「あー……さっみぃ……、この季節になるとさぁ、庭の手入れも辛いんだよな……」 かさかさと両の手を擦り合わせ、慌てて外套(マントー)の隠し(ポッシュ)の手袋を探ったのは、腐れ縁というのも腐れ縁に失礼なほど、のっぴきならぬ事情で気の遠くなるほどの時間お隣さんをやっているイギリスであった。いったいなぜ彼と同じ時間帯に議場を出てきてしまったのかと思案しながら、フランスはあくまで優雅に、強風により乱れた髪を直し、襟元を掻き合わせた。確かに寒い。 「しみったれたこと言ってんじゃないよ」 「テメェは全部庭師にまかせっきりだろ」 「あれは芸術なんだよ、素人が下手にいじったら崩れるでしょうが、計算しつくされた美が」 「テメェの庭だろうが……人任せなんて情けねぇ」 ああさびぃさびぃ、とまったく品格のないイギリスのセリフに、会話はあっさり中断される。もともとお互いに遠慮も気遣いも皆無なのだ。 「どっかあったかいとこに行きてぇなぁ……」 赤くなった鼻を擦(こす)るようにしながら、イギリスはカバンを抱え直しぽつり呟いた。おそらくフランスに向けたものではなく、単純に独り言なのだと思う。島国育ちが祟ったのか、もともと独り言の多い憐れな隣人である。ひどい時には自分に向けてではなく、虚空(こくう)に向けて話しかけている。 「それは同感」 「ま、その点、俺たちには昔取ったなんとやらがあるからな。南の島、選び放題!」 「島マニアなのはお前だけでしょ元ヤン。お兄さんはそうねぇ、アフリカにでも行ってやろうかな……」 「マニア言うな、海でも陸でも弱いくせによ」 「なんだとぉ、それ以上言うとお兄さん容赦しないよ」 予定調和の挨拶のようなものなので、寒さも相まって迫力もサボりがちになる。台本の上の文字を読み上げるような調子で言ってやったら、肩を竦(すく)められた。 ああ、寒い寒い。 愛の季節は一年中だけれど、そろそろ本格的に人肌が恋しくなってくる。一人で寝る夜などたった一日でもごめんだ。 世界中の愛を体現するアムールの国フランスとしては、特定の恋人が一人、などという状況は歓迎すべきではないが、こういうとき、すぐにぱっと思い浮かぶ顔がないというのも寂しい。ややあって、ようやくちらほらと、最近知り合ったばかりの女性の顔が一人、二人……。 「おい、聞いてんのかよフランス。寒くて口回んねぇんだから何度も言わすなよ」 どうせ今頃はフランスの本拠地パリも気温が下がり始めている。それでも、ここストックホルムよりはいくらか道行く人の装いは華やかだろう。 「あー? だってお前の話なんか聞く価値ないもーん」 「ちっ……、仕事の話だっつーの」 「それなら仕事らしく、暖房のきいた部屋でやってください」 「それもそうだな……、あーさっびぃ」 隠しに手を突っ込んだまま肩を竦めた様はおよそ紳士らしさとは程遠い。 かくいうフランスも、ふかふかの毛皮の外套に身を包んでなお、気を抜くとすぐ、自身を掻き抱くように忙しなく手を動かしてしまっている。 まったく本能とは恐ろしい。美も愛も、まずは基本的欲求を満たしてからなのだと思い知らされる。自然の厳しさの前では、得意のまろやかで耳触りのよい弁舌も振るわない。 でも、だからこそ温かい半身が必要なんだよ、柔らかな素肌を幾重(いくえ)にも覆う神秘の覆いを一枚ずつ取り去り、身を寄せ合って一つに溶け合えば、もう他には何もいらないのさ。吐く息は白く、重ねた手は震えている。赤くなった耳に唇をよせて、少しかさつく頬にもベーゼを送る。見つめ合えば、体の中から湧き上がる熱――恋の炎は、どんな吹雪にも消せやしない。 「おい、口に出てるぞ気持ち悪ぃ独り言がよ!」 残念ながら隣を歩いていたのは寒い冬を熱くしてくれる魅惑の美女でも何でもなく、ただの元ヤンだったので、いきなり足が出るという暴虐ぶりである。 「痛った、いったー! 何すんだダァホ!……ああもう、反撃する気も起きない……」 妄想の世界が甘美であっただけに、油断し切った身には実に効いた。ちょ、高いんだからこの外套(マントー)! 「わかったらその気持ち悪い口閉じとけ」 いくらこのフランス様が花のように美しく抗議しても、この足グセの悪い元海賊には馬耳東風だろうと判断し、フランスは残り少ないエネルギーを温存することにした。汚れた外套は、はたけばそれで済む。まったく野蛮な隣人を持つと、妙な慣れが形成されるものである。 「気持ち悪いって何よ! まったくこれだからイギリスは……お兄さんはただ、愛の季節だなぁって……」 「テメェは一年中言ってるだろうがよ」 これからアムールの国フランス様の本領が発揮されるところであったのに、忌々しい眉毛は出だしからあっさりとボキボキに腰を折ってくれた。 諦めよう。この眉毛には理解できそうもない至極の世界だ。 これも黙ってればかわいいんだけどな、黙ってれば。 あと素直で大人しければ。 はぁ、とイギリスが手袋に向けて吐き出した白い息に気を取られていたその時、さっと脇をすり抜ける影があった。 「寒い中二人で愛を語らうなんて、明日の会議はさぞ準備万端なんだろうね、おっさんたち」 育て親の誰かさんに似て、出会い頭に投げていくには、あまりに皮肉が勝ち過ぎていて、微塵も優美さの感じられない挨拶である。 イギリスも咄嗟に返す言葉が見つからないのか、ぱくぱくと、陸に上がった魚のように口を開けたり閉じたりするばかりだ。そのたびに、ふわり揺れる魂のような白い吐息。 スタスタと、足取りも軽い合衆国様の外套は淡い茶色(ブラン)。薄手の裾が歩くたびに揺れる様は、秋から急に冬に切り替わったかのような今の季節には相応しかったが、現在進行形で刺すような冷たさの強風に晒されている身としては、寒々しくて仕方がなかった。 一向に寒さを感じる様子もなく、軽い身のこなしで去っていく若者に、ひとまわりもふたまわりも差をつけられている気がする。 いやいやお兄さんだってまだ若いよ。 こんなこと考えるなんて、全部冬がいけない。この冬がいけないんだ。もうちょっとあったかければお兄さんだってこんな重苦しい格好しないし、道行くお嬢さんとお喋りもする。 「……あいつ、今日着だっけ」 開催国(ペイ・ダクイユ)でもないフランスは、各国の到着スケジュールなど把握していない。イギリスとて当然そうだろうと予想はついたが、このまま見送るのはなんだか釈然とせず、何かしら論評(コマンテール)を付けねば、と思案した結果が、何の捻(ひね)りもない問いかけになってしまったというわけだった。 「知らねぇよ、お忙しい合衆国様のことなんて」 返ってきた答えは予想通りというか何というか、湿っぽい淡白さに満ち満ちていた。つまり矛盾だらけの表情と声音。 「お前も寂しい奴だねぇ……。ところで、どう? この後一杯」 まったく本当に呆れるほどの時間が過ぎて、小さな小さな子供はこうして自分たちを追い抜いて行く。 振り返る冷ややかな視線と嫌味が身にしみるのは、イギリスでなくとも痛いほどわかる。 ――お兄さんには関係ないはずだったのになぁ。 あの日あの時、フランスはイギリスに負けたのだから。 そのイギリスと、今も変わらずこうしてぎゃあぎゃあやっているのが、むしろ奇跡のようにも思える。 「誰がお前なんかと」 「そりゃそうだ」 オテルの入口であっさりと別れた。奇跡だろうが何だろうが、自分たちにはこれが相応(ふさわ)しい。 |
フラフラと、何人もの女性と関係を持つからだろう。
アメリカみたいなこと言わないでくださいよ。
寒いより、あったけー方がいいに決まってる。 理屈やないし、こっちに正当性もない、けど嫌いなもんは嫌いや! お前、俺のこと嫌いでしょ。
……開拓と言えば聞こえはいい。
……神様。 |
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