「妖精なんか、いるわけがないじゃないか!」 くだらない、とアメリカが吐き捨てた瞬間、信じられないことが起こった。 大きく目を見開いて、揺れる瞳に涙を溜めたイギリスは、水の中で溺れてでもいるかのように、両腕を振り回してもがいていた。 みるみるうちに、イギリスの周りの空気は淀み、まるで透明なジェルでもあるかのように見えた。 「イ、ギ……」 わけがわからず、アメリカがイギリスに手を伸ばした矢先、さらさらと音を立てるかのように、イギリスは消えた。あとかたもなく。呆然と立ち竦むアメリカの脳裏には、今しがた合ったイギリスの目の、深い深い翠が鮮やかに焼きついているというのに。 not with the eyes アメリカの機嫌は朝から最悪だった。イギリスとフランスと、三人で仕事の予定だったのだから当然だ。 仕事の場所はアメリカの家。現れた二人を見て、ますます機嫌は悪くなった。同時にアメリカの家にたどり着いた二人は、口では「そこで会った」などと言っていたものの、アメリカにとっては、はるばるヨーロッパから二人が道中をともにしていたことを想像するのは容易かった。 しかもさらにおもしろくないことに、イギリスの様子がおかしかった。 普段から、いい歳して「妖精」だの「ユニコーン」だの、人目も憚らず口にする彼ではあったが、仕事中に頻繁にそうしたふざけた話を持ち出すことは珍しかった。 それが今日は、朝からずっと「妖精の王」だの「ティターニア」だの「惚れ薬」だの、ひっきりなしに、イギリスの口からは非日常的な単語が飛び出した。 「お前はまーたバカなこと言って。仕事中だぞ、いい加減にしろ」 フランスが軽くたしなめても、いっこうにやめる気配を見せない。 「力を貸してほしいんだ。このままでは森の秩序はあの女に握られてしまう」 まるで電池の切れかけたおもちゃのように、生気のない顔だ、とアメリカはぼんやり思った。それなのに語調はやけにはっきりしているから、また気味が悪い。 「だからお前……」 もう何度目かのフランスの注意。 二人のそのやりとりに、どことなく疎外感を覚えていたアメリカは、ついに耐えかねて大声を出した。 * 「妖精は存在を否定されると消滅する、って話、お前知ってるか?」 沈黙を破ったのはフランスだった。 「……知るわけないだろう。第一、イギリスは妖精なんかじゃない。俺たちと同じ、国だ」 そんなにも簡単に消えてしまうものなら、存在する価値などない、とアメリカは思った。 アメリカは依然、先ほどまでイギリスがいた空間から目を離すことができない。 こんな大変なときに、「妖精」などとくだらないことを言い出したフランスに、アメリカは正直腹を立てていた。 そんなアメリカを制するように、フランスがいつになく真摯な目でアメリカを睨んだ。 「……お前、国が消滅するところを見たことがあるか」 フランスやイギリスに比べれば若輩者でしかないアメリカに、そのような経験などあるはずがなかった。 ない、と答えるのも癪で、アメリカは黙っていた。 「国は侵略や条約で名目上世界地図から消え失せても、すぐに死ぬことはない。しかし時が経つにつれだんだん弱っていき、ある日、誰もがその国の復活を完全に信じなくなったとき、さらさらと粉のように風に散って、あとかたもなく消えるんだ。……イギリスの消え方は、まるで国が消滅するときのようだった……」 自分の身にも訪れるやもしれぬ事実を初めて知って、アメリカは、ぞっと背筋に悪寒が走るのを感じた。アメリカも、いつどう転んでそのような虚しい最期を遂げるのかわからないのだ。 しかし何より恐ろしかったのは――。 「で、でも、まだイギリスという国は存在してるじゃないか!」 壁にかかった世界地図――かつてイギリスがくれたものだ――には、はっきりとイギリスという国が書き込まれている。 フランスの言を一笑に付すかのようなアメリカの上ずった声に、フランスはガタンと乱暴に立ち上がった。 「じゃああいつはどこへ行ったんだ!」 今までに聞いたこともないような、怒気のこもった声だった。 フランスはなんだかんだ言って、いつもアメリカには甘かった。このようなむき出しの敵意を、アメリカに向けることなどかつてなかったことだ。それゆえに、アメリカは思わず竦んでしまう。 「そもそもお前が『妖精なんかいない』って言うからこんなことになったんだぞ! このままイギリスが戻ってこなかったら、俺はお前を殺してやる」 そう言って胸ぐらをつかんだフランスの眼光に射抜かれて、アメリカは本能的にフランスを突き飛ばしていた。 冗談でなく、殺される、と思った。 「そ……そんなの、君だっていつもバカにしてたじゃないか!」 狂ったように大声を張り上げる。膝が震えているのに気がついた。 怖くなって、アメリカは部屋を飛び出した。 いつになく殺気立った様子のフランスが憎悪の目を向けてくるのも怖かったが、アメリカにとって何よりも怖かったのは、自分がイギリスを殺してしまったのかもしれないという、残酷すぎる推察だった。 そんなのは嘘だ、と叫びたい気分だった。 あんな些細なことで――それこそいつも通り、イギリスのムキになる顔が見たかったというだけのなんの他意もない軽口で、イギリスが――あんなにも偉大な人が、あんなにも立派な人が、あんなにも大切な人が、消えてしまっただなんて認めたくなかった。信じられなかった。許せなかった。 * もうすっかり日の暮れた道を、アメリカは走る。 乱暴に開け放したドアの中は、やはり静まり返っていた。 「……イギリス?」 ひょっとしたら家に帰っているのかもしれない。淡い期待はもろくも打ち砕かれた。 書斎を、寝室を、キッチンを。家中をひっくり返すように歩き回っても、誰の気配もない。 それどころか、イギリスの愛した調度品の数々を見るたびに、焦りは募るばかりだった。 イギリスが消えた。その、シンプルでなんて恐ろしい事実。 イギリスは、確かにいた。その記憶はアメリカの脳にしっかりと焼きつけられて、決して消えはしないだろう。 それなのに、彼自身があんなにも簡単に、消えてしまってよいものか。 「どこにいったんだよ……」 家中を回っては、疲れ切ってソファに体をうずめることを繰り返し、すっかり夜も更けた頃になって、アメリカはついに、動けなくなった。 ばたん、と床にそのまま寝転がった。カーペットが敷いてあるとはいえ、普段土足で踏まれているそれは寝転がるにはあまりに汚い。けれど今はそんなことはどうでもよかった。 ――妖精は存在を否定されると消滅する。 薄暗い天井を眺めながら、フランスの言葉を思い出していた。 イギリスが消えた原因を考えるとすれば、やはりアメリカの「妖精なんているはずがない」という発言しか考えられない。 ならばやはり今回の件には、妖精が関わっているのだろうか。 ――ばかばかしい。 けれど、イギリスのあの不可思議な消え方は。目の前で見たのだ。アメリカにも、この目で見たことは否定しようがない。 もしもこの世に、妖精なんてものが、本当にいるとするなら――。 「イギリス……どこに行ったんだよ……。君たち、知ってるなら教えてくれ……そこにいるんだろう!」 虚空に向かって叫んでみても、やはり応答などなかった。 かえって静寂が深くなったような気すらする。 ばかみたいだ。この家には最初から、アメリカ以外、誰もいない。家主であるイギリスも、彼が消える間際まで口走っていた「妖精」とやらも。 顔を覆って、アメリカは顔を歪めた。 涙がこぼれて、カーペットを濡らした。 「頼むよ……イギリスを返してくれ……とても大事な人なんだ」 天に祈るかのように絞り出した。 誰も聴いていなくてもいいと思った。むしろ、だからこそ口に出すことができた。 口に出しただけで、イギリスを取り戻すために、何か自分がとてつもなく努力したかのような気分に浸れる。 ああ、なんて自分は卑怯なのだろう、けれどもう、一歩も動けそうにない。 アメリカが、流れる涙もそのままに、ぼんやり虚空を見つめていると、突然、静まり返った部屋にカタン、とかすかな物音が響いた。 ゆっくりと首を巡らせる。 音の出所は机の上。見れば机の真ん中に、見慣れぬ小瓶がちょこんと鎮座していたのだった。 こんなものは先ほどまでなかったはずだ。 恐る恐る、アメリカは体を起こした。 手に取って、蓋を開けてみる。中には不思議な色をした軟膏状のものが詰まっていた。 * 「妖精の塗り薬、というのをご存じですか」 いきなり電話で呼びつけられ、始発便でロンドンまで飛んできてくれた日本は、始めこそ迷惑そうな、困惑したような様子だったけれど、事情を詳しく説明するにつれ、徐々に真剣な顔になって、アメリカはとても心強く思った。 フランスは、イギリスが消えてしまったのはアメリカのせいだと責めた。殺してやるまでと言われた恐怖を、いくらなんでも忘れることはできない。 フランスに完全に突き放されたアメリカは孤独だった。 それでも、なんとかしてイギリスにもう一度会いたい。 それにはどうしても協力者が必要だった。 「薬? なんだい、それ」 「そういうものがあるのだと、うかがったことがあります」 我が国にも河童の妙薬という伝承がありまして、そのお話をした際に、イギリスさんがおっしゃっていたのです、と日本は続けた。 「河童の妙薬とはずいぶん違うのですね、とお話した思い出があります」 「それが、今回の件となんの関係があるんだい?」 「何でも、その妖精の塗り薬とやらをまぶたに塗れば、妖精の姿が見えるようになるのだそうです」 ごくり、とアメリカの喉が鳴った。 「これが、その塗り薬だっていうのかい?」 「試してみる価値はあるんじゃないでしょうか……、ただ……」 彼は着物の袖を口元にあてがい、言葉を濁した。 「ただ、なんだい?」 「その塗り薬を使ったことが妖精にバレてしまうと、現実に光を奪われるか、もしくは心の光を奪われてしまう、というお話も聞きました」 どういうことだかまったくわからないんだけど、とアメリカは、半ば当たるようにして小瓶を乱暴にテーブルに置いた。 結局これはイギリスを取り戻すのに役立つ代物なのか、そうでないのか。 日本はティーカップに口をつける。中身は「まずは落ち着きましょう」と彼が自身とアメリカに淹れた紅茶だが、アメリカはまだ一度も口をつけていない。 「つまり、目を潰されるか、生気を吸い取られるか、ということです」 「目を潰……?」 ひくり、とアメリカの顔が引きつった。 ずいぶん野蛮な話ではないか。 「意外でしょう? 妖精というから、ほわほわとかわいらしいものばかりなのだと思っていたのですが、ケルトやイングランドの民間伝承に見られる妖精というのは、基本的に出会ったが最期、人間に害をなす、残酷な悪戯好きの、ある種の超常現象みたいなものとして描かれることが多いみたいなんです」 妖精の悪意もさることながら、薬を塗るだなんて単純なことで妖精が見えるようになるのか、ということにむしろアメリカは驚いていた。イギリスは常々、「妖精は本当にいる」と強固に主張していたが、もし本当にいたとしても、それが見えたり見えなかったりするのはある種の超能力のようなもので、先天的なものなのだと、なんとなくアメリカは思っていたからだ。 そこまで考えて、アメリカはふと、怖い話をしてくれとねだって聞いた、イギリスの寝物語を思い出した。 「……そういえば、その話、聞いたことあるかもしれないぞ。確か女の人が、怪しい男に家政婦の仕事を頼まれるんだ。仕事内容が、ある家の赤ん坊のまぶたに毎日薬を塗ること。でも彼女自身は決してその薬をまぶたに塗ってはいけないと言い渡される。でもある日、偶然だか好奇心だかで薬をまぶたに塗ってしまった彼女は、依頼主の男が妖精であったことを知ってしまい、……どうなるんだっけな、不幸になったことは間違いないんだけど……。片目を失ったとかそんなだった気もしてきたよ……」 日本は首を傾ける。 「私はそのお話までは存じませんが……概してそういった残酷な話の方が、後世までよく残っているものですしね。世界中どこでも。……昔の苦しい生活の中で、訳のわからない疫病や災害などに襲われると、人々はそれを『妖精の仕業』として納得したんでしょうね、と私などは思うのですが」 つまりは言い伝えにすぎない、と日本は言いたげだが、現に目の前に謎の薬があるのだ。アメリカは苛立ちを覚えた。 「それで? 妖精が見えたからといってイギリスが戻ってくるかもわからないのに、失明のリスクを負えってわけかい? 冗談じゃないよ」 「けれどその薬は、当の妖精さんたちからプレゼントされたものなのでしょう?」 アメリカは、ぐるぐると日本がティースプーンで作っている紅茶の渦を見つめる。 「知らないよ、いきなり置いてあったんだ」 「あなたが妖精さんたちに『イギリスさんを返してほしい』と呼びかけたら、いきなり現れたのでしょう、でしたら今は、それに縋るより他にないのでは? 大丈夫、片目にしか使わなければ、完全に光を失うわけではないですし」 カチャリ、とスプーンをソーサーに置いて、日本は言った。 「こう言っては酷なようですけれども……、片目とイギリスさん、どちらが大切なのですか?」 「ひどい、ことを、言うな、君は……」 すみません、と日本は言ったが、けれどそれが事実問題となっていることだ、とでも言わんばかりに、その態度は毅然としていた。 「そんなの……決まってるじゃないか……」 ぐ、と拳を握り締めて、アメリカは意を決した。 人差し指に大胆に塗り薬を取って、えいと右まぶたに押しつけた。 そっと目を開くと、目の前がちかちかと華やかになった気がする。すぐに、それは部屋中を飛び回る異種異様の生物たちの振りまく光が、片目にだけ入ってくるせいなのだとわかった。 アメリカがしばらく呆けていると、一匹の小生物が目の前にやってきて、すい、と腕を伸ばした。まるであちらに行けと言っているかのようだ。アメリカは日本に頷いてみせて、妖精の指した方向――窓の外、庭だ――へ歩いていくことにした。こんな得体の知れない生物の言いなりになるのは癪だったが、今はこうするより他に策がない。 庭に出てしばらく歩くと、アメリカを先導していた彼女は緑ともオレンジともつかないやわらかな光を放ちながら、鬱蒼とした木陰でふよふよと止まった。 よく見れば、その足元には、今は使われなくなってかたく蓋された井戸があった。 「これは……」 慌てて駆け戻って日本とともに工具を探し、井戸の蓋をこじ開ける。中にイギリスが閉じ込められているのではないかという焦燥はしかし、まったく無駄なものに終わった。 覗き込んだ井戸の底は、光など届かず暗いはずなのに、まるでシャボン玉に映りこんだ虹色のような光に満ちていたのだった。そうして微かに、小さな人々が輪になって踊っているのが見えた。 「ただの古井戸のようですが……アメリカさん、何か見えますか」 日本が落ち着き払って問う。 ばかな、これが見えないのかい、と言おうとして、アメリカは悟った。 ああ、今まで彼らとイギリスの間にあった認識の乖離は、こういうものであったのか、と。 「妖精が、いる」 静かに告げた。日本はアメリカを疑いはしなかった。 「ここから妖精の世界に行けるのかもしれません」 けれど、と彼は続ける。 「これに飛び込むのは少々……勇気が要りますね」 それを聞いて、アメリカの不安は消えた。そうだ、ここで臆する訳にはいかない。 「平気さ! 俺はヒーローだからね!」 * ふわふわと、布団の海の上を歩いてでもいるかのような、中途半端な浮遊感がある。 井戸の中とは思えないような、果てしない空間だった。 木々がそよぎ、花が咲き誇るのどかな世界。それでいてどこか落ち着かない、禍々しさのようなものも抱えている。 鏡の国に入り込んでしまった、アリスにでもなった気分だ、とアメリカは思った。 焦りを感じながら、やみくもに走り回る。嘲笑うかのような妖精たちの視線が、ただただ忌々しかった。 オベロンはあっちよ、と風に乗って時折、楽しそうな甲高い声が聞こえる。 「オベロン? 誰だそれは! 俺が探しているのは、イギリスだ!」 ――イギリスただ一人だ。 「イギリス!」 遠くに見えた人影に、大声を上げて駆け寄る。 振り向いた彼は、会いたくてたまらなかった彼に違いなかった。 「ああ、よかった。やっぱり消えてなんかいなかったんだね! 君は……」 滅多に見せない満面の笑みで、アメリカが駆け寄っていくのに、イギリスは渋面を作るばかり。 「……貴様が我らを否定するから、あちらの世界に隠れていることができなかった。ここにいては、じきにティターニアに見つかってしまうだろう」 あまりにも様子のおかしい彼に、アメリカは思わず歩を止めた。 「ティ……? なんだい、それ」 そういえば、消えてしまう前も彼はこんな風に訳の分からないことばかり口走っていたのだった。 「あの女は余を廃し、余に代わって森を統べようとしている」 イギリスは続ける。その目は相変わらず、何の感情も表してはいない。まるで人形のような。 「イギリス? 昨日から君、何言ってるのさ、おかしいよ!」 「……この体を手に入れても、妖精である以上、あちらの世界のルールは守らねばならない」 ――この体を、手に入れる? サアッと血の気が下がって、気がつけばアメリカは、イギリスの顎を捉えて無理やりこちらを向かせると、乱暴に口づけていた。 * 「しかし驚いた。まさか、余の魔法を破るとは」 アメリカがイギリスの肩を掴んだまま呆然と、イギリスの影の中から現れた、その不可思議な生物を見つめていると、唐突にドン、と胸を押された。 見れば真っ赤になったイギリスが、アメリカを突き飛ばしたのだった。 彼はアメリカの目を見ないようにして背後を振り返ると、謎の生命体に向かって怒鳴り声を上げた。 「お前! 俺の体に勝手に取り憑いて……!」 「すまない。しかし森の秩序のために、余には身を隠す場所が必要だった」 「森の秩序? お前、誰かに命でも狙われてんのか?」 テンポよく繰り出される、意味不明な会話に、アメリカは完全に取り残されていた。 「ちょ……!」 口を挟もうと努力してみるも、会話はアメリカを無視してどんどんと進んでいく。 「ティターニアが、余を今の地位から追いやり、一介の庭妖精にでも貶めてくれると言ったのだ」 「お前ら……、またケンカしたのか……」 呆れたようなイギリスの声。 アメリカは、先ほどよりも大きな声を上げた。 「ちょ、ちょ!」 最終的には、イギリスと妖精の間に割り込む形になって、ようやく注意を向けてもらえた。 「ちょっとストーップ!」 説明してくれないか、と口を尖らせたアメリカに、イギリスは悪びれた風もなく、「ああ、悪い悪い」と向き直る。 「こいつは、妖精の王なんだ。このあたり一帯の自然を司ってる。ティターニアっていうのは、こいつの妻で……」 すらすらと説明してくれるが、どうもイマイチ状況が把握できない。 「ティターニアの目から逃れるために、貴様らの世界に身を隠す必要があったのだ。隠れ蓑として、この者に乗り移ったが、貴様が我らを否定したゆえ、こちらに押し戻されてしまった。我々は、存在を否定されると、あちらの世界にはいられなくなるのだ」 「お前、何の前触れもなく人の体乗っ取るのやめろよなー」 イギリスの抗議はあくまで軽い。こういったことは、一度や二度ではなかったのだろうと、アメリカは思った。 「しかし、世界を行き来するときにも、憑依を続けていられるとは思わなんだ。お前の体ごとこちらに戻って来られたのは好都合であったが、しかし……まさか憑依の魔法まで解かれてしまうとは」 ちらり、と妖精の王とやらがアメリカに視線をやると、イギリスは赤面した。 どうやら、先ほどのキスが魔法を解く鍵になったと言いたいらしい。 なんて適当な魔法だ、アメリカは呆れ返った。 「世界を行き来するっていうのがよくわからないんだけど」 憮然と問うと、イギリスは決まり悪そうに目線を外す。 「……え、ええと、俺らが普段いる世界と、こいつらがいる世界っていうのは、ほんの少ししか重なり合っていない、実は全然別の時空なんだと考えるとわかりやすいな。ただ、ほんの少しは共通部分があって、だから、俺みたいに見える奴と、お前らみたいにこちらの世界のことが見えない奴がいる」 「なーんか、嘘くさい設定だなぁ……」 「現にお前は今こっち側にいるだろうが」 呆れたように言われて、腹が立った。 誰のせいで、今こんな目に遭っていたのだったか。そもそもどうして、自分はこんなところにいるのか。 アメリカは考えた。考えても、納得のいく理由を導き出すことはできなかったが、ただ、なんとなく言えることは。 「……要は、この妖精の王サマとやらの、単なる夫婦ゲンカだったってことでいいのかい?」 恐る恐る訊いたその質問への答えは、ひどくあっさりとしていて。 「そういうことだな。まあ、とんだ茶番に付き合わされて、お前も御苦労だったな」 「……じょ」 「なに?」 「冗談じゃないよ! 俺がどれだけ、大変な思いしたと思ってるんだい!」 思わず怒鳴ってしまったのも無理はないと、アメリカは思った。 「なんだよ? なんかしたのか? 体よくヒーローごっこができてよかったじゃないか」 「ふざけるなよ! こちとら、君が俺のせいで死んじゃったんじゃないかと本気で心臓つぶれるかと思ったし、フランスには『殺してやる』って言われて本当に怖かったし、このまま一生君に会えないのかと思うと悲しくて悲しくて……目ぇ潰れるかもとか言われながら怪しい薬まぶたに塗らなきゃいけなかったり、古井戸に飛び込まなきゃいけなかったり……」 言っているうちに涙が滲んできたので、イギリスに背を向けた。 「ヒーローもラクじゃないな」 くすくす、と笑う声が聞こえて、激昂しそうになったアメリカだったがしかし、振り向いてかち合った嬉しそうな笑みに、怒気をそがれてしまった。 「君のところの妖精っていうのはまったく、ロクなもんじゃないね」 「色んな奴がいるもんさ……。妖精も、人も、国も」 やけにしんみり言ったイギリスに、アメリカは一気に脱力した。 しばらくアメリカとイギリスを交互に見比べていた妖精の王とやらは、「女王が来るわ」という例の甲高い声が響くなり、慌ててどこかへ去って行ってしまって、アメリカはイギリスと二人残された。 いや、正確には、数え切れないほどの虹色の光が辺りを飛び回っている。あれが全部妖精だとするなら、二人きりなどとはとてもでないが言えないだろう。 「あーもう! 目がチカチカする……」 アメリカは、薬を塗った方の片目を擦った。 左右から入ってくる情報量が違いすぎるせいで、いい加減頭が痛かった。 「ひょっとして、妖精の塗り薬か?」 その様子を見ていたイギリスが、興味深そうに声を上げる。 「そんな物もらえるなんて、お前、意外と気に入られたんじゃないのか? その薬は門外不出だぞ。だからこそ、昔は偶然それを手に入れた人間は、ことごとく酷い目に遭わされてきたんだからな」 「でもこれ、洗ったら効力落ちちゃうんだろう?」 「つけ続ければ、だんだん塗らなくても見えるようになる。……それも面白いかもな。そしたらお前と、妖精の話とかできるし」 「冗談じゃないよ。目を潰されたら敵わないからね。今日のことは、見なかったことにしておくさ」 「どうしてだよ。お前もせっかく、こういう世界もあるっていうことを知ったんだ。もったいない」 「世の中には、見えなくてもいいものがあるんだよ。見えなきゃいけないってもんじゃない」 「お前にしては……、意味深なセリフだな」 あまりにも失礼な言い草に、かえって反抗する気が失せてしまって、アメリカは珍しく素直に、胸の内を語っている自分に気がついた。 「……正直ね、君がいつも『かわいい』とか『友達だ』とか言ってるのを聞いて、妖精っていうのはなんて素敵な生き物なんだろう、って、意外に俺は想像力たくましく生きてたみたいなんだ。ところが、実際見てみたらどうだい、目を潰すだの、夫婦ゲンカだの……」 まあな、と苦笑するイギリスが憎らしい。 「――俺は、君がうっとり語る夢の世界を想像するだけでいい。そっちの方が、何倍も素敵だ」 君の口から語られる世界だからかな、とまでは、恥ずかしくてさすがに言えなかったけれど、たぶんそうなのだろう。 「……Love looks not with the eyes」 歌うようにイギリスが口ずさんだ一節は、陳腐なようで、それでいて洗練されたセンテンス。 「but with the minds」 「なんだい、それ」 まばたきをするたびに、視界にふわふわと小さな妖精たちが映り込んで、イギリスを輝かせる。 その誇らしげな顔を、幻想的な色に染め上げて。 「シェイクスピアさ」 こんな美しい光景はおそらく二度と見られないだろうと、アメリカはしっかりと、ひとつも見逃さないようにその顔を見つめていた。 ええと、シェイクスピア『夏の夜の夢』の妖精イメージと、捏造妖精界設定を織り交ぜてみましたら、まったく意味不明なファンタジーになりました……。 ヤマなし、オチな(ry 夏の夜の夢の芝居はちゃんと見たことはないです。ガ●スの仮面くらいでしか……!(笑) 「国が滅びるとき」とやらの設定も捏造ですが、彼らは不思議な存在ですからねぇ……。 国って戦争で負けて滅びるのはわかりやすいですが、条約とかで消滅することもあるじゃないですか、他国の支配下に入った国が何十年も経ってから復活したり……。いろいろ複雑なすべてのケースに対応するにはどうすればいいんだろう、と少ない脳みそで絞り出した設定ですが、たぶんこの話にしか適用しないと思います。 生まれ方も死に方も、生き方すらもはっきりとは定義できない。それがこのジャンルの擬人化された国というものの本質なのでしょう、という、いい意味でのアバウトなスタンスを大切にしていきたい、気がします。 葵様、リクエストありがとうございましたvV オマケ↓↓ 「フランス!」 フランスは目をいっぱいに見開いて、駆け寄ってくるイギリスを見つめていた。 アメリカはその後を、やれやれとついていく。 「イ……ギ、リス……、お前……」 いつもはニヤニヤと余裕を崩さないその顔が、苦しげに顰められる様子に、イギリスも少し戸惑ったようだった。 「悪かったな、俺、お前にも心配かけたみた……」 言葉半ばで、イギリスは口を閉ざした。ものすごい力で、フランスに抱きしめられたからだった。 「フランス……」 「この……バカ野郎……ッ!」 その沈痛な声音に、痛い、とも言えずに、イギリスはただ身をまかせ、小さく頷く。 アメリカは、自分などは到底入り込めないその感動の再会の様子を、とりあえず目を瞑ることでやり過ごすことにした。 ――恋は目でなく、心で見るもの。 心の中で三回唱えると、不思議なことに、嫌な気持ちはふわりと消えた。 (2007/10/13)
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