1827年7月17日 ロンドン 「なんだ、今忙しいんだよ」 「うん、知ってる」 俺は相変わらずの仏頂面で俺を出迎えた家主を無視して、ずかずかと家の奥に入り込んだ。 始めこそ「おい」と制止の声を上げていたイギリスは、やがてため息をついて、キッチンへ向かった。お茶でも入れてくれるのだろう。 「このあいだ……」 すぐにお盆に乗せたティーセットを運んできた彼は、目の前でお茶をくんでくれながら言った。 「うん?」 「酔っ払ってぶっ潰れたらしいな、ヒゲが散々零していったぜ。……あんま、浮かれんなよ」 彼からその話題に触れるのは珍しかった。彼はこちらが招待状を送ったことにも気づいていないかのように、いや、それどころか、そんな記念日が存在することすら全否定するかのように、無視し続けたものだったから。 「浮かれてたわけじゃないよ、ヤケ酒、かな」 「……どうして」 「何が」 「めでたい日なんだろ」 イギリスは言いながら、鼻で笑った。心の底からの嫌悪がそこには混じっていた。俺は揺れる茶色を見つめながら、きゅううと胸が絞られる想いを感じる。 「うん、そうなるはずだったんだけど」 どうしてだろう。毎年毎年、本当に誇らしかった。楽しくて嬉しくて、幸せな記念日になるはずだった、今年も。去年もおととしも。 だが欲張り始めたところから、少しずつ俺の中での意識が変わっていった気がする。 イギリスを誘おうと思った。 この祝典は、彼を迎えて初めて完成し、自分にとって意味のあるものとなる。そんな気がした。 俺は何かが欲しかった、けれどそれは与えられなかった。 俺の人生で一番誇らしい日に、君がいるということ。 どうして、そこまでこだわるのか自分でもわからない。 彼にとってはきっと、浅ましい自分本位の確認作業程度にしか映らないのだろうけれど。 じっと翠の目を見つめると、独立記念日の話題を振ったことを後悔するかのように、それは不快そうに背けられてしまった。 「茶、飲んだら帰れ。マジで忙しい」 「うん」 イライラと神経質そうに脚を組み換えたイギリスは、自分のカップを瞬く間に空にし、かつん、と彼らしくもない音を立ててソーサーに置く。 できる限り滞在時間を引き延ばそうと、ちびちび紅茶に口をつけていた俺は、ふと、思いつくままに口を開いた。 「来年は……」 「あ?」 それはまるで、子どもが突拍子もない夢を語る時のような純真さをもって、俺の喉を通り抜けた。発した瞬間に、大人たちの反応など微塵も考えることなく、ただ言いたいから言うのだ、という性質の。 そして大抵は、言ってからひどく後悔する類の。 「何をしたら、来てくれる?」 サッと変わった彼の顔色を見て、案の定俺は後悔した。苦虫を噛み潰して、なおかつ呑み込んだかのような顔をして続く展開に耐えようとしてみても、言ってしまった言葉は呑み込むことができない。 「……一生行かねぇよ」 イギリスは驚くほど冷たく言い放ち、そのまま振り返ることもなく、部屋の外へ出て行ってしまった。パタンと、気味が悪いほど静かにドアは閉じられた。 俺は、温かい紅茶のカップを握りしめたまま、声もなく泣いた。 俺が悪いのだろうか。 俺は彼を傷つけたのだろうか。 俺は彼を裏切ったのだろうか。 彼に嫌われたかったんじゃない。俺は彼を認めていたし、俺は保護者としての彼が大好きだった。それを知っていてほしかった。 彼も当然、それをわかってくれているだろうと確かめたかった。 独立は、君を裏切る行為ではない。 わがままだけれど、その確認作業に、君を巻き込みたかった。 君があの場で笑っていてくれたなら、俺の心のしこりはもう、何もないから。 本当にわがままだ。俺は本当に。 とっくの昔に、俺は彼に、失望され嫌われてしまったというのに。 ああ、俺は彼がすきなのかも、しれない。 すきなんだ。きっと狂おしいほど好きだった。 (2008/7/2)
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