ワレ侵略ニ失敗セリ アメリカが変だ。 会議中に隣の席から囁かれた内容に、フランスは顔をしかめた。 変だろうか、むしろ至ってマトモに見える。 「……というわけなんだけど、皆どう思う?」 ほら、いつもみたいに大言壮語を並べ立てたりしないし、「反対意見は認めないぞ!」と余計な一言を付け加えたりしない。大変マトモだ。 「どこが?」 低く抑えるような口調でフランスは返した。 だって、とイギリス。 「今日俺たち一度もケンカしてないだろ、そう思わないか?」 俺たち、と言いながらイギリスは自身とフランスを交互に指差してみせる。 フランスは「それで?」というように続きを待った。 「思ったんだがそれは、今日一回も俺が発言してないからだ」 オマエ俺が発言するとすぐ茶々入れるんだからな、と付け加えた。 確かに、そういえば珍しい、とフランスは思う。このイギリスが、アメリカが進行役を務める会議でおとなしく座ってただ話を聞いているなど。 「そういや今日オマエおとなしいよな」 「だから、アメリカが変だっていうんだ」 イギリスは繰り返した。 「俺だってアメリカに嫌がらせがしたくていつもいつも意見言ってるわけじゃねぇよ、ただあいつがあまりにバカだから……」 「あいつがバカなのは誰もが知っているが、いちいち律儀にツッこんでやるのはオマエくらいだよ」 呆れたようなフランスの言に、イギリスはイラついたように「だから」と繰り返した。 「変だろう? あいつ。なんか今日マトモなんだ」 イギリスの隣で、それまで静かにこのやりとりを聞いていた日本が、ふいに口を挟む。 「……いいことじゃないですか」 「だってどう考えても変だろ」 イギリスの口ぶりはだんだん熱を帯びてきていて、会議中の私語に咎めるような視線が痛い。ドイツやスイスあたりだろう。 「お前は、アメリカのおバカなところが可愛くてたまんないんだもんな」 バカバカしい、と吐き捨ててやったら、イギリスの目に抗議の色が浮かぶ。 会議中だということも忘れて今にも怒鳴りだしそうなイギリスをなだめるように、日本が戸惑ったような小声をあげた。 「かわいい、ですか」 顔に「うわー」と書いてある。さすが、よくも悪くもアメリカにいつも振り回されている国だけある。 アメリカのぶっ飛びぶりは、迷惑でありこそすれ可愛いなどということは絶対にないのだろう。 「イギリスさんはいつも真っ先にアメリカさんの行動にツッコミを入れる常識人なのだと思ってました」 「いやぁ、あいつのバカっぷりを一番かわいいと思ってるのは実はイギリスなんだよ」 「んなことねぇよっ」 「だって今日なんか寂しそうだぞイギリスー! あんな普通な奴じゃ物足りない?」 「そうじゃねぇよ、絶対に変だって」 「アメリカも大人になったってことじゃないの?」 「ですね。人は成長するものですよ、よかったじゃないですか、イギリスさん」 よしよし、そろそろドイツの血管も限界のようだし、スイスも目周りの筋肉が痛いことだろう。フランス、日本は少しだけイギリスの方に乗り出していた体を元の位置に戻して、テキパキと会を進めていくアメリカの声に再び耳を傾け出した。 イギリスだけが、まだ不服そうな顔で腕を組んでいる。 「――と、いうわけで今日の会議はこれで終了だ。皆、御苦労さま!」 爽やかなアメリカの宣言でふっと重苦しい空気が解放的な色を帯びる。 ガタガタと椅子を揺らす音に混じって、フランスは仏頂面のイギリスに声をかけた。 「結局オマエ、なんも発言しなかったな」 「今回ばかりはアメリカの意見になんの不服もない。我が連合王国は全面的に同意する」 やれやれ、と立ち上がりながらイギリスがビジネスライクな口調で吐き捨てた。 ご機嫌斜めだな、と日本はそれに苦笑した。しかもこれは、アメリカが絡んだ時に特有の拗ね方だ。 コートとカバンをまとめて、まっすぐに出口に向かおうとするイギリスに、フランスが――おそらくわざとだろう――デリカシーのないやり方で声をかけた。 「おい、今日はアメリカにちょっかいかけていかねぇの?」 「会議は終わった」 イギリスの返答はあくまで冷たい。 フランスが日本と目線を交わした瞬間、よく通る声が、話題の人を呼んだ。 「アメリカさん!」 「リトアニア! どうしたんだい?」 対するアメリカの声もいつも通りばかみたいに大きい、ということはなかったのだが、イギリスはこれに気がついて、ドアノブに手をかけたまま、何気ないふうにそちらへ顔を向けた。それにつられてフランス、日本も首を巡らせる。 「あの……これ」 おずおずと礼儀正しい彼が差し出した箱を、アメリカはにこやかに受け取って「なんだい?」と続きを促す。いつもの彼らしからぬ紳士風の振る舞いに、リトアニアはちょっとどぎまぎしているようだったが、すぐに順応して、「開けてみてください」と言った。 言われるがままに蓋を取ったアメリカは、中身を見るなり歓喜の声を上げた。 「わあ! すごい!」 残念ながら、イギリスたち三人のところからでは中身は見えない。 フランスがためらいもなく、中身が見える位置まで近づいていったので、日本は慌ててそれに続く。最後まで迷っていたのはイギリスで、結局日本が笑顔で手招いて、観衆に加わることとなった。 箱の中に納まっていたのは上品な皮靴。紐で編上げるタイプの、少し古風なデザインだった。 「昔お世話になったお礼と言ってはなんなんですが、こういう靴欲しいって言ってらしたので」 「覚えててくれたのかい! ありがとう、嬉しいよ、ここで履いてみてもいいかい?」 「もちろん」 ヒュー、と口笛を鳴らし、フランスは一傍観者としての義務を果たした。 アメリカはそれを無視して、靴を箱から出して地面に置く。リトアニアも屈みこんで、型紙を外し、きっちり結ばれていた靴紐を解いて、アメリカが自分の靴を脱ぐのを待った。 その息の合いっぷりに、日本は内心不安を感じていた。親友イギリスの、心中を案じて、である。ちらりと見やれば彼は、感情のうかがえない表情をぴたりと顔に貼りつけて、ただ沈黙している。 やがて顔はぴくりとも動かさないまま、静かに腕を組んだ。 それは「気にしてなどいない」という強がりを表明するものであるかのようだった。 日本は誰にも気づかれぬようため息をつく。リトアニアに罪はない、罪はない、がしかし。 アメリカは両方の足に新品の靴をはめ、「ぴったりだよ!」と喜んでみせた。 「うわぁ、ちょっと歩いてみようかなぁ」 「でしたら紐を、ちゃんと結んだ方が」 「そうだね」 ひょっとしたらリトアニアが靴紐を結ぶのすら手伝うのではないかと、緊張した空気が流れた、気がした。しかしリトアニアが何か行動を起こす前に、すっとアメリカは自身で屈みこんだ。 ふぅ、と安堵したのはフランスと日本のみで、イギリスはするすると蝶々を作っていくアメリカの手元を凝視している。 「似合うかい?」 再び立ち上がったアメリカは、はにかんだような笑顔をリトアニアに向けた。 リトアニアが口を開きかけた刹那、イギリスがアメリカに、あろうことか指を突きつけた。 「――お前、アメリカじゃないな!」 何を。 フランスは唖然とイギリスを見つめた。 「いきなり何言ってるんだいイギリス」 アメリカはきょとんと数回目をしばたく。 もうついていけない、フランスはため息をついた。 「そうだぞ、嫉妬にまかせてバカなこと言うなよ坊っちゃん」 「うるせーっ! 嫉妬なんかしてねーよバカ!」 図星ならば頬を染めて目を吊り上げるはずのイギリスが、今日ばかりはやけに切迫した表情をしているので、日本はおや、と思った。 アメリカは少し考えこむようにして、わざわざ軽く膝を折って、イギリスの顔を覗き込む。 「イギリスは俺を信じてくれないの?」 「そんな可愛い顔しても騙されねぇぞ!」 その攻撃にはイギリスは多少身じろいで、背をのけぞらせたが、それでも強い口調で言い募る。 「だっ、……だいたいアメリカはなぁ、靴ひもは右足から結ぶんだ!」 それまでおろおろとイギリス、アメリカを見比べていたリトアニアまでもが、さっと表情を変えた。 全員の口から、「えぇー……」という声にならない響きが漏れる。 日本に至っては、親友はついに気でも触れたかと、一歩後ずさってしまった。 「なっ、何黙ってんだよ皆! ほんとだぞ! 俺が言うんだから間違いないって!」 興奮するイギリスから、フランスがそっと目をそらした。 「いや……たぶん間違いないんだろうなーっていうのがまた痛々しいんじゃないかオマエ」 一同が気の毒そうな目をイギリスに向けると、それまで黙っていたアメリカが、はぁ、と肩を落とした。 「……チッ、バレタカ。ファッキンライミー!」 扇風機に向かって喋ってでもいるかのような声音で叫ぶと、徐々に融解して、いつの間にかその姿は、地球外生物の様相を呈する。 なんてことだ、今度こそ開いた口が塞がらないフランス、日本を尻目に、イギリスはバッと牽制するかのように右手を大きく振り払った。 「てっ……テメェ何が目的だ! 地球侵略か!」 表情による感情表現が地球上の生物と同じかどうかはわからないが、さっきまでアメリカだった生物はニヤリと笑った、ように見えた。 「フフフ愚カナ地球人ドモメガ……今回ハシクジッタガ、次ハソウハイカナイゾ」 状況についていけているのはイギリスただ一人である。 「本物のアメリカはどこだ!」 その場にいる全員を代表して、至極重要なことを訊いた。 すると地球外生命体の顔らしき部分に、さらに凶悪な色が濃く浮かぶ。 「ま……まさか……」 イギリスは青ざめて、その場にへたりと座り込んだ。 「いやだーっ! アメリカ! アメリカーッ!」 泣きわめく声に、リトアニアはようやく我に返ったらしい。相変わらず環境への適応能力はずば抜けて高いが、今は誰もそれに感心できる者がいない。 「ア、アメリカさんをどうしちゃったの!」 親しい口調で語りかける彼に、先ほどまで侵略者然とした顔でイギリスと対峙していた生物は、急にでれでれとしどけない顔を見せた。ものすごい豹変ぶりである。 「ヤダナァリト、僕ガソンナヒドイコトスルワケナイジャナイカ」 弾むような声音で言ったあと、急に会議場の天井に未確認飛行物体が現れる。光のカーテンの中から、ゆっくりと、眠るように横たわったアメリカが降りてきた。さながら、「逆キャトルミューティレーション」のようだとでも言えばよいだろうか。 日本は思わず、ぷに、と自身の頬を掴んだ。 最後床から30cmというところでやや乱暴に地面に打ち付けられて、ぱちりと目を開けたアメリカは、自身を囲む顔ぶれを見て、とりあえず眩しい笑顔で右手を上げることにしたらしい。 「ハーイ! どうして皆いるんだい?」 アメリカ以外の者が動き出すまでに、しばし間があった。 「……ど、どうしてだと思う?」 虚ろな目をしてコメント不可能な皆のために、投げやりに発言したのはフランスだ。 「あれ……昨日キャトられてからの記憶がない」 座り込んだまま、頬に涙の筋をいくつも作ったその顔で、イギリスは建物全体に響き渡るほどの大声を出した。 「お前はもっと友達選べェェ!」 誰もが「そのツッコミはぬるすぎる」と思ったが、イギリスはアメリカにまさかの事態が襲いかかったのではないかと動転していたのである。いたしかたない。 ようやく事態を現実として受け止められるほどに頭が回ってきたらしい。フランスは、先ほど地球外生命体が本性を現した際、地面に転がったリトアニアのプレゼントを一瞥して、恐る恐る、といったようにアメリカにそれを手渡した。 「なぁお前、ちょっとこれ履いて靴紐結んでみてくれる?」 フランスは言いながら、しゅるりとその靴の両足の紐を解いた。 アメリカは特に抵抗もなくその注文を受け付けて、両足に靴をはめ、迷いなく右足の紐に手をかけた。そう、右足。誰もがそれを確認する。 「こうかい?」 おお、と感嘆の声がその場に満ちた。 「すげー! イギリスキモイ!」 跳ね上がるほど興奮したのはフランスである。 「キモイって言うなバカ! 役に立っただろ地球のために!」 自分が靴を履いただけで、なぜその場にざわめきが起こるのか理解できないらしい、アメリカがもっともなことを訊いた。 「何騒いでるんだい、さっきから」 日本のしどろもどろな事情説明を聞いたあと、アメリカは足に装着したプレゼントの革靴を嬉しそうに眺めてから、その場に突っ立っていた地球外生命体に笑顔を向けた。 「へぇー、まあ、彼はイタズラ好きだからね」 笑顔を向けられた方はほんのり照れ臭そうに頬を染めて、「ごめんなさいっ出来心でした!」とでも言いたげである。 しかし先ほどの凶悪な顔を見たあとでは、誰もがそれを素直に受け入れる気にはなれない。 今度から不審な行動を取るアメリカには気をつけることにしようと、フランスと日本は、イギリスの指摘を邪険にした先ほどの己の態度を恥じた。 「でも、そんな些細なことで偽物を見破っちゃうなんて、まるでホームズみたいだな! かっこいいんだぞイギリス!」 これで円満解決かと思われたそのとき、アメリカが少年のようなきらきら輝く瞳を、泣いたことが気恥ずかしいのか、ぶすっと腕を組んで立っていたイギリスに向けた。 「へ? え? かっこ……!」 与えられた言葉を反芻するかのように、イギリスは頬を染めてしばらく沈黙した。 「そ、そうか! そうだよな!」 無論、誰も賛同してくれなかったのは言うまでもない。 始めは「他の人が『うわあ』と思うようなアメリカを『かわいい』と思うイギリス」のつもりで書き始めたのですが、蓋を開けてみれば、「他の人が『うわあ』と思うようなイギリスを『かっこいい』と思うアメリカ」になっていました……。 始めは本当に普通に「頭でも打ってマトモになっちゃったアメリカに寂しさを感じるイギリス」を書こうとしたのですが、「頭打つって……普通だなーつまんないなー」とバカな頭で考えた結果、こんな謎のSF生まれました。自分でもびっくりしています(笑)。 イギイギは、他の人が知らないアメリカをいっぱいいっぱい知ってればいいな。ご飯のときはどれから食べるとか、こういう店に食事に行ったらこれを頼むとか、これとこれの中からだったらこれを選ぶだろうとか、そういうの皆イギイギにはわかっちゃうのです。 ちなみに、アメリカは蝶々結びを作ると、必ず右の輪の方が小さくなる(クソ細かい設定)。そういうことも知っていればいい。えへへ……(←妄想に幸せを感じた)。 YM様、米英らしいリクエストをありがとうございました! (2007/10/3)
|
Copyright(c)神川ゆた All rights reserved.
http://yutakami.izakamakura.com/