※妖精が出てきます。

Santa Claus is coming to...


「イギリス、話があるんだ、いいかい?」
 始まりはいつも同じだった。
 忘れようのない確執こそあったものの、それでも今でも昔と変わらず愛しい弟分――いや、一度拒絶された分、愛情は以前より増したかもしれない――が、いつになく思いつめた表情で自分を呼び止める。自分はそれに何の違和感も覚えずに、むしろ久々に声を聞けたことに内心喜んだりなどして、人気のない方向へと進んでいく彼においそれとついていくのだ。
 やがて彼は突き当たりの小部屋に自分を招き入れ、慣れない動作で自分に向けて椅子を引いて勧めてくる。妙なことを、と思いながらもやはり常にない構われように舞い上がった自分は、彼が内心考えていることになど思いも至らないのだった。
 自身は座りもせず忙しなく部屋の中を歩き回っていた彼は、ようやく観念したように天を仰ぎ、首を振りながらこちらへ向き直る。それで自分は、ああ、彼がこれから言おうとしていることは何かとんでもなく重大なことらしい、とようやく少し覚悟をする気になる。
 だが、次いで深刻な顔から吐き出された言葉は、自分の予想を遥かに超えた――
「うわぁあああああ!」
 自分の叫び声で目が覚める――そんな朝ほど目覚めの悪いものはない。イギリスはいつもと変わらぬ寝室を見回し、ついで薄暗い部屋の中で目覚まし時計を手繰り寄せ、ため息をついた。
 また同じ夢か、と呟く代わりに、あと二時間は寝られるな、と少しは建設的な方を口にする。
 そう、起こったことは起こったこと、いつまでも考えていても仕方がない。
 日付表示も備えたデジタル時計の日付が、寝る前に見た時からまた一日、進んでいた。当然といえば当然なのだが、そのことにどうしようもなく気が重くなる。ああ、こんなアドベントは初めてだ。
 夢ならいいのに、と何度も考えた。それこそいつもあいつがバカにするような、ファンタジーとか夢とか錯覚とか、そんなものでいっぱいなイギリスの頭が弾き出したバカげたお伽噺。
 だったらきっと、自分は甘く都合のいい夢の中で、最高に幸せでいられただろうに。
 ああ、どうしてあれが現実なのだろう。
 あいつの口から出た最後の言葉を聞きたくなくて、無理矢理にも覚醒したというのに、頭の中でリフレインし続けるのは当のそのセンテンスにほかならない。
 寝付けそうにない、とイギリスは起き上がりテレビと電灯をつけた。



 事の起こりは三日前だった。クリスマスを約一週間後に控えたその日は、ほとんどの主要な国が、翌日終わる予定の某国際会議に参加していた。約一週間続いた会議は全世界が注目していただけに大紛糾し、イギリス自身も疲労が溜まっていたが、話題の中心の一国であったアメリカは、もっとすり減っていたのだと思う。傍で見ていて、疲れているなとは思っていたが、まさかそこまで思い詰めているとは思わなかった。
「水、飲むか?」
 挨拶のつもりで近づいたのに、難しい顔で手元の書類に視線を走らせていたアメリカが一向に顔を上げる気配がないので、仕方なしにイギリスは、自身の席から持ってきたペットボトルを差し出した。
 それでようやくイギリスの存在を認識したらしいアメリカは、ああ、と力なく笑った。
「コーヒーがいいよ、昨日うちの皆とずっと調整、相談でさ……あんまり寝てないんだ」
 答える声にもいつもの覇気がない。これは大事だと、イギリスは慌ててスーツのポケットを探った。
「待ってろ、買ってきてやる」
 慌てて人混みをくぐり抜けながら廊下へ出ると、ちょうど上司を迎えに行っていたらしい中国と目が合った。
 ふいと顔を逸らされる。
 ああ、こっちも張り詰めてんな。
 それで、アメリカの奴が自分であちこち出歩きたがらないわけだ。図太いように見える弟分だが、人並みの神経くらいは持っている。そのことを理解してやれるのはイギリスくらいなものだと、いつもなら半分自負じみた感情も、今は胸に痛いばかりだった。
 人一倍食い意地も飲み意地も張った彼のために、ありとあらゆる種類のコーヒーを6本ばかり購入し、腕に抱えて戻ると、弟分は「ありがとう」だなんていつになく素直な笑顔をイギリスに向けたので、思わず一本、腕の中を飛び出した。
 ほんとに大丈夫かぁ? コイツ。
 一本、二本と順調に小さな缶を空にしていたアメリカの手は、忙しなくトントンとテーブルを叩いている。こいつをリラックスさせてやる何かおもしろい話題はないものか――大変だ、シモネタしか思いつかない、俺のバカバカバカ――なんて宙を睨んでいたイギリスに、低く落ち着いた声がかけられたのはその時だった。
「イギリス、話があるんだ、いいかい?」
「え、あ、なんだよ」
「ここじゃちょっと。場所を変えよう」
 どうやら改まった話らしい。だがこの状況だし、当然仕事関係の話なのだろうと、思った。
 もちろんイギリス自身も苦しい状況とはいえ、こんな状態のアメリカを放り出してなんておけない。イギリスにできることならなんでもしてあげたい気分だった。イギリス個人の心情としては、だが。
「お前、この後の予定はいいのかよ」
「一時間後にまた皆で集まることになってる。君の方は?」
「いや、なら俺はいいけどよ……」
 アメリカは依然人でひしめく議場を抜け、エレベーター奥の階段を上った。
 やがてアメリカは廊下の端の小部屋にイギリスを招き入れた。どうやらアメリカら一団に宛てがわれた控室らしい。中には十数台のパソコンやらプリンターやらケーブルやら書類やらがひしめいており、スーツ姿の老若男女が忙しく動き回っていたが、アメリカが「三十分ほどいいかな」と声をかけると、皆解放されたような顔で、伸びをしながら三々五々散っていった。
 やはりイギリスなどとは比べ物にならない圧力がかかっていたらしいと、これだけでも知れようというものだ。散っている書類は礼儀として見ないようにしながら、イギリスは所在なく部屋の隅に立っていた。
「ごめん、散らかってて。まぁ座ってよ」
 アメリカは手近にあった椅子をこちらへ向けると、どうぞと恭しく手で示した。いつになく演出がかっていると思いながら、それだけアメリカがイギリスに要求しようとしていることは困難を極めることなのかもしれないなどとも思ってしまう。元親子の情を期待せざるをえない場面でもなければ、アメリカにとってイギリスなど小うるさい皮肉屋以外の何物でもないだろうとは、自身が一番よくわかっていたからだった。
 所在なく腰を落ち着けたイギリスを置いて、アメリカはうろうろと部屋の中を歩き回っては書類を手に取ったり置いたりしている。言葉を探しているのだろうと思った。珍しく、言いにくいことらしい。
 これまでアメリカがイギリスに非常識な要求をしてきたことは何度もあった。こんなこと頼むなんてひどいってわかってるよ、でも頼れるのは君しかいないんだ――それでもアメリカはハッキリと自身の主張を理論的に述べ、真っ直ぐイギリスの目を見て請うた。代わりと言っては何だけど、という少し汚い大人の交渉条件も既に用意して。
 だが今日のアメリカはどうも様子がおかしい。普段の「取引」と違って、準備不足なのはとりあえず見て明らかだった。
 アメリカはやがて大きくため息をつくと、首を振りながらこちらへ戻ってきた。どうやら言う決心がついたらしい。
「イギリス、ホントは言うつもりなんかなかったんだ。ずっと俺と君はこうやって、時々ケンカしたりしながら、それでも大部分は手を取り合って、隣で仕事をする――それでいいと思ってた」
 どうやらずっと胸に抱えていた一件らしい。我慢ならないイギリスの悪癖についての改善要求だったりしたら、一週間は立ち直れない自信がある。
 なんてことだ、巡り来るクリスマスを心待ちにすべきアドベントに、かわいい弟分からそんな告白をされるなんて、ああ、まったくもって自分の普段の行いが悪かったに違いない。今から懺悔室に飛び込みたい気分だ。
 イギリスは少し体を硬くして、アメリカが言葉を継ぐのを見守った。できれば目も耳も塞いでしまいたい気分だった。
「でも、なんていうのかな、ひょっとしたら俺たちは、もっと距離を縮められるんじゃないかって思ったんだ。今までだって思わなかったことがなかったとは言わない。だけど、もしも君に拒絶されるくらいなら、今のままの関係を続けた方がいいと――でもそれって臆病者の言い訳なんじゃないかなって、逃げなんじゃないかなって、ヒーローなら、ハッピーエンドは自力で掴むものだ、そうだろう?」
 バン、とアメリカはやたら深刻な顔でイギリスの両肩に手を置いた。
 その迫力にちょっぴり気押されながら、イギリスは先を促す。どうやら自分の予想とはちょっぴり違った方向に話が流れ出したらしいことに安心しつつも、やはり得体が知れないことには変わりない。
 ところがアメリカはしばし言葉を探すように俯いて、ハッキリしない。散々述べた口上は、どうやら自分自身を説得するためのものでもあったようだ。言うべきか言わざるべきか――それが問題だ、なんてな。
 どうでもいいがコイツの髪は相変わらず綺麗だ。細い一本一本が、光を閉じ込めたみたいに透き通って光る。眼前に投げ出された頭頂部を見つめながら、そんなどうでもいいことを考えた。
「イギリス」
 ようやくアメリカが顔を上げる。目のふちを彩る睫毛も、同じように綺麗だった。
「俺は、ずっと、ずっと君が好きだった。いや――愛してるんだ。俺の恋人になってくれないかい?」
 ぱちり、と目の覚めるような美しいブルーが消えたり現れたり。その動きを見つめながら、その瞳に映った自分の間抜けな顔にちょっぴりがっかりした。
 沈黙が続く。息を飲んだように喉を振るわせるアメリカに、どうやら自分は何か返答を要する言葉を投げかけられたらしいと、ようやくにして悟った。アメリカは、イギリスが言葉を発するのを待っているのだ。
「え、あ、ごめん、何だって?」
 ごめん、あんまり聞いてなかった、と素直なところを口にすれば、アメリカの目はみるみるうちに開かれ、やがてまた瞼の奥に覆い隠された。
「君は、ホントに――」
 再び眼前に広がる金糸の束。深いため息が聞こえる。
「人の一世一代の告白を聞き流すなんてひどいじゃないか」
「ごめんって」
 そんなことを言われても、イギリスの方もそれなりに疲れている。あれだけ待たされては、ついつい意識もお留守になろうというものだ。
「で、何だって?」
「いいかい、もう一度しか言わないからね、よく聞いてよ」
 脅迫じみた念を押しながら――この状況では、いきなり首を絞められても大した抵抗ができないのだからそう感じても致し方ないというものだ――アメリカは息を吸い込んだ。そうして、先程のセリフを繰り返す。
 ところがそれはイギリスの脳を素通りしていくばかりで、ちっとも具体的な概念として認識されないのだった。
「ええと、どういう意味だ? よくわからん。もっとわかりやすく話せよ。アメリカのくせにこまっしゃくれた言い回し使いやがって――」
「どこがだい? これ以上ないほどシンプルじゃないか!」
 アメリカはようやくイギリスの両肩を解放し、呆れ果てた様子で天を仰いだ。降ってくる蛍光灯が眩しかったみたいに眼鏡を外し目を擦る。
「何が不満なんだよ、女の子でもあるまいし――」
 不満も何も、きちんと解説してくれなければ本当にアメリカの意味するところも要求もわからないのだとイギリスが口を開く前に、「君ならわかってくれると思ってたけどな」とアメリカは勝手に失望じみた勝手な独り言をもらした。何に失望されているのかさっぱりわからないが、とりあえずとんでもなく頭の悪い奴になったみたいで気分は悪い。
「俺、急いでるんだ、わかるよね。明日には帰らなきゃいけないし、そしたら当分君に会うチャンスはないし、そりゃ俺だって夜景の綺麗なレストランでディナーしながら、花束のひとつも用意した方がいいかと思ったよ、でも俺たちの間に今更そんな作りものじみた演出なんているのかな、俺は俺たちの日常をそのまま延長したいと思ったんだ、そっちの方がずっと嬉しい」
 相変わらず頭がついていけないイギリスを見て、アメリカはおもしろくなさそうな顔をした。次いで腕時計に目を落とす。
「ああ、俺もう行かないと。――イヴだ、クリスマスイヴまでに返事がほしい。そしたら、今年のホリデーはまるごと俺と過ごそう。予定は全部空けてあるんだ」
 やけに熱っぽく言いながら、アメリカは再びイギリスの前に戻ってきた。しゃがみ込んで、膝の上に所在なく放り出していたイギリスの手を取る。
「簡単なことだろう、君が俺のことを好きかそうじゃないか、それだけ答えてくれればいいのに、何をそんな、バカみたいにぽかんとしてるんだい! まさか男同士だとかアホなこと考えてないよね、君のくせにそんな今更過ぎる時代錯誤なこと言うなんて許さないし、それに俺たちが一生を共にできるかもしれない同族なんて限られた数しかいないんだぞ、その中から俺は、君と、特別な関係になりたいって思ったんだ、それでいいだろう? どうせ人間みたいに子供を作るわけでもないし――」
 アメリカは早口でそれだけ言うと、「イヴだ、いいね」と念を押して部屋を出て行った。
「……結局、意味わかんねぇんだけど」
 呟くと、今閉じたばかりの扉がいきなり開いたので、イギリスはビクリと肩を震わせた。
「あと、コーヒーありがとう」
 バタン。
 部屋の空気を震わせて、それきりドアはうんともすんとも言わなかった。
 何なんだよ。
 意味のわからない物言いをしておいて、イギリスの理解力が乏しいみたいに扱われたのではたまらない。やはりもう一度解釈願うべきだとイギリスは立ち上がった。アメリカの後を追おうとするが、辺りには先程追い出されたと思しきこの部屋の住人たちが戻ってきていて、すぐにアメリカを見失ってしまった。
「……イヴまで? で、結局俺は何をすればいいんだ?」
 空に投げた言葉に、返答はない。


















(2009/12/20)



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