たまにはデートでもしないかい? ――と、せっかく俺が誘ってやったのに「今年はうちでコモンウェルスゲームズがあるからムリ」とにべもなく断られた。 コモンウェルスゲームズってなんだよ。俺はブリタニカ百科事典とにらめっこしてみる。 要はオリンピックみたいな総合競技大会のイギリス連邦版らしい。世界70カ国あまりが参加する、4年に1度のスポーツの祭典だ。 何がイギリス連邦だ、いつまで大英帝国気取りなんだか。 イライラしてきた。 イギリス連邦――The Commonwealth of Nations――とは、イギリスと、その植民地であった現在は独立した主権国家との、緩やかな連合体である。加盟国国民はイギリスの国政や地方選挙における選挙権・被選挙権をはじめとする連邦市民権の恩恵に与ることができる。 とっくの昔に(それこそ「The Commonwealth」なんて当たり障りのない名称ができるずっとずっと前だ)すっぱりとその輪の中から独立してしまった自分には、まったく縁のない話だ。 俺はバタンと豪快な音を立てて、重い重い事典を閉じた。 AROUND ROUND 相変わらず、雨ばっかりだな……。 少し肌寒かった。長袖のパーカーの裾を掻き寄せる。隣の英国紳士は秋だというのにきっちりコートまで着こんでいた。 開会式はものすごかった。花火やら聖火リレーやら、「これオリンピック?」と訊きたくなるほどだ。 開催国イギリスのパフォーマンスも凝っていて、兵隊に扮した一団が入場してくる様は壮観だった。その格好は、昔イギリスが作ってくれた兵隊の人形を彷彿とさせて、話し相手もいない観覧席で、郷愁に駆られる羽目になったのは秘密だ。 聖火まで運ばれてきて、イギリスの上司による開会の挨拶。彼女はイギリスの上司でもあり、また連邦の元首でもある。 どうやら想像以上に大きなイベントだったらしい。彼女の姿を見ると、急にそんな実感が湧いてくるから不思議だ。 もちろん開会式のみに留まらず、連日行われる各種目の競技も非常に白熱したもので、連邦中が沸き立っているのがわかる。 俺は、「こんなことのために俺との『デート』を断るなんて」と少しでも思っていた自分を恥じた。 もともとは、イギリスをからかおうと思ってわざわざ「デート」だなんて単語を引っ張り出して使ったのだ。君が憐れにも真っ赤になって大喜びして、無様な姿をさらせばいいと思った。それほど俺が好きなのだと、気軽な確認のつもりだったのかもしれない。 しかし今、そんな軽々しい気持ちで手玉に取れるほど、君が衰えてはいなかったことを、痛切に思い知らされている気分だった。 悔しいから、絶対に言ってやらないけど。 だいたい、どうして俺はこんなところで寒さに凍えながら、一人どの国の応援をするでもなく、ぼんやり競技を眺めているんだ? いや、正確には、勝負の行方など視界の隅を通り過ぎていくだけだ。 見ているのはただ一人の横顔だけ。 「参ったな……」 呟いた声は、スタジアムを揺るがす歓声に紛れて消えた。 君のことが大好きなのは、実は俺の方なんじゃないのか? イライラとパーカーのチャックを指先でいじりながら、目線だけは外さない。 競技中のフィールドには、選手や係員に混じって、「国」の姿がちらほら見える。いち早くイギリスの姿を見つけた俺は、彼がいつものように孤独でなかったことに面食らい、先ほどからおもしろくない気分になっていたのだ。 俺のいないところで、俺の知らない顔をする君。 まさか俺が、こんなところでずっと君を見ているのだとも知らないで。 「――れ? アメリカさん?」 声も届かないような十数メートル先を注視していた俺は、至近距離で名前を呼ばれて、驚いてしまった。 振り向けば、見知った顔。 「やあ! セーシェルじゃないか……そうか、君もイギリス連邦なんだったね……」 そういえば、開会式にも例のまるで虹みたいな元気の良い国旗を見かけた気がする。 にこりと顔を取り繕うが、セーシェルは不思議そうに見上げてくるのをやめない。 「はあ。不本意ながら。……あれ? アメリカさんもそうでしたっけ?」 どうして俺がここにいるのか考えていたらしい。 そんなの、俺が聞きたい。 「冗談よしてくれよ。冷やかしに来ただけさ」 ぴしゃりと否定しながら、自然に眉根が寄った。 ――そりゃあ、俺はイギリスの植民地だったけど。 だけど今や俺はイギリス以上の大国だぞ。どうして今更、イギリスの上司に忠誠を誓わなきゃならないんだ。 不貞腐れたような声になったのが自分でもわかる。 俺は話題を変えた。 「調子はどうだい?」 この状況において、実に的確な話題転換だったと思う。俺はようやく、再び顔に笑みを貼り付けることに成功した。 「今年はあんまり先行き良くないっすねー。自慢じゃないですけど、前回は銀メダル2個も取ったんですよ」 彼女は言って、俺に二本ほど指を立ててみせる。誇らしげな笑顔が微笑ましい。 「……イングランドは今の時点でもう100個以上メダル取ってるみたいだけど……」 俺が何の気なしに言った事実に、セーシェルは語気を荒くして答えた。 「あんな理不尽まゆげと比べないで下さい! こちとら、かもめやマグロと戯れながら日々暮らしてるんです! だいたい、あのまゆげはメダル数じゃ毎回トップ3には入ってるんですから。こっちは1個取るか否かの繊細な世界なんです!」 理不尽まゆげ、という言い草に、セーシェルが並々ならぬ感情をイギリスに抱いているのがわかって、俺は少し複雑な気分になった。その感情がいいものか悪いものか、そういう次元を超えて、強く強く彼女の心を縛っていることに。 「繊細、ねぇ……」 「いやー、でも久々にこんな都会に出てきたんで正直はしゃいでます!」 閉会式の後にはみんなで打ち上げもあるし、と彼女は声を弾ませた。 みんなで、という言葉に引っかかりを覚えた俺は、訊くつもりもなかったことを、思わず訊いてしまっていた。 「それよりセーシェル、あの、イギリスにさっきから過剰にスキンシップを図ってるあいつは誰かな!」 なるべく怒ってなど見えないように、笑顔で、笑顔で。言ってしまった言葉が取り返せないものならば、せめて虚勢を張るしかない。 スタジアムを指させば、セーシェルは真顔に戻り、一瞬考えるようにした。 「ええと……ああ、あれはモーリシャスさんですよ。うちのご近所さんです。マダガスカル島の側に住んでるんですよ、ご存知ないっスか?」 「へえ……」 「あれはスキンシップっていうより、いい機会だからどさくさに紛れて小突いてるようにしか見えませんが……まあ、あたしもさっきやってきましたけどね!」 「え?」 彼女の言う「いい機会だから小突く」の意味がよくわからない。 巷じゃ「イギリスに触ると幸せになれる」というデマでも流れているのだろうかと、そんなことを思った俺はいささか配慮に欠けていた。 「あたしたちはみんな、あのクソまゆげには言葉にし尽くせない何かそう言った気持ちを抱えてますからね! こういう機会にぶつけていかないと!」 複雑だ、なぁ。 理解も同情も嫉妬も自責も、俺にはする資格などないのだろう。 それでも俺は、さらに気になって仕方のないことを無視することはできなかった。 「……じゃあ、さっきからちらちらイギリスのこと見てるあいつは?」 「え? どれですか?」 「あ、ほら、また見た」 示しながら「俺は何をやってるんだかな」と呆れめいた気持ちも湧き上がってきたが、思うだけで実行に移せないこと、というのは世の中にはずいぶん転がっているものだ。 「やだなぁ、あれはニュージーランドさんじゃないですか。いくらなんでもあの人とはお仕事するでしょ?」 「へぇー、そうか、そうだったね……」 俺は「世界地図を買え!」とイギリスに怒られたことを思い出した。 近くにいるとうるさいだけのイギリスが、遠くから眺めると、ずっとずっとかっこよく見えた。 セーシェルはしばらく不思議そうに俺の視線を追っていたが、やがてちらりと腕時計に目をやると、「あ」と声を上げる。 「私、もう行かなきゃ。水泳が始まっちゃいます。じゃ、アメリカさん、失礼します!」 「ああ。ありがとう」 慌てて駆け出した彼女を見送ってスタジアムに視線を戻すと、イギリスはまた、俺の知らない誰かと喋っていた。 閉会式は土砂降りだった。 スタジアムには屋根が一部しかなくて、各国の選手団は支給された合羽で雨をしのいでいる。 俺はその中にイギリスを見つけ、雨合羽のフードがやけに似合う彼に思わず笑ってしまった。 結局開会式から閉会式まで見倒した自分にも、失笑を禁じえない。 何してるんだかなぁ……。 灰色の空を見ていたら、ますます虚しくなってきた。 このままイギリスに見つからないうちに帰ろうかとも思ったけれど、せっかくだから、もう少しだけ。 ぼんやりと、豆粒ほどに見えるイギリスをそのまま眺め続ける。 あ、あいつ、ニュージーランドだっけ。何かイギリスに耳打ちした。イギリスはそれを聞いて笑っている。 なんだか、授業中に私語を楽しむ学生のような雰囲気で、俺は正直ムカムカした。ニュージーランドになのか、イギリスになのか、それとも自分になのか、よくわからない。 とにかく二人が楽しそうに笑っていて、その二人に気づかれることもなくこんなところで一人、俺が歯がゆい思いをしているなど、あってはならないことのような気がした。 俺は急に、自分のしていることがバカらしくなってきた。いくら「俺の誘いを断るほどのイベントがどれだけのものか」と苦々しく思ったからといって、こんな腹いせ、君に認知されてないんじゃまったくの無意味だ。軽くストーカーみたいだし。 こんな風に君の交友関係に探りを入れて嫉妬しているくらいなら、もっとできることは他にあるだろうに。 俺はメガネについた水滴がうっとおしくて、メガネを外した。途端イギリスは、ぼやけた色のかたまりになって、風景や周りの国と同化してしまう。 そうさ、俺はあいつらとは違う。 俺は服の端で、乱暴にメガネを拭った。 あいつらが持っているのは、俺がかつて満足できなかったもの。もどかしくてもどかしくて、ついには君を傷つけてまで捨て去った。 そうして手に入れた今の地位は、あの頃よりも遥かに多様な可能性に恵まれている。 そうであるはずだ。そうでなくてはならない。 そうあらしめるために、俺は努力し続けなければならない。 「――イギリス」 大雨に見舞われながらも無事に華々しい閉会式を終え、片付けのスタッフでざわめくスタジアムで、俺は何週間かぶりに、彼に声をかけた。 観客の引けたスタジアムでは、もう傘を差しても誰の迷惑になるということはなかったけれど、俺は雨をしのぐことをとっくの昔に諦めていた。 ここはイギリスだ。――我ながら意味のわからない論理が、自分の中で整合している。 「へ? ……って、お前……なんでこんなとこにいるんだよ……」 案の定、イギリスは目を丸くした。 俺が観戦してたなんて、夢にも思わないだろうから当然だ。 「こんなとこ、って。俺が君の家に来ちゃいけないのかい?」 「いや、だって、……何してるんだよ」 「スポーツ観戦、かな?」 まさか開会式からずっといたなんて言えない。 ずっと、君を見ていただなんて。 「……へー……まさかお前が観に来てくれるとは思わなかった。おもしろかっただろ?」 誇らしげに言った君が、「前回は二つメダルを取った」と笑っていたセーシェルの顔とダブって見えた。 「まぁまぁかな」 正直気分はまぁまぁだ。 「お前なぁ……」 こんな日は、おいしいものでも食べるに限る。 「ねぇ、このあとアイス食べに行かないかい?」 おいしいものと、大好きな人との大切な時間。 深く考えず、欲望のままに、ワガママに、いつものように軽く言ったら、イギリスは渋い顔をした。 「何言ってんだお前、俺はこれから打ち上げに行くんだよ」 イギリスはちら、と背後を振り返る。あれがイギリス連邦の面々なのだろう。 その数の多さに、少しだけくらりとした。 「……君って、さぁ」 「なんだよ」 「懐かれてるよね」 君は昔、まちがいなくこの世界の一つの核だった。 並びようのない地位が、ぐちゃぐちゃにしてやりたいほど憎かった。 「……そうか?」 「そうだよ」 おとなげなく俺が言うと、イギリスは少し笑って、声をひそめた。 「……こんなの、持ちつ持たれつの関係だろ。一国だけで気張ってるより、何かしら連合はあった方が心強いし」 何が起こるかわかんない世界だからな、と皮肉げに言った君は、やっぱりわかっていない、俺は思った。 「外交戦略ってやつだろ。口実はなんでもいいんだ。お前のとこにだってあるだろ、OAS、だっけ」 「そう思ってるのは、君だけじゃないの?」 「なんだよ」 少なくとも、俺が君に抱いてる「言葉にし尽くせない何かそう言った気持ち」は、悪いものばっかりじゃないから。あいつらの「それ」にも、俺と同じものが少しならず、含まれてるかもしれないじゃないか。 こんなことを、考えるのは、ひどいことのかもしれなかった。 でも。 ぎゅっと拳を握り締める。ぽたり、と水滴が前髪を伝って落ちた。 でも。 突然、イギリスがため息をついた。 「んー……、いいや」 「何がだい?」 「打ち上げは行かなくて。アイス食べに行こうぜ」 目を丸くした俺に、君ははにかむ。 「どうせオーストラリアに負けたし! 準優勝じゃ騒ぐ気にもなれねぇよ! ……それに、オマエ、こういうタイミング悪い時に限って『アイス食べに行こう』だの『デートしよう』だの……」 「覚えてたんだね」 この大会のために、君が俺の誘いを断ったこと。 「あー、断って悪かったと思ってたしな……、それにその……」 イギリスは口ごもる。 「なんだい」 「お、お前普段あんまり言わないだろ。その……デ、デート……とか……」 恥ずかしそうにあさっての方向を向いたイギリスに、俺は笑った。 ああ、やっぱりイギリスはこうじゃなくちゃ。 ――俺のイギリス、俺だけのイギリス。 こんな君が見たくて、バカみたいにあがいた昔の俺を、俺は決して、否定はしないだろう。 「そう来なくちゃ!」 ぽつりぽつりと雨は小ぶりになってきていた。生憎ととっくに日は暮れてしまっていたので、虹は出そうもないけれど。 ――これからもずっと、歩いていくんだ。 君に手渡された白地に赤十字柄のタオルに嫌な顔をしてみせて、俺は胸を張った。 ――君の隣を。 頼まれてもいないときは遠慮なしにオリキャラを出すくせに、いざとなると勇気が出なかった管理人ですごめんなさい……。 全然世界会議じゃないし甘々じゃないんですが……もうお詫びすることが多すぎる!(土下座) メリカはイギイギにベタボレだとかわいい、とおっしゃってたのでたまには超、米→→→英でv(あれ?「たまに」か?) こういうのも個人的にはニヨニヨできて楽しいんですが、ど、どうなんでしょう……(ビクブル)。 英はたまに、米をものすごく不安にさせるといい。 超えたと思ったはずの壁が、いつの間にか目の前に再び立ちはだかっている恐怖(というより「焦燥」か?)。超えたと思ったのは浅はかな夢幻だったのだ――と。 まぁ、そんな感傷、米なら3歩歩いたら忘れてくれると信じてますがね☆ それでこそメリカ!! 我らが元気印♪ でも、まったく考えもしないってことはないんじゃないかと。はい、ドリー夢です。 Yu様、リクエストありがとうございました!! (2007/10/10)
|
Copyright(c)神川ゆた All rights reserved.
http://yutakami.izakamakura.com/