カナダさんの受難




 相変わらず、ぴょこんと跳ねたバカみたいなアホ毛。ああ、アホだからな。
 あんなのが俺と「似てる」なんて、笑える話だ。
 あまつさえ、本気で俺と間違える奴までいる始末なんだから、ますます胸糞悪い。どうでもいいって言えばどうでもいいけど。
 でも、どうでもよくないときだってあるんだ。
「カナダー」
「な、なんだいアメリカ」
 俺を視認した途端、びくっと震えた肩。
 やだなぁ、こいついっつも、俺が近づくと警戒心丸出しなんだから。そのくせ隙だらけだから笑えるんだけどね。
「えいっ」
 隠し持ったハサミでじょきっと。
「ちょ、うわぁああああ! 何すんだよ!」
 ぱらぱらと落ちる毛先は、若干色が異なっている。
「これ、傷んでるんじゃないの?」
「僕のアイデンティティーになんてことを!」
 君にアイデンティティーもへったくれもないだろう。どう足掻いたって影薄いんだから。
 君はせいぜい俺の影に霞んでればいいんだよ。
「うざったいから切っちゃいなよ」
 俺がにこりと笑えば、ほら、もう何も言えない。
 じゃきじゃきと、容赦なく毛先を切ってしまう。
「俺、面白いこと思いついたんだ」
「またロクなことじゃないんだろ……」
 はぁ、とため息。
 君みたいなしみったれた根性の奴にそんな見下した態度取られると、どうしようもなく腹が立つんだけど。
「何? 何か言った?」
「いや、なんでもないよアメリカ!」
 情けないなぁ。
 まったく、本当に俺とは似ても似つかないのに。
「……昔っから思ってたけど、君にはさぁ、フロンティアスピリットってものが欠如してるんだよね。それでもこの偉大なるアメリカ大陸の住人かい? 情けないったらありゃしないよ! 何がスローライフだ! 夢を追いかけてこその人生だろ!」
「そ、そうですね……って違う! なんで君にそんなこと言われなきゃいけないんだよ! だいたいカナダは寒いんだぞ! 動いたら動いただけしばれるんだよ!」
「何、その変な英語」
「君にだけは言われたくないぞ!」
 顔だけは立派に憤慨しているのに、一向に抵抗しないものだから、カナダの頭はずいぶんとすっきりした。しゃきり、と最後のひと束。
 ああ、これでもう、完全に見分けがつかない。
「君には、世界の正義を守る俺の重要なパートナーとして、我が合衆国のフロンティアスピリットを植えつけたいと思う」
「なんだよパートナーって! いつもいつも、僕は別に、君に協力してるんじゃないぞ君に! ただ、女王陛下に筋を通してるだけだ! イギリスさんが君に協力しなきゃ、俺だって……」
 カナダの口から「イギリス」という単語が出たことが気に食わなくて、俺は強引にカナダの言葉を遮った。
「マニフェストディスティニーだよカナダ! 君には天命を与えよう!」
「聞けよ人の話!」
 涙目になったカナダを無視して、俺は鏡を取り出して見せた。
 俺とカナダと、並んで映るようにする。
「ほら、そっくりだろう?」
「あぁあああ、僕のアイデンティティー……」
「はい、これ」
 俺は用意してきた、薔薇の花束をカナダに手渡す。
「な、なんだよコレ……や、藪から棒に……」
「別に君にプレゼントするわけじゃないよ」
「わ、わかってるよ、わかってますよ!」
「なんで泣きそうなんだい君」
 まぁいいや、と俺はすぐ先の曲がり角を示す。
「これからそこをイギリスが通るから、そしたら君は、それを持ってイギリスのところへ行く。で、それを手渡して、『愛してるよイギリス』って言うんだ」
「……は?」
 真っ赤になってうろたえたカナダは、自分の気持ちが見破られたかと、ひどく動転しているようだったが、生憎俺はそんな生易しいところでストップしてはやらない。
「そしたら俺が颯爽と出て行って、イギリスに『やーい、騙された!』って言ってやるんだぞ!」
 にこにこ。
 ようやく合点がいったらしい、カナダは愕然と俺を見つめていた。
「そ、そんなことのために、僕のアイデンティティー……」
「当たり前じゃないか!」
 当たり前じゃないか。君に告白のチャンスなんて与えてやらないよ。この意気地なし。
 独白しながら、俺は俺自身の胸も痛めていることに気がついた。
 なんてことだ。
「まったくなんていうか……いつも君は……バ……」
「何だい? カナダ」
「なんでもないよ!」
「あ、ほら、来たぞ。じゃあ俺は隠れてるから!」
 曲がり角を、足音が近づいてくる。あの足音はイギリスだって、俺にはちゃんとわかるんだから。
「ちょ、アメ……」
 はぁー、と、カナダは俺に見せつけるかのような深いため息をついた。
「この薔薇……高いんだろうな……」
 そんなとこにばっかり気づかなくていいんだよ、バカナダ。
 さんざん嫌そうなサインを俺に送ってきていたカナダだが、いざイギリスが姿を現すと、諦めたようにため息をついた。
「や、やあ! イギ、イギ……イギリス!」
「ああ、アメリカ。なんだよ話って」
 カナダに目を留めたイギリスは、手に持った薔薇の花束に一瞬ぎょっとして足を止めたが、すぐに自分の中で、また謎の解釈でも作り上げたのか、首を振りながら再び歩み寄っていった。
「え、ええと……」
 困ったように振り返るカナダ。
 バカ、こっち見ないでよ。バレちゃうじゃないか。
 どきどきどき。
 どきどきどき。
 これは誰の鼓動だろう。
 イギリスの「ひょっとしたらその薔薇の花束は俺のための……? いや、相手はあのアメリカだぞ、期待するな俺! 期待するな期待するな期待するな……いやでもわざわざこんなとこに呼び出して……いやいや!」という経験から身についた疑い混じりの憐れな期待なのか、カナダの「なんで僕がイギリスさんにそんなこと言ってからかわなきゃいけないんだよアメリカの野郎、死ね!」というごくごく当たり前の惨めな緊張感なのか、それとも「あれが俺じゃないってことに、イギリスは気づいてくれないかな……気づかないよな……バカだもんな……イギリスにとっちゃ、植民地なんてみんな一緒なんだろうな……」という、俺の諦めの中の、バカみたいな一縷の期待なのか。
「あ、あっ、あっ、愛し……」
 最後までは言えなかったようだけれど、とにかく勤めは果たした、とでも言うように、カナダはイギリスにムリヤリ花束を押しつけると、ダッシュで俺の方へ逃げてきた。
「え、ちょ、アメリカ……!」
 イギリスは呆然と花束を受け取って、立ちすくんでいるのみだ。
 バカだなぁ、イギリス。
 それのどこが「アメリカ」なんだよ。
 アメリカは俺だよ。
 君に育てられて君が教えてくれた生きる術を頼りに必死に生きた、君を厭うて、君に牙を剥いて君を傷つけた――アメリカは、俺だよ。
 俺は、そんな奴とは違う。ねぇ、君は忘れちゃったの?
 俺が独立したから君は泣いて、――たくさん泣いて、色んなものを諦めて、そうしてそいつも手離した。カナダもオーストラリアもニュージーランドも、みんなみんな。もう二度と、傷つけられないように。
 だからそいつはアメリカじゃないんだよ。
 どうひっくり返ったって、君に最初に、深い傷を刻み込んだのは、この俺でしかないんだ――。
 どうして、どうしてわからないの?
 じわりと込み上げる涙を抑えることができなくて、飛び出す予定も決行せずに壁の陰に蹲っていたら、いつの間にか目の前で見下ろす影があった。
「……アメリカ?」
 そっくりな顔。
 ――嘘だ。
 俺はこんな顔絶対にしない。情けなく眉尻を下げて、小首を傾げたり、絶対にしない。
 俺は強い男だ。
 状況に甘んじることなく自ら正義を実現していく、俺は強い男だ。
「自分でやって、泣くなら、しなきゃいいのに」
「……泣いてなんかないぞ」
「君はいつも、強がりばっかりだね。イギリスさんは……」
 カナダはその後を言わなかった。
 それが余計に癇に障って、俺はごしごしと涙を拭うと、ザッと立ち上がった。
「……行くの?」
 こいつはいつだって俺の隣にいて、イギリスがいなくて寂しくて、泣きじゃくってた頃の顔だって、みんなみんな見られていて。
 だから今更だ。
 こいつはいつだって、俺の泣き顔を遠くから見ているだけで、俺みたいにみっともなく足掻いて泣きじゃくったりしなかった。だから俺は、今や、こいつより遥かに高い場所に立っている。
 そうさ、イギリスのいた、高みに。
 君には、絶対に昇ってこれないだろう?
「君はいつも前を見ている。君はいつも上を見ている。でも僕には、その『上』がどこにあるのかわからないよ」
 そうさ、君には絶対にわからないだろう。
 一瞬で涙の跡を隠す、この術も。
「疲れたら戻っておいで。兄弟」
 絶対に戻るもんか、と心の中で毒づきながら、俺は走り出した。


「イギリス!」
 イギリスはまだ、その場にぼけーっと突っ立っていて、俺は正直呆れてしまった。どうしてこんなにバカな人を、俺はこんなにも好きでいられるんだろう。
 どうして、こんな、俺とカナダの見分けもつかないような、バカな人を。
「あ、アメリカ……なんだよ、これ……」
 俺を見たら真っ赤になってうろたえるくせに。
 カナダにも、そんな顔を見せたの?
 努力してきたのは俺だぞ。君の隣に立つために、泣いて泣いて、汗かいて血を拭ってきたのは、――俺だぞ、イギリス。
「何だいその花? どこで拾ったの?」
 突き離すような冷たい口調になる。
 いつの間にか体得した、感情を押し隠す術だ。
 俺は必死になって前へ前へと走るうち、いらないことばかり覚えていく。
「え、こ、これは、さっきお前が寄越したんじゃねーかよ!」
「あー、それだったら、ひょっとして俺じゃなくてカナダじゃないの? さっきあっちで泣いてたよ。『イギリスさんにフラれたー』って」
「は? あ、あれは絶対お前だったって! それに、ここに呼び出したのはお前じゃねーかよ!」
「俺はただ、カナダが君を呼び出しておいてほしいっていうから、協力してあげただけだぞ!」
 我ながら上手い言い訳だった。
 イギリスは納得したように一瞬呆けて、気まずげに目線を逸らす。
 そうだ、存分に反省しろ。バカなイギリス。
「……そ、そうかよ……。わ、悪かったな、アメリカと間違えて……ってカナダに言っておいてくれるか? それから、これも返す……」
 大事そうに抱えていた花束を、そっと俺に差し出した。
 まるで俺自身が花を突き返されたかのように、ずきんと胸が疼く。だってその花を、花屋で君のことを考えながら、一生懸命選んだのは、この俺なのだから。
 一瞬でも、たとえ俺とカナダを間違えても、君の喜ぶ顔が見たかった。
「ひどい男だな君は! せめて花くらい受け取ったらどうだい? 君の好きな花をちゃんと、選んでくれたんじゃないか」
 わかっている、ひどい男なのは俺だ。
 こんな風に、みっともなく、君を試すようなマネばかりして。
 イギリスの心も、カナダの心も傷つけてばかりで。
 自分の体面を取り繕うことで精一杯で。
「で、でも、俺には受け取る資格なんかねーよ……。俺、ほ、他の奴のことで頭がいっぱいで……ちゃんとカナダのこと見てやれなかったのに……」
 ぱちん、と目の前で何かが弾けた気がした。
「他の奴の、こと……?」
「あっ、いや、その……なんでもねぇよ! とにかく失礼だった! 受け取れない!」
 君の真っ赤に染まった、その頬を見るのが好きだった。
 ――バカみたいだ。
 もう少し、もう少しだけ待っていて。そうしたら、ちゃんと素直になるから。
「……そう、じゃあ、伝えておくよ」
 ああ、そうだ。
 君は、カナダのことをアメリカとは言っても、俺のことを、カナダと呼んだことは一度もないんだ。
 かわいそうなカナダ。

 かわいそうな、   。















 追いかける方は、いつだって、「追いついた」という実感を得られないまま。

 っつか間違えんのかよイギー!!!
 ということに絶望した! 一米英ファンとして絶望した!
 加→米と加→英のどっちが萌えるか必死に考えている……どちらにせよ片想いという酷い展開。不憫 モ エ !!
 たぶんカナダはどっちもすごく好きなんだと思う。腐女子的観点からいうと。

 ギャグのつもりで始めたのに、なぜかシリアスに……。
 だって間違えるなんて酷いじゃん、イギイギ……!


(2008/1/30)



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