一年に一度、死した者の魂が黄泉より帰り来たりて再び生者と交わるとされる神秘の夜は静かに明け、さらに星は一巡り。実際に傾いているのはあちらかこちらか知れないが、とにもかくにも傾きかけた日が鮮やかな赤でイングランドの一角を彩っている光景に、当のイングランドの権現たる人物は、ふと足を止めてしばし見入った。
 目を閉じれば走馬灯のように流れゆく、今となっては事実か思い込みかすら判別できないような遥か遥か昔の出来事。
 こんな夕陽を、今まで一体自分は何度見たことだろう。
 その度に何を思ったのだったか。
 自らの傍らに落ちる影は長い。時折前髪を揺らす風はほんの少し涼やかで、ぐるぐると無為に映像を垂れ流す映写機のような今の頭には丁度よかった。街に息づく生活の喧騒すら遠く感じられて、まるで世界で一人きり取り残されたかのような錯覚に陥る。
 そんなイングランドを現実に引き戻したのは、背後から投げかけられた静かな静かな声だった。
「……やあ」
 自分の影にうっすら重なったもう一つの影。振り向かなくとも、声を聞いただけで誰のものかなんてことは分かりきっていたのだが、実際に合衆国の顔を見ると、思わず大声を上げそうになってしまった。
「な、お前、帰ったんじゃなかったのかよ」
 夕暮れ時の閑静な住宅街でみっともない叫び声を発することだけはなんとか回避して、イングランドは問うた。合衆国のホラームービー観賞大会に夜通し付き合わされること実に十時間、二人してベッドに移動する気力もないままソファで気を失うこと四、五時間。徹夜明けとは思えないほど――いや徹夜明けだからこそか――旺盛な食欲を発揮した合衆国に、夕食よりは大分控えめな批判とともに冷蔵庫を空にされ、いつもの調子で口げんかを繰り返しながら、ようやっと彼と別れたのは確かたったの四時間前だったはずなのだが。
 ところがイングランドの驚きをよそに、合衆国は自らの奇怪な行動をごくごく自然なものだとでもいうように、軽く肩を竦めただけだった。驚いているイングランドがバカみたいだ。
「なんとなーく、気になってね。お兄さんの家に行ったんだろう?」
 合衆国に告げた覚えはない。さらりと指摘され、イングランドの頭はますますこんがらがるばかり。ついてきたのだろうか、いやそれはない。
 イングランドの思考回路などお見通しらしい合衆国は、いやに鼻につく、大人びた笑みを漏らした。
「わかるよ、それくらい」
 ああ、ああ。
「……こ、こんなときばっか気ィ使うなよ、空気読めない大魔王のくせに……」
 イングランドよりずっとずっと年下の、かつては庇護し教えを授けたこともある相手。その合衆国にこんな顔をさせるだなんて、ずいぶんと情けない。
 けれど一人であれこれ考え込んでいても、らしくもなく気持ちが沈んでいくのは目に見えていたから、ただただありがたくもあった。心にじんわり染み入るかのような安心感。知らず知らずのうちに、期待していたらしい。
 情けなさ過ぎていっそ笑える。
「なんだい大魔王って! 意味不明だな。あとため息つかないでくれよ腹立つから」
「……勝手な奴」
 イングランドの照れ隠しのぼやきなどさっさと流して、合衆国は世間話のような口調で訊いてきた。
「お兄さん、なんだって?」
 それでこちらも、軽い口調で返す。実際、ずいぶん心は軽くなっていた。
「別に、いつも通り。あ、しこたまカブ食わされたけどな。相変わらずマズイの」
 並んで歩く。長く伸びた二つの影。
「……ふ……」
「何笑ってんだよ」
「いやぁ、今朝の俺とそっくりだなぁ、と思って」
「何言ってんだ俺のカブ料理は別に美味かったろうが」
「君ソレまさか本気で言ってないよね」
 影に手を伸ばせば、ぐいと握り込まれる。つながった影。季節は移り、肌寒い風が頬を撫でる。
 あたたかなてのひら。
「今日はカブ以外が食べたいんだぞ」
「何言ってんだ、帰れよ」
「ひどいんだぞ、せっかく戻ってきたのに……!」
 目が合って、二人して思わず笑った。手をつないでいたことがなんだか無性に気恥ずかしくて、それでも、どちらも手を離さない。
 あと少し。どうせあと少しで家だから。
 自分もこんな弟になれればよかったのだろうか、なんて、たまに思うことがある。
 けれどきっと自分には無理だ。
 これは合衆国だからできること。
 たくさん傷つけられて、たくさん救われた。
 ああ、だから自分は、たくさんの死の上を歩んできた自身を決して後悔しない。
 きっとこいつもそうだから。
「……ありがとうな」
 連合王国は、小さな小さな声で呟いた。返答はなく、代わりにぎゅっと込められた力が、少し痛い。


















(2009/11/1)



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