まったく何度反芻してみてもアメリカの意図が見えてこない。ぶつぶつ呟きながら会議の興奮も冷めやらない廊下を歩いていると、突然肩にとんでもなく重いものがのしかかってきた。 「おうおうイギリス、今帰りか? お前んとこの代表とはぐれたなら、今はちょっと外出ない方がいいぜ。落ち着いてから――」 と、思ったらただの気障ったらしい男の腕であった。 「げ、ヒゲじゃねぇか……なんでこんな何百と人がいる中で、お前にバッタリ出会わなきゃいけねぇんだよ」 「お前……相変わらずかわいくない物言いするねぇ……。お兄さんちょっと泣けてきたわ……。せっかく心からの忠告をしてやってるのに……」 「そいつは結構。それにはぐれたわけじゃねぇよ、自主的な行動だ。人をガキみたいに言うな」 放っておくと必要以上に絡みついてくる腕を乱暴に振り払って、イギリスはその場で腕を組んだ。どうせ目的地があって歩を進めていたわけではないのだ。フランスは、同様に白い壁に背を預けると、ざわつく人混みを見つめながら言った。 「っつーわけでちょっと話してこーぜ」 「何が『っつーわけ』だ。お前こそ、お前んとこの代表はどうしたよ」 「ドイツんとこの奴らと話し込んでるよ」 「あ、そ。お前んとこにしちゃ珍しく仕事熱心じゃねぇか」 「失礼ねそれどういう意味よ! ……あーあ……ったく、お前こそ、自主的な行動とやらの目的はお仕事だったんじゃないの? アメリカとどっか行くのが見えたけど?」 フランスに肩を竦められ、イギリスはポンと手を打った。 「あ、そうだそれだよ。アメリカの奴、やたら深刻な顔でなんか言ってったんだけど、ちっとも意味がわかんねぇんだよなー……」 「何それ、二人の秘密? お兄さんも聞いていい話?」 仕事上の機密ならもちろん第三国に漏らすわけにはいかない。いくら腐れ縁といえど、国際上のルールはきちんとわきまえている。 だが今のイギリスは、こう答えるよりほかなかった。 「いや、それすらもわかんねぇ」 わからないものはわからないのだから仕方がない。それに、アメリカは「誰にも言うな」とは言わなかった。 いや、秘密裏に行うべき交渉のすべてにおいて、いちいち「誰にも言うな」などと念を押すことの方が実際は珍しい。そんなものはとっくに両国理解していて、暗黙の了解と化していることの方が多いからだ。 しかし今回の事例においては、イギリスは話の内容自体を理解していないのだ。ムードの読みようがない。 「何なんだよ、一体何言われたわけ? 俺はまさか愛の告白じゃないかと思ったけどなー、あいつの顔やたら思い詰めてたし」 「――愛の告白。そうだよ、お前がしょっちゅうそういうくだらない冗談言うから、話がややこしくなってんだ。あいつがその冗談に仮託して何を言わんとしているのか、俺にはさっぱりわかんねぇ――」 イギリスが頭を抱えると、それまでハハハハ、と忌々しい笑い声を上げていたフランスは急に顔色を変えた。 「いや、ちょっとタンマタンマ。お前が何を言ってるのかお兄さんにはさっぱりわかんない」 「だから、一種の暗示みたいなものだと思うんだよな。でも、俺にはその裏に込められた真意がわかんねぇんだ」 「何なの? お前一体何を言われたの? その……表向きには」 「だから、いつものお前の冗談」 フランスはまるであの時のアメリカのように真剣な顔つきになって、イギリスの両肩に手を置いたので、イギリスはちょっぴり身じろいだ。 「よぅし、その一字一句を正確にリピートしてみようかイギリス」 「そしたらわかんのか?」 思い切り疑わしげな目を向けてやったら、妙に偉そうな態度で返された。 「そんな気がしてる。お前よりはお兄さん、人の気持ちに敏感な自信あるからね」 それは大概怪しいとイギリスは思ったが、とにかく思い出せる限り正確に、アメリカの話を繰り返す。普段はへらへらしていることの多いヒゲヅラが、みるみるうちに険しい顔になった。やはり何か、深刻な事態なのだろうか。 「……って感じだったと思うんだが、まさか俺に五十一番目の州になれって意味か? しかしまさかいきなりそんな無体な要求を当然のようにしてくるわけねぇし、でも他に思いつかなくて」 隣で盛大なため息をつかれ、なんだか気分もよろしくない。くそ、アメリカの奴、もっとわかりやすく言えよな。そうすればこんな忌々しいお気楽男にこんな顔されずに済んだものを。 「それはお前、あれだよ、そのまんまの意味だよ」 顔中に疑問符を浮かべると、ため息がもう一つ。 「だからお前は交際を申し込まれたってわけだ。難しいことは考えずに、ウィかノンか、それだけレヴェイヨンまでに答えりゃあいい」 「いや、だから、イエスかノーかって、何が」 「だから、それ愛の告白なんだって。アメリカの奴と同じベッドでアレコレしたきゃあウィと言えばいいし、嫌ならノンだ。簡単だろ?」 アレコレって。 「あー、そろそろ俺行くわ」 イギリスが問いかける前に、フランスは軽く肩を竦め、いつもの気だるげな足取りで背を向けた。遠くでドイツが、相変わらずの険しい顔でこちらを見ている。どうやらフランスを呼びに来たものらしい。 「……いや、ますます訳わかんねぇんだけど」 どうも疲れているらしい。ひと眠りすれば頭もスッキリするだろうと、イギリスは短い髪を振った。 * アメリカの奴が困っているらしいというのに、ちっとも手助けしてやれそうにない自分が本当にもどかしい。イヴ、イヴまでに、一体何を考慮してイエスと――あるいはノーと――言えばいいのか、イギリスにはちっともわからない。 会議最終日である明日のための打合せを終え、自身に宛てがわれた部屋へ戻る途中の薄暗いホテルの廊下。こうして一人になると、考えるのはアメリカの思い詰めた顔のことばかり。 「いや? そもそもそんな困ってそうな言い方じゃなかったよな。どっちかっつーと偉そうだったし……」 ――イヴまでだ、いいね。 強圧的な声がリフレインされる。ああそうだ、一体どうしてあんな傍若無人な子に育ってしまったのか――まったくもって嘆かれる。根はいい子に違いないのに。そうだ、皆してアメリカを誤解している。 「こんばんは、イギリスさん」 一人で考えごとに嵌まり込むと周りが見えなくなるのはよくあることで、油断しきっていたところに、突然前方から声をかけられ、イギリスは文字通り飛び上がった。 「おわっ、違うんだ、今のは独り言とかじゃなくてだな――あー、えーと、……いい夜だな。調子はどうだ?」 「お陰さまで」 にこりと微笑んだ日本は同じようにスーツ姿だった。あちらも似たようなスケジュールなのだろう。 同様に他の国々に出会う可能性も多分にしてあったのに、何の心の準備もなかったイギリスが迂闊であった。たまたま最初に出会ったのが、本音を無表情あるいは微笑のマスクに隠してしまう神秘の国、日本であったのは不幸中の幸いであったというべきかやはり不幸であったというべきか。 「お前んとこはクリスマスは休みにならないんだよな」 この時期の世間話といえばクリスマスの話題と決まっているのだが、日本相手となるとどうも勝手が違う。結果、アホみたいな質問を投げることになった。 「ええ、でも年末は休みになりますし、元日から3日は三箇日と言いまして、我が国で最も大切な休日のひとつです」 「そうか……」 「我が国ではクリスマスというと、ロマンチックな雰囲気の中、恋人やら友人やらと遊ぶ口実とでもいいますか、それにかこつけて莫大なお金が動くわけですが、まぁ不景気の中、こうした起爆剤はありがたいものです」 恋人――俺の恋人になってくれないかい? ああ、また思い出してしまった。まったくもって理解不能だ。 「……なぁ、日本。今俺が『俺の恋人になってくれないか』って言ったら、お前ならどう思う?」 我ながら妙な質問だとは理解している。ひょっとしたら気味悪がられて二度と話してくれなくなるかもしれないくらいには思ったが、相手は何せ日本なので、そんなこともなかろうとイギリスは長年の付き合いからちゃっかり学んでいたのだった。 案の定、日本は一瞬だけ苦虫を噛み潰したような妙な顔を見せたあと、すぐに普段の曖昧な笑顔に戻って柔らかな声を出した。 「……ええと、失礼ながら、『それはどういった意味ですか』とお訊きするほかないように思いますが……」 「うん、だよなぁ」 「何ですか一体」 「じゃあ、『そのまんまの意味だよ、愛の告白だ』っつったら?」 日本がちょっと好奇心をくすぐられたように片眉を上げたので、イギリスは慌てて別の話題を探したが、咄嗟には天気の話くらいしか思いつかず、そんなことをするとまたどこぞの誰かにイギリスは天気の話しかしないなどと皮肉られてしまう。つらつらと余計なことを考えているうちに、先手を打たれてしまった。 「……どなたかに言われたのですか?」 「え、いや、そういうわけじゃないんだが……!」 「失礼ですが、ひょっとして、その、アメリカさんとか?」 「なんでアメリカが!」 思わず叫んでしまった。第一候補で図星を差されたというのがどうにもイギリスには納得がいかないだけに、純粋な驚き半分と事実を誤魔化したい気持ちが半分。 一体何の根拠があって、日本はアメリカの名を出したというのだ。やはりこの奇怪な暗号文には、何かイギリスの知らない解読キーがあるのかもしれない。 「いえ、ええと、すみません」 「いや……こちらも大声を出して済まない」 日本は何も悪くないというのに、先手を切って謝られると、取り乱したこちらがなんだか余計に気まずい。 「その、な……前半は確かにアメリカなんだが、後半は別の奴だ」 「フランスさんですか」 「お前はエスパーか何かなのか?」 「いやわかりますよそれくらい」 日本は穏やかな黒い瞳の奥に、ちょっぴり非難するような色を覗かせながら肩を竦めた。 それから、まるで戦場から帰ってきた老兵が、幼い孫に言い聞かせるかのような様子で「イギリスさん」などと言うものだから、思わず背筋が伸びた。 「本当はわかってらっしゃるんでしょう、どうしてそうやって端から可能性そのものを否定してしまわれるんですか? アメリカさんの誠実な言葉に対して、それはあまりに失礼です」 ぽろり、ぽろりと、一枚ずつ殻が剥がされていく気分だ。 そう、きっと裏があるはずだと決めつけて頭から無視していた、アメリカの口から実際に出たひとつひとつの単語。 だってあまりにおかしいじゃないか。 泣きそうな気持ちで、もう一度、アメリカの言葉をなぞってみた。やはり胃の底にわだかまるような違和感があるばかりで、ちっとも現実と結びつかない空虚な音の数々。 誠実? あいつのあの傲慢で不遜な物言いのどこに誠実さがあったというのか――そもそもあの押し付けがましい態度が、イギリスが標準とする「愛の告白」とやらからあまりにかけ離れていたのもいけないとイギリスは思う――多少の疑問は残ったが、日本の真摯な表情に気押されて、イギリスは思わず俯いた。 「……いや、でも、ありえねぇよ」 「そうですか? 私に言わせれば、十分ありえることです」 日本の自信満々な言い草は、まるですべて見ていたようだとすら思える。なんだかちょっと不気味だ。 だいたい日本にアメリカの何がわかるというのか――イギリス以上にアメリカのことを理解している奴などいないはずなのに――いや、そんなのは自分の思い上がりにすぎなくて――ああ、なんだか落ち込む。 「アメリカさんは誰よりも、イギリスさんを大切に思っていらっしゃいますよ。きっととても素直な気持ちで、あなたの隣にいたいと言ってくださったはずです」 なぜ日本がアメリカのセリフを知っているのだろうとは思ったが、イギリスはとにかく雰囲気に押され頷いた。 アメリカがイギリスとともにいたいと思ってくれている――もしそれが事実なら、それはイギリスにとって、この上なく幸せなことのはずだった。そう、そのはずだったのに。 (2009/12/22)
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