーサーは?」 「……あっちの洞窟にいるよ」 しばらくアルフレッドの手を握って離そうとしなかった彼を、「絶対に君を残して死んだりしないよ」と説き伏せ宥めすかし、「少し一人になりたい」と抜け出してきたのだ。 あっち、をちらと確認すると、フランシスはぺろりと唇を舐める。 「お前、聞き分けよく落ち込んだフリとかしてるけど、このまんまお荷物でいいのか?」 「他にどうしろっていうんだ! 俺だってアーサーを飢えさせるのは嫌に決まってるじゃないか! なのにアーサーは血は吸おうとしないし、死ぬって言ったら泣くし……言い訳みたいだけど……」 つかみかかったフランシスは、いとも容易くアルフレッドの腕を捻り上げる。激痛が走ったが、声を上げなかったのは最後に残ったひとかけらの矜持からだった。 「まあなぁ。契約の呪縛がどうにかなったところで、お前は所詮ただの人。アーサーを置いて、勝手に老いて死んでいく。60年なんて、俺らにとっちゃゴミクズみたいな時間でだ」 それまで飄々とした態度を取っていたフランシスが、急に真剣な顔つきになった。 「俺はそんな奴に、アーサーを託せない。お互い不幸になることが目に見えてる。……そうだろ?」 ああ、どうして今までのんきで馬鹿な自分は気がつかなかったのだろう。 くらり、と眩暈がした。 この、アーサーの知己の言う通りではないか。 無邪気に背丈が追いついたことを喜んだりして、アーサーより大きな手にはしゃいだりして。 ――馬鹿みたいだ。 目の前が真っ暗になったような気がした。 「……俺は、お前に『アーサーは諦めろ』なんて言うつもりはねぇよ。ただ、誠意を見せてもらいたい。お前の好いてる奴はな、軽々しい気持ちで連れ添えるような相手じゃない。――わかるな?」 「……誠、意?」 この場で片足でも切り落とせと言うのなら、いくらでもそうしようと、アルフレッドは馬鹿みたいに波打つ心臓を宥めるように、虚勢を張った。 「いい意気だ。そうだな、お前にアーサーへの強い気持ちがあるのなら、――お前を忌まわしき契約から解き放ち、永遠の命を授けよう」 「どうした、怖い顔して。まーたお前、フランシスに変なことでも吹き込まれたのか?」 いつものように軽くいなそうとしているが、アーサーの声音には、動揺が色濃く現れていた。 彼は何かを恐れている。アルフレッドが口に出すかもしれない、何かを。 それこそが、先ほどフランシスから語られた話が真実をそう逸脱してはいないことを意味している、とアルフレッドは思った。 「俺……吸血鬼になりたい」 簡潔に告げると、アーサーはまるで死刑宣告でも聞いたかのような顔を一瞬見せた後、すぐに嘘臭い笑みを顔に貼りつけた。 「何言ってるんだよ、ただの人間のお前が、吸血鬼になんかなれるわけが……」 「俺は、君の足手まといでいるのは、もう嫌だよ。対等になりたいんだ、君と同じ、吸血鬼に」 有無を言わさない口調で真剣に言えば、アーサーは瞳を揺らした。 「だ、めだ……」 「フランシスから聞いたぞ。統括本部とやらに行って、試験を受ければいいんだって」 「っし……、『試験』、なんて、そんな、生易しい、ものじゃない……!」 こんなふうに怒鳴り声を上げるアーサーは初めて見たと、アルフレッドは驚いたが、どんなに反対されようと、この決心が鈍る気はしなかった。 試験が過酷を極めることなら、既にフランシスに、気分が悪くなるほど聞かされた。思わず途中で吐いてしまったアルフレッドを、フランシスは笑いはしなかった。ひょっとしたらフランシスも遥か昔、その試験を経験したのかもしれない。 「俺はただ、お前に幸せになってほしかっただけなんだ! 普通の人間として生きて、歳を取って、結婚して、天寿を全うしてくれれば、……それで、よかった……」 アーサーの言葉を遮るように、アーサーを強く強く抱きしめる。 違う。違う。今更聞きたいのはそんな優しさじゃない。そんなものは今までにもう十分もらった。今度はアルフレッドの番だ。 「俺はよくないぞ。君に命を救われて、君の食事の喜びを奪って苦行を強いて、そうして、君を残して一人老いて死んでいくなんて、絶対に嫌だ」 肩を掴んで、翠の瞳を覗き込んだ。その瞳にアルフレッドが映り込んでいる。 「君と、永遠に添い遂げられるなら、どんなことだって怖くない」 ふるふると、力なく首を振ったアーサーの髪をひとすくいして、アルフレッドは口づけた。 「……試験の苦しみは地獄にも勝る。失敗すれば即あの世行き。成功したって、二度と日の光を拝めない、薄汚い闇の生物に成り下がり、終わりのない無為の時間を過ごすんだ……俺は、そんなのは嫌だ」 嫌だ嫌だと、駄々をこねる子供のように。 「俺はお前に、そんな苦しみを味わわせたくて、助けたわけじゃないんだ……」 それでも滲み出てくるのは、アルフレッドが好きだという、アーサーの強い想い。 「アーサー、わかってよ……。もう俺は、君に守られるだけの子供ではいたくない」 「どうしてアルフレッドに……あんなこと吹き込んだ?」 「俺は、アムールの味方だからな」 冗談めかした口調が本当に忌まわしかった。そう思ってしまうアーサー自身の性根が醜いのだということなど、とっくの昔に気づいていて、今更確認する気にもなれない。 「お前だって好きなんだろう? あの坊やが」 今度はからかうような調子ではない。真剣な問いに、「わかっているのなら尚更、なぜ」と掴みかかりたい気分になったが、今の自分では勝ち目がないこともわかっている。アーサーは溢れる感情を押し込めようとするかのように俯いた。 「だから……っ、だからこそ、こんな……」 「お前の気持ちもわからんでもないよ。昔は俺らの先輩方が、みーんなそのジレンマに悩み、苦しんだもんだった。……でもな。正直もう飽きたんだよ」 まるで戯曲のように月に手を伸ばしたフランシス。それは彼の癖だった。何か思い悩むことがあるとき、彼は決まって縋るように月に手を伸ばした。 月は、彼ら吸血鬼の太陽だった。 「ばかみたいに長生きして、何度も何度も同じストーリー展開をなぞることに、俺は疲れた」 誰もが「愛する人には普通の幸せを享受してもらいたい。そのためには人外なる自分がどんな責め苦も請け負おう」と歯の浮くようなことを言い、言われた方は「そんなのは嫌だ」と口では言いながら、その深い愛情に押されるフリをして、その実、悲劇に酔いながら、甘美な怠惰に溺れていた。そうして無責任にも儚すぎる倒錯的な生を終え、残された吸血鬼は狂った。 「俺は期待してるのさ。あいつの描こうとしてる、新派の戯曲に」 ――もっと明るくて、希望に満ちた可能性に、賭けてみようという勇気に。 「俺は嫌だ! あいつにはこのまま、幸せに……」 繰り返したアーサーに、ぴしゃりとフランシスは言う。 「幸せ? お前の思い通りに生きるのが? ……お前だってあいつの立場だったら、同じことを思うだろう?」 アーサーは昔から、このわずかばかり年上の吸血鬼の諭すような口調が嫌いだった。自分だってわかっている、自分の考えが、いかに狭小かということが。 「わかってるさ、そんなの! ……でも、でも俺は、どうしてもあいつをそんな目に遭わせたくない。吸血鬼にするなんて……!」 今度は本当に掴みかかって、力なくフランシスの胸板を叩く。フランシスは抵抗しなかった。 やがて叩き疲れたアーサーは、ずるずるとその場に座り込んだ。 「……俺は、始めから自分本位だったんだ……」 アルフレッドを死の淵から引き戻したのは、ちょっとした気の迷いだった。そう思う。 話に聞いていた「契約」というやつを、一度くらいは経験してみたかっただけなのかもしれない。 けれど自分を親代わりと慕ういたいけな子供が、だんだんかわいくなった。絶対に自分が、愛情を込めて立派な大人に育て上げてみせるのだとそう思った。 いつの日か思春期を迎え、自分より背丈も大きくなって、体格もがっしりし出した子供が向けてくる恋愛感情に絆されるのに時間はかからなかった。元からアーサーは、アルフレッドに「やがて巣立ってしまう子供」ではなく、「対等な立場で連れ添うパートナー」としての役割を期待していたのかもしれない。今いくら考えたところで、所詮は結果論でしかないのだけれど。とっくの昔に、アーサーはアルフレッドに、心も体も許してしまったのだから。 少しワガママでバカなところも、感情を隠さずストレートにぶつかってくるところも、自意識過剰で意地っ張りなところも、みんなみんな愛しかった。この世で誰よりアルフレッドのことを知っているのはアーサーなのだと、そう思うたびに誇らしかった。 「俺は卑怯なんだよ……あいつが俺を『愛してる』って言ってくれたときも、本当は受け入れるべきじゃなかったんだ。だってちょっと考えたらわかるだろう? あいつは物心ついたときから、俺しか近しい奴がいなかったんだ。生物の本能としての性欲を、俺に向けるしかなかったんだよ。他に選択肢がなかったんだから……。俺は、本当にあいつのことを思うなら、そういうことをちゃんと説明して、かわいい女の子といっぱい遊ばせてやって、それから、もう一度あいつの判断を仰ぐべきだったんだ……」 でも俺はそうしなかった、とアーサーはひとりごちる。 「怖かったんだ……俺にはあいつがすべてで、あいつにすべてを捧げてきた。あいつに拒否されることが、あいつに捨てられることが、怖かった……。あいつを騙したまま、まんまと愛されて、俺は……」 胸がつかえて、それ以上を言うことはできなかった。 「俺には、あの人間が、お前を盲目的に愛してるようには見えねぇな。あいつはちゃんと、世の中にはお前よりセクシーでかわいらしくて、あいつの子だって産める女の子がごまんといるって、知ってるように見えるぞ。その上でお前が大切だって言うんだ、お前が好きだって」 あいつは試験に受かるだろう、とフランシスは言った。 根拠など全くないのに、アルフレッドならやり遂げるだろう、と確信している自分に、アーサーも気がついた。 「……あいつは、お前が思ってるほど子供じゃねぇぞ。そんで、お前はもう少し自惚れろ」 あんなにもアルフレッドの近くにいたのは自分なのに、フランシスのような部外者に諭されるまで、こんなこともわからないなんて。 「あいつは、お前が、ちゃんと好きだよ」 ――馬鹿だな。 アーサーは頬を伝う涙もそのままに、こくりと小さく、一度だけ頷いた。 嫌な思い出しかできなかった、忌まわしい施設――傍目には単なる火山にしか見えないのだけれど――を振り仰いで、アルフレッドはマントをしっかりと被り直した。 辺りはすっかり日が落ちて、こんな夜には、カンテラがなければ足もとも覚束なかった昔を思い出す。いや、それほど昔ではなかったのかもしれない。もう忘れてしまった。 ここにいては、時間の感覚など、思い出している暇はないのだ。 嫌なことを思い出してしまった。吐き気に身震いしながら、アルフレッドは確かな足取りで歩き出した。 もはや自分は、灯りなどなくても木にぶつかったり、石に足を取られたりはしない。 いつかのように、鼻歌を歌う。 何も考えずに歌い出すと、メロディは自然と、大好きな子守歌の旋律をなぞった。 それは愛する人が、夜は怖いと震えていた自分に夜通し歌ってくれたもの。 ――ああ、俺は、帰ってきたんだ。 数メートル先に佇む人影に、涙が滲んだ。 けれどもう泣かない。自分は、望むものを手に入れたから。 「……迎えに来てくれたんだ」 彼は「お前のためじゃないんだからな」とかなんとか、お決まりのセリフをぐちゃぐちゃ言ったけれど、それすらも懐かしくて、思わず理性を手離して彼に飛びかかってしまった。 彼はアルフレッドもろとも、どさりと後ろに倒れ伏して、抗議の声を上げながらじたばた暴れたが、「あはははは」とアルフレッドが笑いながら涙を零していたら、「ばか野郎……」と背中に手を回してくれた。 しばらく二人で熱い口づけを交わし合う。 涙が止まらなかった。それは彼も――アーサーも同じで、ぐちゃぐちゃの顔に二人で笑った。 無事に、とは言い難いが、晴れて試験に受かったアルフレッドは、今日から吸血鬼としての生活を始めることになる。 「怖く、ないか?」 お前、暗いところ苦手だろう、とアーサーはまだ吹っ切れない様子で恐る恐る言った。アルフレッドを吸血鬼にするのは嫌だと、言ってくれた彼。 「平気さ」 対するアルフレッドの気分は晴れ晴れとしていた。こんなにも誇らしく嬉しい瞬間が、まさか自分の人生に訪れようとは、露ほども想像していなかった。 口角が自然に上がってしまう。 「俺の太陽は、これからずーっと、俺の隣にいてくれるんだから」 笑ってぎゅっと抱きしめると、セリフがクセぇんだよバカ、と“アルフレッドの太陽”は頬を染めた。 たまに(?)英にベタボレの米を書きたい症候群に見舞われます。余所様でそういう米英を拝見したあとは特にそう。 ハッピーエンドへの道を模索し続けた自分に乾杯! が、頑張った……! 元はといえば全部私が付け加えた余計な設定のせいでこんなややこしい事態になったんですがね!(笑) この二人には永久にラブラブしていてほしいです。 ああ、区切りをつけられてちょっとスッキリしました。 なつ様、リクエストありがとうございました! (2007/10/18)
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