IN THE BACKROOM 真っ黒な濃いお茶に、沸かしたてのお湯が注がれる。こうしてお茶を好みの濃度にするのだという。 よくわからない銀色のウォーターサーバーのような装置は、好奇心をもって眺めているといつも決まって「熱いから触らない方がいいよ」と窘められる。そこでお湯を沸かすらしい。 銀の蛇口を注意深く閉めたロシアは、二人分の、見なれた紅色にまで薄まった紅茶を持って、アメリカの座るテーブルへ歩いてきた。蛇口はポタポタと、熱湯を垂らし続けていたが、ロシアはその程度の水漏れは標準仕様だと考えているようだった。 「どうぞ」 テーブルにところ狭しと並べられたクッキーやチョコレート、ジャム、角砂糖などの甘いお茶受けは、見ているだけで胸やけがしそうだったが、いざ口に入れると止まらない。別段、甘いものが嫌いなわけではないのだ。 ただ、この、長い時を経て変色した鈍いピンクに囲まれ、ふわふわに暖められた部屋は、いつでも自分に馴染まなくて、どこか作り物めいて嫌悪感を誘うというだけの話だ。 紅茶の強い香りが、いったい誰の真似なのか、ロココ調に飾り立てらてた部屋に充満していた。 あの人の香りとは違う。ここで出されるのはいつもオレンジペコだ。 何かに耐えるようにきつく眉をしかめていたアメリカに、ロシアは笑った。 「飲まないの?」 「……飲むよ」 「で、何だっけ? もう一度言ってくれるかな」 手近にあった真っ赤なジャムをすくい取って舐め、ロシアはこくりと一口、紅茶を口に含んだ。それに合わせて、アメリカも紅茶を傾ける。 ロシアの入れた紅茶は嫌いではないが、記憶の中にある味とは微妙に違う。その事実を確認するのが、いつも少しだけ辛い。 慈しむように茶器を選び香りを楽しむ所作はそっくりなのに。 「まぁ、どうだっていいんだけどさ。どうせ君のヒーロー談義になんか興味ないし」 ロシアは、なかなか話し始めようとしないアメリカに、肩を竦めた。 アメリカはそれに無言を保ったまま、イギリスの入れたダージリンが飲みたいな、となんとなく考えた。 「君が僕にしてほしいことならわかってるよ。でも問題は、僕が何の利益もなく動きはしないってことだよね」 ああ旗色が悪いな、とアメリカは感じた。 口を開きかけたアメリカを、ロシアはすげなく制す。 「ああ、いいってば言わなくて。いくら正義を並べ立ててもね、僕の心を動かすには値しない。僕は、君と、違うから」 「どうすればいいんだい、どうすれば……」 歯噛みして食い下がったアメリカに、ロシアはふと、笑顔を止めた。 ロシアが端から相手にしない時には、常に威圧的な笑みを崩さないのだと知った。その笑顔が消えたということは、少なからず、歩み寄る気分なのだろうと思う。一言も聞き洩らさないよう、紅茶を飲むフリをして、カップの縁からその表情を窺った。 「……僕の譲歩を、イギリス君は喜ばないよ。君が関与したと知れば尚更ね」 「どうして君が」 フランスやドイツ、スペインならきっとこう言って、アメリカの嘆願をきっぱり断るだろう。彼らはとてもイギリス想いだ。 そう思ってロシアを頼った。 それなのに、どうしてロシアまでが。 まるでアメリカのことを責めるように。 ――イギリスの気持ちも考えない。 ――猪突猛進するしか能のないお子様。 ――ひとりよがり。 ――自己犠牲に酔っているだけの。 ――イギリスはそんな安い愛を望まない。 フランスの声で再生される幻聴を振り切るように、アメリカは首を振った。 愛に殉じるという間抜けな信心を貫きたいわけじゃない。ただ、動かなければ何も変わらないと思うだけだ。アメリカは、地に根を張ってしがみつき続ける彼らとは違う。 あがき続ければ、別の道が開くと知ったから。 「『どうして』だって? 残念ながら、僕はフランス君とは違うよ。何を勘違いしてるんだか知らないけどね、僕はイギリス君やアメリカ君のためを思って言ってるわけじゃない。僕は君みたいな偽善者が、大っ嫌いなだけだよ」 無表情を崩さないまま、ロシアは今しがた口に入れたばかりのチョコレートを包んでいた包み紙を丸めて、アメリカに投げつけた。 「悲劇の主人公のようにいい子ぶっていれば、いつか運命が味方すると思ってる? とんだ甘ちゃんだよね。君のそういうところが大嫌い」 頬に当たったそれは、ぽとりと儚い音を立てて白いテーブルクロスに転がった。 ――イギリス、君もそう思うかい。 「神様は何も見ていやしないよ。君の善行も悪行も。清らかな心も邪な心も」 ――俺にはいつまでも、手をこまねいて何もできない子供のままで、いてほしいかい。 でも残念ながら、アメリカにもアメリカの考えがある。 「そうやってどこまでも僕を悪者にしようとするんだね? 救いようのない悪役に? ……君の意図が、見抜けないとでも? 僕も見くびられたものだね。――帰って」 まっすぐに拒絶を示す冷たい瞳は、一筋縄ではいかないようだけれど。だからといって泣く泣く引き下がるような、弱いアメリカではない。もう。 「……君の、名誉は、傷つけないよ」 「どうだかね。君の筋書きなら大体わかってるんだよ。最後にはね、非道な密約は明るみに出て、ヒロインとヒーローは涙ながらのハッピーエンドだ。ヒーローの献身的な愛がヒロインの心を打たないはずはないんだよ」 安っぽいドラマのような。 「『ああ、俺のために、アメリカ、どうして、こんな。ロシアになんか、頭を下げて』」 ああ、確かにそんな風に事が運んだらどんなに素敵だろう。しかしながら、そうそううまくいくはずがないと、アメリカは既に学んでしまった。 「どれくらい君を傷めつけたら感動が増すかな。僕にどうしてほしい? 殴りつけて泥の中に転がして? 『どうしたのもうギブアップ? イギリス君がどうなってもいいの?』――ちょうどそこに、イギリス君が来るんでしょ? まるで謀ったように」 アメリカは、ロシアが考えているほど楽観的ではない。 「ヒーローに協力してやった悪役は、どうすればいい? 彼もまた涙を呑んで、ヒロインのために手を汚したのかもしれないよね。真実が露呈すれば、ヒーローしか同情されえないと知っていながら」 一言一句漏らさぬように注意深く聞きながら、それはどこか泣き言じみた不平だと思った。 「……君は、イギリスが好きなの?」 本当は自ら譲歩したいと願っていたのか? それならば、突然、間に割り込んできて手柄を横取りしようとしたアメリカは確かに滑稽な勘違いヒーローだろう。 何気なくぽつりとぶつけてみたそれは、烈火の如く撥ね退けられる。 「バカにしないでよ。君たちのことなんて大嫌いだよ」 それで完全に怒ってしまったのか、ロシアは荒々しく席を立った。テーブルの上の紅茶が波立つ。 何かが決定的に、彼の中の逆鱗に触れたようだった。 アメリカはただ、息を荒げる巨体を見上げて、考える。その正体はすぐに、次にロシアが吐いた呪詛によって知れたけれども。 「僕はね、世界中の誰からも、もう好かれることなんか期待しない」 それは確かに捨てゼリフなのだろう。だが、どこか縋るような内容だな、とアメリカは冷めた気分で考える。 そのまま身を翻してこの部屋を出て行ってしまえばいい。だが、彼はそれをしない。 「……何、その眼は。同情してくれるの?」 闇の世界に差した一条の光。けれども救いの手ではなく、自分を嘲笑うための罠かもしれない。皮肉な期待で、彼は動けないでいるのだ。 「俺は、君みたいな卑屈な奴は嫌いだよ。自分の不幸を全部他人のせいにして。そういう奴にはね、誰も愛をくれないものだ」 アメリカはその卑小な期待を切って捨てた。もとより、彼もそう返される覚悟が99%で、残りは1%にも満たなかったのだろうし。 「真っ直ぐ育つことができなかった責任を、自分で負おうとしない奴は大嫌いだ」 妬みや嫉みや僻みや憎しみや。 確かに大きなエネルギーだけれど、それだけでは、幸せになれない。 「ああそうだね。君からは自業自得に見えるんだろうね。でも君にはわからないだろう、わかってほしくもない」 高く厚い壁だ。ロシアが築いた、誰をも寄せつけない壁。それでいて、その表面には「助けて」、「愛して」、「僕はなにもわるくない」と泣きごとばかりが書きつけられているかのような。歪んだ。 ――くそくらえだ。 「……俺はね、ロシア。イギリスのためにお願いしてるんじゃない。自分のためだよ。俺は自分のしたいことをしてるだけだ」 アメリカは紅茶を含んで深呼吸すると、慎重に言葉を選ぶ。 ――お子様はどっちだ。このガキが。 「俺は確かにイギリスを今でも敬愛してるよ、思慕してるといってもいい。イギリスには幸せに生きていてほしい。でも、イギリスが嫌がることはしないとか、全部イギリスの望むように生きようとか、そういう風にはまったく思わないんだ。だからフランスの言うように、ひとりよがりなんだろうね。でも、そうじゃない人なんてこの世にいるのかな」 「イギリスくんのためじゃないの。へぇ、そう、それを君が自覚してるなんて意外だな。てっきり、また例のお寒いヒーローごっこかと」 「そうだよ。君は忘れてるんじゃないかな。俺はイギリスのために生きることを、あの日に、やめたんだ」 「それでも、君はまだイギリス君を捨てられないんでしょう」 「当たり前だよ。誰しも、育ったところからは逃れられない。君もそうだろう? ロシア」 生まれた場所が育った時代が、すべていけないんだ。 ――その呪祖なくして、君は生きていけるの? 「これはイギリスと俺が結ばれるための前シナリオなんかじゃない。俺はイギリスのために、泣く泣くこの身を君に売り渡すんじゃないよ。俺は、俺が欲しい結果を、自分の力で手に入れるだけだ。誰のためでもなく、俺が一番合理的だと感じた方法で。そういう野心は嫌い?」 嫌いなわけがない、とアメリカは感じていた。 ロシアは、もう怒った顔をしてはいなかったからだ。言葉遊びを制したのは自分だった。 「……君がそこまで言うなら、戻ってみるのも悪くないかもね。世界の誰からも憎悪の目を向けられる『悪役』ってやつ? あの強い感情をぶつけられるとゾクゾクするんだ、でもなかなか、疲れてね」 知ってるかな、といつの間にやらアメリカの傍らに立っていたロシアは、乱暴にアメリカの顎を掴んだ。 「生憎だけど、知ってるよ」 「そう。世界のトップも楽じゃないね」 「そうなんだ」 そのまま、静かにロシアの顔が近づいてくる。 目を閉じるべきか迷って、アメリカは結局そのままロシアの目に映った、少し緊張した面持ちの自身を見つめていた。 この状況で警戒を解くのは、自分たちの関係には相応しくないだろう。 「僕がイギリス君の要求に対して譲歩をしたら、君は僕に何をくれるの?」 唇に息が触れる。そこから、ロシアは1ミリたりとも近づこうとしなかった。 「君は、何がほしいんだい」 「そうだね……」 挑戦的な色を浮かべていた瞳がふと、揺れる。凍えそうな家の中で、暖かい寝床がほしい、お腹一杯のご飯がほしい、優しい話し相手がほしい、と訴えるかのような、何の飾り気もない素直なそれ。 その瞳の中に、アメリカが映っている。 何がほしい、なんて、きっと訊かれたことなどないのだろう。 「ロシアさん」 コンコン、とノックの音が響いた。ドアの向こうにいるのは彼の部下か。 「ああ、イギリス君が来たみたい。もう行かなくちゃ」 ロシアはふっと笑って、アメリカの顎を固定していた手を下ろす。 もうそんな時間らしい。思った以上に手こずった。ギリギリだったな、と、アメリカはうっすら汗ばんだ手をスラックスで拭いた。 イギリスとロシアの交渉がまとまらなければ、また世界は難しい局面を迎えるだろう。彼の頭痛の種も増えるというものだ。 「戻ってくるまでに、考えておくよ。君にしてほしいこと」 部屋を出る直前、ロシアは悪戯っぽくそう言って振り返る。 すなわち、密約は、無事に成立した。 お前に隠密行動は無理だ無理だと騒いだイギリスやフランスの小憎らしい顔を今も覚えている。もっとも、あれは何十年も前の、もっと世界中がピリピリしていて、ヨーロッパの地位も今よりずっと高かった頃の話だけれど。 今、自分は彼らの知らない顔をしているのだろうか。そう思うとなんだか笑いたいような泣きたいような。縋るものの何もない、不安定な高い場所にたった一人で立たされているような気分であることは確かだ。 さて、交渉を終えて戻ってきたロシアに、どんな法外な要求をされることやら。 「……言われなくても、大体わかってるけど、ね」 アメリカは呟いて、先程から気になっていた向かい側のクッキーに手を伸ばした。 あのまま口づけなかったのは、きっとロシアの最後の予防線なのだろう。きっと彼は触れたものすべてに情を移してしまうのだ。そうして、自分を傷つける。 一口目はあんなに違和感を感じた紅茶も、慣れてしまえばそんなに抵抗を感じない。そんなものだろう。人とは。 「俺は……欲しい世界を手に入れるよ、イギリス」 ――君とは違う、やり方で。 部屋の隅で、低い唸り声を上げている銀色の装置はさかんに湯気を吹き出していた。 銀の側面に歪んだ自身の顔が映っている。 中がどんな構造になっているのかアメリカにはわからない。サモワールという名前なのだと、それだけをこの間知った。 ずっと触れてみたかったのだけれど、アメリカが近づくとロシアが怒るから。この装置の前で、魔法のような手際のよさで、彼は紅茶を入れる。 イギリスのように。 イギリスとは違ったやり方で。 「熱……っ」 指先には、赤く水ぶくれができていた。 ……さ、殺伐? 殺伐? もっとムリヤリ触られてピーしちゃって「勘違いするなよ、ただの生理現象だろ」と吐き捨てるメリカとか、「触るなよ変態」ってドスを聞かせて殴られるメリカとか色々妄想したんですが、明らかに裏すぎるので、表にしたかった今回はやめておきました。あと文章にするとあのバイオレンスな中にも耽美さとか愛とか色々含まれちゃったりなんだり、というバランスが難しいですね! 私は露米に夢をみすぎですね! 一生懸命、表な「殺伐」を研究した結果わかったことは、「私はメリカをとんでもなく聡明な子にしないと気が済まないんだな」ということと、「露たまにも幸せになってほしいな、アメリカならそれができるよ!」ということでした。 使えない! なんて使えない私! 交渉決裂ver.とか、単純に監禁モノとか色々考えましたが、どれも途中でしっくりこなくて挫折…! 結果こんなヌルいものが出来上がってもうごめんなさいとしか言いようがない…! 最後の米受けリクで、しかもとってもおまたせしてしまっていたので、すごく気合いを入れたんですけど、私は気合いを入れない方がいいっていうそういうありがちなパターン…ウフフ…! レナさま、素敵な露米リクをありがとうございました!! 最初は露米→英かなーなんて思ったんですけどこのメリカ明らかに英に恋してはいないですね…うん… 「でも、イギイギが意を決してすごい怖い顔で、ロシアを言い負かすっていう重大すぎる任を負って交渉のテーブルについてるっていうのに、実はその屋敷にはもっと前からメリカが潜んでて、のんびりお茶なんか飲んでくつろいじゃいながら裏で糸を引いてたってすげーかっこよくないですか!?」っていうメリカに夢を見すぎな人の、かわいそうな解説しないとよくわからない妄想でした本当にごめんなさい反省はしていますが後悔はしていません! (2009/3/11)
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