「ちょっとぉ、どこ行くんですかぁ!」
「うるさい、黙ってついて来い!」
「イギリスー、マドモアゼルにその言い草はないでしょ」
 わいわいぎゃあぎゃあと、磨き抜かれた廊下を進む、制服姿の三人組。
 堅牢豪華な造りでありながら、緻密な計算で美しく陽光を採り入れる校内は、放課後といえど活気に溢れていた。すれ違う生徒たちは、制服、白衣、ジャージ等々、色とりどりの衣装に身を包み、廊下のど真ん中を我が物顔で進む彼らを巧みによけながら、おしゃべりに花を咲かせていた。
 世界W学園は、今日も至って平和である。


そう走り続けてはただ、涙した


 コンコン、と上質のオークがノックの音を響かせると、ややあって、優雅でありながら、どこか不機嫌な女性の声で「どうぞ」と簡潔な返事があった。
 中から扉が開かれるのを待つでもなく、イギリスは横柄な態度で金色のノブを回す。
「生徒会の者だが」
「ええ、待ってたわ」
 部屋の中は簡単な応接室のような造りで、学校の中でもおそらく一位二位を争うくらい、生徒たちには縁のなさそうな場所だった。例えば校長室の掃除当番になった生徒だけが入れるとか、そういう特別な匂いがする。だが、良くも悪くも生徒の待遇に激しく差のあるこの学園のことだから、実はここも全然特別な部屋などではないのだろう。セーシェルもだんだん、そういう世界の摩訶不思議に慣れ始めていた。
 凛と背筋を伸ばし、ソファに座っていたのはセーシェルもよく知る、寮長のハンガリーであった。彼女も、セーシェルの前後に立つイギリス、フランスと同じく、成績優秀なヨーロッパクラスの一員。
 招かれて室内に入ったセーシェルは物珍しさにきょろきょろと視線を巡らせた。その不躾さを咎めるかのように、イギリスが舌打ちをしたが、いつものことなので気にしない。そもそもハンガリーは、イギリスと自分が並んでいれば間違いなく自分の味方をしてくれるだろうという確信があった。
「のぞきが出る、というのは。具体的に状況を教えてもらいたいんだが」
 勧められてもいないうちから、ハンガリーの向かいに腰を下ろしたイギリスは、尊大な口ぶりで話し始めた。のぞき――そんな不穏な単語がこの天上天下唯我独尊、教育上よろしくない噂の飛び交いまくる生徒会長の口から出ると、なんだか事態が二割増不穏になるような気がする。
「あなたたちが入ってきたまさにそこのドアからよ。あそこは鍵がかからないの」
「それで見張りも立てないのか。まったく女ってのは普段はキャーキャーつるんでるくせに……」
「皆授業の予定がバラバラだから、早く来た人から着替えることになってるの。もちろん、二、三人で着替えることもよくあるけど、決まって被害に遭うのは少し遅れてきて一人で着替える時」
 ああ、そういえばハンガリーは水泳部のマドンナなのだとどこかで聞いたことがある。ようやく話が見えてきた。この喜びを誰かと分かち合いたいが、ここで音を立てるとまたイギリスがうるさいだろう。
「俺には、鍵を取り付ければいい、それだけの話にしか思えないが」
 そっけなく、突き離すようにイギリスは言った。要はそれだけを伝えてこの件は解決、としたかったのだろう。それで先程から不機嫌なのだ。
 だが、ハンガリーも伊達に世界W学園女子寮の寮長を任されてはいない。そんな見え透いた脅しに屈するような彼女ではなかった。しっかりと、主張は最後まで通す。水泳部の面々も、彼女になら全面の信頼が置けると判断し、今頃安心して練習に励んでいるのだろう。水泳部が普段更衣室として利用しているというその空き部屋に、彼女以外の部員の姿が見えないことがその証拠だ。
「あら、その鍵を取りつける予算は、生徒会から我が水泳部に融通していただけるのよね? そう信じているわ。だけど問題はそれだけかしら? この学園に、最低限の倫理観も共有できない不届きな輩がいるのよ? 犯罪というのは『できないからしない』のではない、『たとえ状況が許しても、しない』という土壌こそが重要なの。そういう精神力を育むのが学校というものではなくて? とにかく、私には女性の尊厳を踏みにじるその犯人が許せません。この手でとっつかまえて二、三発殴りつけて、この世のルールをたっぷりと教え込むまではね!」
 しばらく無言の睨み合いが続いた。それをハラハラと見守る観客は、どうやら今のところはセーシェルだけのようで、フランスはニヤニヤと、うっすら笑みすら浮かべている。
 先に折れたのはイギリスだった。軽くため息をついて視線をそらす。
「……予算の件は、予算会議に通してみないとわからない。そして、確かにお前の言う通り、生徒会代表として、我が誇り高き世界W学園にそのような風紀の乱れが横行するのを見過ごすわけにはいかない。全力で犯人を調査しよう」
「大方の予想はついてるわ。けれど、できれば現行犯逮捕が望ましいわよね?」
 ハンガリーの強い視線を受けて、イギリスはフッと笑みをこぼした。
「お前に任せよう」
 まるで二人の間には、セーシェルの目に見えないホットラインが存在するかのようだった、とその時感じた感想を口にすると、フランスが「お前もついに大陸の仲間入りか、おめでとう」とイギリスを揶揄し、イギリスは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。



「結局犯人って誰なんですかぁ? ハンガリーさんはわかってるって」
 すとすとと前を行くイギリスの歩調は、嫌味かというくらい速い。小走りで従いながら、投げかけた問いに対する返答は、背後から。
「どーせプロイセンだろう」
「その人はどなたですか」
 顔を巡らせて問うと、フランスは軽く肩を竦める。
「ヨーロッパクラスの、俺たちの腐れ縁。ハンガリーとは縁が深くてな」
「ハンガリーは、一人になった奴がターゲットになる、というような言い方をしていたが、恐らく被害者はハンガリー一人だろうな」
 くだらない、とでも言いたげに、ようやくイギリスが口を開いた。
「ハンガリーさんのストーカーってことですか!」
「ストーカーって……まぁ、そう言えなくもないけど」
「絶えずつきまとっていやがらせをしていくのは、ストーカーって言うんだぞ、イギリス」
「なんで俺を見ながら言うんだよ」
 とにかく、とイギリスは足を止め、セーシェル、フランスを振り返った。
「一刻も早く、こんなバカ騒ぎから解放されたい。今日からハンガリーが着替える時間、更衣室とプロイセンに見張りをつける」
「じゃあ、断固私が、更衣室係ですね」
「なんでだよ」
「お二人じゃハンガリーさんが余計に心配です! 着替えてる時に男の人が外にいるなんて、それだけでも嫌なのに、ましてや……」
 ちら、とイギリス、フランスの顔を交互に見やる。それで言わんとしていることは伝わったようだった。
「あァ? ましてや何だ?」
「……う……」
 イギリスに凄まれて口ごもったセーシェルの両肩に、背後からぽんと手を置いて、双方の顔を覗き込むようにフランスが口を挟む。
「まぁまぁ、いいじゃないの、それで。それとも坊ちゃん、そーんなに更衣室係がよかった?」
「野郎を尾けてるよりは、廊下を見てた方がずっといいだろうが」
「じゃあいいよ、お前とセーシェルが更衣室、お兄さんがプロイセンな」
「えーっ、まゆげと二人……」
「まぁまぁ、セーシェルも、のぞきなんてするようなハレンチな輩と遭遇しちゃったりしたら危ないだろ? こんな眉毛でも、一応ボディーガードにはなるから」
「心配しなくてもコイツなんか誰も襲わないだろ」



 先日のような、失礼極まりない発言を平気でするイギリスに女性の尊厳を守るという大任は到底任せられないと、柱の陰に隠れながら、セーシェルは一人意気込んでいた。
 自分こそが、不届きなのぞき魔に、この手で天罰を与えてやるのだ。
「ちょっと、どこ触ってるんすか」
「は? お前なんか触らねぇよ、俺が見えないだろうが、どけ」
「いやですよ、そしたら私が見えないじゃないですか。イギリスさん、やる気ないんでしょ? 後は私に任せて、生徒会室でお茶でも飲んでたらどうです」
「お前はプロイセンの顔を知らねぇだろうが」
「フランスさんが来ますから」
「犯人がプロイセンじゃなかったらどうするんだ。言っとくが俺は、全校生徒の顔を記憶してる自信があるからな」
「う……」
 セーシェルとイギリスが監視場所を奪い合って小声でぎゃあぎゃあと騒いでいても、そんなところで何をしているんだ、と見咎められることはない。更衣室前の廊下はしんと静まり返っている。
 だからこそ、いざ犯人が現れた時のために静かにしているべきなのだが、どうにもイギリスがセーシェルの神経を逆撫でしてくるのだ。
 一度溶解させてやろうかと思っているところへ、静寂を保っていた廊下に、パタパタと微かな足音。思わず息を呑んだセーシェルと対照的に、イギリスはキッと顔を上げ、まるで年に一度の服装検査の時のような、厳しい顔つきになった。「生徒会長」の顔だ。
 ネクタイを正し仁王立ち、何を言うのかと思いきや。
「コラそこ! いくら忙しくても廊下は走るな! 我が学園の掟だ!」
「ちょっとイギリスさん、一応張り込みなんですから、大声出さないで……」
 こちらへ向かっていたと思しき足音の主は、急に響いた大声に瞠目しつつ、きまり悪げに髪を掻き上げた。
「えーっ、走るななんて、君にだけは言われたくないぞ……」
 まさかこれがプロイセンかと、柱から顔を出したセーシェルの目に飛び込んできたのは、よく見知った顔だった。若干脱力する。それはイギリスも同じだったようだ。
「……って、アメリカじゃねぇか。何してんだこんなとこで」
「やぁ、イギリス。君こそそんなところにコソコソ隠れて、のぞきでもするつもりかい?」
 小首を傾げたアメリカの純朴な笑顔。対するイギリスの顔はすごかった。
 思わず固唾を呑んで二人の顔を見比べてしまうくらいに。
「ウソだって。話は聞いたよ。のぞきの犯人探しをしてるんだろう? ま、俺はたまたま通りがかっただけだけどね」
 からかうように笑ったアメリカに、イギリスは慌てて、普段のペースを取り戻すべく、腕を組んでアメリカから顔を背ける。意識して、眉の間に力を入れているようだった。
「おい、それどこで聞いた? そんなのが犯人の耳に入ったら、俺たちがここで張り込んでる意味がねぇだろうが」
「フランスから」
「あんの腐れワイン……」
 ぎりぎりと握りしめた拳には血管が浮いている。思わずここにはいないフランスの身を案じてしまうほどだ。
「心配しなくても、誰にも言ってないぞ」
「当たり前だ。そういうことだから、とっとと去れ」
 うざったそうに手をひらひら。日本あたりがよく「ツンデレ」と称しているが、この演技力には恐れ入る。
「どうしてだい? 俺こそがこの学園のヒーローだからね、この学園にのさばる悪を、見過ごすことなんかできないんだぞ!」
「……このバカ」
 顔を覆って嘆くイギリスをよそに、セーシェルは、いよいよ狭くなる柱の陰の心配をしていたのだが、ちょうどそこに、にこやかに談笑しながら近づいてくる二人の男子生徒の姿があった。
 一人は知らない顔だったが、もう一人がフランスであることに気づいたセーシェルは、軽く手を挙げてから、はたと気づく。
「あれ……フランスさん、なんでここに……」
「テメェ、フランス! 何のんきにプロイセンとダベってんだこのバカ!」
 イギリスの怒声によって、謎はすべて解けた。あれがプロイセンか、と感心する間もなく、傍らで響く「バカ」の連呼に思考が持って行かれそうになる。
 件のプロイセンは、ブロンドにつり目の、どこか世をすねたようなところが感じられる生徒だった。どこか不幸な匂いは漂っているのだがしかし明らかに、セーシェルの十倍は強そうだ。女の敵は成敗してくれる、と意気込んでいたが、これは状況によっては諦めた方がいいかもしれない。
 そのプロイセンとフランスは、肩を組んで高笑いを始める。
「え、だって俺らダチじゃん? マブダチじゃん?」
「なんだ孤独なのかイギリス、ハハハハー」
「うっわ、ダッセー」
 フランス、プロイセン両人から嘲笑を浴びて、本格的に青筋が浮き立ってきたイギリスの背後に、異様に明るいブロンドの長身を認めると、フランスはつまらなそうに、笑うのをやめた。
「……おっとっと、孤独じゃあ、ないみたいだな」
 青い瞳がぶつかる。アメリカは口角を持ち上げて、フランスの視線に応えた。
「やあ」
 笑っているのに、どこか怒っているように見えるのは、悪を目の前にして気が滾っているのかもしれない。
「ところでプロイセン、君にはのぞきの嫌疑がかかってるって聞いたんだけどね?」
「は、のぞき? バカ言うなよ、この俺がそんなことするわけないだろ」
 アメリカがプロイセンを問い詰める姿をじっと見つめながら、セーシェルの頭上でイギリスがフランスに耳打ちした。セーシェルにも、その小さな声が漏れ聞こえてくる。
「……なぁ、あいつ、怪しくねぇか?」
「あいつ?」
「アメリカだよ。関係もねぇのに、わざわざこんなとこまで来たりして……どうしてあんなに執拗なんだ? 俺にはどうも、疑いの目を逸らそうとしてるようにしか見えないんだが……」
 まったく言われてみればその通りである。メタボ気味の大国アメリカに追い詰められているプロイセンとは面識がないだけに、セーシェルの目には、なんだか彼が哀れにも見えてきた。
「いやぁ、そうかねぇ……ヒーローだからねぇ……」
 しかしながらフランスは気のない返事をして、軽く肩を竦めるだけだ。
 まったく言われてみればその通りである。あの子供っぽい単純明快な勧善懲悪を好むアメリカが、のぞきなどという行為に一度でも手を染めただなんて、セーシェルには信じられない。
 いったい全体、真犯人は誰なのか。セーシェルが心の中で発した問いは、その場にいたセーシェル以外の全員には、既に自明であったらしい。騒がしい廊下の様子に気がついたのか、更衣室代わりの例の応接室の扉が急に開いたかと思うと、そこに鬼気迫る様子で立っていたのはハンガリー女史その人であった。今日はこのために着替えずにいたのだろう。制服姿のまま、手にはフライパンをぶらさげている。
「プロイセン! やっぱりアンタだったのね! 待ちなさい! イギリス、追いかけて!」
 やっぱり、と断言する要素など、ただフランスと談笑しながら現われただけの彼には見出すことができなかったが、ハンガリーがやっぱりと言うからにはやっぱりなのだろう。振りかぶられたフライパンを見てなのか、プロイセンは慌てたように走り出す。
「俺に指示をするな!」
 ハンガリーに怒鳴り返しながらも、こちらもしっかりと全力疾走である。一度やると決めた仕事には、イギリスはいつも、どこまでも真剣だった。そういえば。
「おい、だから俺じゃないって! だっ、誰がお前のハダカなんか見て喜ぶか! フランス、助けろよ! 友達だろ!」
 情けない顔で走り去っていく友に、ひらひらと手を振って見せた薄情者はフランスである。こちらはいつも、本人曰く「愛」のままに動いている。プロイセンを捕えるという仕事には、どうにも気分が乗らないらしかった。
 そのフランスは風のように走り去った三人を見送って、達観したようなため息を一つ。
「そういえばな、絶えずつきまとっていやがらせをしていくのは、ストーカーって言うらしいぞ、アメリカ」
「じゃあ君は幇助罪だな」
「お兄さんは情報を与えてあげただけでしょーが」
 まるでゲームを楽しむかのように、セーシェルには理解不能な会話が進んでいく。アメリカとフランスの会話は、いつもこんな風だった。謎かけのような、言葉遊びのような。
「君たちがいけないんだよ。生徒会だなんだって言って、イギリスを取っちゃうから」
「お前がやれ授業だやれ日本とゲームだって忙しそうだからな、その間俺たちが、坊ちゃんの暇潰ししてやってんのよ」
「そうかい、まあ確かに、よっぽど楽しそうだ」
「バカ言え。ちょっとでも暇ができる度そわそわお前の教室を覗きに行く坊ちゃんが、お前よりあいつらの相手の方が楽しいって?」
 だから今日はこんな風に、少しは理解可能な会話が漏れ聞こえてくることに、セーシェルはほんの少し驚いて、そしてこれこそがあの、時折ほかの生徒たちの間に感じる「透明ホットライン」なのかもしれない、とちらり考えた。これはきっと、この広い広い世界W学園に、僅かながら自分が順応できたことの証なのではあるまいか。ぜひとも祖父に報告しようと心に決めながら、もしも二人の会話が途切れたその時には、「このままイギリスが帰って来なかったら、先に帰ってアイスクリーム屋に寄ってもいいか」と、フランスにお伺いを立てるべく、その時をじっと待つのだった。
 そういえば一日限定500食のプレミアムマカダミアナッツがそろそろ売り切れてしまう時間だ。いや走れば間に合うかもしれない。
 ああ、――廊下は走ったらいけないのだった。
















 アメリカが出てくるのが遅いですね…
 ヒーローは遅れて参上…みたいな…っていうかこのメリカはずっとイギイギの後をつけていそうです。怖いです。
 あ、これ、わ、私の中では無意識にバカップルかな、って感じなんですけど…だ、だめですか…? こんなんバカップルじゃねぇ! バカップルってのはな、
「アッ、ダメだアメリカ、人が見て……」
「俺しか見てないよイギリス。だってほら、君の瞳には俺しか映ってないだろう?」
 っていうのを言うんだよ! って感じですか…?orz

 元ネタはのとさま5なんですけど、再プレイしようと思ったら、どうやら私、重いからってデータ消しちゃってたみたいなんですよね…あーあショックすぎる…
 赤いワンピースのとさまのOP画面、最高にテンション上がるのにな…

 非常に私事で申し訳ないのですが、学ヘタアンソロで書きそびれた、「セーシェル」「廊下は走らない」「ドタバタ」要素をがつんと詰め込ませていただきました! 楽しかった!

 実義さま、大変お待たせした上にこんな遅れたヒーローな話で申し訳ありません…! 学ヘタのわいわいした感じと、イギリス様! のかっこよさが垣間見える感じが大好きなので、リクエストしていただいて嬉しかったですv


(2009/3/31)



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