エニグマ イギリスに理解されないアメリカはかわいそうだ。 件の騒ぎの間中、俺はずっとアメリカの味方だったし、アメリカがいかに苦悩し、自己の感情の矛盾に苛まれていたのか知っている。この間、俺はイギリスの傍にはいなかったわけだが、あの坊ちゃんの考えていることなら、それこそ何マイル離れていたってわかる。何年隣国やってると思ってるんだ。 だから俺には、二人の気持ちのすれ違いが、痛いほど、手に取るように、わかっていた。 結果、感じたのはアメリカへの憐憫とイギリスへの怒り。 当然だろ? 俺達、何百年国やってんだ。アメリカに比べて、俺たちはずっとずっと大人のはずだった。 守るべきアメリカ。愛すべきアメリカ。 それを差し置いて、一人自分だけが辛いと勘違いしている傲慢なイギリス。 これからはイギリスに代わって、俺がお前を理解してやろう、アメリカ。 だからお前はあんな保護者の呪縛を断ち切って、思う存分、大空に羽ばたくといい。 「嘘くさいんだよ、君の言っていることはいつも」 お兄さんの魂を込めた愛の語りは、愛しい若造に一蹴された。 「あれ」 おかしいなぁ、これで単純なアメリカはコロリと落ちて、俺の胸に泣き崩れるはずだったのに。 やはりこの図体のデカい筋肉バカは、繊細なレディとは思考回路が違うらしい。 「真実はこうだ、語ってあげようか?」 アメリカは生意気にメガネを押し上げて、にこりと笑った。妖艶とも無邪気ともつかないその所作が、薄暗いベッドルームで二人じゃれ合っている状況では、わずかに前者に傾く。 じゃれ合っているといってもあれだ、こいつがまだメガネをかけていられる程度のものだったけれど。 あいつら二人の確執なんて、いつも無益な空騒ぎだ。 本人たちだけが必死で悲劇をなぞっている、けれどその中身は空洞で、まるで意味のない。あってもなくても同じようなものだ。 どうせイギリスは自己の利益に忠実なのだし、どうせアメリカは自我が強く、何でも思い通りにしなければ気が済まない。遅かれ早かれ決壊していたのだし、それがあるべき姿である気がする。合理的に考えればそうだ。渦中にそんな当たり前のことが見えないのは仕方がないけれど、終わった後まで愚痴愚痴とやり合っているのは、まるで歪んだ愛情表現のようにしか見えなかった。 二人はそうやって、どろどろした世界で睦み合って楽しんでいるだけだ。とんだ自慰だと思う。いや、この場合は二人いるのだから、自慰とは呼ばないのだろうか。 とっととその意味のない円環から抜け出して、明るい方へ歩み出せばいい。今という生を楽しむための一歩だ。明るい太陽、他愛ないおしゃべり、大粒の宝石、美味しい料理、ロマンチックな夜。俺が手引きをしてやろう。 二人まとめて、フランスになればいい。 「ね?」 「ね、じゃねぇよお前、そういうとこが自虐的だって言うんだよ」 「ヒーローは自虐的なものさ、いつだって」 理想なんて捨てれば楽に生きられるのに、捨てられないんだ。 「そんな自虐的なお前を救い上げてあげたい、……それは確かに真実かもなぁ」 頬を撫でると、アメリカはくすぐったそうに目を閉じた。 お、これは、オッケーってことですか。我ながらクサい台詞を吐いた甲斐があった。 そのまま、頬を撫でていた手をメガネの蔓に移動させ、そっと手前に引く。当然のことながら、メガネはあっさりアメリカの顔を離れた。 あと少しで唇が触れ合うというとき、目を閉じたまま、アメリカは言った。 「で、実際どうなんだい。本命はどっちなの、俺か――」 もう一つの選択肢が出る前に、俺は唇を塞いでしまった。 こんないい男と寝るって夜に、他の奴の名前を持ち出すなんてマナー違反だ。お子様だからしょうがない。意識している奴の名を、つい出してしまうのだろう。 唇を重ねながらベッドにアメリカをゆっくり押し倒していく。 「それはお前に訊きたいねぇ。お前、こんなとこで何やってんの?」 「わかるだろ? イギリスを待ってるんだ。あの人、どこで何をのんびりしてるんだかなぁ、このままじゃ俺、君にいただかれちゃう?」 「だろうな」 いただきます、と心の中で手を合わせて、俺は極上の笑顔を作った。 「俺にしとけよ。面倒な駆け引きとか、いらないだろ? あの、自分のプライドを守ることで精一杯のお坊ちゃんには、こんな大人の愛し方はできねぇよ」 「悪く言えばドライっていうんだよ、君のは。あの人は確かに不器用だけど……っ、どこ触ってるんだい!」 アメリカの股間を撫でた手が、ぺしりと叩かれる。本気で叩くなよ。マジ痛ぇ。 「イギリスが来るまで、続行していいんだろ?」 俺は痛がる様子などおくびにも出さず、俺を叩いた忌々しい手をそっと取り上げて、口づけを落とした。 「なんか……今日は君、変だね」 どきり、とした。完璧にいつも通り振る舞ったはずだったのに。完璧な、「イギリスをからかうついでに、飛び込んできたおいしい鴨もいただいちゃおう」という、ポーズ。 「どこが」 「イギリスをからかうために、俺に触ってるんだろ?」 そう、そういう風に見えるように、俺は振る舞っている。 「だから、違うって。俺はいつでも愛に一生懸命よ?」 そしてそれを口先だけで否定して、「お前と遊びたい」という「空気」を作る。俺の演技は忙しいんだ。 「なのに、なんだか今日は」 俺の否定をさらりと聞き流して、アメリカはじっと俺の目を見つめた。サファイアのような輝きが、俺を捉える。 「聞いてね、人の話」 お兄さん泣いちゃうよ。 「なんだか必死だ」 俺は、つまらなそうに言い放たれたアメリカのセリフに、すっと目を細める。 ああ、必死だとも。お兄さんはいつも必死だ。どうやったら、誰も傷つけずに――そう、俺自身も傷つけずに――おいしい目が見られるか、お前に触れるか。 「だってホントは、イギリスにばっかいい思いさせたくねーもん。俺、いつまで当て馬なの?」 思わず本音を滲ませる。けれど、どうせコイツには俺の本音と建前の区別などつかないだろう。俺はいつだって緻密に計算しながら、少しずつ本音を零していく。いつかお前の胸の底に澱んだそれを、少しでも思い出してもらえればそれでいい。 「お前が欲しいんだよ、俺だって」 ああ、俺だって、余裕なフリして実は必死なんだって、誰か気づいてくれよ、いつか。それは星に願うほど、叶わない祈り。 アメリカに気づいてもらえないのは、まぁ自業自得だった。アメリカの関心を引きたくて、散々余裕ぶった言動を繰り返したからだ。「イギリスの気を引きたいか?」「お兄さんが協力してやろう――」その実、少しはおいしい役が回ってこればいいと思っていた。それで満足するつもりだった。 だってどう足掻いてもアメリカの中で大きな比重を占めるのは育て親であったイギリスであり、イギリスもまた、アメリカを盲目的に愛していた。だから俺は、二人の間を巧妙に縫って、少しだけ、うまい汁を吸えればそれでよかった。 だが、それだけでは物足りなくなった。 なんでこんな色気もクソもないガキに、天下のフランス様が振り回されてんだろうな……。 「あげないよ」 俺の唾液で濡れた唇で、きっぱりと、俺の下のアメリカは言った。 「ハッ、『俺はいぎりちゅのものなのー』ってか? それ、あいつに直接言ってやれよ、大喜びだぞ、あの坊ちゃん。すぐにでもお前らはハッピーエンドだ」 好き好んでそれを口実にして、首を突っ込んだのは俺だが、こうしてコイツのイギリスへの想いの深さをまざまざ見せつけられると、正直、苦しい。 自嘲するつもりで笑ったはずが、顔を歪める結果にしかならなかった俺をやはりまっすぐに見つめて、アメリカは口を開いた。 「君が」 その、やたら真剣な口調に、俺は思わず聞き入ってしまう。 俺が、少しでもこいつの中心の部分に、触れることを許された気がして。 「そういう遠まわしな感情表現をやめない限り、俺は、君のものにはならない」 理解するのにたっぷり三秒ほどを要して、俺は、ようやく、震える鼓動を自覚した。 「……は?」 じわり、と涙さえ浮かんでくる。こんな、こんなのは、反則じゃないのか。 「なんだよ、それ」 まるで俺が、この「博愛主義者の大人のお兄さん」の殻を破って、本気でアメリカを求めたら、応えてくれるとでも言わんばかりの。 「お前、イギリスが好きなんじゃないのかよ」 ずっと我慢してた俺はどうなる。 「君だって、俺のことが好きなんだろう」 ああ、そうだとも。 お前が欲しくて欲しくてたまらない。欲しくて欲しくて、怖いくらいに。 口を開こうとした瞬間、静まり返っていたドアがバァン、と破壊音を立てた。 ゲームオーバーだ、俺は思う。 「てめぇフランス! 俺のアメリカに何してやがんだ!」 凄む姿は、海賊時代のそれそのもの。 「えー、あんなこと言ってるぜアメリカー。お前、イギリスのものなの?」 「違うよ」 たとえばこんな言動も、アメリカはイギリス譲りで素直になれないだけなのだと思っていた。けれど、俺が思っていた以上に、アメリカが深い思慮を持っていたとしたら? こいつはずっと、イギリスの気持ちも、俺の気持ちも知っていたのだとしたら? 「ですってー、やあね、最近のストーカーは」 「ふざけんなよ! どけ!」 額に青筋を立てながら、イギリスは乱暴に俺に近づくと、ベッドに横たわったアメリカに跨っていた俺の襟首を掴んで部屋の端に投げ飛ばした。思わず受け身を取ったものの、もう若くはない身だ、結構痛い。と、そろそろ俺の悪友である隣国様も悟ってはくれないだろうか。 「アメリカ! 何もされてないか?」 「君と違ってフランスは紳士だからね」 刺々しい響き。アメリカは肩を竦めた。――それはイギリスへの嫌味を装った、痛烈な俺への嫌味だった。なぜ手を出してこないのか、愛しているくせになぜ、本気でアメリカを求めないのか。 「どういう意味だよそれ! ああ、とにかく無事ならよかった。二度とこんな見境ない早漏狼に近づくんじゃないぞ。汚れるからな」 「ちょ、それヒドくない……?」 イギリスに助け起こされて、メガネをかけさせられると、アメリカはため息をついた。 「平気だよ。彼はいつだって本気じゃないんだ。だってほら、カギすらかけてなかったろう?」 バカで単純な子供だと思っていたのだ。 「ば、ばか! かけられてたまるかよ……アメリカ、カギかけられそうになったらちゃんと逃げるんだぞ」 青臭い理想に燃え、現実との乖離に苦しんで、破天荒な明るさですべて乗り切ることを覚えた、広大な大自然と神秘の大地の子。 親のような気持ちで、ただ見守り、導いてやれればいいと思っていた。実の親がバカで変態で頼りない天上天下唯我独尊のちんちくりんな島国なのだからしょうがないと。 「子供じゃあるまいし、やめてくれよ」 だがそれ以上に深い闇を抱え、多くを見つめ、多くを考えていたとしたら。 これまで俺が、この非情極まりない世界で、軽佻浮薄に流れゆくまま、それなりの人生を楽しむべく打ち出した計算式は、皆、仮定から間違っていたことになる。 「じゃあね、フランス。また」 ああ、と笑って、俺はしたたかに打ちつけて痛む背を嘆きながら、厄介な親子を飲み込んで再び閉じたドアを見つめた。 ああ、また、あの若く輝いた日々のような情熱を、燃やしても構わないということですか、神様。 あの頃、損得の計算もなく、ただ感情の高ぶるままに世界を変えた。後々になって迷惑極まりないという顔で罵倒されること多々だったし、すぐに襲い来た世界の荒波に揉まれて疲れ切ってもいたから、俺はとっくに計算済みの、無難な軌道に縋りつくことで、余生を楽しもうとしていたのだけれど。 ああ。 まだ、希望の灯が途絶えないというのなら、俺は何度でも目指そう。 荒ぶる大海原。この胸を彩った興奮。見果てぬ世界への夢。 ――いざ、愛と情熱の新大陸へ。 ホントは英と仏が米を誘ってデート対決、みたいなアホな話になる予定でしたが、 いつも、「仏兄ちゃんは英に片想い」、みたいな話ばっかり書いたり読んだりしてきたので、メリカ愛されてるととっても幸せです…v sou様、リクエストありがとうございました! あんまり「ガチンコ」勝負にはなりませんでしたが……orz (2008/7/27)
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