vacation impossible
「本っ当に申し訳ありませんでしたぁ!」
目の前で土下座してみせた金髪を、ギリシャはため息をついて見下ろす。腕に抱えた猫が、にゃあ、と鳴いた。
「……そろそろ……入国禁止にするから……」
「いやほんとゴメンって! ちょっと開放的な気分になっちゃっただけじゃんか! たまのバケーションなんだからさぁ!」
「ほんと……迷惑……」
「なんだよっ、俺が変態みたいな目で見るなよ! お前のとこにだってヌーディストビーチくらいあるだろ!」
「だからって……街中で脱がないで……。しかもアテネは……一応、首都だから……小学生の登校時間だったって……?」
「すいませんでした」
イギリスは素直に頭を下げ直す。
本当に、こいつはもう。
にゃあ、と抱いていた猫が腕をすり抜けていってしまって、ギリシャはぽこぽこと腕を組んだ。
さて、どうしてやろうか。
これで彼が観光中に警察のお世話になるのも三度目だ。このまま厳重注意だけで解放してはいけない気もする。
悩んでいると、イギリスが不安げな顔で見上げてくる。
「なぁ、頼むよ、ごめんって。国外追放だけはやめてください」
「サッカーと……同じ……反則したら、レッドカード……」
「お願いだから! 明日、ミコノス島でアメリカと合流する予定なんだよ!」
なるほどな、とギリシャは思う。エーゲ海の白い宝石、ミコノス島はゲイカップルが集まるリゾート地としても知られる。あそこのビーチでなら、二人がいちゃついていても大して目立たないだろう。
「なんでもするから」
声が必死さを帯びている。そんなにアメリカとバケーションを楽しみたいか。
腹いせに邪魔してやりたい気はしたが、しかし。
「なんでも……?」
ふむ、とギリシャは考えた。イギリスほどの大国が「なんでも」してくれるという。これは楽して金儲けのチャンスなのではないか?
しかし、一向に「楽して金儲け」で、イギリスが承諾してくれそうなお願いが思い当たらない。困ったことだ。
「なんでも……なんでも……」
「そ、そんな深く考えんなよ、あ、なんなら、奇跡見せてやろうか?」
「奇跡……」
なんのことやら、と思ったが、すぐに思い至る。
前に日本が、そんな話をしていたような気がした。確か、「まるでギリシャさんのところの神話に出てくる、神々のような格好」で「韓国さんを子供の姿にしてしまわれた」のだったか。
「また……脱ぎたいだけだろう」
「違うって! そんなかわいそうな目で見んなよ! ほら、お前んとこの神っぽい格好だろ?」
言いながら、すでに着替えているところが本当に救い難い。天性の露出狂なのではないか。やはり国外退去以外にない。
「すごく……侮辱された気分……」
第一、そんな露出狂と「奇跡」を見せられたところで、ギリシャに何のメリットがあるというのか。
却下しようとしたところで、イギリスは先端に星型の飾りがついた棒を取り出した。
「だぁあもう、見せてやるって。四の五の言わずにさぁ。どうだ? たとえば、トルコあたりをちっちゃくしてやるぜ?」
「トルコが……ちっちゃく……?」
思わず頭の中で、てのひらサイズに縮小されたトルコが鼻歌を歌っている図が再生された。慌てて首を振る。「小さい」の意味が違う。
小さい頃のトルコなど、想像もできない。今ではあんなオヤジなのだ、無理もない、とギリシャは一人納得した。
「別に、そんなの見たくない……」
確かにトルコにも、若く幼い時代があったのだろう。今のように声も低くなく、髭もなく。そんな少年時代が。
そういえば、トルコは元来、騎馬遊牧民族だったのだと聞く。馬を駆って大平原を駆け回ったのであろう少年時代。農耕民であったギリシャやその母とは根本的に出自が違う。
彼は、どういった子供だったのだろう。
考えても詮無いことだ、ギリシャは思考をかき消した。
「ええっ、バカ言うなよ! 興味あるだろ? 俺だって見たいし!」
あいつ俺らが目つけたときには既に超大国だったからな、とイギリスが昔を懐かしみ出した。ギリシャはその頃まだ幼く、大した記憶もない。なんだか腹が立つ。
「あいつは思えば俺らヨーロッパの常なる脅威だったもんだ」
うんうん、としたり顔で頷くイギリスがなんだか腹立たしくて、「とにかく――」出てって、と言葉を継ごうとした瞬間、後ろから、聞き慣れた嫌な声が聞こえた。
「俺がなんだって?」
振り返れば、汚らしい色のフードを被った男の姿。白い仮面が、太陽に映えていて、妙な恰好に着替えたイギリスと同レベルに不審人物であることこの上ない。
「トルコ……何の用だ……!」
「いや? イギリスが、お前んち観光したあと俺んちに来るっていうからよ」
「……だから?」
「丁重にお断りしようかと」
いやぁ、と肩を竦めたトルコに、今度はイギリスが怒り出す。
「ちょっ、待てコルァ!」
「だって、お前さん、まーたこのガキんところでさんざん警察のお世話になったんだろぃ? 俺はちょっと、厳格な宗教の国なんで、そういうのは……」
「俺んちが軽薄みたいに言うなよ! もう脱がねぇって!」
「いやぁ、言ってる傍からそんな、妙な格好しなさってるし。それはあれかい? 新しく始めたお前んとこの観光事業か? 気分はギリシャ神話! みてぇな?」
「違う……断じて……」
「ほら」
はぁ、と傍らでトルコがため息をついた。悔しいが、今は同感だ。
とっとと出ていって、北の島に帰っていただきたい。
二人して軽蔑の眼差しを送る。
「ああもう、腹が立った! ブリテンの奇跡見せてやる! ほぁた!」
イギリスは顔を真っ赤にすると、珍妙な叫び声を上げた後、星型の先端をトルコに向けた。ポッ、と辺りは煙に包まれ、隣にあった鮮烈な存在感が消え失せる。
ついで、現われた小さな子供に、ギリシャは唖然と立ち尽くした。
「ほら見ろ! これがブリタニアエンジェル様の奇跡だぁ!」
ハハハハハ、と高笑いするイギリスは非常にウザかったが、今はそれどころではない。
「え、……ト、トルコ……なのか……?」
ざっと見たところ五歳くらいの。仮面もなければ髭もない。なんだか変な感じだ。
「お前さんは誰でぇ? 男なのかぃ? こんな綺麗な奴がいるなんて、部族長の娘さんでも敵わな……」
なんだか有り得ないセリフを聞いてしまったような気がしたので、とりあえず殴っておいた。
「何すんでぇ! はっ、あれか、俺は捕虜になっちまったのかぃ?」
「あー、とにかくあれだ……黙れ」
顔が熱い、おかしい。
綺麗だ、なんてフランスはよく言っていたけれど、トルコはいつもそれを「何言ってんでぇ」と軽く否定していたから。
「ところで、そちらさんは?」
なぜ殴られたのかわからない、といった体の少年もといトルコは、ふと、高笑いを続けていたイギリスへ目線を走らせた。
「み……見ちゃいけません!」
思わず取った行動は、思いのほかしっくり来て、ギリシャは少し楽しい気分になった。
ああ、トルコがこんなにちっちゃい。
*
「で、……どうやったら、戻るんだ……」
普段着に着替えたイギリスは、淹れてやったコーヒーに口をつけると、一瞬苦そうな顔をした。
「別にすぐにでも戻せるぞ。お前が俺を追い出さないでいてくれて、トルコが俺たちを入国させてくれるならな」
無理難題を言い出したので、ギリシャはふるふると首を振る。
「別に俺は……戻らなくてもいいんだけど……どうでもいいし」
「ちょ、なんだよそれ……!」
慌てだしたイギリスを尻目に、猫と戯れる少年を眺めた。
「お前だって困るだろうが。一応隣国だし」
「うーん……かわいいから、いいんじゃないかな……」
「……お前って子供、好きだったのな」
「そうだな……この姿なら、口うるさくないし……」
いつも大人ぶって余裕の笑みを浮かべる仮面の顔を思い出し、目の前の少年との対比に思わず笑う。
「そうかー、じゃあ戻しちゃおうかなー」
「……そんなに観光を続けたいのか……」
「だから久々のバケーションだって言ってるだろうが」
「……まぁ、珍しいものも見れたし、よしとするか……トルコが入国を許すかどうかは……知らないけど……」
ちらり、と視線をやると、同じくらいの大きさの猫を抱えたまま、少年は「呼んだか?」と首を傾げた。
「あっち……行ってなさい……」
子供の頃、トルコが大人と話していると、よく「あっち行ってな」と追い出されたものだった。懐かしい。
逆転した立場に、気分がよくなる。
今日は思う存分、年上気分を味わおう。
「楽しんでるなー、お前。――よし、じゃあわかった、俺たちのトルコ観光が終わったら戻しに来てやる。それくらいで満足だろ? 俺も、そいつがそんなんじゃ色々国際上問題があると思うし」
「ああ……わかった」
考えるのが面倒だったので、とりあえず頷いておく。
「じゃ、俺、フェリーが出ちまうから、行くわ」
「ピレウスか? ……送ってく」
「いいのか?」
「これ以上……、うちの警察に迷惑かけられたくないし」
「かけねぇよ」
不服そうに唇を尖らせたイギリスを無視して、トルコを呼ぶ。猫とじゃれ合っていた少年は、すぐに駆け寄ってきた。
*
「すごい……なんでぇ、これ! 馬より全然速い……」
最近日本から購入した中古車だったが、幼いトルコを魅了するには十分だったらしい。ちょこまかして危ないことこの上ないので、後部座席に移動したイギリスが、膝の上に抱えている。
「はいはい、じっとしてようなー」
どうしようもない変態のくせに、子育てだけは板についているのだから、なんだか呆れてしまう。しかもこれから、自ら育てた子とビーチで愛を語りに行く予定だというのだからなおさらだ。
アテネから15km離れた場所にあるピレウス港は、ほとんどの国内航路の発着地だ。エーゲ海に散在する実に3000近くの島々から構成されるギリシャでは、重要な交通の要所である。
「もう……着く。この辺でいいか? チケットは……まだ買ってないんだろう?」
「ああ、いいよ、もう。電車で行こうと思ってたし、少し時間浮いたから。ありがとう」
「じゃあ、アメリカによろしく……」
「お前も、ちゃんとトルコの面倒みてやれよ。帰りに寄るから」
トルコ観光に行くとなれば、二週間は戻ってこないだろう。広大な国土の端々に観光地が点在しているトルコでは、普通に観光しようと思えばえらい時間がかかる。ツアー客は車中泊を繰り返す強行軍も厭わないが、イギリスやアメリカがそんな観光の仕方を好むとも思えなかった。
どうやら、本当に久々の本格的な休みらしい。何気なく考えて、チケット売り場へ向かったイギリスを見送った。
「あ!」
アクセルを踏むと、助手席に移動させ、シートベルトで縛りつけておいた子供が、感嘆の声を上げた。
「でっけぇ湖が見える……!」
「あれは……海だ」
「海……」
へぇー、とかほぉー、とか、子供のくせに妙にオヤジ臭い感動の仕方をするやつだ。
遊牧民だけに、海は見たことがないのかもしれない、まだ。成長すれば、嫌というほど見ることになる。この海も、元は彼の支配下にあった。
「きれいだな……」
純粋に嬉しそうな顔で海を眺める横顔に、複雑な感情が去来するのを感じながら、ギリシャは無言で車をUターンさせた。すぐに海も見えなくなり、再び車は市内へ向かう。
自宅ガレージに車を入れ、子供を降ろすと、座席に縫いとめられていた彼は、我慢できなくなったかのようにぴょこぴょこ跳ねながら、ギリシャの袖を引いた。
「なぁなぁ、ギリシャ、聞いてくんな」
今日の夕食は何にしよう、と考えながら生返事を返す。
「……何」
スブラキか、ムサカでもいい。
「……俺、大きくなったらあんたと結婚する!」
――は?
「あんたきれいだから、俺が嫁にもらってやらぁ」
もはや夕食のメニューのことなど、頭から吹っ飛んでいた。
反射的にギリシャは子供をもう一度助手席に収め、自身も運転席に乗り込む。もう船は出ていない時間だが、飛行機ならあるだろう。のんびりエーゲ海をクルーズしながら目的地へ向かう船と違って、飛行機ならその二分の一程度の時間で辿りつける。まぁ、待ち時間を除けば、だが。
抜いたばかりのエンジンキーをもう一度差し込み、空港へ向かう。目指すはいざ、ミコノス島。
二週間も待っていられるか。
今すぐに、戻してもらわなければ困る。
――でなければ、心臓がもちそうにない。
そして邪魔される米英米。
あ、イギイギにかまけていたら日本出すの忘れました! ご、ごめんなさ……!
猫鮫娘さま、貴重な土希リクエストありがとうございましたv
トルコさんがちびっちゃくなっちゃうというアイデアに脱帽しました……考えてもみなかった……!
(2008/7/27)
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