ちょうど部屋の鍵を取り出そうとしたところで、俺のiPhoneがカバンの中で光っているのに気がついた。よくよく見れば微かに振動もしている。ああそうだ、昨日あまりに「おめでとう」の電話が多くて、人気者の俺がいちいち対応していると日が暮れてしまうので、マナーモードにしていたのだった。
それよりも大切なのは、「電話がかかってきた」=「俺以外にも人がいる」ということだ。
俺は期待と緊張にうち震えながら、iPhoneの画面を見つめる。表示は、カナダ。
「カナダちょっと君、今どこにいるんだい!」
俺は思わずiPhoneに向かって叫んだ。耳を澄ませて返答を待つ。なんだか背後がガヤガヤとうるさかった。
だいたいあいつはいつも喋るのが遅い。急いで事情を知りたい時などは、大変じれったいが、待つより他にない。急かすつもりでこちらが相手の言葉を遮ってしまうと、余計に事態を把握するのが遅れるのだとは既にわかっている。
わかってはいても、フラストレーションが溜まるのは仕方のないことではあるが。
『どこにいるのはこっちのセリフだよ! もうバス出ちゃったよ』
「は……? バス?」
思ってもみなかった単語に俺がぽかんとしていると、ただでさえうるさかったカナダの背後が、さらに騒がしくなった。
『……おい、繋がったのか? ちょっと貸してくれ、おいアメリカてめぇ! 今どこにいやがんだ! テメェのせいでこちとら予定時刻を大幅に過ぎてんだ!』
キィーン、と耳鳴りがする。俺は電話を耳から離して、顔をしかめた。
イギリス……。
完全に説教モードのイギリスに辟易して、いいからカナダを出せと口を開きかけたところで、背後でもっと聞きたくなかった声がする。
『まぁまぁ、もうバス出ちゃったんだから、どうしようもないじゃない。今アメリカくんがどこにいたって、拾いに行けるわけじゃないんだしさ。残念だったねぇ、アメリカくん。せっかくのアイス工場の見学だったのに』
「え? アイス? 見学? な……何の話だい?」
『はぁ? お前知らなかったのかよ、今日は全校で社会見学って昨日通達したろうが!』
なんだそれ、聞いてない。だいたい昨日って何だい、急すぎるだろう。この学校が色々ハチャメチャなのにはもう慣れたつもりだけど、まさか影の薄いカナダじゃあるまいし、俺に何の情報も入って来ないなんてことは……あ、そうか、昨日は。
俺が反論する前に、電話の向こうでまた持ち主以外の声がした。
『おいおいイギリス、お前にこんなこと言いたかないけど、そいつは昨日、上司んとこのパーティ行ってて忙しかったみたいだし、そこんとこちゃんと考えて連絡したわけ?』
フランスだ。
『うるっせーよ俺だってんなこた分かってんだ腐れワイン! だから、ちゃんと同室のカナダに頼んだっつーの!』
『自分で電話してあげればいいのにー、それが一番確実だよね?』
『バカだなぁ、ロシア。イギリスは7月4日は死んでも自分からアメリカに連絡なんて取りたくないんだよ』
『うるせぇテメェら黙ればかぁあああ!』
『あぁあああ、イギリスさん! 僕の電話……!』
電波を通じて、俺とおそろいのカナダのiPhoneが受難に遭っているらしきことがわかる。ようやく救出されたらしいそれから、その忌々しいすべての元凶の相変わらずムカつくくらい弱々しい声がした。
『あの、ごめんね、僕……今朝起こした時に言ったつもりだったんだけど……』
「聞いてないよ。っていうか君、俺のこと起こしたのかい? ほんとに?」
『お、起こしたよ、ちゃんと! 君だって分かった分かったって返事してたじゃないか……僕イギリスさんに呼ばれてて、それでちょっと外した隙に、戻ったら君もういなくなってたから、先に集合場所に行っちゃったのかと思って……』
人が寝ぼけてる時にそんな大事な連絡する奴があるかこのバカ! だいたい、それなら俺が昨日帰った時にすぐ言えばよかったじゃないか。
俺の沈黙をどう受け取ったのか(まぁたぶん正しく受け取ったんだと思う、俺がいかに怒ってるかってさ!)、電話の向こうで奴はさらにいっそうおどおどし始めた。
『あ、あの、ごめん、ごめんってばアメリカ……! おみやげ持って帰るから……!』
相変わらず奴の背後ではぎゃあぎゃあとイギリスたちがわめく声がしていたが、彼らに代わって今度は日本が、俺とカナダの通話を冷静に傍で聞いているらしかった。
『あの、カナダさん。アイスを持って帰るとなると、寮へ着くまでに溶けてしまいやしませんか』
『あ、そ、そっか! どうしよう……』
絶望した。「どうしよう」じゃない、このバカナダ。
俺は無言で電話を切った。
その後何度も何度も電話がかかってきたけど、俺は全部それを無視して、毛布に包まりながらゲームの続きをする。昨日の続きのそれは、うっかりホラーだった。普段は同室者がいるから怖くないだけで、本来このゲームはこんな風にシンと静まり返って誰一人いない寮の中でやるものじゃないと、俺は後悔した。
本気で誰でもいいから帰って来てほしいと思い始めた頃にはしつこい電話攻勢も鳴りやんでいて、かといって自分からかけるわけにもいかない。自分で外に行ってアイスでも買ってこようか、でも毛布から出るのが怖い、という情けない葛藤の最中、廊下がにわかに騒がしくなった。すぐに俺の部屋のドアも開く。犯人は果たしてカナダだった。
「ごめんねアメリカ。ただいま」
俺は心の底からホッとしたが、まだスネているフリをして毛布に包まっていたい気分だった。
そうでもなきゃこののんびりバカは直らない。
「皆でお金出して、おみやげにいっぱいアイス買ってきたよ」
おみやげ、アイス、の言葉に俺はぴょこんと顔を出し、申し訳なさそうな顔をした兄弟の顔をまじまじと見つめた。そのまま視線を下ろせば、彼の肩からは、大仰なクーラーボックスが二箱もかけられているではないか。
「え……それ……」
手招かれるままにのろのろベッドを下り、宝箱を開けるみたいなカナダの手つきをドキドキしながら見守った。
中にはやっぱり、宝の山と見まごうばかりのアイスの山!
楽園はここにあったんだ!
「キューバとトルコがね、クーラーボックス持って来てたんだよ。後でお礼言って返しに行こうね」
アイスが好きなのはいいことだが、それにしたってやりすぎだ、と俺は呆れた。でも俺も、あらかじめ今日の社会見学のことを知っていたなら、それくらいはしたかもしれない。
「何だい、その組み合わせ……。なんで俺がお礼言わなきゃいけないんだよ。元はと言えば君のせいだろ」
俺の尖らせた唇に、カナダの眉尻はどんどん下がる。
「……そうだけどさ、ごめん。でも、二人もすっごく渋ってたのを、アメリカ昨日誕生日だから、って言って、無理矢理貸してもらったんだ。二人とも、おめでとうって言ってたよ」
まさかそんなところから「おめでとう」を言われるとは思ってもみなかった。俺は確かに人気者だけど、その反面、憎まれ役であることだって多い。そこがヒーローの辛いところなんだけど、ってそれはともかく。
俺は零れおちそうなほど目を見開いて、ぱちくりとアイスの詰まった宝箱とカナダを見比べた。
なんだか、今日は色んなことがありすぎる。どれから食べよう。あ、あれ美味しそうだ。ブルーベリーチーズ。
「あとイギリスさんもね、昨日僕に伝言頼んだ時、これ渡してくれって」
ごそごそ机の下にもぐりこんだカナダが取り出したのは赤い紙袋で、中には高そうな紅茶の缶が鎮座していた。なんだいそれ、飲まないよ。いや、たまに飲むけどさ。
なんだなんだ皆して。昨日は華麗にスルーしたくせに、今日になって。俺はもうてっきり、学校の皆は俺のことなんか祝ってくれないんだって。まぁ俺だって皆の誕生日なんか祝ったことないしな!
紙袋の中身を見つめたまま固まった俺に、カナダはため息をついた。
「ごめんね、これ昨日渡した時に伝言すれば、君だけ置いてけぼりになんてならなかったよね。……自分のプレゼントまだできてないのに、人から預かったもの先に渡すのもなぁ、って……あぁ、もう僕、ほんとにのろまで……全部僕のせいだよ、ごめん、アメリカ。せっかくの誕生日なのに、台なしだよね」
「自分の、プレゼント?」
睨みつけると、カナダは観念したように立ち上がり、カバンの中をごそごそやり始めた。取り出したのは毎年恒例のメイプルシロップと、何やらポスター状に巻かれた大きな紙だ。
「一日遅くなったけど、アメリカ。誕生日おめでとう」
「……何だい、これ」
「くだらないんだけどさ、昨日の君んちのパーティについての新聞記事を集めてスクラップしたんだ。今日帰りがけに写真屋に寄ってポスターみたいにしてもらったんだけど……ごめん、くだらないよね、ちょっと面白いかなって」
俺の誕生日といえば、俺の家ではそれはもう上から下への大騒ぎで、国内の新聞はもちろん、海外の新聞も取り上げてくれたりする。俺は毎年それをスクラップしては悦に入るのが楽しみで、カナダはそんな俺の一年に一度の自己満足的な趣味を知っていた。
今思えば、昨夜カナダが延々と机に向かっていたのは、別に鉛筆を動かしていたからでも教科書を広げていたからでも何でもなかった。
「君、宿題やってたんじゃなかったのかい……」
「あぁ、うん。宿題と同時並行でやってたら遅くなっちゃった。だって君が見せろ見せろってうるさいんだもん。……ごめんね。学生の身なんで、お金はないけど、ちょっとでも変わったものあげたくてさ」
俺を称える美辞麗句と、この身を飾った熱狂とを写し出した、ただの紙切れ。それを眺めたまま動かない俺に、カナダは早々に許されたと勘違いしたのか、へらりと情けない笑みを浮かべた。
「どうせ君、アイスこんなに一人じゃ食べ切れないだろ? 君、選んだら食堂に行こうよ、一日遅れだけど、パーティしようって皆が!」
「食べ切れるよ、やだよ、あげないよ!」
魂胆はわかってるぞ。あいつら、ただアイスが食べたいだけなんだ。絶対やるもんか。全部俺のだ!
「えぇええ、せっかく皆が……ねぇ、アメリカ!」
俺は胸からせり上がってくる何かに気づかないフリをしながら、一つ目のカップに手を伸ばした。
一日遅れだけど、俺は毎日こうやって誰かに慕われてる。それがヒーローっていうものだ。
ハッピーバースデー、俺!
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