青春トワイライト



「へーっ、これがニンジャってやつなのかい?」
「ええ、そうですよ! 日本さんの新作ですよ」
 きゃあきゃあと、休み時間の女子かお前らは。
「ああもう、黙れ! 遊んでるだけなら帰れよ、仕事の邪魔だ」
 バァン、とオークの高級机を叩けば、アメリカとセーシェルは一瞬だけこちらを見て黙ったものの、すぐに何事もなかったかのようにおしゃべりを再開した。
 ああもう、イライラする。
 こちとら来月の二酸化炭素10%削減月間に向けて、教職員向けの協力のお願いのプリントを作っているというのに、いったいどうしてあいつらは、クーラーの効いた部屋で、ふかふかのソファに座って、仲良く隣り合わせでコミックなんて読んでやがるんだ?
 ああ、それから夏休みに生徒会主催で行う毎年恒例の納涼祭も、そろそろレンタル機材の予約をしておかないと。
 それから制服の改善要求が出てたから、それも職員会議にかけないと。
 やることが山積みで頭が痛い。せめて他の役員がもっと頼りになればいいのに、副会長はデートとかいってアブセントしてるし。
 まったくもって不幸だ……まぁ、仕事は好きだからいいんだけどな。
 だからって目の前で能天気に遊ばれると腹が立つ。お前ら少しは俺をいたわる気持ちはないのか。
 じとりと目線を向けた瞬間。
「ないですね」
「疲れたなら帰ろうよイギリスー。俺、お腹が空いたぞ」
 とんとんとん、とリズムよく言われて、思わず俺は口元を押さえた。
「あ、あれっ……俺、声に出して……」
「出してましたよ。うるさいくらいに」
「いつものことだよセーシェル」
 かわいそうにね、と生意気な弟が言う。「弟」と言ったらあいつは怒るんだろうけど、あんな奴いつまで経ったって俺の弟に変わりはないんだ、分かったかこの野郎。
「ふん、腹減ったなら勝手に帰れよ。セーシェルもだ。お前一応女だぞ、最近物騒だからな。夜に制服でうろつくのは危ないぞ」
「なんですかその発想。エローい」
「な、俺は純粋にお前のことを心配してだなぁ……! 紳士的だと言えよ紳士的だと!」
「紳士的って、そのまゆげのことかい?」
 プーッ、と、二人は顔を見合せて噴き出した。まったく失礼なことこの上ない。
「いいから出て行け!」
 腹の立った俺は、強引に二人を生徒会室の中から追い出した。
 ぱたんと扉を閉めると、静かになった部屋の中に、俺のぜえはあという荒い息と、エアコンの音だけが響く。
 再び革張りの椅子に腰かければ、ギィ、と椅子が悲鳴を上げた。
「ああ、清々した!」
 言ってみたところで誰も聞いてはいない。わかっている。なんとなく自己満足で言ってみただけだ。
 どことなく広くなったような生徒会室を見渡して、俺は観念し、パソコンに向き直った。


 予定していたすべての仕事を終え、生徒会室の鍵をかけると、辺りはもうすっかり暗くなっていた。エアコンの効いていた生徒会室から出ると、途端にむわっとした空気が纏わりついてきて、体が重い。
 いけないな、と思いながら肩を揉む。
 目の奥も痛い。
 ほとんどの生徒が帰ってしまった校内は、電気もついておらず薄暗い。ところどころ、不気味に点灯する非常灯だけが頼りだが、子供でもあるまいし、何が怖いものか。
 そう思いながら何気なく目をやった階段の隅に、ぼやっとした黒い人影が見えた瞬間、心臓が縮み上がりそうになった。
「……なんだ、お前まだいたのかよ」
「なんだとはご挨拶だね」
 ちらりと腕時計を確認する。ぼんやり発光する蛍光塗料は、あれから三時間弱が経過したことを示していた。
「セーシェルは?」
「俺が無事、送っておいたよ。で、部屋にいてもすることないから、君も送ってあげようかと思って」
「俺は女じゃねぇぞ」
「でも、貧弱だから。変な輩に絡まれでもしたりしたら、生徒会長の名折れだぞ」
 ああ、忌々しい。
 俺の下にいるのを嫌って独立したのはこいつの勝手だが、だからといっていちいち見下げるような、優位に立とうとするような言動はなんとかならないものか。
 俺はイライラと、無駄に広い胸板を叩いた。
 どけ、という意味だったが、アメリカは気にせず後ろをくっついてきた。
「余計なお世話だ。絡まれたって負けねぇよ」
「だから、相手の方を助けてあげようと思ってね。――仕事は終わったのかい?」
 いちいち引っかかる言い方だ。
「当たり前だ、俺を誰だと思ってる」
「そう。いつもこんな時間に一人で帰ってるの?」
「悪いかよ。フランスもロシアも手伝いやしねぇし。待っててくれる友達もいねぇしな」
 自嘲気味に笑ってみせる。どうせアメリカが言いたいのはそんなところだろう。ならば言われる前に言ってしまえ。
 こんなことで俺をからかうためだけに戻ってきたのだとしたら、こいつも相当の肥満児……違った、暇人だなと思う。
「それは、君が『待ってて』って頼まないからいけないんだよ。それに、たとえ『待ってようか?』って申し出る奇特極まりない人物がいたとしても、君は断っちゃうんだろう」
 奇特極まりないってなんだよ、俺だってそれくらいの申し出は受けたことが……あれ、ないかもしれない……。
「待たれても意味不明だろ、理由がないし、不合理だ。そっちにも用事があって、たまたま時間が同じになるってなら、断る理由はないけど」
「じゃあ俺、部活にでも入ろうかなぁ……」
 たまたま校門付近ですれ違った、ユニフォーム姿の面々をちらりと見て、アメリカはまるで脈絡のないことを言った。人の話聞いてんのかこいつ。
「部活? お前が? やめとけよ、協調性ないんだから」
 そもそもどの団体にも属さず自由を享受してきたこいつが、そんな狭い組織に押し込まれている図など、想像もできない。
「それより生徒会に入れよ、お前、顔もそこそこいいし、きっと選挙に出れば選ばれるぞ。なんてったって俺の弟だしな」
 唐突に思い浮かんだその案に、俺は声に出しながら満足した。
 うんうん、こいつは変なカリスマ性やリーダーシップはあるし、きっと俺に似て、よくできる。よく俺を助け、導いてくれる、頼れるパートナーになることだろう。
 その想像はずいぶんと楽しかった。自然にこにこしてしまう俺を、アメリカが不機嫌そうに見つめていることに気づいたのは、数秒経ってからだ。
「もう弟じゃないよ」
 一蹴された。
 なんだか、子供は絶対サッカー選手にすると公言してはばからなかった父親が、反抗期の息子に、夢を否定された時のような気分だ。もちろん、そんな経験などないから、実際にはどんな気分だか分かりはしないけれど。
「ああ、そうだったな」
 自然、こちらもトゲトゲした口調になってしまい、沈黙が降りる。なんだ、こいつこんな暗い奴だったか? 嫌味なのは普段からだけど、特に俺には。
 なのにわざわざ戻ってきてまで……本当に意味がわからない。
「そういう、口実じゃなくてさ……」
 ぽつり、と言ったアメリカの発言は、まるで独り言のようで。
 返事をしないでいるうちに、寮に着いた。
「じゃあ」
 俺とアメリカは、入ってる棟が違う。別れようとしたところで、アメリカが口を開いたので、しょうがなく立ち止まる。
「明日も仕事なのかい?」
「えー? あー、そうだろうな」
「一人で帰るのかい?」
 そうだ、とでも言わせたいのか。分かってるくせに。
「なんだよ、何が言いたいんだよ」
「寂しくないのかい?」
「……慣れたよ」
 湿っぽく聞こえないように、軽く言い放った。それが、俺に残された最後のプライドだった。
 実際、長らく寂しいと思ったことなどないのだ。恋愛でもしてないと死んでしまうようなバカどもじゃあるまいし、一人で帰る奴なんてたくさんいる。普通のことだし、哀れまれることでも、嘆くことでもない。
「もういいだろ、じゃあな。また明日」
 うっとおしい。そんなに俺をからかいたいか。
 ところが、また明日、と言った瞬間、何がそんなに嬉しいのか、アメリカはやたら無邪気な笑顔を覗かせた。
 心底、嬉しくて嬉しくてたまらないといったような。
「……また明日」
 ああ、でも、こんな風にこいつと帰るのは悪くない、かな。
 俺はその顔を見た瞬間、思った。
 たくさん喋ったからなのか、なんだか、いつも帰宅時に慢性的にまとわりついている疲労のようなものが、今日は比較的、軽い気がした。
















 黒猫さまへ。
 好きな人と一緒に帰る、というポジションを確保するのは難しいですよねぇ……頑張れ思春期!(笑)もっとほのぼのしたお話になる予感がしたのに、またなんだか思春期メリカがイカ臭くてごめんなさ…っげふんっ…
 こんなウジウジしてるメリカが好きです…リクエストありがとうございましたv


(2008/7/24)



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