「……あれ?」
 うららかな昼下がり。3時限目終了の5分前。
 各教室の、開け放した窓からさわやかな風が吹き込み、真っ白なカーテンを揺らしている。
 文字通り、がらん、としたフロア一体を見渡して、世界W学園高校生徒会長、イギリスは軽く、狐につままれたような気分になった。
 風に煽られ、手にした書類がばさばさと震える。



darlInG, hOw To lOve yoU?



 どがっ、と不機嫌な様子でドアを蹴り開け、出て行ってから5分足らずで戻ってきた生徒会長を、副会長は読んでいた雑誌から目を離さずに迎える。
 ふわり、とカーテンが風でめくれあがって、顔にかかったのを合図に、やれやれと立ち上がった。
「ずいぶん早かったのな?」
 授業終わるまで待つんだろうし、お前、また話しこんで来るのかと思ったけど、と髭を撫でながら問えば、会長は怒ったような戸惑ったような、複雑な表情を浮かべたまま、「あちい」と一言。ネクタイを緩め、副会長がどいたばかりのソファに仰向けに横たわった。
 何かと口実を設けては、いそいそと1年生の教室に出かけていく彼だ、どうせ今日も大した用ではなかったのだろうが、そもそも目的は彼の愛してやまない1年坊主、アメリカとじゃれ合うことなのだから、これではあまりに帰還が早すぎる。そんな副会長の疑問は、生徒会長がぶすっと発した台詞で解消された。
「今日は1年は全員、登校拒否の日か?」
 暑い暑いと主張してやまない会長様に、冷たい飲み物でも淹れて差し上げようかと、給湯室へ向かった副会長は首を傾げる。
「いいや? いなかったのか?」
「もぬけのカラだよ。授業中だろ」
 どうなってんだ、と首を捻る彼自身も、「さあ」と適当な相槌を返す副会長も、自分たちのことは棚上げだ。
 こんなに暑い日に、おとなしく机になど収まっていられない。
「あ」
 その時唐突に、先ほど職員室で何気なく目にした黒板の文字が蘇ってきて、副会長はすっきりした気分で、氷を浮かべたグラスをローテーブルに置いた。
「わかったわかった」
 によによしていると、グラスを取るために身を起こした会長の機嫌も目に見えて悪くなる。
「なんだよ、もったいぶらないで言え」
「3限だろ? 今日はー、1年生はー、講堂でー、特別授業の日なのです」
「……なんだ、あいつそんなこと一言も……。あーあ、行って損した。……特別授業って、なんだ?」
 ひとりで納得したり悔しがったり、忙しそうな会長も、ようやく、によによしっぱなしだった副会長を思い出したらしく、飲み干したグラスを突き出しながら、ついでのように問うた。おかわり、ということか。
「俺たちもやったろ。性教育」
 ばちん、と完璧に計算され尽くしたウインクを一つ。
 思わず会長の手をすり抜けたグラスが、ごとん、とテーブルで跳ねた。割れなかったのは不幸中の幸いというところか。
「……お前の変な冗談じゃねぇだろうなぁ……」
「何よ、その疑いの目。ちゃんと職員室で見たんだぞ、予定表」
「あー……そういやあったかもなぁ、1年のときだっけか」
 懐かしい、と間抜けた顔をするだけの会長様は、「性教育」なんて言葉に赤面するほどウブでもない。経験豊かな大人なのかといえば、そういうカッコイイものでもなくて、どちらかといえば、もうすっかり盛りの過ぎた、達観したご老人のような様子だった。そんな余裕をかましておきながら、実際は「エロ大使」たる異名を持つほどの弛みぶりだから、人の見た目はまったくあてにならないものだ。
 高校生ともなれば、「赤ちゃんはこうしてできるんですよ」ということを丁寧にレクチャーされても薄ら寒いだけである。だからこの学園で実施される授業も、内容は性感染症の予防だとか、避妊法だとか、デートDVだとか、より実践的で生々しい話が主だ。高校生活最初の夏休みが始まる前に、妙な事態にならぬよう、釘を刺しておこうという、学園側の思惑も見え隠れする。
「そういえば俺らのときはさぁ、あの、体育のオールドミスがさ」
「うん」
「『コンドームだって万全じゃないんだから、性感染症を予防するには、そういう行為をしないのが一番です』って……」
 思い出し笑いなのか、くつくつと品なく笑った同級生に、フランスは自身も純粋な気持ちで爆笑した。年頃の男の子然とした、楽しい時間だ。もっとも、見た目はちっとも年頃の男の子ではないけれど、とは言ってはいけない。
「人類絶滅計画だな」
「だな」
「ま、キヨラカなのはいいことだよ。彼女はいつまでも純潔な心と体を失わない乙女なのさ」
「いやー、ウケるわ。今年も同じこと言ってんのかな。あ、あとで」
 アメリカに訊こう。
 楽しそうに笑って、イギリスは自らおかわりを淹れるべく、ようやく立ち上がった。
 そんな余裕もないくせに、とフランスはその後ろ姿を眺めながら微笑ましく思う。彼ときたら、大好きなアメリカと、そんな話ができると思うだけで、嬉しくて嬉しくて、今から舞い上がってしまっているのだ。



「あー、あつい」
 不機嫌そうにドアを開けて入ってきた姿は、本人の主張通り、大変暑そうだった。汗で貼りついたワイシャツを剥がそうと試みながら、生徒会室の隅に据え付けられた扇風機を占領にかかる。
「お、アメリカ。お前から顔出すなんて珍しいな」
「講堂が死ぬほど暑かったんだよ。3限、4限と、ぶっ続けであの、空調の設計を見事に間違えた講堂に閉じ込められたんだ。ここなら涼しいかと思ったんだけど……クーラー入れないの?」
 開け放たれた窓を見て、細めの眉が不快そうに寄る。
 視線を向けられた会長様は、そっけなく「エコだ」と答えた。
「災難だったなぁ。それで、聞かされた話もまたホットだったろ?」
「……知ってたんだ?」
「そりゃ、俺らも通ってきた道だからな。な、イギリス?」
 話題を振られた会長は、手元に視線を向けたまま、「ん」とだけ。先ほどまであれだけ食いついてきたのに、やはり愛しい元弟の手前、見栄を張っているのだろう。内心、特別授業を終えたアメリカの反応が気になって仕方ない様子が、副会長には手に取るようにわかった。
「退屈だったよ。興味もないし」
 そんな期待を一身に受けて、アメリカはなんでもないことのようにさらりと言う。
「あれあれ、カッコつけちゃってー。年頃の男の子のくせにー」
「はぁ?」
 小バカにしたように笑ってみせる様子はクールそのものだが、からかってボロが出ないはずはない。だってアメリカはこんなに若いのだ。バリバリ年頃、真っ盛りなのだ。
 イギリスのためにも、ここはフランスが一肌脱いでやらねばなるまい。
「ほんとは、興味津々だったんだろ? 恥ずかしがらなくていいから、お兄さんに言ってごらん」
 によによと、わざとらしく後ろから肩をさする。アメリカからは、ほんのりと汗の匂いがした。
 おい、アメリカに触るな、とでも言いたげな会長様の視線が飛んできたのに意識を奪われていた矢先、アメリカは不機嫌そうに口を開いた。そのまま、つらつらと、まったくためらう様子も恥ずかしがる様子も見せず続ける。
「だって、あんなの散々言われてることで、今更、常識だろ? 俺達が今もっと必要としてて、知りたいのはさ、肝心の、ベッドまでこぎつける方法とか、どうすれば相手をもっと喜ばせられるのかとか、コンドームの手際のいいつけ方とか、ピロートークのネタとか、ちょっと変わったセックスのやり方とか、いいラブホの選び方とか、後処理の仕方とか、そういうことじゃないの?」
 何か間違ってるかい、と、この世の正義すべてを代表しているかのような態度が、やけに神々しい。
 耐えきれない沈黙が、初夏の生徒会室に降りる。
「……知りたいのか、そういうことが」
「うん。年頃だからね」
 やたらきっぱりとアメリカは言い放った。
「お、お兄さんが教えてやろうか。手取り足と……痛っ」
 コメントに困って、とりあえず息を荒げてみたら、背後からペンが飛んできて、後頭部にクリティカルヒットした。
 興味ありません、と涼しげな顔をして仕事にいそしんでいたくせに、その実ちゃんと聞き耳を立てているのだから、まったくいやらしい。いや、わかっていたことだけれど。
 彼がアメリカ絡みのことで――しかも今回は内容が内容だ――、聞きたいと思わないことなど一つもないのだ。
「猥談かましてねぇで、手伝え」
「ちょ、どっちかって言ったら猥談はアメリカでしょー!」
 俺、俺が悪いの?
「アメリカはいいんだ」
「何それ」
 相変わらず横暴すぎる。
 とりあえず、死にたくはないので、アメリカに触れていた手はどけた。 
 すると、何か言いたげに振り向いたアメリカが、じっとイギリスを見つめた。その視線に、イギリスは耐えきれず、目を逸らす。
「邪魔しないでよ。せっかく、ベッドの上でどう振る舞ったら、相手が俺に惚れ直してくれるかについてレクチャーを受けようかと思ったのに。……それとも、君が教えてくれるの?」
 にこり、と笑った顔は、まったくもって「ウブな高校1年生」からはかけ離れていた。こいつサバ読んでんじゃねぇの、3歳くらい、と、副会長は自身の見た目も棚に上げて思った。
「手取り足取り」
 わざとらしく紡がれた低い声。ボッ、と音を立てて染まった会長の顔に、副会長はやれやれと思う。部屋の温度が上がったみたいだ。
「ば……っ、な……」
 ぱくぱくと、金魚のように開閉する口。
「教えてほしいな」
 調子に乗った1年坊主は、会長様が腰かけている、お気に入りのプレジデントチェアーにいつの間にか片膝を乗り上げている。どこに乗り上げてるのかって、それは会長様の脚の間だ。背もたれと彼の間に挟まれる形になった会長様は、今にも蒸発するんじゃないかってくらい、顔が上気して、みっともないことこの上ない。
 おいおい、お前ら、俺がいること忘れんなよ。
 音を立てないようにして、生徒会室を後にしながら、フランスはため息をついた。
















 青春っていいなぁ……またも暑い暑い言いすぎですいませんでした……orz 実際、今はクーラー利いてるので全然暑くないんですけど……昼間暑かったので反動……。

 性教育ネタということで、米のモラルが吹っ飛んでいるとか斜め↑だとか、も大変見たかったんですけど、ええそりゃもうによによ顔でよだれ垂らしながら見れる自信があるんですけど(汚)、なんだかまた二人とも青々しくもちょっと暑苦しい若々しいかっこよさ、を目指してみました……何言ってるのかよくわからなくなってきたぞ……
 きりこ様、こんなんでよければもらってやってください! ありがとうございました!


(2008/7/30)



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