ライラックの咲く頃に



 Side Lilac

 妖精の命は花の咲く間だけ。
 短い短い命の中で、精一杯自然を愛で、美しい心に恋をする。
「もう、お前邪魔すんなら帰れよ!」
「いやだね、君が土まみれになってるのを観察するのが趣味なんだから」
 木々生い茂るブリティッシュガーデンで、Tシャツ姿の無邪気な青年がしげしげとあたしを見る。目覚めたばかりのあたしは、ぽつんと花の上に腰かけていた。
「イギリスー、この紫のやつ、なんて名前だい?」
「それはライラック! あ……そうか、そいつもう咲いたのか……」
 花言葉は若者の無邪気さ、初恋。
「いい匂いだね」
「そいつはよく香水にするんだ」
「へぇ……あれ、この花だけ花びらが5枚あるけど?」
 ちょこん、と大きな指があたしに触れるから、あたしはびっくりして3メートルくらい飛び上がってしまった。あたしを追って目線を動かした後ろの青年が、「ごめんな」というように笑う。
「ラッキーライラックだ。今日はいいことあるかもな」
「四つ葉のクローバーみたいなモノ?」
「そ」
「うわぁ、得した気分だなぁ」
 メガネの奥で楽しそうに笑った空色の瞳が、あたしの胸を捉えて離さなかった。
「これもらってもいい?」
 なんてあたしのベッドをむしろうとした彼に、慌てて声がかかる。
「ダメだ。そいつのベッドみたいだから」
 宙を指さしても、メガネの彼は心底気の毒そうな顔をして、「はいはい」と言うだけ。
 なんだ……彼にはあたしが見えてないみたい。残念。
 別に彼になら、もらってもらってもよかったのにな。
「あ、信じてないな」
「誰もそんなこと言ってないだろう。何回目だい、この会話……」
「……まあいい。花の終わりかけになったら香水作ってやるよ」
「いいや、別に。取っちゃうんだろ? もったいないよ」
 真っ赤になったのはあたしだけではなくて。
「なんだい、その顔」
「いや……お前もそういうこと言えるんだなぁと思って」
「伊達に君の土いじりに何年も付き合ってないよ」
「お前は邪魔してるだけだろ」
 やがて、彼は鼻歌を歌いながら、また深い茂みに身を隠してしまった。
「あんまり遠く行って虫に刺されんなよ!」
 声をかけた青年は、スコップを握り直してしゃがみ込む。あたしはそっとその背を叩いた。
「ああ……お前きれいに咲いたなぁ。元気か?」
「お前じゃないわ。リラって呼んで頂戴」
「ごめんごめん。俺はイギリス」
 あたしは迷いながらふわふわ飛んで、やがて口を開く。
「ねぇイギリス、さっきのあの人はなんて言うの?」
「アメリカ? あー、あいつはリラのことは……」
「見えないんでしょ。わかるわ」
 アメリカ……あたしはその名前を、忘れないように胸に刻みつけた。
「でもきれいな瞳……無邪気で明るくて、お天気の空みたいね」
「そうだろ?」
 なぜだかイギリスは誇らしげに笑った。
「あたしのこと、いい匂いだって言ったわ」
「うん、リラはいい匂いだよ」
「……また、来てくれるかしら」
「ああ、来てくれるよ」
 たったそれだけのことで、5メートルは飛び上がって喜んでしまったあたしをイギリスは微笑んで見つめる。高い所から、ちらりとアメリカの金髪が見えた。彼の鼻歌に合わせてあたしは歌を歌う。
 妖精は恋をするの。
 恋をして恋をして、いつか愛の女神さまに祝福されたなら、あたしは人間になって、あの人と添い遂げることができる――。
 だからあたしは恋をするの。
 こっちへ来て、あたしを見て。
 地に根を張って動けない花の代わりに、精一杯恋をするの。

 どきんと急に胸が高鳴ったから、あたしの剪定をしていたイギリスに、あたしは「アメリカが来たわ」と教えてあげた。
 え? とイギリスが顔を上げた頃に、ひょっこりとアメリカが顔を出す。
「や! また土いじりか。飽きないねぇ」
「お前が天気のいい日にしか来ないから、そう見えるだけだろ」
「だって君の所の雨ってキライなんだよね。ムカムカする。体に悪そうだし」
 言いながらアメリカはちらりとあたしを見た。あたしは朝からはねていた髪の毛を精一杯撫でつけたけれど、そういえばアメリカにはあたしの姿なんて見えないんだと気がついて、少し落ち込んだ。
「いつの話だ」
 ぶつくさ言うイギリスは、ふいとアメリカから視線をそらす。
 たまに視線をそらすこの仕草を、他の人の前では決してイギリスが見せないことを、あたしはそろそろ学んできていた。
 いつだってイギリスは自信満々に、毅然と立っているのに、アメリカの前でだけは、まるで彼が眩しすぎるかのように、ふいに目線をそらすのだ。
「君、花びらついてるよ」
 金の髪に紫のかざり。気づいていたけど、あまりにかわいらしいから教えてあげなかった。
 それを、アメリカのたくましい腕がひょいとかすめていく。
 指が髪に触れた瞬間、イギリスはびくんと肩をすくめて、そうしてまた目線をそらした。こころなしか頬が赤い。
「……サンキュ」
 アメリカは、そんなイギリスに構わずに、今取った紫の花弁をしげしげと見つめる。
「この花びら、紅茶に浮かべたらおいしいかなぁ」
「お前にそんな些細な香りの違いがわかるかよ。……まぁ、やってみたいっつぅなら、淹れてくるけど……」
「じゃあお願いしようかな。あ、お茶菓子はいらないよ」
「わかってるようるせーなッ!」
 真っ赤になったイギリスのお菓子の腕前を、あたしも知っている。
 おかしいわね、と言うようにくすくす笑ってみせたけれど、アメリカはそんなあたしを見向きもしない。
 軍手をはずしながら家に戻っていくイギリスの後姿を見つめながら、ふ、と切なげに眉を顰めたかと思うと、そっと指先の花びらに口づけた。
 その行為が何を意味するのか、恋ばかりしてきた妖精の血が流れているあたしにはありありとわかってしまって、あたしは思わずよろめき、傍で興味深そうになりゆきを見守っていたマーガレットの妖精にぶつかってしまう。
 ああ、アメリカは――イギリスが好きなんだ。

 それからアメリカが帰るまでずっと姿を見せなかったあたしを見て、イギリスは庭のテーブルに出した茶器を片付けながら、「どうしたんだ?」なんて笑う。
「ああ。アメリカが、リラの花びら入れた紅茶、おいしいって」
「それは……イギリスの淹れたお茶がおいしかっただけよ」
「……どうした? 元気ないな」
 そう、心配そうにあたしを覗き込む優しい笑顔。
 ああ、これならアメリカが惚れちゃうのもムリないなぁ、なんて考えてたら、惨めで惨めで涙が滲み出てきた。
「どうしたんだよ、どっか痛いのか? 水が足りない?」
「イギリス……あたしアメリカが好きよ……」
 言えば、イギリスは少し目を見開いて、数回瞬きをした。その後、軽く目線を落として何も言わない。
「でもアメリカは、イギリスが好きなのね」
「――っはぁ? 違うよ、勘違いだって! そんなわけないだろ。なに言って……」
 あたしはキッとイギリスを睨んで、首を振った。
「ねぇ……妖精の掟を知ってる?」
「掟?」
「妖精の命は、花の咲く間だけ」
 こくり、と静かにイギリスが頷いた。その慈愛に満ちた表情が、醜いあたしには憎らしくて憎らしくてしょうがなかった。
「でも妖精は恋をするの」
 恋する女の子が夢見ているのは、いつだってひとつだけ。
「いつか願いが叶ったら、人間になって、大好きな人に一生添い遂げられるのよ」
 イギリスはしばらく目線を彷徨わせて、やがて意を決したようにふわりと笑った。
「リラの願いが……叶うといいな」
 うそつき。
 本当はそんなこと思ってないくせに。
 自分だってアメリカが好きなくせに。
 ああ、気づいてしまった。眩しそうにそらす視線も、構ってもらいたくて口さがなく出る乱暴な言葉も、全部全部、アメリカへの気持ちがいっぱい詰まっているんだって。
 本当は、イギリスもアメリカが大好きなんだ。
 なのにあたしは、こんな短い命のくせに、どうして二人のあいだに割り込もうとしているんだろう。
 思わず顔を覆ってしまったあたしを、イギリスは優しく慰めてくれた。
 ばかね。
 ばかなイギリス……。

「やあイギリス! 今日も元気に土まみれかい?」
 ああ、アメリカだ。
 気づいていたけど、気まずくて昨日のようにはしゃぎながらイギリスに教えてあげることもできない。
「お前……昨日の今日で……いい、なんでもない」
 イギリスは複雑な表情を浮かべた後、そっと目を伏せた。
「なんだ、暗いぞイギリス。せっかく天気がいいんだから、こんな日くらい明るく騒いでくれよ。ほら、ただでさえいつも君暗いんだからさ」
 そんなイギリスに疑問を感じたかのように、アメリカが言い募る。
 酷い言い草だけど、これはイギリスの関心を引きたいときのアメリカのクセなのだと、なんとなくあたしにはわかってしまっていた。
「余計なお世話だよ! ……ああもう、お前帰れ……じゃない、違った、ええと、庭でも散歩してろ」
 あたしのことを想って、アメリカと目線を合わせようとしないイギリス。
 帰れと言わなかったのは、あたしが少しでも長くアメリカと一緒にいられるように、だ。
 ばかね……ばかなイギリス。
 でも「そんなことしないで」と言わないあたしはもっとバカ。
 こんなことしたって、誰も幸せになんかなれないのに……。
「なんだよ……ほんとに、何かあったのかい?」
 ぽんと肩に手を触れようとするアメリカを振り払って、イギリスは顔をそむけた。
「何もねぇよ、俺に構うな!」
「はぁ? いつものことだけど、意味わからないね君」
 イギリスは黙ったまま、作業を再開した。
 アメリカは不安げに唇を噛みしめて、今までのやりとりを一度リセットでもしようとするかのように、殊更明るい声を出した。
「あー、久々に君のくそまっずいスコーンでも食べたいな!」
 やっぱりイギリスは答えない。
 あたしは見ているのが辛くなって、裏庭まで逃げ出した。

 ぼーっとあの人の瞳のような空を見つめていると、ふわりと傍に寄ってくる影がある。
 昨日のマーガレットだ。見ればこのあたりにはマーガレットが群生していて、彼女の縄張りのようだった。
「恋は気高いもの」
 本当に気高そうな、というよりキツそうな唇が言う。
「知ってるわ」
 憮然と答えるけど、彼女はあたしの答えなんか聞いちゃいないようだ。
「あなたは彼が好きなの? それとも、自分の命が惜しいだけ?」
「妖精は、たとえ短い命でも、それを惜しんだりはしないわ」
「そうよね」
 そのまま沈黙が続く。どうやら、この気高い先輩妖精サマとは話が合いそうにない。
 そろそろ別の場所に移動しようかと腰を上げた瞬間、ざくりと草を踏み分ける音がして、あたしは思わず口元を覆った。
 怒ったような顔でズカズカとこちらに向かってくるのは、アメリカなのだった。
「何が散歩してこいだよ、あの変態味オンチ!」
 誰も聞いていないのに、いやだからこそか、口汚くイギリスを罵るアメリカ。
「俺に構うなって、俺が何かしたのかっていうの! ……いや、したような気もするけど……いやいやいや!」
 違うわ、こんなことを望んで、あたしはイギリスに想いを打ち明けたわけじゃないのに……。
 ごめんなさいごめんなさい。
 でも好きなの。
 あなたが好きなの。
 心の中で強く想う。するとふと、彼は足を止めた。
 いきなりその場にしゃがんで、マーガレットに目をとめる。
「俺……嫌われちゃったのかな……」
 ああ、あの青空と太陽みたいに明るいアメリカが、こんな顔をするだなんて思わなかった。
「イギリス……」
 言って、膝を抱えて顔をうずめたアメリカは、泣いているようだった。

 しばらくアメリカは訪れなかった。
 こんなことをしている間にも、もうライラックの季節が終わってしまう。
「ごめんな、リラ。何度も呼んでるんだけど、仕事が忙しいって、アイツ」
 嘘だわ。この前もあなた、仕事の書類を届けにきた彼に冷たくしたから、アメリカは怖くなっただけよ。
 これ以上あなたに拒絶されるのが、怖くなっただけよ。
 ああ、いつまであたしは、こんな傲慢なことを続ければ気が済むのかしら。
 心の中でごめんなさいごめんなさいと唱えるだけで、悲劇のヒロインになったつもりでいた。でもすべての原因はあたしなのに。
「ねぇイギリス……」
 降りしきる雨を見ながらあたしは言った。
 あの人は来ない。
 あたしはもうすぐ逝くわ。
 あなたを想いながら、逝けるのなら幸せ。その気持ちに偽りなどない。それが妖精の定め。
「お願いがあるの」

 ねぇ、知ってる? 妖精の掟。
 いつしか妖精を信じる人々はぐんとその数を減らしてしまって、今やあたしたちは恋しい御仁と言葉を交わすこともできない。
 実はね、恋に生きて恋に散る、花のような運命を背負った妖精のために、あとひとつだけ、とっておきが残っている。
 こんなことをイギリスに頼むのは残酷なのかもしれない。
 けれど、どうしてもイギリスがよかった。
 あたしを見ない、あたしと違う世界に生きるあの人に、あたしの醜い想いなんて、ほんの少ししか伝わらなくていい。でも少しだけは知ってほしい。そんな無様な乙女の葛藤の末に、出した結論だから、イギリスは渋々頷いて「それでいいのか?」なんて不安そうに訊いてくる。
「こっちのセリフよ……イギリスは、本当にいい?」
「俺は、……いいよ」
「ありがとう。あたし、あなたに花を咲かせてもらって、本当によかった」
「また来年もおいで。アメリカと、待ってる」
「そうね。来年はもっと幸せな恋をするわ。するべきよ。――そう、あたしの妹に伝えてあげてね」
「ああ、約束するよ。リラ」
 ちらりと庭を見やれば、もう余命幾許もない、紫の花――。


 Side America

「なんなんだい、どうしても来てほしいって! 忙しいって言ってるじゃないか!」
 機嫌の悪い俺に怒るでもなく、イギリスは複雑そうな顔を浮かべた。
 ああ、だから来たくなかったのに。
 君のそんな顔を見るくらいなら、会わない方がましだ。
 ……なんてのは、嘘だ。
 君に会った瞬間、どうしようもなく胸が高鳴るのを感じる。
 でも、またあんな風に冷たい態度を取られたら、もう立ち直れないかもしれない。
 いつだって君は俺を無条件に好いてくれるのだと自惚れていた。そんな子供のような甘えを否定されただけで、こんなにも精神不安定になる自分はまだまだイギリスに依存しているのかもしれないな、と情けなくなった。
「こっち……」
 案内されたのはいつもの庭で。
「部屋の中じゃだめなのかい? 仕事の話じゃないのか?」
「ここがいいんだ」
 イギリスは俺の両肩を掴むと、ぐいっと俺の向きを変える。
「うわ、何――」
「ここに立って」
「なんなんだよ」
 イギリスの背後にいつの日かの紫の花が見える。ここで「花びらついてるよ」とじゃれあった日が、無性に懐かしかった。
 イギリスは、迷うように瞳を揺らしたあと、虚空に向かって頷いて、静かに口を開く。
「お前の……青空みたいな目と、太陽みたいな髪と、無邪気な笑顔が大好きだった」
「は? ちょっと君どうしちゃったの……?」
 劇のセリフのようにすらすらと口を出る愛の言葉が、たまらなく不自然で。
「黙って聞け! ……お前に恋をして幸せだった。ありがとう」
 呆然とする俺に、イギリスは切なげな顔を向けて。
 その顔に、ああ、これはとてもとても大切な儀式なのだと、俺はなんとなく理解して、おとなしく続きを待つ。
「死んでも、生まれ変わっても、愛してる――アメリカ」
 イギリスの透き通るような翠の目に、何かとても切なくて強い、別の意志を見た気がした。
「……イギリス?」
 イギリスの頬が濡れていた。まるで死んでしまった友を悼むかのように、その目がここにいる俺を無視して震えているから、俺はどうしようもない衝動にかられて、イギリスを思い切り抱きしめた。
「ごめん……、俺……こんなことしかできなくて……ごめん……」
 俺に縋りついて泣きじゃくる君の、その言葉はたぶん、俺に向けたものではないのだろうと、なんとなく思った。
 俺は、今の言葉をくれた“何か”に向けて、小さく「ありがとう」と言った。

「これ……枯れちゃったのか……」
 ふと見れば、イギリスの後ろで芳しい香りを放っていたはずの花は、どうやら自分の幻覚だったらしい。すっかり頼りなくなってしまった枝があるのみだ。
「もう花の季節が終わっただけだよ。切り戻してやらないとな。来年のために」
 涙を拭いて、イギリスが顔を上げた。声の調子はしっかりしている。
 もう、いつものイギリスだ。
「切り戻す?」
「枝をここまで切るんだ。そしたら、また新しい枝が生えてくる」
「ふーん……」
 愛おしそうに枝に触れるイギリス。
 濡れた睫毛、花のように染まった頬。
 きれいだと思った。
「……やっぱり来年は、作ってもらおうかな、香水」
「なんだよ、いきなり」
「ああ、やっぱりもったいないなぁ。……代わりと言ったらなんだけど」
「何?」
「……さっきの、もう一回言ってくれるかい?」
「さっき? ……っ!」
 ボッと赤く染まったイギリスの顔がおかしかった。
「いっ、言わない! あいつと違って、俺はまだ心の準備ができてないんだから……」
「よくわからないけど……今すぐとは言わないよ。そうだな……」
 あの花がもう一度咲くまでに、と笑ったら、イギリスは真っ赤な顔で、五秒遅れで頷いた。
















 どうでもいいですが「リラ」はライラックのフランス語読み。
「リラの咲く頃」といえばフランスでは一番気候のいい時期を指すらしいです。
そんな時期にバルセロナに行って何をしようというのか夏のマタドールは……(お若い方にはわかりにくい呟き)

 やっぱり求められている方向とは170度くらい違う方向へ行ってしまった気がいたしますが、もうホント暴走機関車でごめんなさい!(もう何度目ですかこの言い訳……)貧弱な知識では、カッコイイ「訳有り」の「訳」を考えることができませんでした……orz
 S様、リクエストありがとうございましたv 謎のファンタジーですがもらってやってくださいませ。


(2007/9/27)



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