どうなさいました?
 え? 毎年この時期になると体調が悪くなる?
 それはいけませんねぇ。ちょっと失礼。
 風邪、ではなさそうですね……ハテ。
 ええ、どうぞ、五日になるまでゆっくりこちらで休んでいかれてください。ええ、もちろんです。現地時間の五日で構いませんよ。うちは東の最果てと言っても過言ではないくらいですからね、うちで五日になっても、あちらはまだ四日の真っ最中でしょう。ちゃんとわかっていますよ。
 ……おや、退屈、ですか?
 困りましたね……テレビもネットも生憎こちらの部屋にはご用意できませんし、本もお気に召すようなものは……。
 あぁ、ならばしばしの間、私が物語などお聞かせするのではいけませんか?
 ほんの退屈しのぎです。心の底から笑っていただいて、少しでもお加減がよくなればよいのですけれど。
 ああそうだ、せっかくなので皆さん、何ならテーマを決めて、順々にお話をお聞かせしませんか? 面倒くさいって、そう言わずに。相手は病人ですよ。

 では言い出しっぺの私から。
 テーマはそうですね、お聞きいただく方に、決めていただきましょうか。


七月四日物語


 第一話

 極東の島国、かく語りき。

 運命の意地の悪さにも負けず、最後には幸運を掴む話、ですか……そうですねぇ、ああ、ではこんな話がよいかもしれません。あれは去年のことでした。私が七夕祭りの露天での商売に忙しかった時のことです。あぁ、えぇ、まぁ夏の一種のお祭りですよ。七月七日をこのあたりでは七夕と呼んで、こんな風に祝うんです。
 大きな飾りが街を彩る、我が国でも五本の指に入る大規模な七夕祭りでのことでした。
 何せ天気にも恵まれて稼ぎ時だったものですから、屋台のこちら側は戦場と化しておりました。浴衣姿の老若男女がひしめき合い、注文は錯綜、お勘定も混乱のままに流れ作業、という事態です。あぁ、いえ、毎年のことなのですよ。むしろその熱気がお祭りムードを盛りたてるのです。そんな状況でも、一日九十万は売上があるんですよ、すごいでしょう?
 そんな目も回るような熱気と忙しさの中です、浮かれ騒ぐ人ゴミの中に、場にそぐわぬ知人の姿を見つけたのは。
「ヘイお待ちッ、お次の方も1パックでよろしいですか! ……と、イギリスさんじゃないですか」
「あぁ、日本……家行ったらここだって聞いてな……すごい人だな……」
 だから私一人暮らしですって、と言おうと思ったのですが、そこで、あぁきっと親切なお隣の方が教えて下さったのだろう、と私は言葉を飲み込みました。
 通行人の流れに押されつつ、イギリスさんはようやく店の前まで辿りつきました。
「どうなさったんですか、これはまたいきなり」
「あ、いや、まぁ、ちょっと一人でいたくなかっていうか。そう、急に一人旅がしたくなったんだ」
「そうですか、あ、たこ焼き食べますか?」
 複雑怪奇な欧州事情には慣れ切っていたもので、流れ作業的に出来上がったばかりのたこ焼きをパックに詰め、輪ゴムをかけた私は、ついクセで差し出してしまったそれに苦笑して、にこり首を傾げました。一方のイギリスさんは、相変わらず通行人に背中を押されよろめきつつ、つい受け取ってしまった手の中の温もりに戸惑っているようでした。
「……不思議な匂いだな」
「おいしいですよ。あ、召し上がるならどうぞこちら側に回ってきてください」
 そこに立たれていると邪魔なので、とはさすがに申しませんでしたが、今も小銭を握りしめた子供が手を差し出していました。ああ、商売繁盛!
 イギリスさんも、これ以上通行人にぶつかられるのは御免だと思ったのか、こくり頷いて、お隣の露天との間をすり抜け、戦場たるこちら側に回っていらっしゃいました。ガスボンベやらクーラーボックスやら簡易金庫やらがひしめく舞台裏手はずいぶんと手狭でしたが、そこでイギリスさんはホッと一息つかれたようでした。
「熱っ……」
 おっかなびっくり、ふにゃふにゃした球体を口に運んだイギリスさんが慌てたようにはふはふするのに笑って、私はペットボトルのお茶を差し出しました。
「なんだこれ……また不思議な味が……マヨネーズ……」
「お気に召しませんか」
「いや、うん、まぁ、まずくはないな。なんだこの中の堅いの」
「タコです」
 湯気を放つたこ焼きをふぅふぅと冷ましながら、活気あふれる街を見つめて、イギリスさんはなんだかぼんやりしているように見えました。
「せっかくなので、他にも露天を回られますか? 休憩をいただいて来ましたので、ご案内しますよ」
「え、いいのか。悪いな急に押しかけて……」
 イギリスさんがいらっしゃった理由に薄々勘付いていた私は、ただ笑うに留めました。今頃海の向こうでは(のみならず、我が国内の基地でも)盛大なパーティが催され、ひっきりなしに花火が上がっていることでしょう。
 我々「国」を集めた彼個人の盛大な誕生パーティは、さすがに我々も多忙なので毎年行われているわけではありませんが、それでも十年ごとだの何らか理由をつけてはしょっちゅう催されておりましたので、私はその日が何の日であるかを、嫌でも記憶していたのです。たぶんイギリスさんは私以上に、心に刻みつけるようにして「その日」を意識していらっしゃったことでしょう。それこそ、何百年もの間。
 私は彼の意識を今日というこの日からそらすべく、三日後に迫った大イベントについての解説を始めました。
「七月七日は我が国では七夕というんです。昔中国さんから教えていただいたお話によりますと、織り姫と彦星という二人の恋人たちが、この日だけは天の川を超えて、一日限りの逢瀬を果たせるんだそうですよ」
「それで、数日前からこんな祭りをやってるのか……すごいな」
「祭りの開催は休日に合わせて変動するんです。商売ですから。だから当の七月七日を含まない年もありますよ」
 本末転倒だが、要は気分の問題なのだ、と言えば理解を得られたらしく、イギリスさんはようやく笑ってくださいました。
 道路という道路が、今日ばかりは人に埋め尽くされて乗車率200%。
「こんな小さい国のどこにこれだけ人がいたんだって感じだよな」
「我が国はイギリスさんより大分、ぎゅうぎゅうしてますからね……」
 ロンドンのチューブでいつものようにぎゅっと詰め込まれようと奮闘したらイヤな顔をされたことを思い出し、私は苦笑しました。そんなゆったりした都会生活も羨ましいものですが、今日ばかりはこの雑踏が賑々しく、楽しくもあります。
「夜には星が見えますかねぇ……曇ってしまうとせっかくの恋人たちも会えなくなってしまうという話がありまして」
 イギリスさんは「そうなのか」なんて相槌を打ちつつ、心ここにあらずといった風でぼんやりしたままです。
 いったい何から逃げたくて、たったお一人でこんなところまでいらしたのやら……。
「かき氷はいかがですか、りんごあめ? やきそば?」
 なんといってもお祭りですから、私だけでも明るく振る舞えば、ひょっとしたら楽しんでは下さらないだろうかと、かき氷の露天の前に手を引いてイギリスさんをお連れしますと、ブルーハワイだのコーラだのいうシロップがセルフ式で並んでおりましたから、私は即座に自身の失敗を悟り、慌てて方向転換いたしました。
「やっぱりわたがしにしましょう! 疲れていらっしゃるときは冷たいものでお腹を冷やすより、糖分をとった方が」
 ですが、イギリスさんの目は色とりどりなシロップに向けられたままでした。
 青い青いかき氷を喜んで持って行く子供に、誰かの姿を重ねているのでしょうか。
「なんだっけ、なんとか姫と、なんとか言う恋人? それと俺たちはちょうど逆だよな」
「イギリスさん」
「……一年に一度だけ、逢えなくなる」
 ああ!
 今頃どこで何をしているのかあのメタボ!
 私は無理にはしゃぐことをやめ、道の端で休憩することにしました。目の前を通り過ぎるは、紫の朝顔、真っ赤な金魚。綺麗に着飾って、夏を心待ちにする顔がここには溢れているというのに。
「イギリスさん、これにお願いを書いてあの笹につるすと、願いが叶うと言われています」
 恋人たちが肩を寄せ合って笑い合っている。けれどその裏で、私のようにここぞと稼がねばならない大人の事情に引き裂かれた恋人たちもいたことでしょう。
 物事は一面だけでは見えないものです。華やかな祭り、浮かれ騒ぐ人々の裏側に、まったく別のものが、あるかもしれません。
「……あぁ、でも、俺は何を願ったらいいのかわからない」
「おや、優しいあなたが願うことは、昔も今もたった一つとお見受けしておりましたが?」
 ここにいる晴れやかな顔のいったいいくつが、そういう世界の仕組みを知っているのでしょうか。
 知らなくとも遅くはありません。すべての人が同じ時間に、まったく同じ苦労をすべきとは思いません。だって私たちはいつも支え支えられて生きています。
 ただ心から、その心の高揚をもたらしてくれる理解してくれる支えてくれるすべてについて、感謝すればいいだけのことです。
 見守っていると、イギリスさんは筆をとりました。
 書かれた内容をそっくりそのままお話するのは、なんだか私がじっと盗み見ていたようで心地悪くもありますし、私もそれほど英語は得意ではありませんので、ここは一つ、我が国の便利な四字熟語に要約してお伝えすることにいたしましょう。
 すなわち、世の誰もが願うことです。大切な人と、ささいな幸せをいつまでも。
 無病息災、家内安全。


 第二話

 私がこのように語り終えると、退屈だとおっしゃった当の本人は、ぎゅっとシーツをかぶって丸くなっておられました。
 声をおかけしようとしたのですが、それを遮る手があります。
「それじゃあ次は俺が話そうかね」
 かくして、当初の予定通り、一人一人が話をしていくというこの会合の趣旨は、聞き手を欠いたまま続行されることになりました。

 美と愛の国、かく語りき。

 今の話聞いてて、お兄さん思い出したよー。あれは一昨年のことだった。そろそろ暑くなってきて、バカンスが恋しい七月初頭のことさ。
 俺はちょっくら田舎の風を吸いたくて、プロヴァンスを訪れた。そこで出されるスパークリングワインがお兄さんの最近のお気に入りなんだ。俺が優雅に黄金色の液体に満たされたグラスを揺らしていると、そこにお兄さんの静寂を打ち破る厄介な来客があったんだ。情緒も何もなく、トラックの荷台から騒ぎやがってなぁ。
「捜したぞフランス」
 奴は忌々しいほど颯爽と地面に降り立ったかと思うと、トラックの運転手に「Thank you」なんてどこまでも自己中心的な礼を投げつけた。おい、そこは「Mercy」だからね! 図々しくもヒッチハイクしておいて何なのこの子!
 トラックのムッシュウも苦笑だよそりゃ。
「どうしたのお前いきなり」
 イギリスがこんなに熱心に俺のことを捜すなんてよっぽどのことだ。俺に並々ならぬ恨みがあるか、とんでもないことを企んでるか……。
 うーん、お兄さん、心当たりがなさすぎる。清らかな一般市民だもん!
「なんか元気ないねお前」
「アァ? 頭だけじゃなくついに目まで悪くなったのか?」
 いつもながら柄の悪いこと。許可も取らずにどっかと俺の座ろうと思っていた椅子に腰かけてしまう。吹き渡る風は心地よい。
 イギリスはやはり沈んだ顔で前方の何かを睨むような表情を保ったまま。
 いつもならもっとうるさく噛みついてくるし、手や足の一つだって出てる頃だ。
 あ……。
 お兄さんコロッと忘れてたけど、思い出しちゃった。今日が何の日だったか。
 参ったなぁ、あのガキどこで何やってんだよ。
 そんなの簡単だ。自国で盛大なセレモニー。俺だってそうする。当然の行いだ。
 でもイギリスにそれを笑って耐えろってのもな……。一人が嫌で飛び出してきたのか。俺のとこ以外に行くアテもないなんて、なんだか一層哀れじゃねーの。
 お兄さんはそう思ったから、とっておきのボトルを目の前でどんどん空けていく困った坊ちゃんに敢えて何も言わずに、お気に入りのシャンソンを口ずさんだわけだ。
 さっさと一本目のボトルが空になって地面に転がる頃には、蒸留酒好きのどうしようもないコイツには珍しく、既に顔はすっかり赤らんでいて、俺をじっと見て一言。
「お前、オンチだなぁ」
 カチーン。いくら穏便なお兄さんにも限度があるよ?
「ロックばっか聴いてて、舌だけじゃなく耳もおかしくなったんだろ」
 イギリスは俺の愛のたっぷりこもった嫌味を聞いているのかいないのか。ほぼテーブルに突っ伏しながら、空になったグラスを振りながら舌足らずに言う。
「でもお前のワインは世界一だ」
 それはおかわりってことですか。
 こういう日だけ、思い出したように甘えたってダメなんだぞ。
「お前も可哀想な奴だねぇ。俺みたいなダメな男にしか甘えられないの?」
 反論してくるかと思ったイギリスは、妙にしっかりした眼差しで、前方を見据えている。
「そんなことない。今日だけだ。今日を過ぎれば、またあいつが帰ってくる」
 ……そんな厄介な二人のママゴトなら、他人を巻き込まないでほしいもんだ!


 第三話

 二番目の話し手、フランスさんが愛について切々と語っていらっしゃる間に、いつの間にやら日付は変わっておりました。もちろん、海の向こうの大国の時計で、です。話の途中で、この物語会には参加者が一人増えていたのですが、ベッドの上でむっつり丸まっていらっしゃった聞き手には気づかれなかったようです。
 フランスさんが話し終わると、三番目の話し手が指定される前に、招かれざる客は静かに口を開きました。どうやら、今日のお話は彼のターンで最後になりそうだと、私は人知れず胸をなで下ろしました。記念日の過ぎ去るのはいつも早いものです。

 世界のヒーロー(自称)、かく語りき。

 今の話聞いてて、俺も思い出したんだけどね。
 あれは一昨年と去年と……それから三年前、四年前、五年前……とにかく毎年のことなんだけどさ!
 日時はうちの家が七月五日になって間もない頃さ。街は祭りの余韻で、まだまだ皆浮かれ騒いでる。街中に翻る旗、陽気な歌をくぐり抜けて俺は走る。世界のどこにいるかもわからない、最愛の人を迎えに行くために。
イギリスの気持ちを踏みにじるのは俺の特権だって、常日頃から思ってるけど、毎年この日だけは、俺だって君を傷つけたくなんかないさ! と大声で叫んで回りたくなる。けれど君はきっとそれを許してはくれないから。俺たちはそれでも、二人で手を取ってどんなことも乗り越えてきっと先に進むから。
 だから今日だけ、今日だけ頑張るんだ、世界のヒーロー、いや、たった一人、愛しい君だけのヒーロー。
 エアフォースワンにたどり着くまでの間に、俺は片っ端から電話をかける。今年はどこで憂さ晴らしをしてるの?
 またですか、呆れたような苦笑に何度遭っても気になんかしない。だってこれは俺たち二人に必要な儀式。
 俺は昨日、七月四日という誇るべき日を祝うことをやめるわけにはいかないし、君も手放しでそれを傍観できるようになったりしちゃいけない。そんなに軽々しく片づけてほしくなんかない。あの日間違いなく、俺たちがこの手で歴史を動かした。これは、地球が消滅するまで決して、なかったことになどならない、とんでもないことなんだ。
 だから俺は、七月五日になったその瞬間、たとえこの心臓が肺が張り裂けようとも、地球の裏側にだって、海の底にだって、君を迎えに駆けつけるよ。君が張り裂けそうな胸を抱えて俺の包容を待っていてくれるなら、こんなのは、こんなのは何ともないんだ。
 だって俺はヒーローだからね!

「ある時はユカタビジンに夢中だし、ある時はオオカミの前で酔いつぶれてるし」
 アメリカさんは、恨みがましく、ベッドの上のシーツの固まりにそう声をかけました。それまでウンともスンとも言わなかった真っ白な人型が、ぴくりと震えました。
 かと思えばバサリと、翻る白い布。
 それが投げつけられたのだとわかったのは、先ほどまでアメリカさんの立っていた場所に今度は白いオバケが出現したからで。
「うるせぇバカ! こっちはなぁ、一日くらいはと思って、非常識などんちゃん騒ぎを容認してやってんだから、こっちにだって一日くらい好きに落ち込ませろよ!」
 ぜぇはぁと言い募った顔は歪んでいました。涙をこらえて失敗したように震える唇。
「あーあー、まったく寛大な恋人を持って幸せだよなおまえも!」
 ついには、いつも気丈な声までビブラート。
 ようやく白いシーツを剥ぎ取って顔を出したアメリカさんはと言えば。
「笑うな!」
 いいえあれは泣いているのではないでしょうか?
 私の問いも寄せ付けず、イギリスさんはただ、笑うな、と。
 そっと肩を叩かれて振り向けば、フランスさんのウインクがそこにありました。気づけば部屋にいたはずの皆さんの姿もありません。おや、私としたことが、観察に夢中になって空気を読み違えるとはコレ失態。
 ええ、ええ、しばらく二人っきりにしておきましょう。
 まったく、毎年こんなことを繰り返すのだから、お二人ほど幸せなカップルもそうそういないというものです!















 すいませんちょっと遅刻した……orz
 でも俺の家ではまだ四日なんだぞ☆ ってことで…ダメですよね…

 メリカハッピーハッピーバースデー!


(2009/7/5)



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