その日、自称世界のヒーローアメリカは、猛烈に忙しかった。地球防衛に、ではない。毎日毎日繰り返される、自国の中枢での雑事にである。
 パソコンの中の膨大なデータと格闘していると、傍らに置いていたスマートフォン最新型が高らかに流行りのポップソングを奏でた。目線だけ向けると、予想だにしなかった名前が浮かんでいる。
 思わず眼鏡を外し目を擦ったアメリカは、取り上げた機器の大きな画面を、もう一度よく眺めた。間違いない。遥か海の彼方ヨーロッパの、いちいち規則を守れだのマジメに生きろだの、イギリスとは違った意味で小うるさくお堅いあの国。
「……かけ間違いだな、うん」
 個人的に相容れないタイプではあるが、もちろん国交断絶などはしていないので、普通に外交関係でやりとりすることはある。が、その場合は上司や関係各所の部下同士が連絡を取るし、自分たちが直接話をするにしても、仕事場にかけてくることがほとんどである。自分が外出しているわけでもなく、今のように仕事場に籠もっているのなら尚更。
 特に普段から特別親しくしているわけでもない彼から、直接携帯にかかってくるということは、部下たちや公的機関は何ら関係のないプライベートな話題か、彼ら生身の人間には聞かれたくない、自分たち国という存在特有の、少しスパンが長かったりする特殊な話か、いずれにせよ面倒な予感しかしない。
 アメリカは鳴り響き続ける愛用のスマートフォンを元の位置に戻し、再び画面に向き直った。だが音が鳴りやむ気配はない。
 そのまま何事もなかったかのように放置してやろうと思ったのだが、うるさいものはうるさい。思い切って手動で切ってやった。ら、何を思ったか、すぐさまもう一度着信する。
「もう……なんなんだい、俺は忙しいんだぞ……」
 着信音を聞きながら言い訳してみても、海の向こうのドイツに届いているはずもない。
 そうだ、トイレへ行こう。ついでにコーヒーも淹れたいし。
 現実逃避のように愛用のスマートフォンを机に放置したまま、アメリカは腰を上げた。
 戻ってくると、ドイツからの着信は6回になっていた。しつこい、しつこすぎる。
 意地でもかけ直すものかとそのまま仕事を再開したら、珍しい相手からの謎の着信など、すっかり頭の片隅に追いやられてしまった。
 おかしいと感じたのはその次の日だった。
 今度の犯人はドイツではなかった。それでも、個人的に電話が来ることなど極めて稀な相手には違いない。しかもしつこい。
目が合う度に指を立てられたり、すれ違う度に姑息な攻撃をしかけられたりするので、彼は正直苦手だ。フランスとはまた違う意味で、自分が生まれる前の歴史の覇者として、単純に近寄りがたいし、この世の酸いも甘いも何でも見てきました、というように先輩風を吹かされるのもなんだか気に食わない。
「何回目なんだい……電池なくなるから、やめてほしいな……っていうか普通一回出なかったらしばらく時間置くだろう……」
 しかしここで切るとどんな仕返しをされるかわかったものではない。大人しく「マナーモードにしてたから気づかなかったよ!」と言い訳できる余地を残しておくべきだ。
 8回ほどアメリカの携帯を響かせて、スペインの猛攻は一旦鎮まった。今のうちにマナーモードにしようと操作を始めたところで、運悪く9回目が始まった。咄嗟に電話を取ってしまったアメリカは、本気で電話機のユーザーインターフェースを恨みたくなったが、時すでに遅しである。
『何回電話したと思てんねん! このダァホ! グダグダせんと早よ出ぇ! あー……早速やけどな、ちょお顔貸してやー』
 別にスピーカーに耳を近づけたわけでもないのに、耳をつんざくドスのきいた声。
 いつも陽気な情熱の国だか何だか知らないが、他の国とアメリカとの扱いが違いすぎやしないだろうか。が、本人に抗議すると、自業自得だとさんざん罵倒された挙句に嬉しくないオマケまで掘り起こしそうなので、絶対に言わないが。
「それが人にモノ頼む態度かい!」
『アァ? なんでお前みたいなガキに頭下げなあかんねん、この俺が!』
「意味がわからないよ、一体何の用なんだい? 俺は君みたいな過去の男と違って忙しいんだぞ」
『よっしゃ、いっぺんしばいたる』
「ハハハハ、お断りだね! じゃあ、大した用もないみたいだしこれで!」
 まったく、付き合っていられない。通話を終了したそばから、再び容赦なく着信音。予想はしていたが、大分面倒くさい。本題にも入っていないのに、いや、本題が読めないだけに更に面倒くさい。
「もう、何なんだい……」
『えぇ度胸やなぁ、自分。……ま、ええわ、お前もそれなりに忙しいやろうし? しゃあないからこの俺が出向いたるわ』
 やれやれ、とため息をつかれても困る。
「いいよ別に! 俺は別に用ないし!」
『俺はあんねん……』
「わかったからそんなガラ悪い声出さないでくれよ……」
 どうやらこの様子だと、アメリカに頼み事だか相談事だかがあるらしいが、それでも下手に出ないヨーロッパ連中は本当に腹が立つ、を通り越してもうどうにもならない。諦めの境地とはたぶんこういう精神状態を言うのだと思う。
 ほんなら明日家行くわ! と爽やかに一方的に話を取りつけて、スペインは至極失礼な態度のまま電話を切った。耳には静寂が舞い戻って来て、同時にどっと疲労が襲い来る。
 一体何なんだ。
 まぁ気にしないに限る。それより明日の朝、何味のベーグルを食べるかの方が重要だろう。
 今しがたの出来事をゴミ箱に放り投げる作業の真っ最中、再び不吉な音色が鳴り響いた。好きで設定していたポップスだが、一連のしつこい着信ですっかり嫌いになってしまった。先程やりかけたマナーモード設定は完成に至っていなかったようである。
「またドイツだ……」
 諦めていなかったのか。まさかスペインとつるんでいるのだろうか。それならスペインにいちいちギスギスした視線を向けられながら会話するよりは、性格はまるで合わないが、あの老獪な連中に比べれば自分と同じく年若い部類に入る彼の方がいくらかやりやすい。
 そんなわけでアメリカは、先程よりはいくらか余裕をもって、通話ボタンをタッチすることができた。
「ハロー! 世界のヒーローアメリカは超多忙だから、簡潔・手短に話してくれよ」
『む、すまないな。昨日も何度か電話したんだが……』
 ああ、これだこれ。この常識的な反応!
『その……折り入って相談したいことがあるんだ……、少し時間をもらえないだろうか?』
 普段偉そうに文句ばかり言うドイツが心底困り果てたふうで自分を頼っている。これは気分がいい。アメリカはつい先程起きた不愉快な出来事などさっぱり忘れ、気分良く椅子にもたれかかった。
「何だい?」
『実はな……こんなことをお前に相談するのも申し訳ないのだが……いや、やはり直接見てもらった方が早いと思う。次の世界会議の後、少し時間をもらっても?』
「しょうがないな……次の世界会議は、ワオ、一週間後じゃないか」
 何気なくカレンダーを見やる。すっかり忘れていた。
『まさか忘れてたわけじゃないだろうな?』
 ドイツはにわかに責める口調に変わる。アメリカは口を尖らせて応じた。
「そんなわけないじゃないか。次の会議も俺が主役だからね」
『……そうだな、ホストはイタリアだしな』
 まぁ誰がホストであろうが議題の中心は常にアメリカでなくてはならないが。しかしそんな持論には到底賛同しそうもないあのドイツは、一際大きなため息をついて、小言を引っ込めた。恐らく常に彼を悩ます困った隣人イタリアに比べれば、アメリカなど超がつく常識人で聖人のようなものなのだろう。
 まあこのアメリカが世界のリーダーであると言質を取ったからには、ヨーロッパ組の事情などどうでもよい。
 アメリカはあっさりと、「じゃあ次の世界会議で」と電話を切った。





ペトルーシュカっていう、バレエの話、知ってる?



知らないよ……そんな暗い話、
俺の家なら絶対映画化しないね



……お前のために言ってるんだ。イタリアの運転は酷いぞ



むしろ俺たちが食えなくなっただけじゃねーかヴァッファンクーロ……
あいつどういう胃袋してやがるんだよちきしょー……



あ、アメリカは水で薄めた方がよかったよね! ごめん!



よっしゃ、ロマのピッツァにもう一回乾杯や!










溺れよ
それは悲劇でなく
希望のはじまり




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