これはアレだな、真剣に集団ドッキリだ。首謀者は誰だ? 全校生徒からご近所の皆さん、管理人まで巻き込むなんて、相当影響力のある奴だろう。
 そんなことを考えながら歩いていると、ちょうど俺の部屋の前に差しかかったところで、見慣れた制服姿の背中が見えた。
 あーっ!
 いるじゃないか、人!
 一体どういうことだいこれは、説明してもらうぞ、絶対逃がさない!
 勢い余ってタックルした目標物は、突然の襲撃に動じるでもなく、ゆっくりと振り返った。
「あれぇ、アメリカくんだ。何いきなり、痛いんだけど」
 嫌になるくらい普通の反応だ。だがそんなことに構ってはいられない。
「ロシア! どうして誰もいないんだよ! 説明してくれよ!」
 ロシアがいればいいのに、と血迷って一瞬考えたには考えたが、本当にロシアが出てくるとは思わなかった。いざ俺の触れたところを念入りにはたいているロシアを目の当たりにすると、事態はちっとも進展していないような気がしてくる。そんな、人を病原菌みたいに。どうせ出てくるなら、やっぱりもっと頼れそうな奴がよかった。頼れそうな奴って誰だ? 俺以外にいないじゃないか、なんだ。
「説明って?」
「どうせ皆でくだらない相談して、俺をからかって遊んでるんだろ! もう、やめてくれよそういうの! 趣味悪いぞ!」
「え? 何のこと?」
 目下、学園内には俺とロシアの姿しかない。この異常な状況で、ロシアは心底俺の言っていることの意味がわからない、というような顔で小首を傾げた。
 その、考えてることまったく読めない、顔に貼りついたような笑顔がムカつくよな。いつものことだけど。
「とぼけないでくれよ、学校にも誰もいないし、寮にも誰もいないし! どうせドッキリか何かなんだろ!」
「やだなぁアメリカくん。誰もいないのは当たり前でしょ。今日は休みだよ」
 何言ってるの、という顔をされても困る。何言ってるの、はそっちの方だ。まだ妙な茶番を続けるつもりなのか。
「理由になってないぞ! 休みなら寮には人がいるはずだろ。だいたい、何の休みなのさ! 平日だろ、7月5日、月曜日!」
「だから、今日は休みなんだって。おかしいなぁ、アメリカくんも、わかっててココにいるんじゃないの?」
 ロシアは相変わらずムカつく顔で俺をまじまじ見詰めていた。なるほどそういうこと、ね。そんな顔。
 相変わらず、人の感情を逆撫ですることにかけては天下一品だ。
「突然祝日でもできたのかい」
 俺は努めて冷静になるべく、深く息を吸った。声を荒げたら、ロシアの思う壺だ。
「違うよぉ、今日は『休み』なんだ。言うなればここは『休み』の世界。でも今日は7月5日で月曜日、休みじゃないから、皆ここにはいない。でも君だけは『休み』に何か心残りがあったんじゃないかな? そういう人が、この世界でもう一度『休み』をやり直すんだ」
 ロシアは何もかも見透かしたような気味の悪い笑顔のまま、続けた。
「……たとえば昨日、7月4日、日曜日。とかね」
「心残り? やり直す? 休みの世界?」
 バカげてる。
「君までイギリスの幻覚が移ったのかい? やめてくれよ」
「やだなぁ、イギリスくんなんかと一緒にしないでよ。現に僕たちはここにいるでしょ」
「……たとえ君の言ってることが全部本当だったとして、俺がここにいることの説明になんかなってないぞ。俺は休みに心残りなんかないし、昨日は俺の独立記念日で、上司のパーティに行って、色んな人にお祝いされて、すっごく楽しかったんだ」
「……へぇ?」
 そうだよ、昨日は色んな人にお祝いされて、俺の家の皆だって一年に一度の熱狂に浮かれまくって、最高の一日だった。
 たとえ帰って来た時すれ違ったこの学園の誰もが俺の誕生日なんてコロッと忘れてしまったみたいに「おめでとう」一つくれなくても、部屋で俺を待っていたカナダまでもが宿題と野球に夢中でも、そんなのはこの学園じゃ普通のことだ。俺たちの「誕生日」は普通の「誕生日」と違う。自分一人が大切にして祝えばいいもので、誰か他の人が祝ってくれるものじゃない。
 そうだよ、な。心残りなんかないぞ!
 言っていて、ふと気がついた。
「……じゃあ、君は?」
「ん?」
「君はどうして『こっち』にいるんだい?」
 ロシアは俺がそんなことに気づくなんて夢にも思いませんでしたとでも言いたげな失礼な顔でしばらく目をしばたいていたが、やがてふふっと軽く笑って「ひみつ」などとのたまった。
「君、しょっちゅうこっちに来るの?」
「ううん、僕も久しぶり」
 久しぶり、ってことは初めてではないわけだ。まったくイギリスといい、このロシアといい、どうして俺の周りは頭の中花畑みたいな奴らばっかりなんだろう。薔薇だろうが向日葵だろうが、大差ない。
「だいたい、休みの世界って何のためにあるんだい? こんな世界に君と俺しかいなくてさ、一体何をしろっていうんだよ。休みに心残りがあったって、こんなところじゃどうしようもないじゃないか」
「あれ、アメリカくん。休みの記憶を見てないの?」
「……休みの記憶?」
 なんだかまた怪しげな単語が飛び出した。
 無視しようと思ったけど、やっぱり気になる。
「そう。学校がね、記録してるんだ。皆の休みを。それを僕たちに見せてくれる。……まぁ、実際に見てみるのが一番早いかな」
 ロシアはそっと廊下の端に寄ると、俺を手招いた。
「こうやってね、静かに待ってみたら、すぐわかるよ」
 訳がわからないながらに壁にもたれ、ぼんやり誰もいない静かな廊下を眺める。
 ふいに、かすかにノックの音が聞こえた気がした。
 でも廊下に人なんかいない。どこだ? 一体どの部屋――あ。
 俺の部屋の目の前だ、ぼんやりうっすら、人影が見える。
「あれって、ゆうれ……!」
「しーっ」
 ロシアに窘められ、仕方なく口を閉ざした。
 固唾を呑んで、突如現れた半透明の人影を眺める。心臓がばくばく、まるで早鐘のよう。見守るうちに、人影はどんどん濃くなっていった。
 あれ幽霊じゃないのか、このままぼーっと見てて大丈夫なのか?
 見上げたロシアは、にこにこと得体の知れない笑みを浮かべたままだ。まぁ、「呪い」だの「まじない」だのオカルトな方面に関しては、ロシアもイギリスとタメを張るくらいにはぶっ飛んでいるらしい。いつだったかイギリスが呟いているのを聞いたことがある気がする。
 しばらくすると、がちゃり、と確かに俺の部屋が開いた。なんだ、カナダの奴、やっぱり中にいたん――。
「…………!」
 中から出てきたカナダも、どこか半透明だった。えぇえ、何あれ、何だよ一体。
「イギリスさん」
 半透明の影が喋る。それで、廊下に佇む幽霊が、実は見慣れたイギリスの後ろ姿であったことに俺はようやく気がついた。
「あいつ、まだ帰ってねぇの?」
 あいつ、とは間違いなく俺のことだろう。何言ってるんだい二人とも。半透明になったからって、目まで悪くなったのかい? 俺はここにいるじゃないか。
「しばらく帰ってこないと思いますよ。なんたって今日は、お祭りだから」
 今日? いつのことだ? お祭りって?
 もちろん、推測ならついたけど、俺は敢えて断定を避けたかった。けれどイギリスがその言葉を聞くなり、まるで腹痛でも起こしたかのように身をかがめ唸ったから、あぁ、やっぱり「今日」は「今日」なんだ、と俺は確定せざるをえなかったわけだった。
「そうか……くそ、あいたたたた……」
「だ、大丈夫ですか?」
「すまない、この時期俺の体調が悪いのはいつものことだ。気にしないでくれ」
「え、ええ、無理しないでくださいね。皆もいるし……」
「いや、大丈夫だ。で、ええと、会場は、寮の大ホールを貸し切ったから」
「時間は?」
「7時からでいいと思うんだが……準備とかもあるし、授業が終わってから、しばらくアメリカを引きとめといてもらいたい」
「わかりました。頑張ります。でも、僕一人じゃ厳しいと思うんで……」
「何なら、誰か応援に寄越す。いつでも電話しろ」
「はい」
「じゃあ俺、ケーキ作ってる奴ら見てくるから」
「え、あ、あの、イギリスさん!」
「ん?」
「いや、あの、体調悪いなら無理しない方が……」
「あー、そうだな、じゃあまた」
 そんなやりとりの後、イギリスとカナダは別れ、部屋はまた元のようにぱたんと閉じた。しかし今鍵を開けて中に押し入ったところで、カナダはもうそこにはいない。俺にはそれだけがわかった。イギリスはもう、影も形も見えなかった。
「……なんだい、あれ」
「あれが、休みの記憶。たぶん、昨日君がパーティに行ってる間に起こったことだろうね」
「皆が休みの間にしてたことがこうやって見れるってこと? それで、休みに心残りがある人の、何か助けになるのかい?」
「さあ。でも人が何か行き詰まってる時ってさ、大抵、自分の見えてる世界しか想像が及ばない時なんだよね。周りの人が自分の知らないところで何をしてたのか、何を考えてたのか……知りたくない? それってきっと、すごく助けになると思うな。煮詰まってる時は特に」
「……プライバシーの侵害だぞ」
「そっかぁ。でも、今見たのが実際に起きたことなのか、それとも僕たちの幻覚なのか、それは誰にもわからないよね。君は信じるんだ? 学校が見せてくれるあの記憶を」
「……まだわからないよ。後でカナダに訊いてみればいい」
「そ。無粋だね」
 俺はぐ、と押し黙った。今のは間違いなく、どう聞いたって俺の誕生日パーティを今日、5日にやりましょうという相談だ。それを確かに面と向かって本人に尋ねるのは、無粋と言われても致し方のない方法だった。
「ついでだから部屋の中も見てみる? ここ、君の部屋でしょ。また違う『休み』が見れるかもしれないよ」
「……どうせそれも、本物かなんてわからないんだろ」
「うん、そうだね」



部屋の中を見てみる。ひょっとしたらカナダがいるかもしれないし。
部屋の中にカナダがいないのはなんとなくわかるし、別の場所に行ってみる。



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