これはアレだな、真剣に集団ドッキリだ。首謀者は誰だ? 全校生徒からご近所の皆さん、管理人まで巻き込むなんて、相当影響力のある奴だろう。
 そんなことを考えながらイギリスの部屋に向かって歩いていると(ちなみにあろうことか、イギリスはちゃっかり一人部屋に住んでいた。こういうのを職権乱用っていうんだと思う)、ちょうど俺の部屋の前に差しかかったところで、見慣れた制服姿の背中が見えた。
 あーっ!
 いるじゃないか、イギリス!
 一体どういうことだいこれは、説明してもらうぞ、絶対逃がさない!
 勢い余ってタックルした目標物は、突然の襲撃に備える余地もなかったらしい、そのまま盛大にこけた。
「痛ってーな! 何すんだクズ!」
 怖い。すごく怖い。
 凄まれて思わずびくりと肩を震わせてしまった俺を見ると、イギリスはすぐにハンニャのような形相をぐにゃりと崩した。
「おわ、あ、アメリカ? んだよ、お前……いきなり……」
 よかった、いつものイギリスだ。
 俺は出来る限り今のイギリスの顔を記憶の片隅に追いやる努力をしながら、精一杯呼吸を整えた。
「あ! そうだよイギリス! どうして誰もいないんだよ! 説明してよ!」
「説明って……」
 イギリスは立ち上がって、ぱたぱたと制服についた埃を払う。まったく慌てたそぶりも見せないのが憎らしいところだ。ああそうかい、普段から幻覚と戯れてる君には、こんなの日常茶飯事だって? 冗談じゃないよ!
「どうせ皆でくだらない相談して、俺をからかって遊んでるんだろ!」
 目下、学園内には俺とイギリスの姿しかない。この異常な状況で、イギリスは心底俺の言っていることの意味がわからない、というような顔で首を傾げた。
 ああもう、イライラするなぁ! 君と俺を一緒にしないでくれよ! 俺にはこの上ない非常事態なんだぞ。
「からかうって、何が」
 とにかく、冗談でした、イタズラでした、と言ってほしい。
「とぼけないでくれよ、学校にも誰もいないし、寮にも誰もいないし! どうせドッキリか何かなんだろ!」
「あのなお前、誰もいないのは当たり前だろ。今日は休みだぞ」
 ため息をつくイギリス。冗談じゃない。ため息をつきたいのはこっちだ。まだ妙な茶番を続けるつもりなのか。
「理由になってないぞ! 休みなら寮には人がいるはずだろ。だいたい、何の休みなのさ! 平日だろ、7月5日、月曜日!」
「いや、だから今日は休みなんだって。お前も、わかっててココにいるんじゃねぇのかよ。それより、頭痛ぇんだからあんまり大声出すなよ」
 わざとらしく顔を顰めてため息をつく。それはここ数日見慣れたイギリスの態度で、俺は違和感もなくそれにフンと心の底で反発してみせたが、じわりと違和感が湧き上がってくる。
 あれ、この時期イギリスの体調が悪いのは毎年のことだけど、それにははっきりとした理由があって、だからそれは昨日で終わっているはずだった。
「だ、だって今日は7月5日だぞ、5日! 月曜日だ」
 俺が勢い勇んでiPhoneの日付を見せると、イギリスは「ふーん」と軽く流した。
「あぁ、お前、『戻ってきちまった』んだな」
「……どういう意味だい? 幻覚の話ならやめてくれよ、気持ち悪いな」
 イギリスは、出来の悪い子供に言い聞かせるみたいに、面倒くさそうに言葉を継いだ。たぶん、頭も痛いんだと思う。
「今日は『休み』なんだ。言うなればここは『休み』の世界。でも今日は7月5日で月曜日、休みじゃないから、皆ここにはいない。でもお前だけは『休み』に何か心残りがあったんじゃねぇのか? そういう奴が、この世界でもう一度『休み』をやり直す」
「心残り? やり直す? 休みの世界?」
 バカげてる。
「あー、最悪だよ、ったく、なんでよりによってお前と、ココに来なきゃいけねぇんだよ……」
 イギリスが幻覚を見るのは勝手だが、俺まで巻き込むのは本当にやめてほしい。
 休みに心残り。そんなものあるわけがない。昨日は俺の独立記念日で、上司のパーティに行って、色んな人にお祝いされて、すっごく楽しかったんだ。
 そうだ、最高の一日だった。
 たとえ帰って来た時すれ違ったこの学園の誰もが俺の誕生日なんてコロッと忘れてしまったみたいに「おめでとう」一つくれなくても、部屋で俺を待っていたカナダまでもが宿題と野球に夢中でも、そんなのはこの学園じゃ普通のことだ。俺たちの「誕生日」は普通の「誕生日」と違う。自分一人が大切にして祝えばいいもので、誰か他の人が祝ってくれるものじゃない。
 そうだよ、な。心残りなんかないぞ!
 ふと、気がついた。
「……じゃあ、君は?」
「あ?」
「君はどうして『こっち』にいるんだい?」
 イギリスはただでさえ険しく顰めていた顔をさらにぎゅっと不快げに歪め、チッと舌打ちさえした。イギリスが俺にこういう態度を取ることはあまりない。フランスじゃあるまいし。
 よほど機嫌が悪いと見える。
「そんなに頭痛いの?」
「うるせーよ、お前には関係ない。あーもう、用がないならとっとと帰れ」
「帰り方なんか分からないよ! 君の幻覚のせいなら、君がなんとかしてくれよ!」
「信じないんじゃなかったのか」
「現に他に誰もいないんだから、しょうがないだろう!」
「……っち、ったく、ホントになんでお前こっちに……」
 イギリスはがしがしと短い髪を掻き混ぜ、くそ、と壁を蹴った。行儀の悪いことこの上ない。
「お前、ほんとに心当たりねーんだな。なんで休みをやり直してんのか」
 ないよ。ないはずだ。
 だって昨日は……。確かに皆は、祝ってくれなかったけど、それは普通のことで、俺一人がぎゃあぎゃあ騒ぐことじゃない。だって俺たちは普通の学生のようだけど、でもやっぱり違う、「国」なんだから。
「まぁ、いい。いずれわかるさ、お前がなんでこっちに来たのか、がな」
「どういうことだい?」
「休みの記憶を見なかったのか?」
「……休みの記憶?」
 なんだかまた怪しげな単語が飛び出した。
 無視しようと思ったけど、やっぱり気になる。
「ったく、今まで何してたんだ? 寝坊か? いいから静かに黙って、じっとよく周りを見てみろ」
 イギリスは唸りながら廊下の端に寄ると、俺にも同じようにしろ、と指示をした。訳がわからないながらに壁にもたれ、ぼんやり誰もいない静かな廊下を眺める。
 ふいに、かすかにノックの音が聞こえた気がした。
 でも廊下に人なんかいない。どこだ? 一体どの部屋――あ。
 俺の部屋の目の前だ、ぼんやりうっすら、人影が見える。
「あれって、ゆうれ……!」
「静かに」
 イギリスに窘められ、仕方なく口を閉ざす。認めたくないが、こういったオカルト現象にはイギリスの意見を仰ぐ以外に対処法がない。なんだよ、見つかったら食べられちゃうとか? 怖すぎる、トゥースキュアリーすぎるよ!
 固唾を呑んで、突如現れた半透明の人影を眺める。心臓がばくばく、まるで早鐘のよう。見守るうちに、人影はどんどん濃くなっていった。
 しばらくすると、がちゃり、と確かに俺の部屋が開いた。なんだ、カナダの奴、やっぱり中にいたん――。
「…………!」
 中から出てきたカナダも、どこか半透明だった。えぇえ、何あれ、何だよ一体。
「フランスさん」
 半透明のカナダが喋る。それで、廊下に佇む幽霊が、実は見慣れたフランスの後ろ姿であったことに俺はようやく気がついた。
「あいつ、まだ帰ってないのか?」
 あいつ、とは間違いなく俺のことだろう。何言ってるんだい二人とも。半透明になったからって、目まで悪くなったのかい? 俺はここにいるじゃないか。
「しばらく帰ってこないと思いますよ。なんたって今日は、お祭りだから」
 今日? いつのことだ? お祭りって?
 もちろん、推測ならついたけど、俺は敢えて断定を避けたかった。けれど隣にいたイギリスがその言葉を聞くなり、まるで今にも死にそうなほど気分が悪そうに身をかがめ唸ったから、あぁ、やっぱり「今日」は「今日」なんだ、と俺は確定せざるをえなかったわけだった。
「君、大丈夫かい……?」
「いいから、黙ってろ……」
 半透明のカナダは、ここで当のイギリスが苦しんでいるとも知らず、半透明のフランスに問う。
「イギリスさんは?」
「あー、あいつは気分悪そうだから休ませてる。自分も準備するっつって聞かなかったんだけどな。あれじゃかえって邪魔だろ。日本に相手させてるわ」
「そうですか……」
「あ、それで、会場だけど、寮の大ホールを貸し切ったから」
「時間は?」
「7時からでいいと思うんだけど、どうよ? 準備とかもあるし、授業が終わってから、しばらくアメリカを引きとめといてもらいたいんだが」
「わかりました。頑張ります。でも、僕一人じゃ厳しいと思うんで……」
「電話してくれたら、いつでも誰か応援に寄越すから」
「はい。わかりました」
「じゃあ、また」
 そんなやりとりの後、フランスとカナダは別れ、部屋はまた元のようにぱたんと閉じた。しかし今鍵を開けて中に押し入ったところで、カナダはもうそこにはいない。俺にはそれだけがわかった。フランスはもう、影も形も見えなかった。
「……なんだい、あれ」
 幽霊、ではなさそうだ。だってフランスもカナダも死んでない、はずだ。
「クソヒゲ、誰が邪魔だって……」
 うわ、その目怖いよイギリス。
「あれ、が、『休みの記憶』……?」
「そうだ」
「皆が休みの間にしてたことがこうやって見れるってこと? それで、休みに心残りがある人の、何か助けになるのかい?」
「知らねぇよ。この学校はタチが悪い。見たくねぇことまで、こうやって無理矢理見せつける。お前にも、できたらまだ見せたくねぇけど、どうやらあちらさんはそんなデリカシー持ち合わせちゃいないらしい」
 幻覚でなく、学校の仕業だというのか。ますます訳がわからないが、訳のわからないものは無視をするに限る。とにかく俺は、俺にとって一番重要なことから尋ねることにした。
「……俺たちはいつ、元の世界に帰れるんだい?」
「学校が満足したら」
 無視し切れない。くそ、このファンタジーが!
「……学校、学校って、これ学校の仕業なのかい? 学校は一体何がしたいんだい?」
「さあな。ただ……考えさせられることも多い、休みのやり直しは。休みが足りなかった奴だけに、学校が見せるものだから」
 イギリスは疲れ切った顔をしていた。それで、イギリスはきっとこの不思議体験の常連なんだろうと俺は思った。どうして、なんてのはきっと俺が聞いちゃいけない。きっとある時からイギリスは毎年毎年、この休みの世界に迷い込んできた。
「……お前、鍵持ってんだろ? 部屋の中でも見てみたらどうだ? また違う『休みの記憶』が見られるかもしれない」
「……君、大丈夫なのかい? そんなこと言ってないで休んだ方が」
「どうせ学校が満足するまで俺は5日には進めねぇんだ、気にするな」
「……そうかい」



部屋の中を見てみる。ひょっとしたらカナダがいるかもしれないし。
部屋の中にカナダがいないのはなんとなくわかるし、別の場所に行ってみる。



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