恋人は大料理人 「……君、さっきから何忙しそうにしてるんだい? イギリス、ねぇ、イギリスってば!」 喋りづらいなと感じ、もごもごと口から突き出て動いていた白い棒を引っ掴んで取り出すと、じゅぷ、と音を立て、コーラ味の球体が現れる。 「うるせぇよ、今から客が来んだからお前帰れっつってんだろ!」 「……客って、もう昼時だぞ……」 まぁ、まさかまさかとは思っていたが、先程から忙しなく、普段は滅多に使わないキッチンをごちゃごちゃとひっくり返しては爆発音や不穏な臭いを漂わせていたところからも想像がついていた。だが、いざこう「その質問を待っていた」とでもいうようにニヤニヤされると、少なからず悔しさが湧き上がってくる。聞かなきゃよかった。「料理」にかけちゃ、普段の自身の皮肉癖を存分に逆手に取られ嘲笑われるかのように、各国のブラックジョークネタに軒並みランクインするくせに、いい加減、妖精さんとやらが見えるおめでたい頭はファンタジーな思考回路を捨てられないらしい。実は本気を出せば美味い、だなんて。その「本気」を出す日はいつ来るんだか、四百年近くの付き合いになるアメリカだってお目にかかったことがない。 「ハ、聞いて驚けよ! この俺の手料理を食いたいって言うんだよ!」 ふんぞり返った、似合わぬエプロン姿のイギリスは、まぁネチネチとした精神攻撃をここぞとばかりに浴びせかけて泣かせたい程度には、見ていて腹立たしかった。 「へぇー。よかったね」 そこでアメリカは、あえて「嘘だろ」とも「誰が」とも言わずに、再び飴を口内に押しこんだ。生ぬるい飴は、じわりと甘みを伝えてくる。 「お、おう……、何だよ、それだけかよ」 「じゃ、俺はお望み通り、帰ろうかな」 絡みつく視線を振り払うように、思わせぶりに立ち上がった。見せつけるように、ゆっくりと。どうでもいいけれど、イギリスの背後のキッチンからはパチパチと、入れすぎた油が、きっちり切れなかった水と反応して跳ね回っているような、危うい音が響いている。 「え? 昼はどうすんだよ」 時計を見上げた彼の顔を追わずとも、先程確認したので現在時刻ならわかっている。あと十分ほどで十二時。街もまさにランチタイム一色だろう。なんて、本気で思っているわけではないが。 「君が帰れって言ったんじゃないか。そこらのデリでも行くさ」 わざとらしくうーんと伸びをして、さっさとジャケットを羽織れば、もうそろそろだろうか。 ああ、これだこれ。この顔が見たかった。 我ながらいい性格をしていると思う。 胸の奥をしめつけられるような、破壊力の強いときめき。苦笑して、さぁどう言い訳をつけて居座ろうかな、と回す頭。脳みそってのはこういう使い道をしてこそ、だと思ったりなんかする。 「君の料理を楽しみに来る酔狂な客がいるんだろ? 俺は邪魔しないうちに帰るさ」 「え、あ、……あ、あれだぞ、お前、ちょっと作り過ぎたから、そうだ、なんなら、も、持ってくか? よし! 待ってろよ!」 「まだ出来ないんだろ? いいよ俺は。お客さん来ちゃうだろうし」 「え? え? いや、いいんだよ、だってどうせアイツだし……」 誰だか知らないが、先程まであんなにその「客」を心待ちにしていたイギリスの興味が、アメリカに注がれている。心の中でごめんねと苦笑して、気持ちのよさを存分に味わった。久々の休日。イギリスの家に押しかけて今日は二人でゆっくり過ごそうと勝手に相手の了承も得ずに決めた予定を、無事に遂行できそうでアメリカはほくそ笑んだ。昨夜から押しかけて泊まり込んだ甲斐があったというものだ。突然の珍客なぞに邪魔されてたまるものか。 イギリスの気を引くためのアメリカの頭脳はいつも冴え渡るほどなのに、逆にイギリスの方の、つまらないプライドと寂しい本音の間で揺れ動く、普段は冷酷無比な彼の頭脳は、急に活動を停止してしまったかのようだった。 ああ、幸せだなぁ、と緩む顔を隠そうと咳払いを一つした瞬間、無粋な玄関のベルが鳴り響いた。その瞬間、弾かれたようにアメリカを置いて玄関へ走って行ってしまったイギリスの代わりに、悲鳴を上げていたキッチンのフライパンを救出すべく、勝手に火を止めておいてやった。その間にも、ドアは間断なくノックされている。どうやらあまりマナーのよろしくないお客人のようだ。そもそもイギリスの手料理を食べたいなどという酔狂な人物が一般常識など兼ね揃えていようはずがない。 ほっと一息つくと、キッチンの奥のオーブンからも不穏な臭いがしている。ついでにそちらのスイッチも切ったが、ぱっと見る限り、奥から半分ほどはもう炭化してしまっていて食べられないだろうと思った。 「プロイセン! ほんとに来てくれたのか……!」 いつになくテンションの高い迎え方である。アメリカやらフランスやらを相手にしている時には考えられない愛想のよさだ。日本あたりになら常日頃から振りまいているのかもしれない、が。 ところでプロイセンって誰だったかな。顔を見れば思い出せるのだろうが、どうにも名前だけではピンと来ない。だが特に興味もわいてこなかった。 アメリカは大音量でテレビをつけると、その前に据えつけられたソファに身を沈めた。背もたれにぴったり体を寄せるようにすると、リビングの食卓側からはアメリカの姿は見えないはずだ。 昨日の残り物しかねーからな、なんて言い訳しながら、もうアメリカの存在を忘れていそいそと皿に生物兵器を盛っている。それさっきからごちゃごちゃ作ってたやつじゃないか、とは言ってやらない。何を隠そう昨日の夜、彼が作ったのは謎の茹で野菜のなれの果てだけで、あとは買ってきたフィッシュフライとアイスが食卓に上っただけだったのだ。しかしそんなのはいつものことなので、今更ごちゃごちゃ言うほどのことでもない。その、食べ物には普段まるで関心のない彼が、ごくごくたまに、あまりに仕事仲間の世界各国からバカにされるからか、ムキになってああしてキッチンに籠もることがある。毎度毎度その後処理をさせられる身になってみれば、普段通り大人しくしておいてくれた方がいいのだが。 今日もどうやら、彼の傷口を突いた何かがあったらしい。 ちらり、と振り返って見た銀髪は、どこか見覚えがあると思っていたが、確かドイツのところの、侮れぬ元軍国殿だった。今は公の場で会うことも少なく、普段の彼が何をしているのかは知らない。 しかしながら、身構えた様子もなく、本当にただ「昼食をいただきにきた」客人然としているプロイセンを横目でちらり盗み見て、ガキリ、と口の中の飴を噛み砕く。あそこまで普通にされると、なんだか面白くない。もっとビビっていればいいものを。バカなのか、騙されているのか。まさか何の訓練も積んでいない彼が、アメリカと同じように平然とした顔で彼の料理を口に含み、咀嚼し、呑み込むことができようなどとは思わないが、運ばれてきた料理をあまりに平然と眺めているので、内心ハラハラすることには変わりない。例の半分黒コゲのアレは、どうやらシェパーズパイだ、イギリスの奴、張り切ってると思ったら。 先程まで飴がついていた口の中の棒は、既に何の味もしない。アメリカはリモコンをいじってテレビのボリュームを少し下げた。それでもアメリカの存在などないかのように会話を進める二人が面白くない。プロイセンの方は本当にアメリカに気がついていないのだろうが、イギリスはさっきまで話をしていたではないか。そんなに昼食を食べたいと申し出た客人がいいか。 アメリカだって言わなかっただけで、イギリスがアメリカへのもてなしもそこそこに何かを作り始めたようだから、きっとあれはアメリカが処分することになるのだろう、くらいには思っていたのだ。それを横取りされたような気分、といえば正しいかもしれない。 何やらカメラまで取り出した。あれは日本製の最新式だ。ブログがどうのこうの言っているが、プロイセンは全世界のゲテモノ料理を制覇するブログでも始めたのだろうか? ちなみにブログとはウェブログの略で、発祥は何を隠そうこの言論の自由を牽引する世界のリーダー、アメリカである。 髪型がどうのとワイワイ騒ぎながら写真を撮り終えた二人は、いそいそと再び食卓についた。活躍したデジカメはテーブルの隅に置かれている。 「なんかよくわかんねぇがコレ、じゃがいものいいニオイがすんな!」 フォークを取った白い指。差し出された皿の驚異的な見た目には少しも臆するところを見せないプロイセンに、アメリカは思わず背もたれから身を乗り出して事態をごくりと見守ってしまった。 そんなバカな。素人があれを、好意的な態度を貫きながら完食できるはずがないのだ。 いやしかし、漂うこの焦げ臭さにも一度も言及しない、食い物があるだけでありがたいぜとでも本気で言い出しそうなあの男らしい態度。 ヨーロッパの寒冷地で、厳しい生存競争に今日まで勝ち残ってきた彼のこと。さぞや長く苦しい辛い経験を積んできただろう。 ひょっとしたら、ひょっとしたら。 見ろ、今だって、最も無害そうな手前のかろうじて薄い茶色の部分をフォークの腹に載せた。あれはイギリスによって見るも無残な姿に変えられた哀れな食物からでさえ、栄養素を得る術を本能的に知っているのではないか? 薄い唇が躊躇いもなく開かれて、香ばしすぎるそのオーブン料理が、その、口の、中へ。 ごくり。見守る中、唇の間に挟んでいた紙製の棒が、ぽとり、床に落ちた。 ガターン。 同時に、床が揺れた。無論、飴の棒ごときがこんな音を出すはずもない。 結果は、面白味のないくらい予想通りだった。 「おっ、おい! プロイセン! プロイセーン! 大丈夫か!」 椅子ごと真後ろに倒れたプロイセンに、慌てて駆け寄るマヌケなエプロン姿の元兄を眺めながら、アメリカは力なく笑った。 「は……はは……そうだよね、やっぱりね……」 どうやら買いかぶりだったらしい。やはりイギリスの手料理は一朝一夕に攻略できるものなどではないのだ。思い知ったか余所者が。 「おい、どうした! 目ェ開けろ!」 安心したついでに、彼のデジカメを拝借して、慌てふためいたイギリスの、あまりに面白い顔を記念にパシャリとやってやり、そこで余裕を取り戻したヒーローアメリカは、ぐったりと力なく細めの髪を床に散らしたプロイセンを抱え起こした。 「大丈夫。ちょっとショック受けてるだけみたい。吐き気はある? 落ち着いて、ゆっくり深呼吸して。イギリス、早く水持ってきなよ。あとフランスに電話」 「……リカ……」 意識があったらしい。恐れ入る。 ゆるゆると上げられた瞼の奥からは、遠くを見るような瞳。ここは騎士時代の合戦場じゃないぞ。 「なんだい? 大したことないから遺言なら聞かないぞ。いいから大きく息を吸って、大丈夫、一口しか口には入らなかったんだから」 やはり慣れていないと、精神的には相当のダメージを食らうらしい。身体的には大したことはないはずなのだが、とは経験者たるアメリカが確信しているのだから間違いない。 「ヴェストに……伝えてくれ……勇敢な、最期だったと……」 腕の中でふっと笑った顔は往年の覇者に相応しく、「我が人生に悔いなし」とでも言うように穏やかな笑みを湛えてがくりと首を落とした様に、慌てたのは加害者イギリスの方だった。 「プロイセーンッ!」 まったくもう、付き合い切れないよ素人のオーバーリアクションにはさ、と内心ぶつぶつ言いながら、アメリカは彼を、先程まで自身が隠れていたソファに横たえることにした。 ハリウッド帰りのアメリカもびっくりだ。 「ほっとけば目ェ覚ますんじゃないの、いつぞやのイタリアみたいにさ」 イタリアに至っては目を覚ますどころか泣き喚いて宥めるのが大変だったのだが、敢えて考えないようにして、床に落ちていた、少し曲がった棒を拾い上げ、ゴミ箱にシュートした。 苦い思い出だ。食卓に寂しそうに鎮座している黒コゲの物体を視界に入れると、さらに口の中が苦くなる気がする。 「あああ、どうしよう、どうしよう、自信あったのに……」 「自信、あったんだ……」 しかしいつになっても、悪魔の手を持つ張本人の方が、こうした事態に慣れていないことに、アメリカは苦笑を禁じ得ない。 もう諦めなよ、遺伝子的なあれだよ、ほら。食べ物に興味もないしセンスもないのだ。生まれ育った環境だってある。他国に踊らされる必要などない。イギリスはイギリスのままで。他にいいところがいっぱいあるだろう。 言ってなどやらないけれど。 「彼は放っといてさ、先にご飯食べてようよ。フランスには連絡したんだろう?」 落ち込み続けるイギリスを放って、アメリカはさっさとプロイセンが倒した椅子を元に戻し、そこに腰かけた。始めから、この席にはアメリカが座るべきだったのだ。他の誰も相応しくない。 「え?」 「え、じゃないよ。まさか俺には何のランチも出してくれないつもりだったんじゃないだろうね」 「え、でも、それ、食うとあんなんなるみたいだし……」 「根性が足りないんじゃない?」 構わず、食卓の上に落ちていたフォークを、かろうじて茶色い部分に突っ込む。先程惜しくも敗れ去り散っていった彼のように。 相変わらず美味しくはなかったが、食べられないこともなかった。最近のおっさんたちは贅沢で困る。普段どんなオイシイものを食べているのかなんてアメリカの知ったことではないが、あまりに軟弱だ。 だなんてアメリカのような若造が言ったのを聞いたら、きっと皆怒り出すんだろうが、それこそ知ったこっちゃない。 「ほら、一人じゃ食べ切れないって言ったの君だろ! 手伝ってよ!」 「お、おう……」 無言で向かい合い、原形のよくわからない物体をもしょもしょと口に詰め込む作業に従事する。何らかのきっかけで、このプライドの高い年上男が嫌な方向にやる気を出した時には、いつも見られる光景だった。きっとこの先も、こんなことを何年か周期で繰り返すんだろうな、とさえ思う。 「俺の手料理が食いたいなんて久々に言われたから舞い上がってたけど、やっぱからかわれてただけだったのかな……ブログのネタってやつ?」 柄にもなく落ち込んだ風で、イギリスはぽつり、力なく零す。 「さあ? そういう風には見えなかったけどね」 まぁ、この先どんなチャレンジャーが現れようとも、きっとこの地位は誰にも奪われることはないだろう。そう、アメリカは自負している。たとえ最終処分場などという不名誉極まりない地位だとしても。 「まぁ、修行してから出直してこいって話だよね」 あぁ、でも万が一シーランドの海底が隆起したりしたら、さすがのアメリカの慣れも、敵わないかもしれない。 「あー、アイス食べたいなぁ……」 言った矢先に、バタン、とリビングの扉が開いた。いつ玄関を抜けてきたのか。まったく礼儀も何もあったもんじゃない。お前がそれを言うな、と言われそうだ。 「やっほー、ブログ見たお兄さんが、口直しにケーキ持ってきてやったぞー!」 ほら、美味しくないものも残さずちゃんと食べ切れば、いいことが待っている。それを教え込んだ保護者は、自身の自覚はともかく、きっといい保護者だったのだろう。 後に噂のブログに寄せられた各国のコメントを確認してしまったイギリスが、さらに迷惑な方向に燃え上がってしまったのは、また別の話であるが。 俺様CDを延リピしていたら、「後ろにアメリカがいたら素敵なのに……」とまたいつもの病気が始まって、気づいたら書いていましたがあんまり面白くならなくてがっかりでした。 (2010/2/24)
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