Goodbye my sunshine



 月が出ていた。
 アルフレッドは深くマントを被り直して、夜道を急ぐ。ざくざくと、踏みしめるたび鳴る落ち葉が耳に心地よかった。
 口笛を吹いて無人の山道を行く。カンテラがじじじ、と音を立てた。虫でも飛び込んだのだろうか。
 グルル……と不穏な唸り声がひとつ、ふたつ。ざくざくと足音を立てるたびに、茂みの奥に増えていく。
 子供の頃はそれだけで足が竦んで泣いてしまった。
 父さん、母さん、という助けを呼ぶためのか細い声が、アーサー、に変わったのはいつからだったろう。
 今では心地よい湿った空気を楽しみながら、口笛を途切れさせることなく、また、歩調を緩めることもなく。
 ヒュッと頬を風が切って、わずかに草を揺らす音とともに、辺りは静寂に包まれる。
 獣の気配は、もはやなかった。
「ただいま」
 やっと口笛をやめて、静かに呟くようにアルフレッドは言った。
 心の躍動が、外に漏れてしまわぬように、ぎゅっと眉根を寄せて。
「……夜中に口笛吹くと蛇が出るぞ」
 やはりおもしろくなさそうに言った男の声は、背後の木陰から。彼がいることは知っていた。でなければアルフレッドは今頃、狼の餌食だ。
「出たのは蛇じゃなくて、吸血鬼だったみたいだけど?」
 男はするりと寄ってきて、アルフレッドの隣を歩き出す。
「食料は調達できたのか?」
 金の髪に白い肌を月明かりのもとに晒して、古びた正装は山奥にふさわしくない。
「『もう二、三日何も口にしていないんです、助けて下さい』って泣きついて、出てきたのはしょっぼいキノコ汁だけさ。勘弁してほしいよ」
「もっと町の方に下りた方がいいかもな……」
「でもこの前追われたばっかりだから、あんまり近づいて捕らわれても嫌だなあ」
「前の町ではたまたま勘のいい聖職者がいただけだろ」
「だって、君が磔にされて朝日で焼かれる姿なんて見たくないよ」
「……おぞましいこと言うな」


 アルフレッドは九つかそこらの子供の時分から、この若く不老の吸血鬼の「契約者」なのだった。
 が、吸血鬼吸血鬼と言う割に、アーサーが血を吸う姿を、アルフレッドはもう一年近く見ていない。
 洞穴に戻ってマントを剥ぐ。顔を見られないようにするのは、夜にこんな山奥をうろついている人物だと知れれば、食料調達のために町に下りた際、動きにくいからだ。
 手近な岩にカンテラを置いた瞬間、ぐうぅううう、と、アーサーのお腹のあたりから音がして、思わずアルフレッドは顔をしかめた。
「……腹の、調子が、悪い」
 気まずそうに言ったアーサーを無視して、アルフレッドは彼に無理やり口づける。
「そういう音じゃなかったけど?」
 ちゅ、と音を立てて、至近距離で見つめれば、潤んだ瞳。
「バカ野郎!」
 拳が飛んできたのをさっと身をかわして、ざわめく夜の森を見つめる。
「どこで覚えてくるんだかな……。なんだったら女の一人でも口説いてきていいんだぞ。どうせ俺は、昼は出歩けないんだからな」
「昼から姦淫の奨めか……つくづく君は、保護者に向かないね」
 ハッと笑ってやると、アーサーは気まずそうに視線をそらした。
「夜……はっ」
「何」
「お前に出歩かれると……俺が、寂しいだろ……」
 アルフレッドはズレてもいないメガネを押し上げた。
「君ってたまに破壊的にピンポイントなこと言うよね」
「なんだよそれ」
「別に。ねぇ、吸ってよ」
 先ほど聞こえた、アーサーの盛大な腹の虫を忘れたわけではなかったらしい。首筋を示してにじり寄ったアルフレッドに、対するアーサーはそっけない。
「断る」
「……わからないな。契約者からしか血を吸い取ることはできないんじゃないの? 君、いつか死ぬよ?」
「そんなのは原則だ。第一、そんなことしてたら契約者が死ぬだろ。それに吸血鬼は血がなくても実は死なない」
「そうなのかい? でも君、明らかに弱ってるみたいだけど」
「力は落ちるし弱るさ。腹も減るし。でもそれだけ。――俺たちを殺せるのは、日の光と聖なる杭だけだ」
「じゃあ契約者ってなんなのさ? なんのために俺は、いつまでも君に付き従ってればいいわけ?」
「さあな」
 はぐらかしたアーサーに、む、とアルフレッドは膨れた。
「君は本当に嫌味な奴だな」
「悪かったな!」
 開き直ったかのように言ったアーサーがあまりにかわいらしかったので――実をいえばアルフレッドは、この不老の吸血鬼と自分の年齢が、年々近付いていくことに密やかな歓びを感じていた――またキスを迫ったら、「だから女のところでも行けってば!」と邪険にされたので、舌を絡め取って押し倒してやった。
「ば……か……」
「すきだよ……すきだよアーサー」
「これ以上……そういうこと言うな、するな!」
 体格の良いアルフレッドの下でじたばたしながら、アーサーが上擦った声を出す。
「なんでさ」
「おっ、俺はお前を一人前の大人にするって決めて引き取ったんだ。なのに、こんな、俺がお前に、こんな、気持ち……抱いたらだめだろ……」
「それって、君も俺が好きってことかい?」
 ぐ、と言葉に詰まったアーサーを抱きしめて、抵抗しないのをいいことに一晩中愛した。
 しかし睦言の間にいくらねだっても、アーサーはアルフレッドの血を吸ってはくれなかった。


 翌日夕方、まだすやすやと眠るアーサーの顔を見つめながら、アルフレッドは難しい顔をして、一大決心をしていた。
「俺は君から独立する」
「は?」
 とっぷりと日が暮れて、身支度を終えたアーサーの目が、まんまるに見開かれる。
「独立、って……」
「君から離れて一人で生きてくって意味さ」
「は? なんでそうなるんだよ」
 昨日の今日で、とアーサーは泣きそうな顔をする。この夜の生き物が人一倍寂しがりだということを、アルフレッドはよく知っている。
「だって、『契約者』『契約者』って言うけど、結局君は俺の血を吸おうとしないじゃないかッ!」
「それは……だから、お前だって満足に食べてないんだし……」
「それならなんのために俺はいるんだよ!」
 ずっと言いたかった想いをぶつけることができて、アルフレッドの胸は沸き立っていた。
「嫌なら血を飲めよ! 飲まないのか! じゃあさよならだ!」
 もちろん、本当に独立するなんてバカなことを考えてはいない。
 アルフレッドはアーサーが好きだ。アーサーなしでは生きていけない。
 けれどもこんなことを言い出したのは、もうこれ以上弱っていくアーサーを見たくないからだった。
「アルフレッド……」
 ごくり、とアーサーの喉が鳴ったのがわかった。
 薄い唇が震えながら開かれて、首筋に吐息を感じる。アルフレッドは静かに目を閉じて、そうしてドン、と胸に強い衝撃を感じた。
 アーサーがアルフレッドを突き飛ばしたのだとわかった。
 ――ショックだった。
 アルフレッドがアーサーから離れると言えば、叶えられないワガママなんてないのだと思い込んでいた。それだけ自分はアーサーに愛されていると思い込んでいた。
「やっぱり飲まないのか。……だったらもう俺は必要ないだろう? さよなら、アーサー」
 足が震えた。
 ――こんなに好きなのに、俺は何も……。
 衝動的に走り出したアルフレッドを、アーサーは追ってはこなかった。


 ざくざくと夜道を駆ける。
 ――さよなら、アーサー。
 結局何の役にも立てなかった。
 ――「契約者」だなんて思わせぶりな言葉で束縛したくせに、結局俺は君にとって何の意味もないんじゃないか!
 憤りながら息を上げる。
 怒りの矛先は、アーサーか、それともアルフレッド自身か。
 ふ、と月夜を遮る影が唐突に頭上から躍り出て、アルフレッドはびくりと歩を止めた。
 ――アーサー?
 こんな風に夜空を駆ける異形の者を、アルフレッドはアーサーのほかに知らなかった。
 ――じゃあ、じゃあこの、身を切るような殺意はなんだ。
 ぞくり、と全身が粟立った。逃げろ、と頭の奥から声がする。
 夜道なんか怖くなかった。山賊も野犬も狼も。
 今まではずっと、アーサーがいた。
 つ、と首筋を撫でられる冷たい感触がして、飛び上がるように振り返った。
「ヒ……ッ!」
 月明かりに照らされてニヤリと笑んだ顔は、見知らぬ男のものだった。いつの間に、と思うほど至近距離に立っている彼に、鳥肌が立つ。
「吸血鬼……?」
 キラリと光る犬歯が、唇の向こうから覗いている。
「普通の吸血鬼は若い女の血を好む」
 口を開いたかと思えば、えらくのんきな口調で口上を垂れ始めた男は、固まって動けないアルフレッドの顎先を捉える。
「けど俺は、色気がありゃあ誰でもいい。腕っぷしにでも自信があって油断したか? 山賊は倒せても、吸血鬼は道具なしでは倒せない。俺にとっちゃお前も守備範囲だ。夜道の一人歩きはいけないねぇ……なぁに、殺しゃあしない」
 すい、とためらいなく首筋に顔を寄せた動作に虚を突かれた。アーサーはいつだって、アルフレッドと向き合ってからうじうじと悩んで、なかなか血を吸おうとしなかったから。
 契約者が別の吸血鬼に血を吸われていいものなのか。
 そんな疑問が頭をよぎった瞬間、興を削がれたかのように、目の前の吸血鬼はため息をついて、アルフレッドを解放した。
「残念。お前、契約済みか」
 どうしてわかったのだろうか。
「契約済みだったらなんなんだ。……飲めないのか?」
「飲めるけど、契約後の人間はマズイって相場が決まってるんだ。この距離でもう腐臭がする」
 やれやれ、と言った男に、カッと血が上った。
 腐臭がする、などと言われて嬉しい人間はいまい。それにアーサーはいつだって、何も言わずにアルフレッドの血を美味しそうに飲んでいたのだ。
「失礼な奴だなっ!」
 それとも、契約者ゆえに、契約主以外の吸血鬼にはそう感じられるだけなのか?
 そんな疑問を斬って捨てるように、男はため息をついた。
「ホントのことを言ったまでだぜ。しかしこのご時世にまだ、契約なんて酔狂なことをする吸血鬼がいたとはね。マズイは腹は減るはで、いいことないのにさ。お前、何年契約者やってんだ?」
「じゅ、十年、くらい……」
 目の前の吸血鬼はヒュウ、と口笛を吹いた。
「おったまげた。こいつは本物のバカだ。お前が子供の頃から? 子供じゃあ血の量はもっと少ないわなぁ。キツー……」
「なに、が、キツイんだよ!」
「お前は十年も契約交わした吸血鬼と一緒にいて、何も知らねぇのか」
「何も教えてくれなかったし、さっき独立してきたところだよ!」
「自分で悟れよバカ。つか、独立ってなんだ? あーあ、お前の契約主は、十年もどれだけ苦しんだんだろうね」
「どういう意味だ……契約ってなんなんだよ!」
 胸騒ぎがした。この先を聞いてはいけない。
 けれど、自分を頑なに拒み続けるアーサーの、謎を知りたいと思う衝動もまた抑えがたいものだった。
「契約者と言えば聞こえはいいが……」
 唇を固く引き結んで続きを待った。
「そもそも俺たちは、人間と契約など結ばなければ自由に血が吸える」
 ああ、やっぱり。
 やっぱりそうなんだ。
「契約は犠牲なのさ、大いなる望みのための」
「……大いなる、望み?」
「そう。そのために契約を結んだ吸血鬼は禁欲を強いられる。契約者たった一人の血を、そいつを殺さぬように大事に大事に飲まなきゃいけないんだ、俺は死んでもゴメンだね。さながら生き地獄さ」
 そんなにも辛い思いをして、アルフレッドを抱えておく必要なんて、やっぱりなかったんじゃないか。
 バカなアーサー。
 イライラする。
「……殺しちゃえばいいのに」
 そんなに辛いのなら、自分のことなど、切り捨ててしまえばよかったのに。
「お前……なかなか大胆なこと言うねぇ。当の契約者のくせに……。もちろん飽きたら殺せばいいさ。でも、お前はまだ『大いなる望み』の中身を聞いてない」
「大いなる望みってなんだよ」
 アーサーがあんなにも苦しんで、それでもアルフレッドをつなぎとめて、したかったこと。
 ついに、ついに核心に触れる。
 どくん、と一際大きくアルフレッドの心臓が脈打った。
「神すら厭う禁忌の業さ……蘇生術だよ」
 蘇生術。
 耳慣れない単語を理解するのに時間がかかる。その間にも、男はうろうろとアルフレッドの周りを歩き回って、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「お前、ばかだねえ……。こんなこと聞いて、昨日みたいに笑って生きていられるかな? そうさ、吸血鬼はな、死人としか契約を結べない」
 ――死人としか契約を結べないって……。
 どういうことだ。自分は死人ではないし、でも、アーサーは確かに自分を契約者と言ったのだ。
 混乱した様子のアルフレッドをちらりと見やって、一際大きく男は笑った。
「死人の血を吸ったとき、契約は成立する。その死人は彼を死に至らしめた傷口を塞ぎ、胸の鼓動と温かな血流を取り戻し、そうして当の吸血鬼は、骨身を削るような禁欲を強いられるのさ」
 目の前が真っ暗になった。
 頭の中を、フラッシュバックする映像がある。
 狼の声、荒い息遣い。向けられる鋭く大きな牙。絶命した両親。
「う、そだ……」
 言ってみたところで、脳裏に蘇った戦慄の映像はなかなか消えない。
 嘘でないことは、この身に、生物が感じられる最大の恐怖をもって刻みつけられたことではないか。そう、十年前、アーサーと出逢ったあの夜の山で。
「嘘じゃないねぇ! その契約破られるとき、お前の心臓は再び冷たく凍りつく。かといってお前の血は無限に吸いつくせない。わかるかいお坊ちゃん、この意味が!」
「うそだうそだうそだ!」
 アーサーがあれほどまでに苦しんで、それでも生き永らえているのは、全部自分の、自分の命のためだというのか。それもとっくに絶命したはずの価値のない命の。
「うそだぁあああッ!」
 それでは自分は、アーサーの役に立つどころか――。


「フランシス、テメェ……アルフレッドにあることないこと吹き込んでんじゃねぇよ……」


「おやおや、どこのバカかと思ったら、お前だったのか……。100年ぶりくらいか?」
 フランシスと呼ばれて、男は振り返る。
 視線の先には、アルフレッドの愛しい愛しい人、アーサー・カークランドその人が立っていた。
「酔狂だねぇ、アーサー……。ずいぶん弱ってるみたいじゃねぇか、その様子だと、何ヶ月飲んでない? 二ヶ月か? 三ヶ月か?」
 きらり、と抜刀したアーサーがフランシスに踊りかかる。
「一年だね! 今自己ベスト更新中なんだ……協力してくれよ……!」
 ぎぎぎ、と刃がこすれる音がした。どう見ても、余裕綽々なフランシスはだいぶ手加減をしているのに、アーサーはいっぱいいっぱいだ。
 もちろん、あんな刃物では吸血鬼は死なない。それを分かって見ていても、アルフレッドは恐怖に胸がざわめくのを感じた。
 ――アーサー。
「一年も血ィ飲んでないお前に負けるかよ! しかも十年間もクソまっずい起き上がりの血しか飲んでねぇんだろ? もうお前は俺に屈するしかねぇみたいだな……! ケツ貸せよ! いつかの続きをしようぜ」
「気持ち悪りぃ目で見んじゃねぇよ……ッ! 何百年前の話だァ?」
 ぺろり、とフランシスが唇を舐める。途端にアーサーの剣は弾き飛ばされて、アーサーの体は木の幹とフランシスに挟まれた。
「っぐ……」
「前、言ったよな? 俺のものになれってさ」
 アーサーは、木の幹にぶつけた背中が痛むのか、顔を歪めただけで、抵抗らしい抵抗もできないでいる。
「あんなガキ捨ててさぁ……、あそこまで育てたんだ、十年間も、お前は立派だったよ。……もういいじゃねぇか」
 フランシスが気取った仕草でアーサーの顎を捉えた。
「幸せにしてやるぜ……?」
 そのまま唇が近づいていく。
 ぎゅっと現実を消そうとするかのように目を閉じたアーサーを見て、アルフレッドは思わず落ちた剣を拾い上げていた。
「アーサーから離れろ……ッ!」
 こんなにも殺気のこもった声を、自分が出せるとは思わなくて、アルフレッドはぐっ、と剣を握り直した。フランシスの首筋に押しあてられた剣はしかし、なんの意味もないことを、この場にいる誰もが知っていたけれど。
















 妄想が暴走していらん設定まで捻出した結果、すっごいムダに悲劇になりかけたので逃げてきました。ぜえはあ。
 特別出演はやっぱりフランシスさん……。いつも当て馬扱いしてごめんなさい……。

 どうでもいいですが自分ダ●ンシャン大好きです。特に前半の、あんまりグロくないあたり。
 明らかにクレ●スリー氏は少年愛だろう。気づけ少年。
 彼を思い出していてトルコってあんな感じの優しさ纏っているといいなぁ……! と思ってしまった私は相当ヤバイ。米英リクなのにトルコ語りなところがもう本当KY。

 そんなこんなで「これは子米の方がいいのか……ッ!?」とかなり真剣に自分のダレ●萌と格闘したが、リクエストの「普段は気のない素振りしてるくせに」を拝見するに、どうやら子メリカではない方がいいらしい……! でも大人メリカもそれはそれで萌……ッ!(節操ナシ万歳☆)あ、今気づいたけどあんまり気のない素振りなんてしてない(重要)ですねこのアメリカ……!(ガタガタ)めっさ迫ってるじゃねぇか俺のばか!
 あと、自分「アメリカ」「イギリス」呼びの方が好きなのですが、あまりの違和感に、渋々「アルフレッド」「アーサー」に変えました。

 こういうパラレル書いたの生まれて初めてかもしれません……ドキドキ。ちるは様、リクエストありがとうございましたv


(2007/9/27)



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