カナダとは原住民の言語で「村」を指す言葉だが、このカナダを初めて植民地としたのはフランスだった。1663年の入植時は、ケベックの地を中心に約6万人のフランス人が生活していたとされる。
しかし1670年にイングランド人がオンタリオのハドソン湾にハドソンベイ会社を設立し、東カナダの植民地化政策を押し進めると、イギリスとフランスは各地で小競り合いを繰り返すようになった。
その後、ウィリアム王戦争(1689〜1698年)とアン女王戦争(1700〜1715年)の二つの戦争で刃を交え、1713年に交わされたユトレヒト条約により、ハドソン湾、ノヴァスコシア及びニューファンドランド(これらはイギリスがかねてより英領と主張していた、カナダの東に位置する島である)がイギリス領と認められた。
これから始まる話は、時代的に丁度アン女王戦争が終結したかしないか位で、まだアメリカがイギリスの植民地であり「7年戦争」が終わる1763年まで続いた、ある「家族」の日常的な幸福の小さな断片の一つである。
***
ハドソン湾に面したチャーチルは、北緯58度45分というカナダ極北の町だ。
古くからイギリス本国へ送り出す毛皮産業で栄えており、また数多くの白熊が生息するこの地では綺麗なオーロラも見える。
しかしその厳しい寒さのため、今現在、イギリスが進める入植政策は東のケベックやニューファンドランドが主となり、宗主国であるイギリス自身もこの辺りには余り来る機会が無かった。そのイギリスが今回何故この地まで来たかというと、ここには国である「カナダ」がいるからだ。
カナダはこの北アメリカ大陸にあるもう一つの植民地アメリカの兄弟国で、入植時期に若干の差はあるが、ほぼ同時期にイギリスの保護下に入った幼い国だった。
本来ならばケベック辺りに居住を構えるべきなのだが、その生い立ちの歴史を見れば、そこに国の象徴を住まわせるのは避けたいのが心情だろう。カナダはイギリスとフランスの2国の間で、いまだ大きく揺れ動いている。その為下手に「カナダ」を動かして、それを逆手に取られてはかなわない。
敵に大義名分を与えるのだけは、避けねばならないだろうとイギリスは思う。
チャーチルの小さな港を見つめてさてこの先どうしようかと考えていると、視界の端に小さな金色の塊が見えてイギリスはそちらに視線を向けた。
「イ〜ギ〜リ〜ス〜さぁ〜んっ!!」
桟橋の先、ゴム手毬のようにぴょんぴょんはねる小さな物体が、少し舌足らずな口調でイギリスを呼んだ。小脇に抱えた白熊がずり落ちそうになっている。
その全身で嬉しさを表す姿に、イギリスの厳しい相貌もわずかに弛んだ。
「どうしたカナダ?迎えに来てくれたのか?」
「はい、そうですーっ」
船から降りたイギリスを見上げて、キラキラと顔を輝かせたカナダが言う。その素直な反応にイギリスは、ここへ滅多に来れない自分を反省した。
さぞかし寂しい思いをさせているのだろう。
しかし落ち着いたとは言え、フランスとの小競り合いは続いており、まだ気安く通えるほど治安は安定していない。
イギリスが頻繁に通えば、カナダに住むフランス人を刺激する事になりかねなかった。
「イギリスさん、今度はいつまでいられるんですかぁ?」
「ん?そうだな・・・。今回は西の土地の視察とフランス軍の今後の出方を見るために来たから、まあ1ヶ月はいるだろうな」
考えながらイギリスが言うと、カナダは更に顔を輝かせた。
しかしその言葉に、反応したのはカナダだけではなかった。
イギリス船が本国から降ろした積荷の一つが、がたんと大きな音を立てて横倒しになった。
「な、なんだ?!どうした?」
突然の事に混乱する。カナダはビクビクと身体を震わせて、イギリスの足元へ隠れるようにしゃがみ込んでいた。
「そんなのひどいよイギリス!ずるいんだぞっ!」
木箱から転げるように出てきた子供が叫ぶ。
「1ヶ月もいるなんて許さないんだぞ!」
ぷっくりと頬を膨らませた、カナダと同じくらいの子供が半泣きになりながらイギリスに抗議する。
はちみつ色の髪と晴れた青空の瞳、そして足元で震えるカナダと同じ容貌をしたイギリスがよく知る顔。
「なっ、」
「あ、君は、」
イギリスとカナダの声が重なった。
「「アメリカ!?」」
(続きます・・・)
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