チクタクワニと和解して!


 大輪のバラの花束……シックに真紅でもいいし、オレンジの新種で、華やかなのもいい。チョコレート色の小ぶりなものもかわいらしい――童顔でかつ落ち着いた雰囲気の彼にはよく似合うかもしれない。いや、今年はちょっと大人っぽく、軽い口当たりのシャンパンに、ゴールドで細身のスタイリッシュなネクタイピンを添えようか。それとも若者らしく、この機にお揃いの財布でも求めようか。きっと彼は「こんな安物……」と文句を言いながらも、嬉しそうにはにかんで、大事に大事に使ってくれるだろう。二人の財布が同じことに気づいた誰かが、それを言いふらすのも待ち遠しい。
 セントヴァレンタインズデー特集と銘打たれたウェブサイトを真剣に眺めながら、アメリカはマウスを連打していた。「本日中のご入金で、ヴァレンタイン当日の朝お届け!」――ホントだろうな、これ。
 いやしかし万全を期すなら今から車を飛ばしてデパートにでも行った方がいいに決まっている。今年の流行は、ネットであらかたリサーチできたことであるし。
「日本には、『義理チョコ』とか『友チョコ』っていう風習があるらしいぜ。ということで、ちょっと早いけど、じゃーん! イギリス、お前、茶葉持ってきたんでしょ?」
「おーっ、フォンダンショコラ! じゃあ俺、紅茶淹れるわ、勝手に給湯室使ってもいいよな? 王室御用達の高級な茶葉を特別に……勘違いすんなよ、たまたま余ってたから持ってきただけだからな」
「……ええと、うちの国では、チョコレートを贈るのはもっぱら女性なんですけどね……。ああ、でも最近は『逆チョコ』といって、男性から女性に手作りのお菓子をあげたりするのも流行っていますね。お菓子作りが得意な男性が、我が国でも意外に増えてきているんですよ。でもやっぱりフランスさんはさすがに本格的ですね……これはすごい」
「やっぱりお菓子は、愛のこもった手作りだよな。――アメリカ、お前の分もあるぞ」
 数メートル先のローテーブルを囲んで、ソファに座った三人は甘い匂いを漂わせながらきゃっきゃとはしゃいでいる。彼らから、アメリカが向かっているディスプレイは見えない。
「君たちは人の執務室で何をしてるんだい」
 イライラとデスクを叩けば、彼らには、仕事を邪魔されて怒っているようにしか見えないだろう。
 いや、しかし実際アメリカは忙しかった。
 先のソファから優雅に立ち上がり、おそらく本人の宣言通り給湯室へ向かったであろう、ピンと伸びた背中。彼と恋人同士になってからというもの、毎年この季節は悩み通しだった。
 恋人に贈り物をする口実を与えられた素晴らしい日――初めは純粋素朴なティーンのように、自分の好きなものを贈りつけては喜んでいたが、だんだんと街の広告に踊る、「大人の」プレゼント、なる言い回しが気になり始めていた頃だった。
 悩みに悩んで、いまだにプレゼントが決定しない。差し迫った運命の日は二日後――そう、アメリカは忙しいのである。
「お茶会」
 その、至極正当に見える――そして真実正当であると当人は信じている――抗議はしかし、あっさりと流された。
「お前が早く終わらせないからいけないんだろーが。仕事終わらすのに、いったいいつまでかかってんだよ。日本が市内観光したいって言ってるから、俺らで案内しようって連絡してあっただろ」
 いつの間にかトレイにポットと人数分のカップを乗せて戻ってきたイギリスが、責めるようにこちらを睨みつけてくる。
「まぁまぁ、今日は一足早くみんなでフェトゥドゥ、ラサンヴァレンタンってことで、無粋な言い合いはナシナシ。ほら坊ちゃん、あーん」
 何やら立派な保温ケースから取り出されたフォンダンショコラをフォークでひとすくいすると、中からはとろりと甘い匂いのチョコレート。今にもとろりと落ちてしまいそうなそれを眼前に突きつけられたのは、イギリスだ。
「ちょ、え、あ、あー……」
 迷うように視線を動かした末に、イギリスは軽く口を開ける。周囲の目を気にするように――そして彼が一番気にしているのは恋人たるアメリカの視線なのだと、アメリカは信じたい――控え目に開けられた口に、フランスが愛をこめて作ったのであろう、甘い甘いショコラが吸い込まれていく。
 差し出されたフォークの位置も角度も、イギリスが口を閉じてからフォークを引き抜くタイミングも、もはや完璧と称してよかった。
「うまい……」
 あまり褒めたくはないが真実には代えられない、とでも言うようにもごもごとイギリスは小さな声で感想をもらし、はー、と何も入れない紅茶に口をつけた。澄ました顔をしているが、美味しいものを食べて幸せです、と顔に書いてある。
 いつもそうだ、フランスは。
 フランスには、自分にはない包容力や大人の魅力があるのだと、いつだか誰かが言っていたっけ。誰だか思い出せないのは、たぶん自分と同じ顔がそんなセリフを吐いたのかと思うと我慢がならないがゆえに脳が勝手に記憶を削除したのだろう。そんなところだ。
 普段から自分はイギリスにさえガキだガキだと言われる。ガキで何が悪いんだ。イギリスのことを何でも察することのできる「大人」の方が、彼にとっては一緒にいて心地がいいのだろうか。
「ほらアメリカも。そこのバカップル、まとめておにーさんが食わせてやるからおいでー」
 もう一口、先ほどと同じフォークでフォンダンショコラを掬い分け、熱いチョコレートが滴らないよう手で受け皿を作りながら、フランスがニヨニヨとしか形容しようのない笑顔でこちらを向いた。
 アメリカが嫉妬しているのを鋭敏に察し、瞬時にイギリスの顔を立てアメリカの顔も立てた。イギリスがいま一番、フランスに求めた態度に違いなかった――そう、大人だから。
「誰と誰がバカップルだこの腐れワイン」
「やだー、イギリス乱暴ー」
 だが、アメリカにそれを気取られてしまっている時点で、すでに「アメリカの顔を立て」てなどいない。それは巧妙に仕掛けられたイギリスへの媚であり、アメリカへのいやがらせに他ならなかった。
 日本はまた、「我関せず」といった様子で沈黙を守り、自分に取り分けられたフォンダンショコラを、おいしいです、という表情で味わっている。それもまた、イギリスが望むこと――そう、あんな顔をしていても、日本もまた大人なのだろう。
「俺は急用ができた。案内は君たちがしてあげてくれ」
 乱暴に言い放って立ち上がり、椅子にかけておいたジャケットを羽織った。ポケットの中のキーを確認する。この行動は、イギリスの予想の範囲外――そう、俺は、「まだ」こんな態度しか取れないでいる。
「おい、アメリカ……! 一番詳しいのお前だろ! お前がいなかったら意味ねぇじゃねーかよ!」
 イギリスが怒鳴り出した横で、フランスはおもしろそうな顔を浮かべ、いい加減重力に負けそうになっていたフォンダンショコラを、自らの口に運んだ――ああ、あのフォークはさっきイギリスの口に入ったものではなかったか。
 バンッ、と後ろ手に閉めたドアの向こうで繰り広げられる会話を強いて耳に入れないよう、アメリカは早足で階下へ向かった。
「なんだあれ、急に……すまないな、日本」
「いやー、若いねぇ……」
「私は別に構いませんが……アメリカさんのバレンタイン商戦の様子をリサーチしたかっただけなので。やはり地元の事情に詳しい方の方が望ましいですが、おひとりくらい、若い方をお借りしてもよろしいんじゃないでしょうかねぇ。……おや、パソコンがつけっぱなしですね」

     *

 決めた、絶対に今年は手を抜かない。フランスなんかよりイギリスの心を鷲掴みにできるような、完璧なプレゼントを贈ってやる。
 それには悔しいが、アメリカの店ではダメだ。彼は近代的で合理的なアメリカ好みのものを、決して一番とは考えないだろう。彼だけではない。ヨーロッパの連中はみんなそうだ。
 カビ臭いものの価値と美がわかってこそ「大人」なのだと、彼らは口を揃えてアメリカを責め立てる。
 来る前にパソコンから携帯に転送しておいた店名の羅列は、どれもロンドンの高級老舗百貨店だ。その中から、殊更古いものを選んだ。車を飛ばす予定が、セスナを飛ばすことになってしまったが……。
 何が大人だ。そんなのは、誰にだって真似できる。要はこころがけ次第なのだ。アメリカは今まで敢えて、自らの個性にそぐわないと判断したから避け続けていただけで。「できなかった」だなんて思うなよ、「やらなかった」だけだ。
 アメリカは、見上げるだけで押し潰されるような重々しいエントランスを、ぴしっと襟を正し、拳を握り締めた臨戦態勢で潜り抜けた。
 勇んで足を踏み入れたはいいものの、階数表示も商品の並べ方も、自国のものとはまるで違って話にならない。何を買えばいいのかも、よく考えずに来てしまった。
 人の流れに従って、上がったり下がったり行ったり来たり。エレベーターに至っては、本当に動くのかと思わず心配してしまうほどの年代ものだった。中世だとか近代だとか通り越して、古代だ。ここはエジプトかどこかか?
 紅茶、ジャム、ビスケット、テディベア……彼が好きそうなものが、お行儀よく鎮座している。
「テディベアって、元はと言えば俺のとこが起源じゃないか」
 よくもまぁ我が物顔で座っていられるものだ、と手近にあったテディベアの小憎らしい顔を小突いていると、それを咎めるかのように、突然降ってきた声があった。いや、実際にはその内容は、アメリカへの注意でもなんでもなく、単なる挨拶であった。認識が遅れたのは、それが外国語であったからだ。
「ボンジュール、ムッシュウ」
 反射的に振り返って声の主と目が合ったのと、かけられた言葉の意味をようやっと理解したのはほぼ同時だった。
 物怖じすることなく、アメリカとしっかり目を合わせ微笑んでいたのは、自分と同じ年頃の青年だった。いや、優男風な物腰のために若く見えるが、実際は少し年上かもしれない。綺麗な、男にしてはやや長めのブロンドをゆるく結い、すっと通った鼻筋に薄い唇。女と見紛うほど滑らかな白い肌、美しい顔だちに、思わず息を呑んだ。デパートのクラシカルな雰囲気も相まってか、まるで数世紀昔にトリップしてしまったかのようだ。そして彼は、時間を司る妖精なのだ。それほどに妖しい雰囲気があった。
 ばかばかしい、と首を振る。現に自分が着ているスーツはアメリカンタイプのカジュアルで現代的なデザイン。どんなに周りがセピアがかって見えたって、ここは現在なのだ。
「君は誰? 何か用? ここの店員かい?」
 英語で早口にまくし立てても、彼は表情ひとつ変えず、かえって笑みが深くなるほどだった。まるで「ヘタクソな英語だな」とでも言いたげな。
 よく見れば、彼はスリーピースで襟の詰まった古臭いスーツ姿だった。若いというのに随分な趣味だ。これからダンスパーティでもあるのだろうか。
「何かお探しのようだから。俺がアドバイスしてやろうと思って」
 妙に偉そうな物言いが気に入らなくて、アメリカはムッと顔をしかめたまま、踵を返した。ここはイギリスだというのに、彼が当然のようにフランス語で話し続けてくるのも気に食わなかった。だからフランス人って嫌いなんだ。
「結構だよ」
「まぁ待ちなって。そんな顔でこの店をうろうろしてる若い男ってのはさ、たいてい目的は一緒なんだ」
 彼はアメリカが小突いていたテディを優しい手つきで一撫でして棚に戻すと、にこりと微笑んだ。この笑顔に何人もの男女が魅入られてきたのだと、知り尽くしている顔だと思った。
「下手なものあげたら、嫌われちまうぜ?」
「嫌わないよ。あの人は俺のことを愛してるんだ」
 見ず知らずの他人に、いったいなんだってこんな風にムキになって反論したのか、我ながら常軌を逸していると思う。でもなぜだか、彼にイギリスの愛を疑われるのは、まったく我慢ならないことであるような気がしたのだ。
 ケンカ腰に言い切ったというのに、対する彼はふっと笑っただけだった。それは先程までの嫌味で居丈高な笑顔とは、どこか違うように思えた。
「なら尚更だ。喜ばせてあげないとな」
 真摯に覗き込んできた青い目に、アメリカは唐突に悟った。――フランスだ。
 わかった、この青年はあの、憎きフランスに似ているのだ。
「――ヴァレンタイン? なんだそれ」
「何だそれって君、セントヴァレンタインズデーも知らないのかい? 恋人たちの日だよ、愛する人にプレゼントを贈るんだ」
「へぇーえ、愛する人に贈り物をするのに、わざわざそんな日が必要なのか? いつだってあげたいときに、あげりゃいいじゃないか」
 それを言われたらアメリカだって黙るしかない。
「とにかく、そういう訳で俺、忙しいから」
 後をついてくる彼を振り切るように手を振った。しかし彼はなおも後ろについてくる。
「まぁ待てよ。プレゼント選びなら付き合うぜ? お前さっき、右も左もわかりませーん、ってな、情けない顔してたからな」
 落ち着け、こいつはフランスじゃない。自分とは違う、こんなたったの数十年しか生きていないような生き物に、イギリス人の好みなどわかるものか。まだ自分の方が分かる、自信があった。
 それにたとえフランスの方が自分よりイギリスの好みを熟知しているとしてもだ。アメリカだけは、それを唯々諾々と認めるわけにはいかなかった。そうだ、アメリカには恋人としての矜持がある。こんな「フランス」もどきに指図されるなんてまっぴらごめんだ。そう思ったが、実際、自分一人で広大なこの売り場から、納得のいくプレゼントを選べるのかと言われれば自信はなかった。
 理性では、彼よりも自分の方がまだイギリスにふさわしいプレゼントを選べるはずだと思うのに、なぜだか、彼に任せた方がいいのではないかと、無意識に思ってしまう自分がいる。
 ――これはフランスじゃないんだぞ。たった二十歳かそこらの、ただのフランス人だ。
 いくら自分に言い聞かせても、いつの間にか足は素直に彼に従っていた。
「なんていったってもらってうれしいのは花とか、ワインとか、手作りの料理もいいな。相手はイギリス人? じゃあカードがいるな」
「そういう、ありきたりなのは嫌なんだよ。食べたらなくなっちゃうしさ。カードは言われなくても用意してあるから、ご心配なく」
 ついつい意地を張るような口調になってしまうが、彼は一向に気にしたふうなく、迷宮のような百貨店内を歩き続ける。
「ずっと持っててもらいたいならアクセサリーだ。一点物の銀細工、これで決まりだな! ブローチか? 髪飾りか?」
 まるで貴族主義の遺物のような考え方をする奴だと思った。若いのに、映画の見すぎなんじゃないか。
「あー、どうだろう、そういうのは……つけないんじゃないかな」
「へぇ? じゃあ傘とかハンカチはどうだ? レースの」
「ええと、それも……。あの、言いにくいんだけどさ……相手は、その……」
 フランス人だし、それほど抵抗はないのだろうが、やはり初対面の人間に言うのは憚られる話題だった。どうしよう、と視線を彷徨わせていると、相手は勘のいいことに、アメリカの言いたいことをすぐさま察したらしかった。
「じゃあ時計だな。それともネクタイ?」
 それもアメリカが第一に思いついた「ありきたりな」ものだったが、「彼が言うからには」、やはり実用性を重んじる紳士のイギリスには似合いの品なのではないかと思えてくる。
「……イギリス人はどっちが好きかな」
 何を訊いているんだ、こんな奴の言うこと、あてになるものか。
「そりゃ時計だろ。ネクタイは毎日替えるが、時計はずっとつけていられる」
「まったくだ」
 フランス人でなくても同じ答えを出しただろう。ちなみに贈る相手がイギリス人だということも何ら関係のない返答に、なんだか拍子抜けする。と同時に、自分は何を期待していたんだろうと思う。このフランス人が、いったいイギリス人の何を知っているというんだ。
「なんだかずいぶん、ここの売り場も変わったなぁ……」
 頼りないセリフを吐きながらもしっかりした足取りで進んでいく彼に遅れないよう、同じくヴァレンタインの贈り物を探しているのだろう人の波をかき分けてついていく。
「そんなに変化が激しいのかい、このデパートは」
 意外だった。あのエレベーターを見るに、何十年でも旧態依然としていそうなのに。
「ああ、俺が前に来た時とは随分違うね。そういや火事があって建て直したとか言ってたっけ、いずれにせよこんなに広くなかったな」
 建て直した? あの外装も、エレベーターも、明らかに最近のものではない。ならば建て直しに際してどこかから持ってきたとでもいうのだろうか。まったく、いつもながらヨーロッパ人のすることはよくわからなかった。
 無事にたくさんの時計を売る一角までたどり着くと、高価な宝石をちりばめた有名ブランドの新作を物色するのだとばかり思っていた金持ち風のフランス人は――そうまるで貴族のような――、その並びをあっさり素通りし、アンティークの時計に目を留めた。
「こんな古臭いのわざわざ高い金払ってコレクションして何が楽しいんだい? 金持ちの道楽だよ」
「コレクスィヨンするんじゃねぇよ、使うんだ」
「わざわざ? 止まっちゃうよ」
「ちゃんと愛してやれば、生きてる時間を刻んでくれるようになるもんだ」
 これなんかいいと思う、と彼が指さしてショーケースから取り出させた五、六本ばかりの腕時計は、どれも皆、ゼロが二つほど多いのではないかという代物ばかりだった。
 だが確かに、精巧に時を刻む様と個性的なデザインは、さながら小宇宙のようで、アメリカをして、これを使いこなせたらカッコイイ「大人」だろうな、とさえ思わせた。
 うち四本はなんと手巻き式だったが、そういえばイギリスの家には立派な手巻き用の機器があったっけ、とぼんやり思い出す。
「これにするよ」
 アメリカが選んだのは、主張しすぎない、それでいて大人びた落ち着いた雰囲気の時計だった。ありきたりなデザインのようでいて、これほどぴったりとあの人に似合うだろうカーブも大きさも色合いも、なかなかお目にかかれないと思う。まるで、イギリスのためにデザインされたかのようだ。
 目が飛び出るかと思うほどの金額を、カードのお客様控えで確認して、若干緊張しながら包みを受け取った。
 イギリスは、喜んでくれるだろうか。例年なら、ふわふわと浮かれた気持ちで、イギリスの反応を想像しては落ち着かない時間を過ごすのだが、今回は、絶対に喜んでくれるという、不思議な確信があった。
 これは、イギリスの手に渡るべきものだ。そういうふうに生まれてきた。
「きっと、あんたを愛するように愛してもらえるんだろう、その時計も。よかったな、お前」
 アメリカの手元の包みに話しかけるように、彼もまた、自信満々に言った。
「……ありがとう」
 彼にぴったりの、「大人な」プレゼントが見つかって嬉しいはずなのに、どこか悔しい気持ちでアメリカは礼を述べる。
 そんなアメリカの心中を知ってか知らずか、やはり微笑んだ美しい顔は、アメリカがまだまだ届かない、境地を思わせるのだった。
「いやいいってことよ。俺はいつだって愛の味方だから。それに、なーんかお前、俺の知り合いに似ててさ。ほっとけなかったんだよな。……ま、そいつはまだまだ、そんな時計を贈り物に買うなんて、想像もつかないような、成金の若造だけど、な」
 ああ、その若造にも願わくば、自分と同じように、苦い青春の葛藤を超えて、揺るぎない愛が訪れますように。

     *

 ヴァレンタイン当日、レストランの店員から手渡されたプレゼントとカードに、彼は嬉しそうな顔をした。
「だんだん、お前も板についてくるよな」
「もともとサプライズが好きな男だからね」
 イギリスでは、たとえ恋人同士といえど、ヴァレンタインの贈り物は名を明かさずにプレゼントするのが粋なのだそうで、さっきトイレに立った際に言づけておいたのだった。
 静かに包みを開いたイギリスは、一瞬目を見張り、感嘆したようなため息を漏らす。
「……お前、こういうの買えるんだな」
「……気に入ってくれたかい?」
 彼は慈しむように、時計を撫でた。まるで自分が撫でられているかのような錯覚を覚えて、胸が高鳴る。
「ああ、いいデザインだ。高かったろ? すごくいいものだから、育て甲斐がありそうだ……お前みたいだな」
「なんだいそれ、時計を『育てる』?」
「そうさ、こういうアンティークものはな、毎日ちゃんと手入れしないと、動かなくなっちまうんだよ。でも、それでこそ意味があるんだ。飾って眺めてるだけじゃ意味がない」
 アメリカに言わせれば、壊れにくい新しい時計を作ればいいだけのような気がするのだが、そういう合理的な考えを、今の彼にひけらかしても無駄であることは長年の経験からわかっていた。それに、今のイギリスの笑顔の前では、なんだって頷いて「そうだね」と言ってあげたくなる。
「お前、こういうの興味ない割には、目がきくよな。さすがだよ」
 本当に嬉しそうな様子に、アメリカはほっとした。
 ああ、悔しいけれど完敗だ。自分一人では、この笑顔とイギリスの感動は引き出せなかったのだろう。
 自分はこんなにも長い間イギリスの傍にいるのに、自分と大して年も変わらないようなフランス人にすら負けるのか。隣にいるというのは、思った以上に大きいらしい。
 イギリスには喜んでもらえたけれど、アメリカの心は正直複雑で、安堵と幸福と、嫉妬や絶望や悲しみが、嵐のように渦巻いていた。
「……そういえばデパートでさ、変な奴に会ったんだ。人形みたいにすごく綺麗だったけど。でも、妙に古臭い格好してるし」
 妙にフランスに似ていて忌々しかったけれど、とは口にしなかった。結果的に喜んでもらえたのだから、それでいいだろう。
 なんだか彼の手柄を自分が取ってしまったような気がするけれど、二度と会うこともない他人だ。おまけにフランス人だし。構うまい。そう思ったアメリカは、敢えて、今回のプレゼントを選んだのが彼であることは伏せておくことにした。
「ああ、あそこのデパートはな、『出る』らしいぜ」
「は……?」
 今思い出しても不思議な青年だった。この世のものでないかのような美しさに、すべてを包み込むような達観した成熟さがあった。フランス人というのはみんなああなのか、と忌々しく、もう一人の思い出したくないフランス人について思考を飛ばしているところに、にわかに話がアメリカの不得手な方向に流れてきて、さっと背筋を氷が滑ったかのように感じる。
「戦前からの建物だからな。戦時中は一時的に病院として使われていて、負傷したフランス兵が……」
 そういえば彼はおかしなことを言っていたじゃないか、あんなに古臭い建物を「最近建て直した」だなんて――。
「な、なんだよ、それ……冗談……」
 恐る恐る問いかけたれば、イギリスは神妙な顔つきで口ごもる。
 ああ、これ以上先を聞きたくない。がたがたと震えていると、ふいにイギリスが噴き出したのが聞こえた。
「冗談だよ。真剣にプレゼント選んでくれたんだな。うちの家のデパートなんて、慣れなくて歩きにくかっただろうに、……ありがとう」
 ああ、要はいつものようにからかわれただけだ。あのフランス人は確かに不思議で奇妙だったけれど、それだけのことだ。第一、フランス人にアメリカの思う「普通」だなんてものを期待してはいけない。
 イギリスのプレゼントは、翌朝、キッチンのテーブルの上に置いてあった。ピンクの薔薇の花束に、大きなケーキ、そして上等のスーツが一揃えと、「from Secret Admirerer(密かにあなたを愛する者より)」で終わる、情熱的なカードが添えてあった。
 それを見たアメリカは、すぐさま寝室に取って返して、昼過ぎまでイギリスと愛し合ったのだけれど。

     *

「時の流れって残酷だよな……」
 見慣れないアンティークの腕時計を指でなぞりながら、イギリスはため息をついた。別に、時計の調子のことを嘆いているわけではないだろうことは嫌でもわかったので、一応義理として問いかけてやる。
「何ソレ」
「あの賢いアメリカが、お前をお前とも気付かないなんて……」
 はぁ、と再び感慨深げにため息をついて、イギリスはフランスの顔にじろじろと不躾な視線を送った。
「ムリもないな、かつてヨーロッパ一の先進国として爛熟した宮廷文化を誇った美少年が、今じゃオッサン臭い髭だからな……」
 この大人の魅力がわからないとは、このお坊ちゃんの審美眼には呆れ果てる。まぁ恋人があれでは仕方ないだろう。
「何好き勝手言ってくれてんの。それはともかく、アメリカがどうこうって、どういうことよ」
「悪い、実はこないだ、勝手に若い頃のお前を呼び出した」
 さらりと吐き出されたセリフに、一瞬、どうしようもない沈黙が部屋を支配した。
「呼び出……何お前、そんなことできんの……キモ……」
「エンジェルの奇跡でな。まぁ実際には、コピーみたいなもんだけど。俺の記憶と、『物』の記憶をかけ合わせて作る思念体なんだ」
「物の記憶ねぇ……」
「そう、今回使用したのはコレ。長いことやってない術だったから不安だったけど、ちゃんとお前のコピーはアメリカをサポートしてくれたみたいだ」
 ビロードに包まれていたのは、古びてあちこちが欠けたカメオだった。
「……それ、俺がお前の上司にプレゼントしたやつじゃん」
「そう、その陛下が、亡くなる直前にくれたんだ」
「あー……あのときのお前の上司、いい女だったよなぁ……俺、思わず本気で迫っちゃった」
「言いたくねぇが、陛下もまんざらじゃなかったみたいだぜ? だからこそ、自分が逝ったあとも大切にしてほしいって、俺に預けたんだからな。ここに織り込まれた『想い』はすごく強い。だからこそ、あれだけ正確に術が作用したんだから。あの思念体はそのまま彼女の、お前の思い出だ」
 それだけの信頼をおいて託した大切な品が、そんな黒魔術に使われていては、まったく彼女も浮かばれないというものである。
「はぁーん、なるほどね、それで、その腕のが、アイツの今年のプレゼントってわけだ? 道理であいつにしちゃ、いい趣味してると思ったんだよなぁ。あいつ、こういうとこに金と手間かけるの嫌いだろうにってさ。ったく、初めてのおつかいじゃあるまいし……プレゼントくらい自分で選んでくれよな……まぁ、他ならぬこの『俺』が選んだから、サイコーにお前好みのプレゼントになったわけね」
「んー、まぁ、お前が選ぶものってたいてい、ハズさねぇよなぁ……」
 腕に巻いた時計を満足そうに眺めて、イギリスは頷いた。
「長い付き合いですからね。でも、あいつがその偽・俺のアドバイスに素直に従ったってのは正直意外だな」
「確かに。道案内程度にでもなればいいかと思ったんだが……でも俺は……」
 イギリスが口を開きかけたところで、キィ、と蝶番が軋む不吉な音が響いて、冷やかな風が室内に吹き込んできた。
「……そういうことかい」
 地を這うような低音に、ぎくり、と振り向けば。
「あ、あめりか……」
「君たちはまたそうやって二人でつるんで、俺をバカにして……楽しかったかい? さぞかし楽しかっただろうね!」
「ち、違う、俺はただ、お前が心配で……」
「心配? 俺が心配になると君はフランスを出すのかい!」
 ぎゃあぎゃあと、二人はいつものケンカを始めてしまう。
 勝手にやっててくれと、巻き込まれないうちに、フランスは静かに部屋を退出した。
 まったく、アメリカはいつもフランスに嫉妬するが、フランスに言わせればお門違いもいいところだ。
 ああそうだ、イギリスのことならたいていのことはわかる。わかってしまう。これはフランスの徳でもなんでもない。何千年と隣にいて、わからないほうがおかしいというだけの話だ。
 そしてだからこそ、自分は絶対に、アメリカのポジションには立てないだろうことも、フランスには痛いほどわかるのだ。
 イギリスが言いかけた、言葉の続きも。


「でも俺は、いつもアメリカが俺のために選んでくれるプレゼントは全部、あいつらしくて好きなんだ。それは他の誰にも、真似できないものだから。今回のコレだって、最終的にお前のアドバイスに従うことを決めたのはあいつで、俺はあいつのその気持ちが、すごく嬉しいんだ」
















 無理やりバレンタインに絡めてごめんなさい! 大変お待たせしてしまいました…リクエストしてくださった当初は、まさかバレンタイン小説にされるとは思ってもいなかったことでしょう…まったく…本当に…ごめんなさい…orz
 あとちょっぴりオカルトっててごめんなさい! いやこれは私じゃなくてイギリスが…イギリスのせいです。

 友人が若いフランス兄ちゃんの美貌について散々語ってくれたので、つい指が滑りましたが、私は美少年まんまのフランスよりは今の渋くて男らしくてダンディーなフランスお兄さんがだいすきです。友人はそのギャップに萌えるんだよと言っていましたが。
 フランスでもバレンタインがさかんに祝われるようになったのはここ十数年ほどの話だそうですよ。やっぱりお金ができると資本主義は訳わからん方向に走り出すんですかね(笑)。
 モデルにしたデパートはハロッズです。私もいつか行ってみたい…。あ、病院うんぬんっていうのはウソです。だと思います。

 久々に米英←仏という王道(←※フランス兄さんに失礼)を書いた気がします! これが米英DA YO NE!
 葵さま、素敵なリクで原点に立ち返らせてくださってありがとうございましたv


(2009/2/14)



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