熊猫是正義!


「ぷっ、お前ばっかじゃねぇの……!」
 ブァーカブァーカ、と滑り出しから今日の高笑いは快調だ。しばらくツンデレだの酔いどれだの変態紳士だの料理マズイだの、不名誉な扱いしか受けていなかったから、久々にイジり役に回れてテンションも突き抜けるように高い。見よ、これがかつて七つの海を股にかけた大英帝国様の本気だ。
「うるっせぇよ! お前もあの魅惑の瞳にじっと見つめられてみろ? 気づくとな、財布が開いてるんだよ」
 演説じゃない、ただの会話だと彼の弟などはよく零しているが、プロイセンの力説ぶりは、まさにその表現がぴったりだった。どんどん、と拳に打たれたテーブルが震える。あとムダに声がデカイ。
 その弟は先程まで椅子を勧めたり茶菓子を出したりとごくごく常識的な客人のもてなし方の踏襲に忙しかったようだが、今は姿が見えなかった。
「まんまと引っかかってんじゃねぇぞ。俺はな、中国とは連合で一緒にやってたし、香港とだって付き合い長いんだ。せめて半値だよなー、どう見てもただのぬいぐるみだろ。何が『幸せになるパンダ』だよ……」
「プップクプー! 違ぇよ、これには何か風水的なモンがだなぁ……」
 ほら、かわいいだろうが、ほら、ともふもふの物体を押し付けられる。やめろよバカ、とウザすぎるプロイセンをあしらっていると、空になっていたカップに、淹れたての紅茶が注がれ、漂う芳香。
「ちゃんと座れ、兄さん。ところで今日は何の用だ?」
 なんてデキた弟だ――俺にはこんなムキムキはいらないけどな、と目の前のウザい物体と、どうやら茶を淹れ直しに行っていたらしい因縁のムキムキとの比較に忙しいイギリスは、その一言で持参したものの存在をようやく思い出した。
 敵味方に分かれいがみ合っていたのはもう過去の話。しかもこちらの勝利で決着したのだから、このイギリス様自ら腕を振るってやるのもやぶさかではないのだ。
「あーそうそう、そうだった。絶対また食べに来いって言ったのに、お前がなかなか来ないからさ、しょうがねぇから俺自ら作って持ってきてやったぜ!」
 料理は出来たてのほかほかが一番、といつもどこぞのヒゲがうるさいから、この日のためにわざわざ保温用のランチボックスまで買った。
「今度は自信あるんだ」
 得意げな色が前面に出てしまわぬように、注意深く表情を取りつくろいながら、テーブルの上で包みを解いていく。何気ない顔をしていた方が、のちのち「おいしい!」と満面の輝く笑みで絶賛されたとき、「そんなことねぇよ、今日のは失敗作」とどこぞのワインのように気取った言い方ができるではないか! 今日のためにウインクまで練習した!
 ところが目つきの悪い二人はさっと顔を見合わせた後、すばやくテーブルを離れた。それまでのんびり床に寝そべっていた大型犬が、急にこちらを見て唸り出す。
「では兄さん、俺はこれで。後は流しに置いておいてくれ」
「あ、テメ……! お、俺もちょっと腹の調子が……」
 まぁ、よく見もしないうちから何て態度だ。これだから偏見はよくない。
「お前らなぁ……! 一口も食べないうちから……、今日のはマジ自信あるんだって!」
「なんだよその気持ち悪い液体とも固体ともしれない……それを他人に食わそうっていう神経が信じらんねぇよ、俺はもう騙されない。香港には騙されても眉毛には騙されない。だいたい、テメェで味見したのかよ?」
 しまった味見なんてしてないぞ、普通するもんなのか――いつも料理に夢中になると、そんなことはすっかり忘れてしまうのだ。今日こそ完璧だと思ったのに、まさか手順に手落ちがあったとは。冷や汗を隠しながら、何とかその場を誤魔化すべく尽力する。
「アァ? どっかの忌々しいヒゲみたいに小さいこと気にしてんじゃねぇよ!」
「質問に答えろぉおお! ――おいヴェスト、どこへ行く」
 よーしいい子だアスター、ブラッキー、ベルリッツ、空気のいいところに散歩に行こうな、なんて極めて自然な動作でリビングを後にしようとしていた背中がピタリと止まる。いけない、大英帝国ともあろうものが、獲物を一人逃がすところだった。
「敵前逃亡は許さねぇ、上官命令だ!」
 何が敵だ。
 しかしなるほど兄弟だけあって、こんなゴツくて強面の弟の扱い方を、プロイセンはちゃんと心得ているらしい。なぜか急に軍人の顔になった弟は、ドアの隙間から犬3匹を廊下へ追い出し、キッとイギリスを睨みつけてきた。
「……では訊くが、それは一体何なんだ? きのこスープか?」
「ビーフシチューだ! わざとか? お前ボケとかキャラじゃねぇだろ!」
「ビーフシ……」
 顔を見合わせてよくわからないリアクションをするのは本当にそろそろやめてほしい、慣れているとはいっても泣きそうだ。
「あとな、パンも焼いてみたんだぜ」
 ランチボックスの下の段にはシチュー、上の段にはライ麦をたっぷり使ったお手製の。誰が見たってよだれが垂れるだろ。
「パ……」
 隣の弟が「パンとは何たるか」とでも言い出しそうな深刻な顔で哲学的論考に陥っていると思しき中、プロイセンは露骨に失礼な嘲笑を洩らした。
「初心者以前のくせに意味不明な跳躍すんなよ。チキンのなれの果てかと思ったぜ」
「ばっかお前、オーブン使わせたら俺の右に出る者はいないんだよ!」
 これは世界の誰もが認める真実だと信じていたのに、二人はまるでそんなセリフは聞かなかったかのように、いや、そもそもイギリスなどという来客はなかったかのように、正午を少し回った壁時計を見上げると、わいわいとキッチンに引っ込んでいこうとするではないか。
「あー、オーブンと言えばお前の……げふん、いつものクーヘン食いたい」
「メープル練り込んでな」
「おぉ、それいいな。さすがヴェスト」
「だがその前に昼食にしよう。この間奮発して買った白ヴルストがまだあるんだ」
「おー、ビールが進むな!」
 だいたい、プロイセンは手伝うでもないくせに弟に纏わりついて行くことはないと思う。
 それから、まだ帰るとも言ってないのに茶菓子を片づけていく弟の神経もどうか。
「え、おい、だから昼食ならここに……」
「あー、いつもの昼メシ食ってビール飲んでヴェ……知り合いの作ったメープル入りクーヘン食えるなんて俺マジ幸せー、これってパンダ効果じゃね? やっぱ風水はすげーなー」
「ふむ、中国も料理は上手いからな。パンダもよく見れば犬のように賢そうではないか」
 そんなことはないと思う、とツッコむ間もない。
「しかし、汚れるから昼食の前にパンダはちゃんと片付けて来い」
「おー、任せろー」
 完全に来客などアウトオブ眼中である。どういう育ち方をしたのか。これだから大陸の奴らなんて嫌いなんだ!
「おい! おーい……」
 と、いうわけで、ぽつんと一人リビングに残されて、遠くにテンポよく繰り出される二人のどうでもいい会話を聞きながら、イギリスは今解いたばかりの包みを元通りに戻す孤独な戦いに従事しなければならなかったのだった。
 帰り際には玄関先で犬に吠えられた。何てことだ。



「あー腹立つあいつら!」
 俺は、何か、間違っていますか!
「だからって何でそれを俺ん家に持ってくるんだい……わざわざ」
「もったいねぇからに決まってんだろ!」
 遠路はるばる大陸を違えて来たせいで、自信作はすっかり冷め切ってしまっていた。
 勝手知ったるキッチンでイギリスが皿やらレンジやら拝借している横では、どこぞのムキムキよりは大分かわいげのある顔つきの弟分がスナック菓子を頬張っている。
「お前、今から昼食だって言ってんだろ。太るぞ」
「時計見てくれよ。昼食どころか夕食だぞ」
「いいんだよ別に! あーもう、パンは焼き直したら焦げるかな……」
「君の『焦げる』の定義が激しく気になるけどなんかもうどうでもいいや」
「表面全体が完全に真っ……」
 訊かれたから答えただけだというのに、途中で遮られた。
「で、今日の生物兵器は何なんだい? きのこスープとローストチキン?」
「わざとか! お前いつの間にドイツと通じてたんだ、え? あれだろ、俺が傷心のまま飛行機乗ってる間、お前は楽しく電話でおしゃべりか!」
 なんて奴らだ、まさかアメリカに俺のことを面白おかしく誇張して捻じ曲げた事実を告げて笑い飛ばそうだなんて……なんて姑息な!
「何の話だよ……」
 投げつけたスプーンを軽々キャッチして、空になったスナックの袋をガサリとゴミ箱へ放ったアメリカは、「今日は新しくオープンした店の特製ハンバーガー食べに行きたかったのに」なんて口を尖らせながらも、食事中いつもテーブルに置いているコーラの2Lボトルを冷蔵庫から取り出している。
「またそんなモンばっか食って」
「ホントにおいしいんだぞ、自然栽培された野菜しか使ってないんだって。それにビーフの厚みがこんなにあってさ! 秘伝のマスタードソースが売りなんだ。今度行こうよ」
「今、俺に『マスタード』とか言うな」
「なんでだい、変な人だな」
 アメリカはコーラを準備して食卓の上に積み上がっていた書類をどかしただけでまったく手伝わなかったが、温め直すだけの食事はすぐに揃った。
「お前コーラでいいのかよ、水は?」
「飲みたきゃ入れなよ」
 いよいよ二人食卓について、アメリカがフォークを手に取る。
 今度こそ「おいしい!」なる賛辞を受けるべく、顔を取りつくろいながらイギリスは逸る鼓動を押さえていた。
「はい、あーん」
「え、あ、あ……」
 ところがまったく予想だにしていなかった方向から、肉片を突き刺したフォークが現れて、イギリスは思わず口を開けてしまっていた。口の中に滑り込んでくる舌触り、香り、味。
 うん、あぁ、まぁ、なんていうか、なんていうか。
 ざ、残念な出来だ。とてもじゃないがフランスやドイツや中国が普段食べているものには及ばないだろう。
 自分としてはまぁ、いつも通りというか、マズくはないのだが、今回は上手くいったと思っただけに、正直肩透かしを食らった気分だった。まったくいつも通り。シチューは少し水っぽくて、ところどころダマがあって、具材は魂を抜かれたように味気も歯ごたえもない。
「ふーん、そういう味か、よしオッケー」
「テメェ、俺を実験台にすんなよ!」
「いや、心の準備って必要だろ?」
 パンも硬くて中はちっとも膨らんでおらず、ところどころ生焼けで、かつ表面は苦いほど焼けていた。スコーンならもっと上手くできるのに。
 あーあ、あいつらが失礼なのは分かり切ってた。期待する方がバカだった。でもアメリカならひょっとしたら「おいしいよイギリス!」と笑ってくれる気がしていたのだ。
 フォークをくわえてちらりと見上げると、アメリカは行儀悪くテレビのチャンネルを弄りながら、無表情のままがつがつと目の前の料理を流し込んでいる。
「……なぁ、う、うまい、か?」
「そんなわけないだろ」
 一蹴された。
 期待なんてしてなかった! うん、してなかった!
「……だよな……うん、今回は上手くいったと思ったんだけどな……」
「味見もしてないのにその自信はどこから出てくるんだい」
 なぜバレている。くそ、やっぱりあいつらが俺のアメリカを……!
「い、いや、それはちょっとうっかり……あ、あれだよ、いつもは忘れたりしねぇんだけどよ、ちょっと今回は喜びでアドレナリンがな……!」
「いつもしてないだろう」
 返す言葉もない。
「おい、テレビ見ながら食うのやめろよ、行儀悪いぞ」
「あーもう、出た出た。君が辛気臭い顔してるからだろ」
「それからペットボトルラッパ飲みすんな」
 ああ、やっぱり「おいしいよイギリス!」なんて言葉をじっと待っているより、こっちの方が性に合っている。気になること全部指摘して、世話を焼いて、ちょっと煙たがられたり、拗ねられるくらいが丁度いい。
「いちいちコップに移してる時間はないんだよ、こっちは戦いの真っ最中なんだ」
「は?」
 いつの間にやら最後の一個になっていたパンを一口で詰め込んで、アメリカはまた、コーラのボトルを傾けた。すでに半分以上ないってどういうことだ。初めは満タンだったはず……。
 その上、さらに不健康な発言。
「食後にアイス食べたいな……」
「スコーン作ってやろうか。俺、最近お前の健康も考えて、野菜練り込んだりしてみてんだ、ニンジンとか、かぼちゃとか」
「ノーサンクス」
 にこやかに言い放ったアメリカの手からカチャリとフォークやスプーンが滑り出れば、それで食事は終了。
 ああ、昔からこいつ、食後はアイスじゃないとダメだったっけ。
「じゃ今度作って持ってきてやるよ」
「その時は一緒に伝説の読める空気を探しに行こうか」
「……何だそれ? また冒険の話か?」
「あー、あとついでにカナダも探しに行こう。一人分の負担を減らすんだぞ」
「なんだそれ、カナダは探さなくてもいるだろ」
「どこにさ」
「えーと、あれだ、うん、その、……ええと」
 二人顔を見合わせて笑った。なんだかもう、すべてがどうでもよくなった。
 君に皿洗いさせるとすすがないからな、なんて意味不明なことをぶつくさ言いながら(すすぐって、洗濯じゃあるまいし)、手伝ってくれるアメリカも、大概デキた弟だと思う。もちろん、アイスを食べ終わってからではあったけど。
 この弟は、よほどアイスが好きだ。「あー、生き返ったんだぞー、幸せー」だなんて。
 ああ、本当に幸せだ。
 食事ってのは何を食べるかじゃない、誰と食べるかだ、きっとそう。
 見ろ、ファッキン二人組。パンダなんかなくたって、俺はこんなに幸せだ。
「だいたいあいつら兄弟そろってオカしいからな、うん、きっとそうだ。常人とは感覚が違うんだ」
「あぁ、それには激しく同意だね」
 ハハハ、とアメリカは皿を拭きながら笑う。それに気をよくして、俺はようやく、先程の鬱憤を晴らせた気持ちになった。
「さっきもな、『幸せになるパンダ』とかいって、こんくらいの、ただのパンダのぬいぐるみなのな、それを高値で買っちゃって、ばかじゃねぇのって感じ」
「……え?」
 ハハハハハー、と続いていたアメリカの嘲笑がぴたりと止まる。
「何が風水だ、ただぼったくられただけだろうがよ、バーカバーカ! そんなのに引っかかるなんて、どんだけ幸薄いんだよなぁ!」
「……ウ、ウン、ソウダネ……」
 なんだかアメリカに元気がない。さっきから同じ皿をどれだけ拭くつもりか。
「どうした?」
「い、いや? 何でもないでゲイツ」
「語尾おかしいぞ」
「あぁー、そうだ俺シャワーを浴びてこよう!」
 さっさと皿と布巾を置いて不自然に出て行く背中を追いかけてみれば、テレビの横に置いてあった何かをさっとポケットにしまうのが見えた。
「おい」
 声をかければ、ギッ、と奇妙な声を上げてそのまま振り返りもせず硬直している。
「なっ、なんだい?」
「何か隠してるだろ!」
「隠してないよ! ちょ、国家機密……!」
 しばらく揉み合うが、この体格差では勝ち目はない。
 しかし、かつて類稀なる才智で世界に君臨したイギリス様を舐めてもらっては困る!
「あーっ、巨大なドーナッツ!」
「えっ? あ、ちょ、不意打ちなんて卑怯なんだぞ! サイテーだよ!」
「なんだこれ、石ィ?」
 よく見れば何やら金色で刻んである。

 "幸せになる宇宙の石"

「だ、だってトニーが……いや、これには宇宙の神秘的な何かが……古代文明のオーパーツが……」
「お前、バカじゃねぇの。あんな人外の言うこと信じんなよ」
「いいじゃないかぁ! もう、イギリスにはこのロマンがわかんないんだよ! いいよもう!」
 完全に拗ねてしまった。
 ソファの上で丸くなるアメリカに、なんだか急に庇護欲を刺激される。なんだコイツ、もうすっかりデカくなっちまったと思い込んでたが、まだまだかわいいところもあるんじゃねーか……。
「お前……そんなに幸せになりたかったのか……。何なら俺が、その、これは極めて危険な禁術なんだが、あの召喚魔法に挑戦してもい……」
 こんなこと言うのはお前にだけなんだからな、お前だから、俺は……。
「君、バカじゃないの」
 お前だから……。
 ああ、やっぱりパンダ、俺も欲しいかもしれない。
 正直、泣きそうだ。
















 俺様CDにのっかった米英+独+普のつもりでしたがしょせん流されやすい私なので米英+独普になった…orz 兄弟は正義!
 俺様CD聴いてると、平和っていいな、って思いますよね……


(2009/9/13)



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